潜熱
3 潜熱
正義とは正しい行いをすることではない。
自分の我が儘をどれだけ通せるか、だ。
正しい行いなど…この世には存在しないのだから。
金属で造られたヒトガタの物体は強引に引き裂かれ、倒れた。
赤い光を放つ単眼は、悲鳴を上げるように明滅したが、やがてそれも消えて完全に沈黙した。
バチバチと、引き裂かれた部分から執念深く弾ける火花に、有栖の横顔が照らされた。
いつもより一層無に近くなった表情、そして何よりその眼は今では『赤い』光を放っている。
陥没した壁には潰された、機械の人形…簡単に言えば『ロボット』のようなものが、他にも首をねじ切られたロボットも転がっている。
この3つの残骸を作ったのは、有栖だ。
「『zero-system』解除。」
コマンド・ワードと同時に有栖の眼が青い光に『戻る』。
未だに人間としては可笑しな状況だが。
街は比較的静かな夜で、これだけの騒音を立てれば、すぐに人が集まって来るだろう。
その前に、ここから離れなければならない。
「逃げよう。」
「…ああ。」
そんな有栖の言葉に、ただただ従うことしか出来ない。
改めて、今の有栖が人外であることと、自分がどれだけ厄介なものに追われているのかを思い知らされた。
結局出来たのは、差し出された有栖の手を取ることだけだった。
話は今日の朝まで遡る。
―――――――――――
「今日は必要なものの買い出しに行くが、ついて来るか?」
「うん…ってか、足は僕が用意するよ。」
流石に同居人が出来れば、必要なモノは増える。
それが女性ともなれば、ほぼ男独り暮らしと同義な俺の家に女性が必要な道具はまず無い。
土曜日の昨日に引き続き休みの日曜日の今日で、それら物の準備は終わらせたい。
「足を?チャリを使うつもりだったんだが。2台あるし。」
「もっと良いものがあるよ。車庫にまだスペースがあったから、入れさせてもらったけど。」
一応学生である以上、有栖が車を持っているワケは無い。
そして、家の車庫にもう1台車が入るようなスペースは無い。
空いたスペースに入る大きさで、学生の有栖が所有できて、自転車より良い乗り物。
簡単だ。
「マジか。免許証あるのか?」
「操作は出来るけど、僕には教習所に行った記憶は無い。この免許証は施設から持ってきたこの制服に入ってたものだし、このバイクも施設の車庫に用意されていた僕向け…サイボーグ向けのバイクだ。恐らく、免許証も通常の手段ではなく裏口的に用意されたものだと思う。」
家の車庫には、フルカウルの黒い大型バイクが駐車してあった。
ナンバープレートもしっかりあるし、フルフェイスヘルメットもハンドルに掛けてあるが、見たこと無い車種だ。
「確かにバイクは免許持っててもおかしくは無いか。ウチは原付通学してるヤツもいるしな。」
バイクなら有栖の(改造前の)年齢で所有していても不思議じゃない。
「ヘルメットはもう1つあるから、これで買い出しに行こう。荷物はリュックに入れてさ。」
スクーターなら、トランクがあるから荷物は多く積めるが、足があるだけありがたい。
流石に自転車より、リュックに荷物を満載した方が効率はいいだろう。
「僕は着替えるから、準備して待ってて。流石に制服でバイクには乗れないし。」
そう言って有栖は奥の部屋…昨日作った(まだ物はほとんど無いが)有栖の部屋に入っていった。
流石に普段着代わりに使っている制服でバイクには乗れない。
運転しにくい上に、学生が大型バイクに乗っているのは、学校は良くても免許証はあっても警察辺りに絡まれる可能性はある。
学生服でバイクはそれ位には不自然だ。
特に今の状況を考えれば、要らない波風は立てたくない。
