表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつも空を見ている①  作者: 汪海妹
4/8

人畜無害な草食動物













人畜無害な草食動物













一樹













千夏のことは、すぐに覚えた。転入してからすぐに。一番最初にクラスに入って、見渡して、目につく女の子が2人。千夏と星野。最初見たときから、星野より千夏のほうが好みだった。僕はかわいい人より、きれいな人のほうが好きだから。でも、それだけ。その他大勢として時々彼女の動向を見てただけ。自分とは関わりの薄い人だった。


時々、授業中に目をやると、彼女はいつも空を見ていた。見事なぐらい、授業を聞いてなかった。それなのにあてられると、全ての問いにきちんと答えた。頭のいい子だった。顔がきれいで、頭がよくて、運動も普通にできて、とりつく島のない人だった。


男子の間では千夏は、俺たちみたいな同年代男子は相手にしないのではという話が出ていて、だから、双葉の話が出たときは、みんなすんなりと受け入れた。


双葉にはちゃんと奥さんがいるけれど、でも、10代のきれいな女の子は20代の女の人にはない別の魅力があるから、それなりにその気になっちゃったんじゃないか?千夏の話を聞いてそう思った。双葉は十分に大人で、先生っていう自分の立場をちゃんとわかってる。わかってるけど、あんな千夏みたいな子が自分のこと好きだって聞いて、2人きりで話してたら、魔がさすこともあるんじゃないのかな?


彼氏のふりをするなんて話を僕が言い出したのは、でも、双葉がこれ以上何かするのを懸念したからじゃない。いろいろごたごた理由を並べて自分のことを正当化したうえで、ただ単純に、千夏に触りたかった。ほんの少しだけ。


「放課後って言ったの?」

「うん」


教室で2人、窓に向かっていす並べて座って。


「ちょっと相談したいことあるから、教室で話したい。いいですかって」


千夏がスマホの画面見せてくれた。


「あ、返信来た。今から来るって」


僕の心臓がひとつ大きくなった。


「ねぇ、今からするのは」

「うん」

「演技だから怒らないで」


そう言って、手を伸ばして彼女の肩に触れた。そのとたんに彼女が息をのんで体をこわばらせるのが僕の手のひらと彼女の体に触れている僕の全ての体の部分から伝わって、胸をしめつけた。こんなに苦しいと思ったのは生まれて初めて。


彼女の硬くなった体をそっと自分の体に寄せて、彼女の頭を僕の肩にもたれかけさせた。髪に触れた。さらさらで気持ちがよかった。髪をもっと撫でたかったけど、これ以上手を動かすと自分の下心がばれると思って、彼女の腕のあたりに手を移動した。


ああ、先生。もう一生来ないでもいいんだけどな。


「ごめん。平気?」


なんで謝ってるんだ、俺?あとからしまったと思う。


「うん」


すぐ斜め横で千夏は居心地悪そうにしてた。でも、たぶん嫌がってはないよね。自問自答する。


ばたん


ドアが開く音がして、2人で首回してそっち見て、双葉先生とばっちり目があった。僕の腕はまだ彼女の体に回されていた。


「先生、すみません」


ぱっと彼女が身を離して行ってしまい、僕の役目は終わり。僕の幸せな時間も同時に終わった。

なんか双葉が千夏と僕の顔を交互にじろじろ見てる気配を感じたけど、無視してそのままその場にいつづける。2人のやり取りを適当に聞き流しながら。


本当は僕はそこまで不器用なわけじゃない。千夏が言ってた真夏の海岸で鎧を着て一歩一歩進むほどに恋愛に対して奥手なわけでもない。ただ、僕は惚れっぽい人間じゃない。たぶん。だから、珍しく好きになった女の子がちょっと変わってて、無茶苦茶奥手な人で、なんというかものすごく深くほった穴の奥にもぐりこんでいる野兎みたいな人だ。その子に嫌われないためにいろんな嘘をついているだけ。


