日常
分かりやすい答えほど、分かりやすい嘘は無い。
重ねられた言葉ほど、空虚で中身の無いものは無い。
正しさを求めるものほど、それとは程遠い。
あんなことがあった後も、変わらず朝は来る。
「おはよう、重久君。」
「…おう。」
寝起きから既に日常は変わってしまっていたが。
部屋の椅子に座り、茶をすすっているのは有栖だ。
今は怪しげなスーツではなく、制服を着ている。
あの夜、暗闇で光輝いていた青い瞳は、今は普通の人間と変わった点は無い。
「いや…なんだ。寝て起きたらよ、昨日のあれが夢見たいな気がしてさ。まぁ、お前が俺の家に居る時点で、それは無いんだけどな。」
超常なんて、そう簡単に信じられる訳がない。例え望んでいたとしてもだ。
「ん、もし何事も無いなら、僕は君の家でお茶なんて飲んでないさ。」
有栖は事も無げに答える。
ということは、昨夜の出来事は全て真実と言うことになる。
「今のところ、索敵範囲に不審な人物の反応は無いよ。まだ君が僕の正体を知ったとは、思われていないようだ。」
「今のところは、か。そのうちバレるんだろ?」
「ほぼ確実に。」
有栖の言葉に、流石にゲンナリとなる。
偶然とは言え機密を知ってしまった以上、もう裏の事情とは無関係ではいられないのは、わかりきったことだ。
だがやはり、理不尽さは感じる。巻き込まれた身なのだから。
「大丈夫、君は僕が守るから。誰かの都合で君が危険な目にあうことなんて無いんだから。」
あの夜と、有栖は似たことを言った。
「…それと、偶然僕の正体を知った君には、僕の記憶とプログラムと記録を探すのを手伝って欲しい。事情を知らないと、頼めないことだから。」
本来なら、有栖は一人で探す(あるいは探さなければならないか)はずだったのだろう。
だが、知ってしまった人間が居るのならば―
「だな、お前だって普通の人間だったんだ。そこらへんの記録から漁っていけば、お前が何者かわかるかもしれないな。」
断る理由は無い。
むしろ現状、選択肢は他に無いだろう。
日は既に高い、夜遅かったからか、寝過ぎていたようだ。
とはいえ、今日は土曜日で、学校は休みで、時間的な余裕はある。
「さて、色々考えなきゃいけないことができたな…有栖、お前はこれからどうすんだよ?」
「重久君は一人暮らしなんだよね…良ければ君の家に住ませて欲しいかな。その方が都合がいい。」
これは、なんとなく予想出来ていた答えだ。
有栖が『守る』と言った以上、常に近くに居なければならない。
それなら同居するのが、一番早いだろう。
無論、問題はあるが。
「一応、男と女なんだけどなぁ。いいのか?そういう点については。」
「僕は気にしないかな。頭の中を弄られたからか、そういう感覚が、あんまりわからないんだよね。僕は女性としてのまともな感性は無くなってるよ。」
確かに、兵器としては不要な感情だろう。あるいは感情そのものが、兵器には不要なのか。
だから、無くした。
昨日も感じた胸糞悪い感覚を、再び感じる。
最低だな、と。
その為だけに人一人の感情を無くしたのかと。
有栖は気にしていないように見えるが、それはおそらく、有栖自身が『そういう感覚』を失っているから、気にしないだけだろう。
おどけたり、不思議な感じの有栖だが、確かに表面上の感情の変化は薄い。
常にフラットな印象がある。
それこそが、感情の喪失の結果だろう。
今の有栖は、その残った感情の残骸か残りカスで会話しているに過ぎない。
「まぁ、他にアテも無いしな。使ってない部屋を貸すわ。」
両親は海外仕事でほぼ家に居ない(故に、ほぼ一人暮らし)為、使われていない部屋もある。
どうせ滅多に帰って来ないのだから、問題は無いだろう。
「ありがと、一応用意されていた備品とかの荷物があるから。」
備品というのは有栖に用意されていた道具や今着ている制服とかだろう。
「そう言えば有栖、お前はどこまで俺達と同じ生活なんだ?こう言う話は気が引けるが。」
ふと感じる疑問だ。
身体の構造が全く違う有栖だが、食事や睡眠や風呂などはどうなるのか。
「ほとんどは普通と同じだよ。食事から栄養はとれるし、お風呂にも同じように入る。まぁ、食事に関しては毎日取る必要は無いし、全く栄養をとれなくても2週間は生きていられる…まぁ、普段は普通の人間と同じように生活してたけど。」
