誰かを好きな嘘
誰かを好きな嘘
千夏
あれから一樹君がどう話したのかわかんないけど、わたしの思惑通り事が運んで、学年1の美少女星野ちゃんとまあまあ人気ある三井君とがくっついて、みんなの話題をかっさらい、またそれに触発されたわたしの言うとこの早咲きのみなさんが引き続き、つきあっちゃったりしたので、わたしは望み通り静かな生活に戻ることができた。わたしが年上の男性好きで同級生には興味ないらしいという話も、それなりに男子中心に浸透したみたい。ただ、誤算だったこともある。
「ねぇ、千夏」
星野ちゃんに話しかけられる。別にそんな仲いいわけじゃないのに、この人呼び捨てにするんだよ。女王キャラだから。
「なに?」
「あんた、双葉先生のこと好きってほんと?」
ああ、また万年さかりのついたこの人に流れちゃったか、この情報。
「誰に聞いたの?」
「彼氏。男子の間で噂になってるみたいだよ。ほんと?」
男子の間でだけ噂になってもらいたかったんだけど、うまくいかないね。世の中。
「好きっていうのは言い過ぎ。すてきだなって程度。別に奥さんいるし」
「ふうん。そっかー」
それで終わり。でも、なんかやだな。星野ちゃんって、なんか余計なことしそうで。あの人は、世の中は全部彼女の価値観で動いてるって信じこんじゃっているからさ。
一樹
「ね、笑えるでしょ」
「かわいいお母さんだね」
家康と秀吉と信長の話、中條から聞いた。また、帰り道。
「どっちに似てんの?中條って」
「あー、顔はお父さん」
「じゃあ、かっこいいんだ。お父さん」
「んー、よくわかんないけど、まぁイケメン好きのお母さんが好きなんだからそうなんじゃない?」
「性格は?」
「うーん。2人が混ざってんのかな?ま、でも性格はオリジナルだよ。やっぱ」
「親子だからってそっくり同じにはならない?」
「うん。似てるとこはあっても、やっぱり人ってそれぞれが個人じゃない。全く同じではないと思う。一樹君はどっちに似てる?」
「あ」
「なに?」
「着いちゃったよ」
中條のバス停
「え~」
「また今度ね」
バイバイ。クラスではあんまり話さないから、この話はあと二日後かな?と思ってたらラインにメッセージ入って来た。
『どっち似てんの?』
『せっかち』
『教えなよ』
『顔は母親。性格はよくわかんない』
そうやって送った後に思う。本当は自分はきっと父親に似ている。父親みたいにそこそこ要領よく、無難に自分は生きていく。冒険ができない人になる。でも、それが世間一般で言う勝つってこと。もっとも、大勝利じゃない。ほんとに大勝利する人なんて一握り。
なんだかつまらない。つまらないから親に似てるのに似ていないと嘘をつきたくなる。
太一
見ちゃった。
消しゴム買いにいって、お姉ちゃんがバス停でバイバイしてて、バスの中で手を振り返している人が男の人だった。なんでだかわからないけれど、動揺して消しゴム買わずに走って家まで戻った。
なんだろう?今の。お姉ちゃんもててるから、彼氏ができちゃったんだろうか。でも、うちはお母さんが暇さえあればお姉ちゃんに彼氏いるかどうか聞いてるけど、いつもいないって答えるよね。
あれは嘘なんだろうか?