「お待たせ。」
少し待つと、有栖は黒いライダースーツ姿で部屋から出てきた。
長身の有栖にはよく似合う。
「それも置いてあったのか。」
「バイクと一緒に、ね。恐らく僕の装備として用意された物だろう。」
これも特注品、と言うことになるが、普通にナンバープレートも付いている辺り、特に問題なく公道を走れるのだろう。
「準備は出来てる?」
「ああ、っても財布と携帯と家の鍵位だが。」
「ん、じゃあ行こう。」
有栖に促され外に出る。
有栖はダックテールのヘルメットを俺に渡し、自分はフルフェイスヘルメットを被った。
そして、慣れた仕草でバイクを車庫から出し、跨がった。
「乗って。大型でパワーもあるから、走ってる時は僕にしっかり捕まっていてね。腰に手を回してベルトの辺りを掴めばいい。」
言われるがままにバイクに跨がり、腰に手を回して、ベルトのバックルの近くを掴む。
正直な所、二人乗りの経験は無いから、少し動作が覚束ない。
有栖が慣れている様子だから、特に問題は無いだろうが。
有栖はバイクのエンジンを始動させる。
大型の、排気量が1000㏄を超えているバイクにしては、音は小さい。
有栖はエンジンを軽く吹かして、エンジンの調子を確かめると、ギアをローに入れて走り始めた。
少しだけ、ベルトを持つ手に力が入る。
多分運転しづらいだろうが、有栖は特に気にする様子無く、走行する。
住宅街を抜けて大きな道路に入っても、有栖はさほどスピードを出さない。
恐らく、俺に気を使っているのだろう。
景色はゆったりと流れるが、それを見ている余裕は無かった。
初めての二人乗りもあったし、有栖と密着している状況にも落ち着かない。
しかし幸いと言うべきか、バイクの移動と言うこともあり、出発から10分で目的地の大型スーパーに到着した。
食材やら消耗費だけでなく、有栖の日用品やら寝巻きやら普段着やらも買わないと行けないから、近場のスーパーではなく、少し遠出をして大型スーパーに来たと言う訳だ。
有栖は駐輪場にバイクを止める。
俺は先に降りた。
有栖はヘルメットを脱ぐと、俺から受け取ったヘルメットも一緒にロック付きのヘルメット掛けに付け、バイクからキーを抜く。
そしてグローブを脱ぎ、腰のポーチに入れると、黒いライダージャケットも脱いでバイクのサドルに掛けた。
中は黒いタンクトップで、涼しげだ。
ジャケットはただ単に安全の為(転倒時の皮膚へのダメージを低減する為)に着ていただけらしい。
黒い野球帽を被った姿は、妙に様になっている。
「行こう。」
「そうだな。」
促され、スーパーの中に入る。
同居人が出来たから、食材の買い出しもあるが、今回の主な目的は有栖の日用品を揃えることだ。
食器やら布団やらは家のを使えるが、それ以外の物は買わないといけない。
まずは洗面道具のコーナーで歯ブラシや風呂道具を買い、隣の日用品コーナーで、使いそうな物を適当にカートに入れる。
ちなみにこれらは有栖が支払うと言った。
事実、今の有栖はただの学生の俺より金持ちだ。
「次は普段着だな…あ、あんなのも要るのか。」
有栖の所持している服は制服の他にはライダースーツと、あの怪しげなスーツだけだ。
流石に少なすぎる。
それに服がそれだけなら、下着肌着も似たり寄ったりの数しか無いだろう。
「まぁ、研究所は生活感の無かった場所だし、衣服は最低限しか無かったよ。僕って、元から普通の生活をするようには想定されて無いんだし。」
あるいは、戦闘用だから普段着など必要無いと言うことだったのだろうか。
ちなみに有栖から服は俺が見た3種だけ、下着やらは2セットしかないと言う回答を貰った。
