かすみ草
「今日も盛況ね。滞りなく進んで何よりですわ」
外国の王族も招いた舞踏会を睥睨しながら私はつぶやく。今回の舞踏会を父は私に一任した。どれほど私に取り仕切る力があるのか確認したかったのだろう。幸いこの調子なら父のお眼鏡に叶いそうだ。
私は第一王女にして、唯一の王位継承者。私の母は体が弱く私一人を産むのがやっとだった。だから兄弟なんていなかった。生まれたその時に私の王位継承者は決まっていて、幼い頃からそのための教育を受けた。そのかいがあって、私の評価は概ね好評だ。国民にも父のように公正明大な政治をしてくれるだろうと期待されている。
ところで、噂によると私の最大の欠点はあまり美人ではないということらしい。美人の王女だったら喜んで支配されるのにこれじゃあねぇ、なんて陰口を叩かれたことも一度や二度ではない。しかし、それは容姿以外に取り立てる欠点がないことの裏返しでもあるから、かえってその陰口が誇らしくもなる。そのうち威厳は出てくるだろうし、そう困ることも無いだろう。
「ちょっと外に出てくるわ。すぐに戻りますけど、東の庭にいるから何かあったら、連絡をくださいな」
そう護衛に告げると私は舞踏会の会場を後にした。
舞踏会の熱気に当てられて少し外の空気を吸いたくなったのだ。もう挨拶はとっくに済んだし、私が少しくらい居なくても問題はない。
東の庭の四阿に向かうと珍しいことに先客がいた。茂みの間から、暗い茶色の髪が見える。見たところ知っている人ではないようだ。この場所にいるからには舞踏会の招待客辺りだろうか。
「こんにちは、ここは風通しが良くて素敵でしょう。私の自慢の四阿です。どうぞ、ごゆっくりして下さい」
「ああ、これはこれは王女様。お声を掛けていただき光栄です」
そう言って、座っていた人物はぱっと立ち上がると綺麗に一礼をした。
私よりは大分身長が高く、目線を合わせるには上を向かないといけない。派手ではないが質のいい布で仕立てた服を着ているので、やはり相当の身分のある人であることが察せられる。しかし、残念ながら彼の顔は先程挨拶に来た人達とは合致しなかった。線の細さと、人当たりは良さそうだがその裏で何を考えているか分からない笑顔を見るに、おそらくどこかの大国の貴族の文官であろう。
「いえいえ、こちらこそ私のことを覚えて下さったようで、ありがとうございます。失礼ですが、どちらの国からいらっしゃったのかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
そう返すと、彼は柔らかい笑みを一転させて茶目っ気のある顔で私に笑いかけた。
「ねえ、王女様。ここは僕達二人しかいないし、そんなに畏まらなくてもいいんじゃない?その言葉遣い疲れるでしょ?」
「あなたは急に無礼になりましたね」
「僕は腹の探り合いの舞踏会に疲れて、ちょっと休憩しに来たんだ。王女様もそうでしょ?それなのにこの調子で話してたらお互い気疲れしない?」
「まあ、一理ありますね。でしたら私はここを去りますので、どうぞごゆっくり」
たしかに客人に気を遣わせるのも良くない。そう思い私は一礼をすると踵を返して、舞踏会の会場に向かった。
「待ってよ、行かないで!せっかく話し相手が出来たのに。寂しいなー。客人をもてなしてよ!」
その私の背後に彼が声をかける。
「客人ですか……」
「そう!ちゃんと僕招待されてるよ。ほら、招待状も持ってるよ!」
「ええ、至らず申し訳ありませんでした。では、何か飲み物でもいかがでしょうか」
ふざけた言動ばかりしているが、最初の印象が間違って無ければ彼はやり手だ。相手に合わせてうまく態度が使い分けれる。とりあえず、怒らせないように上手く対応しておくのが良いだろう。
「あっ、王女様、今、面倒だけどこいつの機嫌は損ねたくないとか思ってるでしょう。まあ、いいや。あと、貰えるんだったら紅茶を一杯貰っていいかな」
「いえ、まさか。そんな失礼なこと思いませんよ」
彼の言葉で傍らにそっと控えていた侍女が紅茶とお菓子を机に並べる。紅茶の良い香りが漂ってくる。が、それよりも私は彼に内心を当てられてしまった事に動揺してしまう。
「いいよいいよ、王女様のその冷静な判断ができるところ、素敵だと思うよ」
彼の皮肉交じりの賛辞は適当に流せばよい。
「お褒めにあずかり光栄ですわ。ところで、そろそろ自己紹介していただけないかしら」
「ああ、そうだね。名乗ってなかった。ねえ、僕は誰だと思う?」
分からないから聞いてるんだろ馬鹿野郎という内心の罵倒は押し隠して、とりあえず重ねて尋ねる。
「もしかして、以前お会いしたことがありました?でしたら、覚えておらず大変失礼しました」
