今、言っていいのなら
これは、短い間だったけど、僕にとっては長い人生の始まりの、スタートラインの話。
今、君はどこで何をしていますか?
僕は昔から、人と関わること全てが苦手だ。
理由は簡単。僕が人を嫌っているから。ーーただ、それだけ。
極度の人見知りに加わって、中学校までクラスメイト全員から無視されるという、まあ、精神的にやられる立場にあった。
人を嫌い続つづけて、今年で十八年。
高校三年生になって、進学先の話とかで、盛り上がるクラス。
そこで一人、浮いた存在の僕。
イヤホンを耳に差して、大音量の音楽を流して本を読む。
それが、僕の毎朝のスタイルであり、唯一と言っても過言ではないほど、落ち着く方法でもある。
シャッフル設定にしている曲が、邦楽から洋楽に変わる。
聞いていても分からないほど速い英語に、僕はマスクで隠れた口角をゆっくりと上げた。
洋楽は邦楽と違って、何を言っているかよく聞き取れないから、不思議と飽きない。
その歌詞の意味を理解するまで、じっくりと聞けるし、英語も聞き取れるような感覚になるからだと、僕は思う。
それに、朝なんて得に良い。眠たい脳を起こしてくれる。
時刻は、八時三十分。
そろそろ担任が入ってきて、朝のSHRが始まるはずだ。
僕は読みかけの本に栞を挟んで、本をリュックの中に入れる。
この前買ったばかりの、好きな作者の新作。内容は最高の一言に尽きる。早く続編が出てほしいものだ。
本鈴が鳴る。
担任が教室に入ってくる。
クラスの全員が、音を立てて椅子から立ち上がる。
「礼 」
今日の日直担当の生徒の声がした後、僕たちは担当に頭を下げる。
そのまま着席して、担当の話が始まる。僕はその間、今日の分の教科書を机から出しておく。
「ねえ 」
僕は担任の話を聞き流して、一時間目の科目の準備をする。
一時間目は古典。……また眠くなりそうだ。
「ねえってば 」
あの先生、話が長いんだよな。分かりやすいんだけれど。
「おーい! 」
本当、朝から迷惑だよ。
隣でそんなに、大声で叫ばれたら。
「耳、潰れるじゃないか 」
全く、迷惑も良いところだ。
音楽が聞けなくなったら、どう責任とってくれるんだよ。
「あ。やっと話してくれた 」
「なに? なにか用? 」
人嫌いな僕が話をしている。
これは珍しい光景だ、なんて失礼なことを思っている奴もいるだろう。
僕だって喋るよ、人形じゃ無いから。
隣の五月蝿い女は、僕の顔を見て嬉しそうに笑っている。……なにか僕に付いてるのか?
「サイカくん、でしょ? 」
ーーは?