まさしく人畜無害な草食動物のようにそばにいる。そのくせ、ああだ、こうだと屁理屈をこねて少しだけ千夏に触れてしまった。本当に自分で自分を姑息だなと思う。おそらく千夏はちょっとでも好きだという気持ちを見せたら、もう口もきいてくれないと思うし、一度少しだけ触れてしまった後でそんな生活果たして耐えられるんだろうか。


ほんのちょっと前のあの感覚が忘れられない。


「すみません。お忙しいところありがとうございました」


終わったみたい。千夏がカバン持って僕の方に来る。


「お前ら、つきあってんの?」


千夏が振り向いた。背中から困ってるのがわかる。


「ご想像にお任せします」


僕がそう言うと、先生結構つまらなさそうな顔で僕を見た。


「あ、でも親にばれると面倒だし、秘密にしてくださいよ。先生。もちろん問題になるようなことはしないんで」

「しょうがないな」


今、たぶん先生を楽しませてた日々は終わったよね。顔見て分かる。ごめんね、先生。


「帰ろう、千夏」


先生の方へ向けてた顔を、こっちへ驚いた顔して向けた。あんまりやりすぎるとまずいかなと思いつつ、どうせもう今日しかチャンスないから。これは演技だよ。千夏ちゃん。と思いながら手、差し伸べた。


困った顔した千夏が僕の手を取って、


「さよなら、先生」


二人で挨拶して、教室出る。


「階段おりたところまで、このままでいこ」


後ろ姿を双葉先生見るかも。でも、このまま歩き続けると他の学生に見られるかも。だから、階段おり終わったとこで、ぱっと離す。


ああ、終わっちゃったなぁ、全部。


「びっくりした」

「え?」

「一樹君、すごい演技力」

「そう?」


はははと笑う。演技じゃないんだけどね、全部。


「これからどうするの?」

「ちょっと遅れたけど、塾行って帰る」

「じゃあ、わたしも一緒に行く」


並んで階段おりるとき、一瞬もう一度彼女の手を取りそうになって、慌ててひっこめた。何してんだ、俺。立ち止まる。


「どうしたの?」

「なんでもない」


つまらないな、ほんとに。でも、がまんしないと口きいてもらえなくなる。













清一













「はい、お父さん。はい、太一も」

「ああ、ありがとうございます」


2人で頭下げる。バレンタインデー。


「お父さん、今年は何個ぐらいもらえそう?」

「香港は女性から贈るのが習慣じゃないし、もらえないよ。全然」


ほんというと、取引先の日本人女性からもらうことが時々ある。家には持ち帰らずに会社に置いてるけど。


「少ししかもらえないっていうのはわかるけど、全然っていうのは怪しいね。ね、お母さん」


余計なことを、この娘は。


「お母さんからは今年ないの?」


太一が聞いてる。なつが答える。


「太一、お母さんからチョコほしいの?」

「うん」


なんか、千夏と話しているうちに、太一に持ってかれたな。おいしいとこ。


「今年はチョコレートのケーキ焼くからさ。お父さんと半分こね」

「やった~!」


なんで太一ってこういう時に素直でかわいいんだろうな。10歳。負けてる気がするよ。それになんか俺がついでになってる気がする。


「わたしは食べられないの?それ」


千夏が聞いている。


「お姉ちゃんはだめ。女だから」

「ちょっとだけちょうだいよ」


太一が考える。


「うん。ちょっとだけなら、いいよ」

「じゃあ、1/2が太一で、1/8がお姉ちゃんで、3/8がお父さんでいいんじゃない?それなら太一の分が減らないでしょ?」


千夏が言う。太一、分数が苦手。しばらく考える。


「お母さんは食べないでいいの?」

「じゃあ、お父さんが1/4でいいんだ。ね」


なんか、なんか嫌だそれ。


「ね、お父さん甘いものそんな好きじゃないし、いいよね?」

「別にいいよ」


甘いものがほしいわけじゃないんだけど、太一が1/2で、俺が1/4って、何かすごいリアルな感じがあるね、微妙に。


「なんか千夏からのチョコ、今年はいいやつじゃん。どうしたの?」

「ああ、他にも贈る予定あってさ。だからまとめて買ったの」

「……。つまり、俺と太一以外にも贈る人がいるの?」


すみませんね。父親ってこういうの看過できないです。千夏はきょとんとこっち見た。


「義理だよ。義理。お世話になった子に」

「そんな子いるの?」

「うん。友達」


太一がちらりとこっち見る。もしかして、ちょっと前にバイバイしてた子かな?