とは言っても彼のことは全く記憶にない。暗い茶色の短髪に夜空のような深い青の目。すっと通った鼻筋に、口元にはふざけたような笑みが浮かんでる。年の頃は私とそう変わらないだろうから、会ったとしたら舞踏会でだろうが全く彼の容姿に見覚えはない。自分の記憶力が衰えてなければだが。それが少し心配になってしまう。
「いやー、会ったことないと思うよ?だって僕、国の外に出るの今回が初めてだから」
「あのねぇ、ちょっと君、人をからかうのはやめませんか」
「あはは、ついに王女様怒っちゃった。ごめんごめん。当ててみてってこと」
「なんでまたそんなことを……」
「んー?王女様への挑戦?この国の王女様は聡明ってみんな噂してるから、どの程度か知りたくって」
「で、私に推理してみてって言うのですか?」
「そう!見事に当てたら、王女様が僕の国と交易をするときとか、上手く取り計らってあげるよ!」
「あなたにはそんな権力があるんですか?そんなこと、安請け合いして大丈夫なんですか?」
「大丈夫だから言ってるんだよ。そんな聡明な王女様の国となら良好な関係を築きたいしね。あぁ、でもこれで僕がある程度の地位にあるってヒントあげちゃった」
「それぐらいはあなたの言動を見れば察せられますよ。まあ、私にとって損にはなりませんし、その挑戦受けますよ」
「やったね!じゃあまた来月の隣国の舞踏会で答え合わせね。どうせ王女様も来るんでしょ?」
「まあ、良く私の予定を知ってますね。それともあなたが隣国の人なのかしら?」
「いやー、違うよ。そんな簡単に当てられたらつまんないよ。隣国のパーティーにも各国の有力者は招待されているから、王女様も来ると思っただけだよ」
「ええ、正しいですわ」
「で、王女様、もうちょっと僕と話してヒントを引き出す?」
「いいえ、遠慮しておきますわ。もう十分ですわ。私、主催者なのでそろそろ会場に戻ります。それでは」
一礼して次こそ彼の前を去る。
「王女様、またねー」
彼の無礼な声が後ろから掛けられた。
「で、結局彼は誰だったのだろう」
「あら、王女様。誰か素敵な殿方にお会いしたのですか?」
私のつぶやきが乳母に聞き止められてしまった。こういうこととなると食いつきが良くなるのが、女の性だ。
「残念ながら全くもって素敵じゃないわ。あんな無礼なやつは」
「まあ、そんなことを言って内心では忘れられないんですよね。若いっていいですね」
「本当に違いますよ!国益に関わる話だから悩んでおりますの。彼が本当に身分のある人ならですけれど」
彼の挑戦を受けてからから3週間は経った。約束の舞踏会も目前だ。それなのに全く誰だか分からない。招待客であること以上の情報が得られないのだ。正確に言うと考えた条件を満たす人物が存在しなかった。
「草木染めのこういう模様の織物って、南の王国の特産品よね」
自分で描いた絵をを指さしながら、もう何度目か分からない同じ思考を辿る。
「えぇ、そうですね。その布を身に着けていたのでしたら、その国の貴族で間違いないでしょうね」
やっぱり乳母の答えも私と一緒だった。
彼の肩に掛かっていたショールから国は特定できたが、
その国から招いた客人は多くない。が、それゆえ全員が私のもとに挨拶に来ており、彼でないことはもう分かっているのだ。
「そもそもあの招待状、偽物だったのかしら?それともカモフラージュのために、わざとあのショールを掛けていたのかしら。だとしたら非常にたちの悪い嫌がらせね」
とにかく、こうなったら今まで信じてたことを疑わないといけない。
「やっぱり、もう少し話して情報を得るべきだったわ」
そうは言っても、彼の名を当てられなくて馬鹿にされるのは悔しい。それは避けたい。
「王女様、招待客でないのでしたら、招待客の従者という線は考えられませんか?そうしたら、挨拶にはいらっしゃいませんし」
「いや、でも、彼の物腰は付け焼き刃でなくて高位貴族そのものでしたよ。それに、一介の従者に交易の取り計らいなんてできませんし」
「でしたら、従者という形で入ってきた高位貴族とかどうでしょう?」
「それ、密偵がやりそうな行動ですよ。でも、バレたら私の国の信頼を失いますからね。まさか、裏の社会の人というオチですか……」
「王女様と裏社会のボスの危険な恋……。なんて素敵な響きなんでしょう」
「だから、違いますからね!?」
乳母と話していると話がどんどん逸れていく。でも、乳母の言う通り、招待客以外の人が混じっていても気づかないのも確かだ。その線もあり得る。でも、本当に彼がそんなことしていたのなら、あの場で会場から蹴り出してやれば良かったと後悔した。
結局なんの結論も得られないまま、彼と約束した舞踏会の日になってしまった。