「だから! 友達になってって言ってるの!! 」
高校三年生なってから、最初の春。
今日、最初の授業の前。
僕の平凡で静かな三年間は、どうやら此処で終わりを告げるようだ。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
「サイカくーん! 」
あの衝撃的な出会いから、一ヵ月。
僕は、彼女に見事なまでに友達になっていた。
「サイカくん。数学のノート見せて 」
「え、嫌だ 」
「ええええ!!? 」
「冗談だから。はい 」
「ありがとう! 」
不思議に思う。
なぜ、彼女は僕と友達になりたい、だなんて言い出したのだろうか。
他にも一人の子は、何人もいるのに。
「サイカくんってさ。ーー名前、すごい女の子みたいだよね 」
帰り道。
高校の最寄り駅まで一緒に帰っていた僕ら。
途中で寄ったコンビニの肉まんを頬張り、彼女は言った。
「……いきなり何? 」
どういう経緯で、こうなったのか。なにより、僕が知りたい。
「《サイカ》って、すごい可愛いじゃん! ーー私なんてヤマトだよ? ヤマト 」
「《ヤマト》も良いと思うけど。なんか、日本って感じで、僕は好き 」
僕がそう言うと、ヤマトは黙って下を向いてしまった。
やっぱり、僕が言えば、ただの気持ち悪い発言だったな。
僕は、食べ終えた肉まんの紙をビニール袋に入れて、ヤマトを見る。ヤマトはまだ、下を向いている。
「ヤマト、ごめ…… 」
「あー! びっくりした!! ーー本当、びっくりした
」
真っ赤なトマトみたいな顔色をして、僕を見る彼女に、僕の胸は跳ね上がった。
「ヤマト……? 」
「照れちゃうじゃんか。サイカくん 」
ヤマト。僕、君のその笑顔、好きだよ。
「そういうの、他の女の子の前で言っちゃ駄目だからね! 」
「……なんで? 」
「なんで!? ーーな、なんでも!! 」
ううん。きっと言葉じゃ伝わらないほど、君のことが好きなんだ。
本当は、人と話したかったのに、自分で壁を作っていた僕。
それを簡単に壊して、僕に手を差し伸べてくれたのは、他でもない、ヤマトだった。
最初は、嫌いだったはずの存在が、今は隣にいないと落ち着かない。
「ヤマト 」
「んー? 」
《好きだよ 》
その言葉は、結局ヤマトに届く事はなかった。
目の前の横断歩道が、青から赤に変わった時に、僕らは止まった。赤から青に変わって、止まっていた人の流れが、また流れだす。
僕はヤマトがはぐれてしまわないように、ヤマトの右手をきつく握り締めた。一瞬、ヤマトの右手がビクッと動いたように思ったけど、それは気のせい。
「ヤマトは次の電車か 」
ヤマトが乗る電車は、この路線で一番速い電車。僕が乗るのは、この路線で二番目に速い電車。
「うん 」
ヤマトは空を見ていた。
僕が質問をしても、相槌を打つような答えしか返ってこなかった。なんだか寂しいな、なんて。
「ねえ、サイカくん 」
「ん? 」
ヤマトは空を見ながら、俺を呼ぶ。
何かを言おうとして口を開けたが、数秒経ってから口を閉ざしてしまった。
「ヤマト? 」
「何でもなーい! 」
何かを聞かなくちゃ、このまま彼女が離れていってしまう。
僕は直感を信じて、ヤマトを呼ぶ。彼女は僕を見た。今まで見たことがないくらいの、笑顔を浮かべて。
「ヤマト…… 」
[四番線に電車が参ります。危険ですから、白線の内側でお待ち下さい。途中の停車駅は…… ]
タイミングの悪いことに、アナウンスが入ってしまった。
僕はあちこちに視線を泳がして、首を少しだけ傾げているヤマトを見る。
「また、明日な 」
電車がホームに入ってくる。
少しだけ冷たい風が、僕たちを嬲っていく。
「また、明日…… 」
ヤマトを乗せた電車がホームを離れて、視界から見えなくなる。後十分ほどで僕の乗る電車がやってくる。
僕は、ヤマトの右手をひいていた左手を見つめる。
気のせいか、左手は少しだけだったが、熱く感じた。
明日、ヤマトに聞こう。何を言いかけてたのかって。
この時、僕は知らなかった。
僕たちに《明日》が来ない、ということを。
ヤマトの姿も顔も声も見れるのは、《明日》ではなく《今日》までたどいうことを。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
次の日。僕の記憶が正しければ、学年が上がって初めてヤマトが居ない。
その次の日も、またその次の日も、ヤマトはずっと学校に来なかった。
クラスメイトは最初のうちだけ心配していたけれど、二日も経ってしまえば、心配なんてしなくなっていた。
何度もヤマトにメールを送った。何度もヤマトに電話もかけた。
でも、メールは返信がないし、電話はずっと留守電になっている。
もう、このままヤマトは来ないのかな。
途端、僕は怖くなった。
ヤマトが居なくなったら? ヤマトの声が聞けなくなったら?