有栖の身体は改造されて、臓器は相当数が機械化されているらしいが、食事は普通に取れ、風呂にも問題無く入れるらしい。
その割には食事無しでも2週間は大丈夫なあたり、一般人には到底理解出来ない技術が使われているのだろう。
「そっか、まぁ毎日ちゃんと飯は喰えよ?そんな『人間』らしくないことは、するべきじゃない。」
「へぇ?ここまで人間から逸脱した僕にも、そういうことを言うのかい?」
有栖は興味深げに聞き返した。
「ああそうだ。確かにサイボーグだなんてただの学生の俺には想像出来ないようなものさ。だけどさ、それでも俺は有栖は人間だと思う…有栖が人間でありたいならな。」
これは言うべきだと思った。
少なくとも、有栖はまだ人間だと思う者も居るのだから。
「前々から思ってはいたけど、重久君は面白いトコ、あるよね。普通はこんなになった僕見てそんなことは言わないし、言えないよ。」
「肝心のお前はどう思ってんだよ?自分のこと。」
「さて、ね。僕には記憶が無いから、何が好きだとか自分のアイデンティティとか、もう無いし。しいて言うなら、君がそう言うなら、人間でいるのも悪くないって感じ。」
曖昧で、不確かな答え。
あるいは今の有栖には自分自身に興味が無いのか。
改造された影響は、思ったよりも複雑に有栖に絡み付いているようだ。
確かな知識と判断力を持ち、人間を遥かに越える身体能力を持ち、その身体を有効に扱える知能を持ちながらも、ある意味で有栖は生まれたばかりなのだ。
正確には『今の』有栖は。
以前は有栖も何処かで普通に暮らしていた、学生だったのだろう。
それが何かに巻き込まれてサイボーグになり、リセットされた。知識や知能を持ったまま。
だから有栖は『自分』に対して執着が無い。
以前の自分について何も知らず、特に思い入れの無いただの『肉体』だからだ。
「ああ、じゃあそうしてくれ。」
「ん、わかった。」
それでも有栖には『人間』でいて欲しい。
サイボーグでも有栖は人間だと、思っていたから。
まだ有栖と出会って2日目で、親しい訳ではない人間が言うべきことでは無いのかもしれないが。
「…わかったよ、君がそう言うなら。それに、君はもう他人じゃないさ。不幸にも秘密を知ってしまったのだから。それに、今の僕にとって初めての友人だから。」
しかし、当の有栖は意外な言葉を放つ。
過去の記憶が無い有栖は孤独なのだろう。
だからこそ、この言葉なのか。
「一応、資金…お金はあるよ。悪いと思ったけど、研究室から脱出した後、施設の残骸から使えそうなものを集めておいた。その時に。」
悪いと口で言っているが、実際は毛ほどにも思っていないだろう。
彼女自身の脳で判断出来ないことは、おそらく脳内に仕込まれたコンピューターとプログラムが指示を出し、それに基づいて動いているのだろう。
そして、改造されて起動したばかりで、記憶も無い有栖に状況判断は困難だっただろう。
だから、コンピューターの導き出した合理的な指示に従ったに過ぎない。
そもそも、彼女の周囲にあった物は彼女の為に用意されたもの、もしくは彼女専用の道具の可能性も高いだろう。
そのとばっちりで人間挽き肉が出来上がったのだから、笑えないが。
「ただ、今のところ君しか僕の正体は知らないし、これ以上バラすつもりもない。だから、君には僕の身体について知っておいて欲しい。外部から僕のコンピューターにアクセスしたり、メンテナンスの為だったり、その他にも色んな機能が搭載されている。」
「まぁ、だろうな。」
わかる。
完全に有栖のコンピューターが外部から切り離され、アクセス出来ないならプログラムの追加や削除やデータの修復も出来ないだろうし、普通の身体ではない有栖は普通の人間には必要ないメンテナンスが必要なのかもしれない。
他にも、最新の技術で作られたのなら、汎用性の為に外部出力が可能な端子もあるだろう。
「だけど、さ。お前何しようとしてんの!?」
有栖の正体を知ってから初めて慌てた。
今までは有栖の正体を知った後も、なんとなく順応出来ていたが、流石にこれだけは無理だった。
有栖はさも当然のように服を脱ぎ始めたのだから。
