37「嫌な男に会いました」①
リーゼの名を呼ぶ誰かの声に、サムが反射的に振り返った。
背後にいたのは、見知らぬ男だった。
「誰だ?」
二十代半ばの男だった。
赤茶色の髪を小綺麗に切り揃えた、身なりのいい格好をしている。
すらりとした長身と、甘いマスクが印象に残る男だ。
そんな彼の腰には、一本の剣が差されていたが、あまり剣士らしくない。
剣の鞘にはごてごてとした仰々しい装飾が施されていて、センスのなさを感じた。
(誰だ、こいつ? 剣士っぽく見えるけど、いや、剣士じゃない。貴族のお坊ちゃんが剣士の真似事をしている感じにしか見えない)
男はサムではなく、真っ直ぐにリーゼを見ている。
知り合いなのか、と婚約者に問おうとすると、自分の手を握る彼女が震えていることに気付いた。
「――ユリアン」
体だけはなく、声までも震わせたリーゼの口から出てきた名は心当たりがあった。
(ユリアンって、まさかリーゼ様の)
サムの記憶が正しければ、リーゼの元夫の名前だ。
剣聖の後継者候補であり、雨宮水樹に言い寄っている評判の悪い男でもある。
「やあ、リーゼ。久しぶりだね。離婚して以来顔を合わせていないから、もう二年になるのかな」
「……何の用かしら」
気さくな態度のユリアンに対し、リーゼは強張った返事をする。
どことなく、声が冷たいのはサムの気のせいではない。
「おや、つれないね。君をこんなところで見かけたから声をかけただけじゃないか」
「軽々しく声をかけるような関係じゃないでしょう」
不快と苛立ちを込めたリーゼに対し、ユリアンは肩を竦めるだけ。
「寂しいことを言わないでほしいな。仮にも夫婦だったじゃないか。ちょうどいい、君に話があったんだ。近くの店にでも入ろうか」
そんなことを言って無遠慮に手を伸ばしてきたユリアンに、リーゼが怯えたように震えた。
婚約者の変化を見逃さなかったサムが、すかさず間に割って入る。
「――誰だ、君は?」
ようやくユリアンの視線がサムに向いた。
自分の邪魔をされたせいなのか、不愉快そうな顔をしている。
だが、不愉快なのはこちらのほうだ。
「お前こそ、誰だ。人に名前を聞きたいのなら、まず名乗れ」
「……無礼な子供だね。僕が、ミッシェル伯爵家の長男ユリアン・ミッシェルだと知らずとも、目上の人間を敬うべきじゃないのかい?」
「どうして俺があんたのことを敬わなきゃいけないんだよ」
リーゼの元夫に喧嘩腰の態度しか取ることができない。
そもそも、この男の言動がサムを苛立たせていた。
リーゼ関係なく、この男とは合わない、そう確信する。
「サム、やめて。さっさと帰りましょう」
「――サム? もしかして、これがサミュエル・シャイトかい?」
サムの名を聞いたユリアンが、目の前の人間を誰だか認識したようだ。
すると、わざとらしくため息をつく。
「だったらなんだっていうんだ?」
「いやなに、僕の妻だったリーゼが、将来有望な人間と婚約していたと聞いていたんだが、まさかこんな子供だったとはね」
「やめてユリアン!」
「噂とは当てにならないものだ。どうやら、この国の宮廷魔法使いの質も落ちたようだ。それとも、こんな子供をお認めになった陛下の目が節穴になってしまったのか、どちらかだね」
「――好き勝手言ってくれるな、おい」
今にも殴り飛ばしたい衝動に駆られるも、ぐっと堪える。
少なくとも、ここで奴をぶん殴ることをリーゼが望んでいないとわかったからだ。
サムは、大きく深呼吸して、苛立ちを抑える。
「サム、相手にしないでいきましょう」
「わかりました」
今にも泣き出しそうな声のリーゼに頷くと、サムはユリアンに向けて背を向けた。
「花蓮もいきましょう」
「ん」
黙っていた花蓮はじぃっとユリアンを見ていたようだが、興味がなくなったようだ。
頷いた彼女と、リーゼを連れてこの場から立ち去ろうとするが、
「待て。僕の許可なく立ち去ることは許さないよ、リーゼ」
「――っ」
傲慢な物言いのユリアンが待ったをかける。
そして、サムもいい加減、許せないことがひとつあった。
「おい! 俺の婚約者の名前を軽々しく呼ぶな」
振り返ったサムを、リーゼが腕を掴んでいなければ殴りかかっていただろう。
先ほどから、リーゼ、リーゼと彼女の名を愛称で呼んでいるのが気に入らなかった。
リーゼを不幸にした男が、なぜこうも気軽に彼女に声をかけられるのかも理解できない。
少しは後ろめたい感情がないものかと、思わずにはいられない。
「生意気な子供だね。もしかして、リーゼ、君は年下趣味だったのかい?」
「お前っ、いい加減にしろ!」
「……うるさい子供だ」
まだリーゼの名を軽々しく呼ぶ、ユリアンに、そろそろ限界が訪れそうだった。
そんなサムの隣で、花蓮が呟く。
「こいつ、うざい」
「ん? ああ、他にも連れがいたのか。おや、君はどこかで」
「どうでもいい。わたしはお前に興味がない。用件がないなら早く消えて」
花蓮もユリアンをよく思わないらしく、いつも以上に淡白な態度を取る。
そんな彼女の態度に、ユリアンは顔をしかめた。
「ふむ。リーゼ、いくら離婚したとはいえ、君は僕の妻だったんだ。このような人間と付き合うのは感心しないね」
「私が誰と付き合おうと、あなたには関係ないわ!」
「……ほう。僕に歯向かうというのかい。なら」
リーゼの態度が気に入らなかったのか、ユリアンが明らかな苛立ちを顔に出した。
一瞬、怯えた様子を見せるリーゼだったが、彼女を守るように再びサムが盾になるように割って入った。
今度は花蓮も同じだった。
「言っておくが、リーゼ様に指一本でも触れてみろ、殺すぞ」
「同じく」
殺気を込めたサムと花蓮に、ユリアンはなぜか間の抜けた顔をする。
そして、なにが面白かったのか、突然笑い始めた。
「ぶっ、ふははっ、あはははははっ、殺す? 僕を? 君たちが? 笑わせてくれる! 実に愉快だよ!」
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