「ただいまー」
どうしよう。尊敬するお姉ちゃんが、
「ん?どうしたの?太一。なんか変な顔して」
お母さんに嘘ついてるのかもしれない。
「別に……」
僕はお母さんに見たことを教えるべきなのか。それとも、お姉ちゃんに真偽を問いただすべきか。
「あ、お帰り。千夏。あれ?太一戻ってたの?消しゴム買えた?」
「買い忘れたから、もう一回行ってくる」
「ええ?」
背中にお母さんの声を聞きながら外へ出る。
僕にとってはどっちも同じくらい恐ろしい。お姉ちゃんを怒らせるのも、お母さんを怒らせるのも。こういうビミョーなことは、うん。見なかったことにしよう。
もくもくと歩いて、消しゴムを買う。
そして、ふとまたふつふつと不安な気持ちがこみあがってくる。いざことが発覚して、そんで、万が一お母さんがまた怒って、それで、「太一、あんた、お姉ちゃんに彼氏いるの知ってたの?」ていつもの怒ったお母さんの勢いで聞かれたら、僕は絶対に嘘なんてつけない。かといって、僕がお母さんになんか言ったら、お母さんはきっとすぐにお姉ちゃんに聞く。「太一、あんたなんでそんなこと言うわけ?」ってことになって、きっとしばらく許してもらえない。お姉ちゃんは怒らせると、冷たーく、長―く続く。あれも嫌だ。
「太一?」
声かけられた。振り向くと、スーツ着たおじさん。うん、お父さんでした。
「あれ?早いね。お父さん」
「うん。なんか、早く終わった」
並んで歩く。
「お酒飲んでんの?」
「うん。お父さんはお酒を飲むのも仕事だからね。でも、今日はたくさん飲んでないよ。お前は何してたの?」
「ちょっと買い物」
酔っぱらったお父さんに聞いてみるか。
「ねぇ、お父さん」
「何?」
「お姉ちゃんがバス停で、バスの中にいる男の人にバイバイしてたの見ちゃって」
「え?」
「あれって彼氏なのかな?」
「男の人ってどんな人?」
なんか急にしゃきっとしたよね。
「どんなって、同じ中学の人だと思うけど」
「ああ……」
また、酔っぱらいに戻った。
「彼氏なの?」
「太一、それは友達だよ。友達」
「……」
「友達とだってバイバイするだろ?お前だって、男の子にしかバイバイしないってことはないだろ?」
「それはないけど」
「お姉ちゃんに彼氏なんていないって、まだ早いよ」
「そうだね」
でもね、お父さん。僕がもし帰りのバスでクラスの子と一緒になっても、みんなで一緒の時なら女の子と話すけど、1対1の時は、話しかけないかな。好きな子とかじゃなきゃ。
まあ、いいか。友達ってことで。お父さんもこう言ってるし。
もし、お母さんに問い詰められたら、お父さんが友達って言ったからって答えよう。
千夏
とあるホームルームの時、学年末の学習発表会の演目の話していて、わたしはいつもみたいにぼんやり外を見ていた。部外者でいられるのって気持ちいいなって思って。
「毎年、テーマ決めて演劇やるんだよね。分担決めて割り振りたいと思うんだけど」
委員長の三井君が言ってる。あー、わたし大道具係がいいな。でも、人気あるんだろうな。大道具係。
「じゃ、脚本書く人から決めたいんだけど」
「本って内容全部書く人が一から決めんの?」
「いや。みんなで大体の内容決めたら、それ盛り込んでまとめるの」
「ええ?むっちゃ難しそー」
「ああ、それは……」
横から声あげる人がいる。
「先生がちゃんと手伝うから心配しないでいいよ」
副担の双葉先生。おおっとクラスの女子の体温があがる。今、絶対この教室の温度あがったって。今、クラス中の女子の頭の中で双葉先生が手伝ってくれるならやりたいってのと、でも脚本なんてむずくてめんどうでかつ責任重大じゃんってのがせめぎ合ってる。
「はい、わたしやりまーす」
度胸のあるやつもいたもんだって、ええ?星野ちゃん?クラス中、ちょっとざわってなったよね。みんな表には出さなかったけど。
「ええっと、星野さん、立候補?」
三井君、彼氏のくせにひいてる。うん、そうだよね。だって、星野ちゃんてビジュアル系であってさ、中身はね……。からからなのよ。脚本なんてかわいければ書けるもんじゃないでしょ。なんでまた急に。どう考えても無理だろ。
おい、どうすんだよ、三井。お前の彼女だろ?クラスの危機だ。話まとめろ。みんなきっとそう思ってた、この時。
「あ、でもー、1人だと大変だからぁ~」
みんな一気にほっとする。そうそう、三井君と一緒にやりな。彼氏と彼女でさ。三井君なら上手にまとめてくれるでしょ。
「中條さんといっしょにやりたいでーす」
みんなが一斉にこっち向く。なんですと?