「だって脱がないと、見えないし、操作できなかったり操作しづらかったりするじゃないか。気にしなくてもいいよ。」
有栖は当然のごとく、と言った感じだが、そうは行かない。
有栖は既に下は脱いで上も制服のシャツのボタンを外している。
「何てことないさ、君がいやらしい妄想をしなきゃいいだけの話だし。」
少し意地悪っぽく笑いながら有栖は言った。
昨日も何やらどきつい内容の悪口を言っていたり、今みたいにおどけたり、これが彼女の素の性格なのだろうか。
それとも、コンピューターによって作られた人格なのか。
もし後者なら、製作者はかなり『イイ』性格をしている。
「有栖…もしかしてお前ワザとやってないか?」
「何が?」
ワザとだろうな。
そうこう言っている間に、有栖は服を全て脱ぎ終えていた。
こうなっては仕方無い。腹を括った方がいい。
出来るだけ邪な感情を頭の隅に押しやり、今は一糸纏わぬ姿になった有栖を正面から見る。
有栖は身長が高い。それは別に昨日から知っていた。見ればわかるからだ。
今はそれだけではない。
サイボーグと言っても有栖と言う人間を素体にしている以上、中身はともかく外見は本人に準じるはずだ。
それなら尚更、有栖が元から普通ではなかったことが伺い知れる。
改めて有栖を見る。
元々有栖は日本人の女性としては身長が高い。
その高身長の肉体は均整が取れていて、女性の特長はしっかりとありつつも、しなやかさと強靭さを同時に備えている…そんなふうに感じる事が出来る。
ほんの少しだけ色が薄い肌は、珍しい濃青の髪によく映える。
そして、気になるのは有栖の右胸あたりにあるマーキングだ。
赤色で少しだけ大きめに『AR-01』というナンバーのようなマーキングが、その下にはバーコードに似たようなマーキングが施されている。
右肩にも赤色で『01』というナンバーがマーキングされている。
2ヶ所に施されているあたり『01』というのが『サイボーグ』としての有栖の製造番号、もしくは素体番号なのだろう。『AR』はそのまま『アリス』と言う意味だろうか。
ナンバーに名前が使われているなら、素体となる人間について知っていると言う事だ。
つまり、敢えて有栖を『選んで』サイボーグの素体にしたのだ。
何故、有栖がそれに選ばれたのかは何と無く想像出来る。
有栖自身の肉体性能が、高かったから、だ。
普通の女子学生だったはずだが、有栖は元から体躯に恵まれていた。
しかも均整が取れていて、余計な修正を施す必要も無かったのだから
「ふぅん…重久君も、こういうのにはちゃんと反応するんだ。意外だね、けっこうフラットな所があるからさ。」
「そう言うのを口に出すのは止めてくれ。余計に意識するだろ。」
一応、男なのだから。
有栖が魅力的なのは十分に感じている。
「おちょくるのもここまでにしようか。説明しなきゃいけない事は多いし。まずは…そうだね、基本的なことからいこうか。僕のコンピューターにアクセスする為の方法だ。たしか重久君はスマートフォンだったよね?」
「ああ、そうだ。」
少し古いスマートフォンを取り出す。機能的には中堅前後といった所だろう。
「それをコンピューターにアクセス出来るようにする為に制御用ソフトをインストールするんだ。」
言うなり、有栖は右胸のバーコードに似たようなマーキングのすぐ下の部分を親指で強く押す。
かちり、と音がして、柔らかで継ぎ目の無いはずの皮膚が横幅3~4㎝程度スライドし、そのスペースには複数の端子が見える。
一般的なUSB端子と、通常の規格ではない端子が2つだ。
有栖はどこからかスマートフォン対応のUSBケーブルを取り出し、慣れた手つきで右胸のUSB端子に接続する。
「スマホを貸してくれるかな?僕のハードディスクにインストールするプログラムが保存してある。それをUSBケーブルで移動させるから。」
「お、おう…」
少しだけ戸惑いながら、スマートフォンを渡す。
ある意味で初めて有栖がサイボーグである証を見たような気がした。
青く光る眼は十分に人間離れしていたはずだが、それでも皮膚が開き、有るはずの無いものがその下から出てきたのだから。
有栖が自分とスマートフォンを接続すると、有栖の深い青色の瞳が昨日のように光を放つ。