ヤマトの姿が見えなくなったら? ーーいつか、ヤマトを忘れてしまったら?
出口の見えない迷路に迷った僕は、そのまま学校を早退して家に帰った。
玄関を開けると、珍しく仕事が休みの母が僕に一通の手紙を渡してきた。
住所は知らない。郵便番号も、この辺じゃない。
悪戯かな。そう思って裏面を見た僕は、母が呼んでいるのを無視して自室に戻った。
[眞壁ヤマト ]
間違いない。ヤマトからだ。
僕は鋏で開けるよりも先に、手で開けていた。
「ヤマト…… 」
内容はこうだった。
久しぶり。元気にしてた?
私は今、飛行機の中で手紙を書いています。これから沖縄に引っ越すから、だから飛行機の中で。
いきなり何も言わないで居なくなってごめんなさい。本当はあの日、サイカにだけ引っ越すの言おうとしたんだけど、言えなかった。私の為に、サイカが大変になるの、見たくないから。
私の親の話、したことなかったね。
私の親は転勤が多いの。三年前にサイカの所、五年前に愛媛、六年前に京都。びっくりでしょ?
実はね。私、今回の引越し先延ばしにさせてもらってたの。
あの場所が好きだったっていうのもあるし、一番落ち着けてたしね。でも、一番はサイカが居たから。サイカが居たから、離れたくなかった。
でも今日で親に我が儘を言うのは止めたの。私だって、後少しで成人だし、それまで我慢しようって。
サイカ。覚えてる? 私が初めてサイカに話しかけた日。
あの日ね、丁度親に転勤の話が出てきてた頃だったの。後悔しないようにって言われて、この先もずっといれなくなったあの場所で、好きな人と過ごしたいって。
きっと迷惑だったよね。五月蝿かったし、変にテンション高かったでしょ、私。
サイカには、好い人を見つけてほしい。
こんな形で言うのもなんだけど、私が次に会って諦められるくらい、好い人を見つけて。
最後になったけど。
私は今も、これからもずっと、サイカと過ごしたあの数ヶ月、忘れないからね。
「……バカ。言うの、なんで、今なんだよ 」
ポツリポツリと、分厚い手紙に涙が落ちる。
最後の文字が滲んでいる。きっと、ヤマトも泣きながら書いたんだろう。
「僕だって! 僕だって…… 」
君のこと、好きだよ。
「なんであの時、言わなかったんだ! ……なんで、もっと早く、気が付かなかったんだ 」
君はいつか言っていた。
地球は丸いから、空と海は繋がっている。だから、離れたって離れてることにはならない、って。
「うぐっ……。ぐっ…… 」
今だけ。今だけ、流してもいいかな?
僕が初めて、心を開いた人の為に。
◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇
僕はあれから、ずっと泣いていた。
明け方。一人で川まで行って、流れる川を眺めていた。
この川は海まで続いている。だからきっと、届けてくれるはず。
僕は紙飛行機を飛ばした。
風に乗って、そのまま朝日が顔を出し始めた地平線に向かって、飛んでいった。
悲しくは無かった。
ヤマトの言った通り、この世界は繋がっているんだ、そう思っているから。
ポケットに入れてあるスマホが震える。電話だった。しかも母親。
僕は慌てて電話を取ると、怒鳴り声をあげる母親を想像して謝る。来た道を戻ろうと後ろを向いた時、ふと空が気になった。
朝の便なのか。飛行機が雲を作って、飛び立っていった。
ひょっとしてヤマトが行った沖縄に向かうのかな?
なんて思っていた所、母親の怒鳴り声で我に帰った。
「ごめんって、母さん! え? 昨日? あー……ま、いっか。今から帰るから! え? ジョギングしてたの、ジョギング! 」
[眞壁ヤマト様 ]
「あ! そうだ母さん! 今日、帰るの遅くなりそう。……ちょっと、学校残ろうかなって 」
[橋口サイカ ]
fin.