「あ、いいかもね。千夏ならなんかおもしろいの書いてくれそう」
ぽつりと言った子がいて、みんなうんうん頷いてる。
「ああ、悪くない人選だね」
三井君まで言ってしまった。わたしは大道具係がいいんだけど。
「いいでしょ?ね、中條さん」
星野ちゃんの天使スマイルと、クラスのみんなの丸くおさめろという圧力。
「ええっと…」
「じゃ、次は……」
嘘、決定?誰もわたしの意見聞いてくれないんだけど。
***
ホームルームが終わった後、トイレに行こうと席立ったら、廊下で星野ちゃんが追いついてきて、
「ね、千夏。よかったね」
「ああ」
「これで双葉先生と授業以外でも話せるよ」
目がきらきらしている。えーっと、うーんっと、あの人結婚してる人だし、わたし、すてきだって思ってるだけだって言ったよね。
「じゃ!」
天使の辞書には、結婚している男は離れたところから眺めるだけということは書かれてないんだろうか?それとも、この子は天使という通り名改め小悪魔星野とすべきなのか?
「中條さん」
双葉先生に声かけられた。
「はい」
「今日の放課後、時間ある?」
「はい」
「じゃあ、他の学年のやった劇の資料渡すのと、全体のスケジュール決めたいからさ。教室にいてよ。あ、星野さんもね。彼女に言っといて」
***
でも、ちゃんと伝えて、わかったと言ったのに、彼女気づいたら帰ってた。
「ちょっと、ねえ、星野さん、今どこ?」
「え~!だっていないほうがいいでしょ?がんばってね。千夏」
切りやがった。この子嫌がらせでやってんのかな?三井がわたしに先に告ったことを根に持って。そして、その考えを追い払う。星野ちゃんはそんな複雑な面倒なことする子じゃない。この子は頭にお花畑が咲いていて、そんで、自分が彼氏ができて暇で余ったさかりエネルギーをわたしにぶつけて燃焼しようとしてるんだわ。
ガチャ
「あれ?中條1人なの?」
先生来ちゃった。
「星野は?」
「すみません。帰りました」
先生笑った。
「なんか星野が立候補なんて変だと思ったけど、最初っから」
それからわたしの前の席に後ろ前反対にひょいっと無造作に座った。
「星野と中條の2人だったら、結局、中條がやることになるんじゃないの?」
「たぶん」
「あいつ、変なやつ。何したかったんだろうね」
先生がちらりとわたしを見た。それから、先生は過去の上の学年がやった劇の傾向をざくっと話し、資料と映像データの入ったUSB渡してくれた。
「後で修正はできるけど、みんなの練習時間考えたら、三週間で仕上げたいね」
「え~」
うわ、ほんと大変じゃん。
「まぁ、中條ならきっとできるよ」
先生はふっと笑って、そして、大きい手をわたしの頭の上に置いて、くしゃくしゃっと髪をなでた。
「優秀だから」
わたしの目を先生がのぞいた。
「じゃ、とりあえず今日見た資料と映像、目通してさ、終わったら教えて。また相談しよう」
そう言って目そらして、ぱっと手を離して、自分の荷物まとめて、
「じゃあな」
出てった。この先生、距離感が近いからみんなに人気があるんだよね。頭撫でられるくらい、きっとみんな喜ぶよね。先生ファンの女の子なら。でも、わたしはやなんだけどな。もやもやした。何かやな感じ。
***
帰り道、バスの中でスマホいじってたら、一樹君からライン入った。
『大役おめでとう』
『うれしくない』
『そういうと思った』
しばらくしてまた追加。
『なんで星野あんな変なことしてたの?』
『担当が双葉だから』
『どういうこと?』
意外と頭まわんないね。一樹君。
『わたしが双葉好きだと思ってんの、星野ちゃん』
『そういうことか』
『すてきだっていっただけなのに』
『星野にとってはすてきはすきだ』
たしかに。そして、星野ちゃんの頭の中では好きはGO。GOしかない。彼女の辞書に退却はない。
『自分でまいた種 しょうがない』
『がんばってね』
いいなぁ、他人事だよね。
双葉先生って遠くで見てる分にはいいけど、結構苦手。なんかあの人だって、自分がもてるって知ってて、それ、楽しんでるよね。なんか、わたし、自分に自信がある人って、単純に思えちゃう。興味わかない。
それにしても、髪とか頭とか触るっていまどき、問題なるんじゃないの?なんかあれ、やだな。ああいうの世の中の女子、全員が喜ぶって思ってるのかな?