女性としては致命傷だ。
「いくつか揃えた方がいいな。」
元々、そう言う目的もあってこのスーパーを選んだ訳だ。
この大型スーパーは1階はスーパーだが2階には服屋や雑貨屋がテナントで入っている。
規模は違うが、早い話がイ○ンと似たような構造になっている。
早速エスカレーターで俺達は2階へ上がる。
服屋はいくつかあるが、多くは女性向けだ。
なんだか男は肩身が狭い…今は好都合だが。
「ま、適当に選んでくれ。俺は女物の選び方はわからんし、センスも無い。」
お世辞にも自分の服装センスは良いと言えない。
有栖が自分で選んだ方が良いだろう。
「ん、そうするよ。」
言いながら、有栖は服を選び始める。
手に取って確かめるが、その動作は早い。
おそらく、見ただけで自分にフィットするかまでわかるのだろう。
もしそうなら、試着の必要すら無く(似合うかどうかはともかく)、かなり便利だ。
しばらく有栖が服を選ぶのを見ていると、ある法則性に気付いた。
有栖が見ている物、カートに入れている物、どちらも男物ないしボーイッシュなデザインの物だ。
例えばズボンはロング・ハーフ含めてジーンズを選んでいるが、スカート等は1つも無い。
上はモノトーンで柄の無い、シンプルなデザインのTシャツで、女の子っぽくは無い。
物凄くボーイッシュ、それ所か男っぽくて所謂『カッコいい』系の服装。
これが有栖の趣味なのだろうか。
「こんなものかな。」
選び終えたのか、有栖は此方に軽く手を振る。
「…そういう趣味なのか?」
「うん、どうもスカートとかは苦手だ。動きづらいし、何より僕には似合わないだろう?」
そう言われると、リアクションに困る。
確かに、ライダースーツ姿でバイクを駆る有栖がヒラヒラのスカートを履いてる姿は、想像するだけで違和感がある。
学生の象徴、制服は例外としてだ(ぶっちゃけ制服のスカートも少しだけ違和感があったが。)
この服屋はスーパーの2階に入っているテナントなので、その店のレジで精算する。
有栖の財布がちらりと見えたが、10枚以上の万札が入っていた。
ヤバい。
「次は下着かな。」
「あー、適当に選んで買って来てくれ。流石にあそこに入るのはマズイだろうしな。」
服屋が並ぶ一角に、女性下着専門店がある。
が、流石に俺が入る訳にはいかないだろう。
「つれないね。」
「やめてくれよ…」
有栖の人をおちょくるクセは、多分製作者の趣味だろう。
あるいは、製作者の中にも感情と呼べるモノを失った有栖に同情する、罪悪感を抱いた人間が居て、せめてもの償いにこんな行動をするように設定したのかもしれない。
無意味な、悪戯的な行動は人間が人間である特徴だからだ。
それでも、ただの偽善で製作者の自己満でしかないが。
有栖が下着を選んでいる間、俺はエレベーター近くのベンチに座って待っていた。
そして、近くの窓から外を見る。
数日前から何も変わらない風景。
変わってしまったのは、俺を取り巻く環境だ。
このごく普通な世の中、その中に有栖を生み出したような常識の及ばない技術があって、その為に少女1人を改造する、それを知った一般人を処分しようとする暗部がこの国にはある。
いや、もしかすると日本が特異な訳ではなく、先進国は全部こんな有り様なのかもしれない。
ロシアやらアメリカやら中国やらは、こんな実験をやってても、まぁ違和感は無い。
日本は自分の生まれ住んだ国だし、まかりなりにも『平和』を掲げてた国だっただけに、ショックもかなり大きかったが。
一方で先進国以外は相変わらず戦争に飢餓に病気に難民ときている。
あれ?
世界詰んでるんじゃないか?