「ああ、それともう一人仲いい子がいて、3月に日本帰っちゃうからさ」

「女の子?」


千夏がこっちをあきれた顔で見る。


「お父さん。日本では女から男だからさ。その子も男の子の友達だよ」

「ふーん」


これ以上、根掘り葉掘り聞くと嫌われるんだろうな。


「あ、そうだ。太一はともかく、お父さんはちゃんとホワイトデーにお返ししてよ。毎年何もないじゃん」

「何がほしいの?」

「直接聞かないで、ちゃんと考えて。自分で」

「……」


前も言われました。こういうこと。すみません。


「千夏、もう、お父さんのことそこまでいじめないでよ。あんた、言い方きつすぎるわよ」


なつがフォローに入る。


「いや、何か買いますよ、今年は。そこまで言われたら」


ちょっと拗ねた。


「わたしに聞けないからって、周りにいる若い女の人とかに何買ったらいいか聞くのはだめよ。お父さん」


娘の顔を見る。


「お前な」


やろうとしたことをぴたりと当てやがって。わが娘ながらその察しのよさはむかつくぞ。


「そんなにかわいくないと嫁の貰い手がないぞ」


太一がはらはらしているのが、目のはしっこにうつった。


「ちょっと、せいちゃん。いくらいらっとしたからって千夏まだ13歳なんだから、そんな言い方しないでよ。千夏ちゃんも、あんたほんと言い過ぎだって」

「ごめんなさーい」


舌出した。


まぁ、でも、娘がここまで俺にからむのも、自分が気が利かなくてとらぶったことがあるからで、無下にするわけにもいかない。千夏の言ってるお返しは、千夏に対してではなくてなつに対してを言ってるのだから。

それにしても、千夏が男の子にチョコあげるなんて、今まであったっけ?この子、口は達者で、人(=親)にもいろいろあーだこーだ言うわりには、自分自身はそういう女の子らしい行事してなかったと思うんだけど。