やめよう。
ここまで考えてそう思った。いやでもしばらくつきあわないといけない。とりあえず終わるまでやだと思うのやめよう。
一樹
夜、結構遅い時間、スマホが鳴って、見たら、一真だった。
「久しぶり」
「久しぶり、一樹。元気してる?」
「うん。どうしたの?こんな時間に。そっち、もう12時だろ?」
「いや、別に。お前のこと思い出したからさ」
こいつ、たぶん酒飲んでるな。話してる感じでわかった。
「最近は、どうしてんの?」
「いや、別に。相変わらずつまらない毎日だよ。あ、でも」
中條のことを思い出した。
「久々にお前以外で話してておもしろいやつに会った」
それから千夏の話をした。
「一樹、珍しいな。お前がそんなに一生懸命他人の話するなんて」
一真がぽつんと言った。まずいな、こいつのテンションが低い時に、ちょっとはしゃぎすぎたかも。
「好きなんだ。その子のこと」
「いや、別に。話してておもしろいだけだよ」
「別に俺に隠す必要ないじゃん」
ちょっと頭を整理する。
「話してておもしろいだけでそれが好きなら、俺、お前のことも好きだってことになる。だから違う」
「うん。でも、俺は男だからな」
なんで、こんな話に?
「なあ、話してて面白くて、それでたまたま相手が女だったらさ、好きになるんじゃないの?やっぱり」
「……」
「きれいな子なの?」
「きたなくはないな」
ほんというと、かなりきれいな子だ。
「ふうん。一樹に好きな子ができたかぁ」
一生懸命否定するのも、返って変か。
「お前はどうなの?」
「相変わらず。適当な女の子はいるけど」
それから一真の話を聞く。適当に話して、そして、一真は電話を切った。
また、前より2人の生活は隔たったと思う。一真は中学生になって変わった。別々の学校に行くようになってから。母子家庭で母親は朝から晩まで男みたいに働いてて、一真は僕が知っている同年代の人間で、いちばん自立した人間だった。いちいち言うことが全部、守られて甘やかされている自分にとって新鮮だった。彼はすごく大人だった。でも、大人だからといって、どうして中学生で酒を飲むんだろう?こいつは。
何かあるんだと思う。それで時々思い出したように電話がかかってくる。だけど、一真は核心についてはあまり話さない。そして、その電話がだんだん少なくなる。このままいつかきっと一真は僕に電話をかけてこなくなるだろう。
千夏
「ねえ、星野さん」
くる。こっち向く。うん、きらきらしている。やっぱりこの子。
「千夏。昨日どうだった?」
基本的にこの子は、自己肯定感の高い人で、彼女がいけてないことはありえない世界の中で生きていて、そういうありえないことが発生したり進行したりしてない時は、常に満面笑みで機嫌がいい。365日のうちの×0.9=329日くらいは機嫌がいい。だからわたしに向かって今日も天使のように笑った。
「あのね、星野さんが来なくって先生と2人だとわたしやりにくいんだよね」
小細工なしで言ってみた。
「なんで?」
「息がつまる」
うんうんわかるわかるって乙女顔で頷いてる。たぶんわたしの言っている意味は伝わってないと思うんだけど。
「だから作業はわたしがやるからそれでいいんだけど、打ち合わせする時は同席してくれない?」
「うん、わかった。最初っから2人だと息がつまるんだね。千夏。わたしも昔はそういうこともあったよ」
そう言ってわたしの両手をぎゅっと握った後、どっか行った。
あの人とわたしは同い年だけど、彼女のなんというか恋愛遍歴はきっとものすごい早い時期から始まっていて、そしてすごい先へ行っちゃってるんだよね。わたしなんかより。