どちらを向いても絶望ばっかり。
正しい意味でこの世界は『病んで』いる。
少なくとも、ただの学生(もう暗部への関係者になってしまった)が、そんなことを考える程度には。
「深刻そうな顔してるね。」
「終わったのか?そりゃ深刻な顔にもなるさ。これからのことを考えればな。有栖に守られるだけじゃ駄目だろうし、それだけじゃ何も変わらない。」
買い物が終わったのか、袋を手にした有栖が俺の顔を覗き込んでいた。
つい、溜め息しか出ない心情を吐露してしまった。
「そうだろ?やっぱり病んでるよ。人ひとりがあっさり改造されちまう世の中なんてさ。しかも、どうせ日本だけじゃないだろうし。」
ベンチから立ち上がり、俺は言葉を続ける。
「しかも俺はずっと狙われることになった。都合の悪い人間は消すって、いつの時代だよ。」
「…兆候はあったさ。」
やや、不機嫌になってしまった俺に、有栖は不思議なことを言った。
兆候…?
「そのままの意味。こうなるまでの兆候は既に出ていたってこと。」
「…どんな?」
どんな兆候が今まで出ていたのだろうか。
俺にはわからない。
「最初は日本がアンドロイドを開発して、改良して、ある程度形にした位からだったらしいよ。」
今時アンドロイド(つまりは2足歩行で会話能力のあるロボット)はそんな珍しい話ではない。
量産化、実用化はともかく色んなメーカーで製作されている。
「それを兵器転用しようという動きが始まった。特に不思議なことじゃないさ。その動きに、ロボット製作に長けた日本が圧力を受けたのが始まりかもしれない。」
それは、有栖のデータベースに記録された情報なのだろうか。
有栖は歩きながら話し始めた。
「戦闘用のアンドロイド…人間の代わりに戦う兵士は、それの利便性を考えて先進国…特に大国はこぞって研究を始めた。でも、すぐに頓挫することになった。アンドロイドじゃ、限界が見えてきたんだ。人間と違って、柔軟な思考も学習も出来ない。変化し続ける戦場では単独で活動なんて無理な話だった。」
それも簡単に想像出来るし、俺がよく知るロボットの欠点だ。
…だからこそ、か。
「だから、サイボーグってSFじみた技術が真剣に研究されるようになったのさ。人間のような思考力がある、アンドロイドのように極地でも活動出来て、人間より遥かに強靭で多機能な存在。勿論、ハードルは果てしなく、アンドロイドを作るより高かったけどね。」
それは有栖を見ればわかる。
現に有栖は全く知られていない技術の塊だ。
人工皮膚やCNT製人工筋肉の時点で、もうオーバーテクノロジーだし、昨日家で有栖の身体を見た時、異常な技術の数々は嫌と言う程見た。
これらを開発するのは、想像し難い程困難だっただろうが、それでも研究者達はやり遂げた。
そこまでして、最強の『人間の知能』を持つ兵器を欲した。
「でも、失敗した。」
「そうだね。あれだけ制御装置とプログラムを施したにも関わらず、僕は暴走した挙げ句、制御から完全に離れた。」
有栖と食材をカートに放り込みながら、その話の結末に触れた。
神の怒りとやらに触れたのか、有栖は結局制御出来ずに、その報いを『命』で償うことになった。
「改めてロクでもない話だ。」
精算を終え、レジ袋に適当に食材を突っ込み、俺達は外に出る。
俺を追っている辺り、お国はこれだけの被害を出したにも関わらず、まだ有栖を諦めていない様子だ。
あるいは国家機密を隠蔽する為にか、これだけの技術を詰め込んだ故に、引くに引けない状態なのか。
「そんな所、僕が生まれた経緯はね。」
最初は純粋な技術への探求が、空想への憧憬が日本と言う国の多様な技術を生み出したのだろう。
それが横からのちょっかいで、上からの圧力でネジ曲がった。
便利さは軍用や戦闘用に取って代わられ、道徳心は要求の前に押し潰された。