***


夜、なつがお風呂から出て化粧水とか塗ってるときに、聞いてみた。


「ねぇ、中学生ぐらいのときって義理とかでもバレンタインデーにチョコあげてた?」

「え?なに?わたし?」


奥さん、しばらく考える。


「考えるまでもないな。お父さんにあげてたくらい?それも毎年じゃなかったような」

「じゃあ、なんで千夏はあげるんだろう」


なつがふきだして笑いだした。


「なにがおかしいの?」

「別に母親とそこ、同じにならないって。第一、千夏とわたしじゃスペックが違うんだって」


つまらないな。


「中学生ってまだ子供じゃない?もう、好きな人とかできちゃうのかな」

「あのね、せいちゃん。時代が違うしさ。それにわたしってすごいかたいというか、奥手、っていうの?わたしを基準に考えないほうがいいよ」

「……」


つまらないな。


「あなた、ほんと独占欲が強いんだから。わたしは独占できても、娘はだめよ」

「娘を独占しようなんて、してないよ」


もう少し子供のままでいてほしいだけ。急に大人になられると、さみしいな。


「まぁ、でもどんな子にあげるんだろうね。友達だって言ってたけど、見てみたいなぁ」

「俺は見たくないな」


なつがため息をついた。


「隠れてこっそり思ってもいいけど、千夏の前でそういう態度やめてね」

「してないよ」


いつも聞きたいこととか我慢してるし。


「あの子、結構ファザコンよ」

「え?そうなの?」


なつがクリーム手に取って、目元や口元にのばしていく。


「やあねえ。自覚ないの?大きくなってきたら直接言わなくなったけど、小さい頃はもう、あなたにべったりだったじゃない。わたしとお母さんとどっちが好き?なんてさ」

「そんなの昔の話じゃない」

「三つ子の魂百までよ」


最近の千夏見ててそんなんまったくわからんな。あ、でもちょっと前まではお父さん大好きって言ってくれてたっけ。


「これからはね、せいちゃん。上手に脇役になってあげてよ」

「何それ」

「あんまり前に出てあーだこーだ言うとね。あの子もだめ、この子もだめで、あの子奥手どころか一生好きな男の子できないまま終わっちゃいそう」

「ええ?何、千夏が?」

「お父さんよりいい男なんてこの世にいないじゃーんってさ」


そういうと、なつは部屋の電気消して僕の横に入ってきた。


「でも君はそんなことなかったじゃん」


ふふふふふ。なつが笑った。


「おかげさまで。お父さんよりいい男がいたので」


その言葉は嬉しかったんだけどな。


「だからね。千夏にもさ、あなたよりいい男が現れるよう祈ろう」

「……」

「もういるかもしれないけどね」


お休みと言って寝ちゃう。つまらないな、父親なんて。













一樹













「あ、よかった。今日、バスいっしょにならないかと思ってた」


塾の帰り。そう言いながら千夏は僕の横に座った。


「はい。これ、あげる。こないだはいろいろお世話になりました」

「え?」


リボンのついた小さな包み。


「これ、チョコ?」

「うん。バレンタインデーでしょ、今日。もらわなかった?なんか、いろんな子が配ってたじゃん」


表向きは禁止なんだけど、隠れて義理ばら撒く子がそれでもいて、部活で一緒の子とかからもらってたけど。男子の間では、中條は去年も配らなかったし、今年も誰にもあげないだろうって予想されてたし、千夏からもらえるなんて思ってなかった。これっぽっちも。


「中條ってチョコとか配る人だと思わなかった」

「いや、でも、みんなには配ってないよ。家族以外は一樹君合わせて二人かな」


もう一人いるんだ。誰?それ。もらった嬉しさよりそっちが気になった。


「ありがとう」

「いや、これくらい。いろいろ面倒くさいことさせちゃったしさ」

「あれから特にやなことなかった?」


彼女、両手を口にあてておかしそうにくすくす笑った。


「もう、先生、すっごい変なの。別人でさ。すっごいそっけないし、めんどくさがって、結構手抜きされた。でも、一応無事書き終わったんで」


よかった。あの青い顔して一言も口きかなかった日を思い浮かべながら思う。


「大変だったね」

「いや、別に」


そう言ってちょっと俯く。彼女の長い睫毛に少し見とれた。


「ねえねえ」


千夏がにやにやしてる。


「今日、好きですとか言って、告白されたりしなかったの?」

「そんな嬉しいことあったら、聞かれる前に話してるよ」

「なーんだ。つまんなーい」


ほんとにそんなことあっても、1ミリも嫉妬してもらえない気がする。


「ね、じゃ、今までは?好きって言われたことある?バレンタインとかじゃなくても」


今日は随分いろいろ聞いてくるな。千夏ちゃん。


「それ、答えなきゃだめ?」

「あのさ、少なくともわたしについては2件は知ってるよね。だから、一樹君のもちょっとは教えてよ」

「中條と比べると、すごいささやかな経験しかないんだけど」

「あ、でも、ゼロじゃないんだ」


にこにこしてる。


「君のバス停着いたよ」

「次のバス停まで乗ってく」


困ったな。


「香港への転入決まって、向こうの学校離れるときにちょっとあったけど」

「え~。それで?今でも連絡取ってるの?」


ため息ついた。


「嬉しかったけど、別に好きな子じゃなかったし、ありがとうって言っておしまい」

「そうなの?」


つまらなさそう。


「ね、どんな子だったの?」

「次のバス停着いたよ」

「もう1個乗ってく」

「いいから降りなさい」

 

ちえっと言いながら降りて、降りた後に僕に向かってバイバイと手を振る。僕はもらったチョコを見せてもう一度唇だけでありがとうと形にした。千夏がまた笑って手を振って歩き出す。バスが動き出して彼女が見えなくなるまでずっと目で追った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