そんで、次の打ち合わせするとき、星野ちゃんも来た。にこにこしながらそばでわたしたちの話聞いてて、5分で飽きてスマホいじりだし、髪の毛いじりだし、彼女のスマホが鳴って、
「はい。うん。わかった」
三井君の用事終わったから一緒に帰ると言って、行っちゃった。結局途中からまた先生と2人。
「疲れたね」
先生が星野ちゃんが消えた後言った。
「どっか移動して、何か飲みながらやんない?」
2人きりの教室よりそのほうがいいかも、そう思った。
「はい」
「じゃ、行こう」
荷物まとめて、連れ立って教室出るときに、先生がそっとわたしの背中に手をあてて押した。なんだかこの人、少しなんだけどよく触れる。外でお茶飲めるとこまで移動するときも
「危ないよ」
車が来てるときに、腕掴んで引き寄せた。
何でもないことなんだろうけど、わたし、結構嫌なんだよね。触られるの。
そんで、お店着いたらわたしはさっさと終わらして帰りたいのに、集中力なくって、途中で無駄話してくる。そんで、
「ねぇ、中條って彼氏とかいないの?」
だって。どんだけフレンドリーやねん。この先生。
「いません」
「ふーん、じゃ、好きな人とかは?」
「いません。そんなの聞いてどうすんですか?先生」
「別に」
そう言ってにこにこしてた。
「なんかでも最近、いろいろあったんでしょ?聞いたよ」
「ああ、あれはゲームですよ。ゲーム」
「ゲーム?」
「そう。誰でもよかったんですよ。告白してうまくいくかどうかのゲームです」
「くだらないね」
「くだらないです」
「三井がくだらないなら、どんな男の子が好き?」
ちょっと嫌な話。なんであなたに話さなきゃいけない?
「よくわかんないです。まだ、そういうの」
この先生、やっぱ、ちょっとおかしいと思う。わたしとしては。
やだ、帰りたい。
「先生、すみません。遅くなっちゃったんで、帰らないと」
先生、じっとわたしのこと見て言った。
「じゃ、またなんか途中で迷ったりわかんないことあったら、電話して」
荷物まとめる。
「何時でもいいから」
顔をあげると、にこと笑う。
「ありがとうございます」
潔癖すぎると笑われてもいい。子供っぽいと言われても。この人、気持ち悪い。きっと本当は普通の人なんだろう。ただ、わたしが免疫なさすぎるだけなのかもだけど。
1人になってバス乗って、それでもしばらく気持ち悪いのがとれない。
「中條?」
急に声かけられてそっち向くと、一樹君がいた。ジャージ着て。
「あ、今日部活か」
「どうしたの?なんか具合悪いの?」
「なんで?」
「顔色悪いよ」
「ああ」
そのまま黙って、ぼーっと窓の外見て、一樹君はわたしのそばに立って。珍しかった。2人でいてもおしゃべりしないの。とても口を開く気になれなかった。普通の会話なんてできないとても。
黙ってるうちに自分の家のバス停に着いて。
「また明日ね」
それだけ言って、降りた。そしたら、
「中條」
一樹君もいっしょに降りてた。
「どうしたの?話したくないなら、話さなくてもいいけど」
わたしは息を吸って、軽く目を閉じて、もう一回開いた。
誰にも話せず、でも、1人で消化できない。気持ち悪い。怖い。
今までも時々、こういうことあった。
「何か飲む?」
コンビニ入って、お茶買ってくれた。端っこに座れるとこあって、並んで座った。
一樹君頬杖ついて、わたしがお茶飲むの、黙ってただじっと眺めてた。
「双葉先生に見てもらって」
わたしが話出すと、彼、お?という顔をした。このまま口を開かないとでも思っていたんだろうか。