元々救助用等の技術だった無人偵察機が、『プレデター(追跡者)』の名を持つ戦争兵器に転用された前例があった訳だし、ある意味なるべくして成った結果だったのかもしれない。
駐輪場まで戻って来た。有栖はライダージャケットを羽織り、グローブとヘルメットを身に付けると、バイクに跨がり、後ろに乗るように促す。
有栖の後ろに乗り、行きと同じように有栖のベルトを掴む。
「…下らねぇ。」
これが俺が今の世界に抱いたストレートな感想だ。
どうやら、もうマトモな目でこの国を、世界を見ることは無理らしい。
そんな俺の呟きが有栖に聞こえたか聞こえなかったかはわからないが、有栖は無言でバイクを家に向かって走らせる。
行きと違って、帰りは無言だった。
有栖が俺の心情を察したからかもしれない。
「ちょっと気疲れしたのかもな、悪い。」
家に着いてようやく、言葉が出てきた。
ちょっと考えて過ぎていたのかもしれない(まぁ、考えなければならない状況ではあるが。)
「いや、仕方無いさ。」
有栖はそれだけ言って、家に入ると買ったものを整理して、食材は冷蔵庫に詰めてゆく。
流石、コンピューターばりの精密な動きとは良く言ったものだ、無駄なく綺麗に入れ込まれた。
その後、有栖は買ったばかりの私服に着替えた。
ジーンズにTシャツのラフな格好、似合ってるし何より格好良い。
「昼は…食欲無いし、もう夜と纏めてでいいか。昼寝でもするか。有栖はどうする?必要だったら何か準備するが。」
「いや、いいよ。僕も休ませてもらうさ。脳はコンピューターが埋め込まれている以外は、大部分がそのままだから、休憩は大事さ。レーダーと生体センサーだけ起動しておくから。」
「便利だな。」
若干不謹慎だが、素で便利だと思った。
なるほど、寝ていてもコンピューターだけは起動させとくことも出来ると言う訳だ。
これなら火事やら地震等、何らかの不測の事態が起こっても、すぐに対応出来る。
もっとも、一番可能性が高そうな事態は『不法侵入』だろうが。
「ま、そりゃいい。クッションでも使えよ。」
「ありがと。それじゃ、また後でね。」
俺からクッションを受け取った有栖は、それを枕替わりにカーペットの床に横になった。
すぐに整った寝息が聞こえ始めた…寝たらしい。
早い。
「…ごく普通の寝顔、なんだけどなぁ。」
呼吸で上下する胸も、一見無防備な寝顔も、普通のものだった。
それでも、有栖の脳内コンピューターは稼働していて、周囲の索敵を続けているのだろう。
そんなことを考えながら、俺もソファーに横になる。
取り繕いのつもりで言ったが、あるいは本当に気疲れが有ったのかもしれない。
抗いきれない睡魔に襲われ、俺もすぐに意識を手放した。
―――――――――――
「3時か。」
おおよそ2時間半程度は寝ていたようだ。
多少頭はスッキリしている。
カーペットの方を見ると、有栖はまだ寝ていた。
と言うことは、特に危険は迫っていないらしい。
背伸びをして背中や肩の骨をパキパキ鳴らす。
大分眠気は醒めた。
とは言え、もうやることは無い。
明日は終業式だけだし、学校の準備は特に無い。
買い出しも終わった。
「テレビでも見るか。」
テーブルに置いたままにしていたリモコンでテレビの電源を入れる。
ちょうどニュースをやっていて、えぐられた建物と、それを調査する警察が映っている。
流石に大事になっているだけあって、まだ『あの』事件の報道は続いている。
レポーターはまだ犯人は見つかっていないと言っているが、ある意味犯人はほぼ永久に公表されないだろう。
何せ、国家機密の塊なのだから。
「ん…」
しばらくの間、適当にテレビを見ていたら有栖が起きた。
起き上がり、肩を回す。
「体温、心拍数、脳波…全て基準値っと。メインコンピューター起動…」
