25「剣聖雨宮蔵人様とお会いしました」①
サムたちを出迎えてくれたのは、道場の床に背筋を伸ばし正座した初老の男性だった。
「お久しぶりですね、リーゼ」
柔らかな声音と、穏やかな表情を浮かべた優しそうな五十過ぎの男性こそ、剣聖雨宮蔵人だ。
白髪混じりの黒髪を伸ばしひとつに結い、丸眼鏡をかけた袴姿の剣聖は、佇まいも雰囲気も物静かな人だった。
「ご無沙汰しています、剣聖様」
リーゼも、剣聖に倣い床に正座し、深々と頭を下げる。
サムと花蓮もリーゼと同じように礼をした。
「どうぞ、楽にしてください」
「ありがとうございます」
蔵人の気遣ってくれる言葉を受け、三人は顔を上げた。
道場まで案内してくれた水樹が、父の斜め後ろに正座する。
(西洋風のスカイ王国に、日本の剣道道場みたいな建物があるっていうのもなんか変だな。でも、どこか懐かしいかな)
道場内は、鏡のように磨かれた床と、木刀が飾られている壁が広がっている。
日の国の神を祀る神棚が、蔵人の背後に設置されており、神棚の前には二振りの真剣が置かれていた。
転生前は、剣道は縁がなかったものの、幼少期に実家の近くにある道場で夏休みのラジオ体操をした記憶が蘇る。
「リーゼのことはずっと気にかけていました。ですが、私が心配せずとも立ち直れたようですね」
「サムのおかげです。サム、こちらが私の剣の師匠であり、この国一番の剣士剣聖雨宮蔵人様よ」
リーゼが剣聖を紹介すると、サムは改めて頭を下げて自己紹介する。
「サミュエル・シャイトです。お初にお目にかかります」
「雨宮蔵人です。剣聖なんて大それた呼び名がありますが、どこにでもいる普通のおじさんですので、気軽に接してください」
「い、いえ」
一見すると温和そうな人ではあるが、それだけではないとサムは本能的に感じ取っていた。
それは花蓮も同じだったようで、うっすらと額に汗を浮かべて剣聖をじっと見ている。
「サム……この人、かなりできる」
「だろうね」
花蓮の視線に気づいた蔵人が、微笑を深めた。
「そちらは木蓮殿のお孫様ですね」
「紫・花蓮です」
「はじめまして。木蓮様には大変お世話になっています」
「お婆様に?」
「ええ、次女は体が弱いため、なにかと気にかけていただいています」
国一番の回復魔法の使い手である木蓮は、剣聖とも交流があるようだ。
ただ、花蓮は剣聖と面識がなかったようなので、祖母と知己であることに驚いているように見えた。
(もしかすると花蓮様が戦いを挑まないように隠していたのかもしれないな)
蔵人の視線が再びサムに向く。
「サミュエル君のことは陛下から伺っています。その年齢で、とても魔法に優れていると。私にも魔力はありますが、身体強化魔法を使うことしかできませんので若き才能を羨むばかりです」
「すべては、よき師との出会いがあったおかげです」
「ウルリーケ殿のことですね。スカイ王国も惜しい人材を亡くしました。彼女の死は、早すぎた。残念でなりません」
ウルリーケの死は剣聖でさえ惜しむほどだった。
改めて師匠が国にとって重要な魔法使いだったのかを知った。
「ですが、彼女にはサミュエル君というすばらしい後継者がいます。宮廷魔法使いとスカイ王国最強の魔法使いという立場はなにかと大変でしょうが頑張ってください。私でよろしければ、いつでも頼ってください。リーゼの婚約者なら、私にとっても大切な方です」
「お心遣いありがとうございます」
「ときにリーゼ」
「はい」
「また剣を握りはじめたと聞いています」
「サムのおかげで、再び剣を握る決心ができました」
一度、剣を握ることをやめた弟子が、再び剣を握ったことは剣聖の耳にも届いていたようだ。
目尻を緩めて、嬉しそうにしているのがわかる。
「とてもいいことです。才能溢れる君が剣を捨ててしまうのはあまりにも残念でした。もちろん、握らなかった理由は承知していますが、それでもその才能が惜しかった。師として、ひとりの剣士として、再び剣の道に戻ってくれることは嬉しく思います。頑張ってください」
「精進します」
リーゼが剣を握らなかったのは、結婚相手の家にそれを許されなかったからだ。
だが、彼女はもう自由だ。
剣の道を再び進もうと、阻むものはいない。
剣聖の言うように、サムも才能ある彼女が剣を再び握ったことは嬉しかった。
リーゼのおかげでサムは強くなれた。
その恩を別の形で返していきたいとも思っている。
「リーゼ、道場に戻ってくる気はありませんか?」
「え?」
「ご実家で自己鍛錬するのもいいことですが、道場ならば手合わせできる相手もいますし、私も指導ができます。君と仲の良かった水樹も喜ぶでしょう」
「……それは」
返答を濁したリーゼの顔は、とてもじゃないが剣聖の言葉を喜んでいるものではなかった。
その理由はもちろん、かつての結婚相手がこの道場にいるからだろう。
リーゼの暗い顔に、蔵人が失言に気づいた。
「いえ、忘れてください。今のリーゼには、この道場は心地がいいものではありませんでしたね」
「いいえ、そんなことはありません! 蔵人様にも水樹にもとてもお世話になりました。楽しい思い出もたくさんありました! ――ですが」
「言わずともわかっています。配慮が足りていなかったことを謝罪します」
剣聖は、リーゼと目を合わせたあと、深々と頭を下げた。
「そんな! 蔵人様に謝っていただくことなんてありません。どうかお顔を上げてください」
リーゼの慌てた声に、しばらくはそのままだったが、蔵人の顔が上げられる。
そんなやりとりを緊張しつつ見守っていたサムは、剣聖がリーゼを弟子以上に大事にしているのだと察した。
それだけに、リーゼが道場に戻れないことを悔しく思うのだった。
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