「発表会のあの、脚本やってるじゃない。星野ちゃんがよくさぼるから、2人きりになっちゃうことが多くて……」
「うん」
「なんか息ぐるしくて」
一樹君がまじめな顔をした。
「なんかされたの?」
「いや……別に。ただ」
「ただ?」
「普通の子なら平気でも、わたしやなこと多くて」
「やなことって?」
「こう、頭に手、がばっとのせてくしゃくしゃなでたり、並んで歩くときに背中に手あてられたり、腕つかまれたりとか。なんかちょっとでも触られるのやで」
「うん」
「意識しすぎなのかな?」
「いや、そんなことないと思うよ」
ため息が出た。
「今日はね、彼氏いないの?とか、好きな人いないの?とか」
「うん」
「あげくのはてに、どんな男の子好きなのって」
お茶をまた飲んだ。
「わたし、そういう話するの好きじゃないの。特に男の人とは。だから気持ち悪くなっちゃって」
一樹君黙っちゃった。そうだよね。コメント仕様がないよね。こういうの。
「別に先生はさ、ただ、他の子と同じように、そんな深い意味もなくしてるだけだよね。わたしが免疫なさすぎるんだよね」
「うーん」
ちょっと待ってねって言って、彼ものどが渇いたのか、お水買って戻ってきた。ごくごく飲んだ後に口を開いた。
「あんまり楽しい話じゃないんだけど。男から見るとさ」
「うん」
「双葉って、普通に、ただ楽しんでるんだと思うんだよね」
「何を?」
「若い女の子の反応」
「え?」
「ちゃんとどの子がべたべた触ってもよくて、どの子かだめか見て、態度少しずつ変えてると思うよ。やっぱ先生だからさ、問題ならないようにうまくやってるよ」
「そうなの?」
「そうだね。だから、普通だったら中條が免疫なくて嫌がってるのわかってしないと思うんだよね」
「でも……」
一樹君困った顔した。
「先生、勘違いしちゃったんじゃないかな?嫌がってるんじゃなくて恥ずかしがってるんだって。そんで、ほんとは喜んでるんだって」
「え?」
「変なうわさ流したから」
「……」
そうか。本人まで届いちゃったんだ。
「その、あのおせっかいな星野が先生に何か言っちゃったんじゃないの?」
わたしは目を閉じてこめかみに指をあてた。
「目に浮かぶ。あることないこと言ってたきつけてる様子が」
しばらく黙った後に、
「でもさ、男の立場から言わせてもらうと、先生もちょっとかわいそうだよ」
言われちゃった。
「まあ、先生と生徒だけどさ、やっぱ男なわけじゃん。大人で結婚してるって言ってもさ、かわいい子が自分のこと好きだったら嬉しいと思うんだよね。だって、先生が今してるようなことって、もし、先生のこと好きだったらやだって思うようなことじゃないでしょ?」
彼、ため息ついて、窓の外見る。
「手伝った俺も悪いけどさ。やっぱり誰かを好きだなんて嘘、つかないほうがよかったね」
「うん……」
反省した。たしかに。
「これに懲りてもうしません」
しゅんとした。わたしがばかだった。
「どうするの?」
「我慢する。自分で蒔いた種だから」
一樹君がしばらく黙ってる。
「やめてくださいって言えば?」
「うん、そう思うけど、なんかいざとなると、言いづらい。だって、別にたいしたことされてるわけじゃないのに。相手、同級生とかじゃなくて先生だし」
「先生が、勘違いしたままでいるとさ」
「うん」
「今回の件終わってからも、時々やなめにあうかもしれないよ」
「……」
考えたくないなぁ。俯く。
「俺が彼氏のふりしてやろうか」
その言葉に思わずぱっと顔をあげた。
「直接先生勘違いですよって言うのは言いづらいけど、彼氏がいるって分かれば、先生も自分が勘違いしてたってわかるじゃない」