有栖の瞳が少しの間だけ青く輝き、消えた。
パソコンよろしく起動時のチェックでもしていたのだろうか。
「流石にしばらくニュースになる話題か。」
「それの元凶お前だろう。」
チャンネルを回していたら、たまたまさっきと似たような内容のニュースが報道されていた。
衝撃的な事件だったのだろうが、流石にクドい。
そしてそれの元凶は他人事みたいにのたまっている始末。
「飯はスーパーのでいいか。今から作る気にはならんし。」
「いいよ。」
有栖の了承も得たので、2回目の買い出しに出る。
今度は夜飯になりそうな惣菜やらを探しに行くだけなので、向かう先は近所のスーパーだ。
当然バイクも使わず、徒歩だ。
だが、そんな軽いノリだったはずの外出は、すぐに俺を現実へと引き戻した。
今、自分が置かれている状況を思い出すことになった。
スーパーで出来立ての惣菜を買い込み、外に出た時だった。
「――こっち。」
「有栖?」
有栖は俺の手を引いてどんどん表通りを離れ裏路地へと入ってゆく。
その顔は今まで見たどの表情とも違う、警戒状態になっていた。
「追跡者がレーダーに引っ掛かった。数は3、まだ結構離れた距離から僕たちを追っている。緩やかな3点の包囲網を作って、僕たちを囲むつもり。」
有栖の言葉で、あまり現実味を感じていなかった追跡者の存在と向き合うことになった。
遂に、追っ手がやってきたらしい。
有栖によれば、今は離れた位置から俺たちを追い、徐々に包囲網を狭めているようだ。
「いつまでも君を連れた状態では逃げられない。でも出来るだけ、人通りの多い場所から離れたい。」
有栖だけなら、夜学校で会った時見せた身体能力で逃げられるのだろうが、今は足手まといの俺がいる。
しかも囲むように3人の追っ手が居るなら、俺を連れていては逃げ切れないだろう。
なら、取るべき手段は一つしか無い。
「戦闘になる。おそらく、最初の遭遇戦。」
戦って道を切り開く他無い。
有栖は一般人を巻き込まないように、出来るだけ大通りから離れて裏道に入り込んだ。
――やがて、マンションか何かの建設予定地、骨組みと仮の外壁だけの場所まで逃げ込んだ所で、俺たちは『それ』と相対した。
シルエットは人間に似ているが、それは白いアーマーで包まれた人工物で、頭部には赤く輝く単眼がこちらを見ている。
次々に姿を現す『それ』ら、有栖の言葉通り3体のそれらは手に自動小銃を構えていた。
「『あれ』がどういうモノか、説明する必要があるかい?」
「いや、見ただけでわかる。」
所謂アンドロイド、人工物で構成された人間の紛い物。
有栖のようなサイボーグを作る前段階に、こんなアンドロイドの研究がされていたと有栖から聞いた。
それなら、こうした形で使用されてもおかしくはない。
戦闘用のアンドロイド、ロボット故に思考の柔軟性と学習機能が求めるスペックに到達出来なかった為、有栖のようなサイボーグ開発計画に移行したが、それでもこういう目的には有用だろう。
ただ不都合な存在の口封じが出来れば、被検体を回収出来れば良いのだから。
素材不明な白いアーマーを纏うアンドロイドは目以外のパーツが存在しない顔でこちらを見て、小銃を構えている。
言葉すら無いが、その意図は良くわかる。
大人しく投降するように促し、従わなければ攻撃すると言う警告。
実に分かりやすい。
もっとも、俺は投降した所で消されそうだが。
「『zero-system』起動。」
「有栖…?」
俺の纏まらない思考は、有栖の呟いた言葉に遮られた。
有栖がそのコマンドを紡いだ瞬間、有栖の眼が光輝く。
しかし、その色は今までとは違う『赤い』輝きだった。
綺麗とさえ言えた青い輝きとは違い、禍々しさを感じるそれを見ると、胸騒ぎがする。
次の瞬間には、有栖の姿が視界から消えた。