彼が挨拶しないかと、舞踏会の主催者の隣国の王の方をちらちらと見ていたがそれらしい人影は全く見かけなかった。
私も王女だ。誘われたなら踊らなければならないし、挨拶をされたら世間話をしなければいけない。ここは外交の場である。彼のことを気にしてばかりいる訳にもいかなかった。
「ふぅ……」
舞踏会も中盤が過ぎ、疲れた私はバルコニーに出て夜風に当たっていた。
「そういえば、彼は来なかったのね」
「いや、ここにいるよ」
ひとりごちていると、視界に影が差し、振り向くと長身の彼が立っていた。これだけ長身なのだ。あの人混みに紛れることも難しいだろうに、私は今まで存在にも全くもって気が付かなかった。
「いつの間にいらっしゃったの!?」
「ちょっと前?で、僕の名前分かった?」
「いいえ、分かりません。でも、あなた、ルール違反しましたよね?」
私に面倒をかけた恨みを込めて睨みつける。
「といいますと?」
彼は私の私の怒りもどこ吹く風で、飄々としている。
「あなた、招待客じゃないでしょう!不審者ね!今回の舞踏会も招待されてないのではなくて?」
「バレちゃった?」
「バレちゃったじゃないでしょう!衛兵を呼びますよ」
「待って、待って。怪しいものではないから。それは保証する」
「怪しい人に自分が怪しくないって言われても誰も信じませんよ」
「いやー、悪かった。でも、王女様、僕の身分は高いけどわけありだって気づいているでしょう?」
「恐らくそうだとは思ってますが、確証はないので。本当に不審者である可能性もありますし」
「いやー、さすがに衛兵に突き出されると無罪放免でしょうけど、我が家の名誉に傷がつくんでね。勘弁してくれない?僕と王女様の仲でしょ?」
「ええ、王女様と不審者の仲ですね」
「ごめんなさい。もうふざけません。でもなんで、王女様は僕が招待客のリストに居ないって分かったの?」
「貴方が身に着けていたショールが南の王国の特産品の布で出来ていましたから。あの布は非常に高価で他の国で買うと更に高値になりますに、あれほどふんだんに使ったショールをお持ちっていうのは、その国の貴族の方か何かと」
「あー、それで分かったのか。素晴らしい洞察力。正解です」
「そして、その国の招待客は全員挨拶に来ましたからね。顔と名前は覚えてますよ」
「そして、完璧な記憶力!」
「貴方がその中にいないとしたら不法に入り込んだとしか言えません」
「うーん、不法……。まあ、そうなるか」
「で、ここからは私の想像なんですけど、あなたの容姿ってどことなく、そこの国王の肖像画には似てるんですよね。でも、前回招待した姫君にはほとんど似てない。私が直接お会いしたのはその姫君だけなので、なかなか気付かなかったんですけど、あなたはもしかして王家の方じゃないんですか?」
「あら、そこまでバレてた?」
「だから、不法侵入とはいえ、招待されるに足る家の格はあるし、何かあったら、妹の付き添いで通してしまえると考えたんじゃないですか」
「ご明察!で、そこまでたどり着いてなんで、僕の名前が分からないって言ったの?」
「あなたが公には存在しないから、私はその名を知ることができませんよ。あの王家には姫君とその下に5歳になる王子が一人。そういう事になってますから」
「はぁ、よく調べたね。王女様は僕が思ってたより優秀だね。これはお近づきにならないと損だねぇ。僕とお友達になろう?」
「損得勘定で私は友人を作りませんので、謹んで遠慮させていただきます」
「うーん、冷たいこと言わないでよ。確かにお察しの通り僕は妾腹の産まれで王位継承権は弟が持ってるけど、まだ幼いからねぇ。僕の存在が公に隠されてるのは、面倒な継承者争いを起こさないためだけで、僕は王家に大切にされてるよ?当分は僕が、裏で弟を支えるんだよ?どう?僕と仲良くしたらお得だよ?」
「だから、損得勘定では嫌ですわ!」
「じゃあ、王女様の聡明さに心を奪われましたので、ぜひとも僕と仲良くしましょう?」
「なんか、口説いているみたいに聞こえますよ」
「ええ、ついでに、僕に靡いてくれたら嬉しいね」
「私、あなたのそういう軽薄なところが嫌いですわ」
「僕は君のはっきりした所が好きだね」
「あなた、黙ってたら美男子なんだから、私でなくてもっと綺麗な人を口説けばいいのに」
「ふふっ、僕は見かけだけの美しさより、君の理知的な聡明さが好きだからね。それから、僕の名前はウィダー。南の国の、非公式な第一王子だ。覚えておいてね」
「やっと名乗りましたね。無礼をはたらかないのでしたら、友人にくらいはなりましょうか。次はあなたが私に挑戦する番ですけどね」
「どうぞ、王女様、お手柔らかに」