「わたし、一樹君とつきあってるんですって、先生に言うの?今日彼氏いないって言っておいて?」
「なんかわざとらしいね」
しばらく黙る。
「目は口ほどに物を言う、だから」
彼がぽつりぽつりと話す。
「見せればいいんじゃない?」
「何を?」
「手つないで帰ってく様子とか」
「それは先生だけじゃなくてみんなにも見られて大騒ぎになるよね」
「うん、まあ、そうだね」
また、黙る。何か悪いなと思った。こんなのにつきあわせちゃって。
「じゃあ」
一樹君がまた口開く。
「こういうのはどう?」
「どういうの?」
少しだけ彼は言いにくそうだった。
「2人だけで教室で」
黙って次のことばを待つ。
「彼氏と彼女みたいな雰囲気で話してるとこに」
「うん」
「先生呼び出して目撃させる」
「ああ……」
ちょっと考える。
「それならうまくいきそうだけど」
「だけど?」
「そんな面倒臭いことに引きずり込んだら、一樹君に悪いよ」
一樹君は黙ってじっとわたしのこと見た。しばらく。
「でも、今日そんな顔色悪くするくらい気持ち悪かったんだろ?必要なら手伝うよ。それで、中條がやな思いしなくなるなら」
「でも、双葉先生にわたしと一樹君つきあってるって思われるんだよ。うわさになるかもしれないし」
わたしから目をそらして前向いてお水飲んで、
「別に俺はうわさになってもいいよ」
そう言った。
「中條が防御壁として俺でもいいなら、俺、使えばいいじゃん。彼氏がいれば面倒くさいことなくなるでしょ?」
それから、こっち見て笑った。
「あ、でも、好きな子できたら、別れてくれる?」
ちょっと笑った。ははははは。
「変な話」
「そうだね。変な話」
「わたし、子供っぽいよね」
「そんなことないんじゃない?」
「警戒心強すぎだよね。周りの子見てるともっと軽やかで、わたしって重くって古くって硬くって、なんかそういう自分、結構嫌い。周りはわたしのことそんなに硬いなんて知らないから、見せられないしさ」
「うん」
「嫌いなんだけど、でも、みんなみたいに軽やかになれない。なんかこう、おもーい鎧つけて、一歩一歩踏みしめて、砂に足がめりこむような足取りでさ、みんなは素足で飛び跳ねながらどんどん先行っちゃうのに、わたしって無様で不器用」
もう一回彼は言った。
「そんなことないんじゃない」
「そんなことあるよ」
「じゃあ、そんなことあるにしても、中條のほかにもそんなことある人もいるよ。みんながみんな器用に飛び跳ねながら先へ行くわけじゃない」
男と女に分かれて変わり始めて、その1つ1つがときにぶつかりはじけるたびにわたしはまるでやけどしてしまったみたいに声をあげて動揺する。そんな自分が無様で誰にも見せられない。みんなはわたしを器用な人間だと思ってるから。
「一樹君は鎧派?」
「うーん、そうだなぁ」
彼はちょっともったいぶった。
「鎧派、だろうね。不名誉なことだけど」
「真夏の海岸で、暑いのに重い鎧着て、一歩一歩ふりしぼるように歩いてるの?」
「すごい比喩だね。本当に無様だ」
黙って返事を待つ。
「一皮むけば、僕だってそのぐらい無様です」
「一樹君はそんなに不器用には見えないけど」
「見えないように努力しているだけだよ」
「好きな子とかいないの?」
彼はちょっと黙った。
「いいなって思う子がいたことはあるけど、本格的に好きっていうのは経験したことない」
「さっき言ってた話、本当に面倒臭くないの?」
「急に話が戻るんだ」
ちょっと困ったように笑った後で、
「中條がそれで怖いことがなくなるなら、いいよ。俺は。協力してやるよ」
ゆっくりそう言った。