それは有栖が余りにも早い速度で駆け出したからだった。
ただの一撃。
有栖はアンドロイドのうち1体の頭を片手で鷲掴みにすると、後方の壁に叩き付けたのだ。
壁は陥没し、アンドロイドの顔面は有栖の握力と叩き付けられた衝撃的でグニャグニャに潰れ変形し、パーツがはみ出て散らばっていた。
戦闘用のアンドロイドで、耐久力もそれに耐えれるように出来ている筈のそれは、一撃で機能停止した。
一体どれだけの握力と腕力を発揮したか、考えるだけでも恐ろしい。
有栖は懐まで一気に切り込まれて、対応が僅かに遅れたアンドロイドの内左側の機体に流れるような動きで回し蹴りを放つ。
打撃である筈の蹴りは、アンドロイドの胴体を強引に『引き裂いた』。
打撃技が『裂く』と言う結果を残すヤバさは、見ただけですぐにわかった。
最後の一体は反撃を試み、ライフルを構えて発砲した。
いや、それすら『しようとした』だった。
有栖は後ろ手でライフルを掴み、バレルを機関部ごと抉るようにへし折り、発射不能にさせた。
有栖は後ろ向きのまま、最後のアンドロイドの胴体を蹴り飛ばす。
体重が乗ったそれはアンドロイドの胴体を易々と貫通し機能を破壊、アンドロイドはぐらりと揺れた後に倒れ、活動停止した。
3体の兵器は、1~2分程度の時間でスクラップと化した。
信じがたい出来事の前に、破壊されたアンドロイドに一体どれだけの費用が注ぎ込まれていたのか、なんてズレた感想が出てきた。
多分ショッキングな光景を目にして、頭が回っていないのだと思う。
―――――そして、現在に至る。
明らかに騒音を立て過ぎた。
今は有栖に守られながら、家に向かっている。
人が集まる前に、あそこから離れなければならない。
「あれが…お前の力、か。」
絞り出すような声。
かろうじで、言えた言葉だ。
まだ衝撃が抜け切っていない。
「君への注意を向けさせないようにして、なおかつ被害を抑えようとするなら、あれを手早く破壊する必要が有った。だから『zero-system』を起動した。」
「『zero-system』?」
「うん。『zero-system』は強襲・制圧の為に身体機能のリミッターを解除して爆発的なパワーを発揮する為のプログラム。通常時以上のパワーを発揮する分、負荷とエネルギー消費も多いから、多用は出来ないけどね。」
どちらかと言えば、リミッターを意図的に外す機能と言うべきか。
「…あれが『追っ手』か?」
もう一つの聞きたいことだ。
「『US-03』の標準モデル。戦闘用アンドロイドで、既に軍では正式採用されている。」
「は…?」
「日本がアメリカ他の同盟国の要求に答える為に製作した兵器さ。建前上、人間の兵士を戦場に派遣出来ないから、その代理をアンドロイドにさせようとして生み出された。製作ノウハウは、僕を造る以前プロジェクトで既に出来ていたから、それの流用。」
有栖を造る前のプロジェクトを流用した兵器。
表立って戦場に兵士を派遣出来ない日本がその代理として開発したのが、あの『US-03』と言うアンドロイドらしい。
どんどん話のスケールが大きくなっている。
「つまり、機密を知った人間を政府が特定したってことになる。僕の性能までは把握出来てないみたいだから、カスタムもされていない『US-03』を投入したのだろうけど。」
遂にこの時が来た。
明確に命を狙われた。
「今は耐えきるしかない。これからは、出来るだけ君の側に居る。」
有栖が言うように、相手の出方がわからない今は耐えるしかない。
だが、それではずっと追われっぱなしで、そのうち本当に殺される。
だから、何時かは反撃しなければ、俺には未来が無い。
ただの学生が、国と敵対するなんて馬鹿げたことを自分がすることになるなんて、思いもしなかったが。
今は絶望的だが、思うようにされる気は俺には無い。