同時にスマートフォンの画面が切り替わり、何らかの文字列が大量に表示され、次々に流れてゆく。勿論、内容は分からない。
「終わったよ。」
「案外早いんだな。」
インストールにかかった時間は5分程。
先進技術の塊である有栖のコンピューターを動かす為のプログラムにしてはインストールが早い。
「インストールしたのは、その端末で僕のコンピューターにアクセスする権限と操作する為のオペレーティングソフトだけだからね。データまで移動した訳じゃない。これで、そのスマホで僕のコンピューターにアクセス出来るようになったよ。次はそれで出来る事を説明しようか。」
有栖はUSBケーブルで繋いだままのスマートフォンを返す。
スマートフォンの画面には幾つかの項目が表示されている。
「まずその画面から出来る事を大まかに言うと『データベースの閲覧と管理』『プログラムの確認・追加と削除』『システムの確認の修復』『各種機能のオプション』だ。」
極めて分かりやすい単語だった。
その名称だけで、どんな操作を行うのかは容易に想像出来る。
おまけに、ご丁寧に日本語で表示されている。
「僕と接続した時点でアクセス権限も付与されているから、特に特別な操作はいらない。」
普通は何らかの制限やセキュリティを入れるのだが、有栖にそれは必要無いのだろう。
不用意に、あるいは強要すれば、人間を容易く挽き肉にする有栖からの反撃が間違いなく飛んでくるのだから。
おそらく、あらかじめ設定された関係者以外は、有栖自身が認可した人物以外、触れられないようになっているのだろう。
「まぁ、必要な時は操作をお願いするよ。僕は自分で操作出来ない事も多いからね。」
「そりゃそうだろうな、自分で設定やらデータやら弄れたら制御出来たもんじゃないだろうしな。」
製作物が好き勝手に設定やら制御プログラムを変更するなら、それらのプログラムは全く意味が無くなってしまう。
「取り敢えず、今はその端末で何が出来るのかを知っておいて欲しい。じゃあ、接続を解除するよ。」
コードを抜いて次は腹部のやや右寄りを押し込む。
また皮膚がスライドし、小型の機材が4つ見える。
周囲と接続されている点から察するにこれは…
「バッテリー、燃料…あるいはそれと同じ機能の部分か?」
「よくわかったね、これは外部燃料だ。さっきも言ったように、僕は食事からエネルギーをとれる他に、ボディーパーツには中枢動力炉がある。」
食事でエネルギーを賄えるのは、さっきも有栖が言った通りだ。
だが、同時に食事を毎日とる必要は無いとも言っていた。
その理由がこの燃料なのだろう。
「中枢動力炉は長い期間交換不要で、燃料も長持ちする…けど、交換には専用設備と時間がかかるし、燃料自体の規格も特殊だ。研究所が無い今、現在は補給手段が無い。」
「おい!」
「仕方無いよ、僕だって不本意さ。だけど制御不能状態でやったのだから、防ぎようが無かったんだ。」
と言うことは、中枢動力炉の燃料は補給の見込みが無いと言うことになる。
「中枢動力炉の燃料は人間並みの活動でおよそ20年分だ。勿論、本来の使用法ならもっと消費は早い。替えが無い分、中枢動力炉のエネルギーばかりを使用することは出来ない。そして食事によるエネルギー変換では基本的に人間並みのエネルギーしか確保出来ない。」
「だから、このバッテリーか?」
「うん。まだ一般的には知られていない特殊なチャージ式電池…僕自身と同じようにね。『アンオプタニウム』という、まだ公表すらされていない物質を使われた試作段階も良い所の代物さ。」
「そんな皮膚に近い場所にあって大丈夫なのか?」
燃料と言うことはかなりのエネルギーが蓄積されているはずだ。
そんなものが皮膚の下にあって大丈夫なのだろうか、何らかの衝撃を受けた時に爆発なんてオチは洒落にならないだろう。
「この人工皮膚も勿論そうだけど、この燃料部分を被うパーツも、耐久耐熱性しっかり考慮しされているってことさ。ここにあるのは、補助燃料だし交換のしやすさが理由かな。それに、僕に突っ込まれた技術はスペースをギリギリまで使っているからね。燃料を仕込む場所にも困る位にさ。」
未知の技術でも人間サイズであれだけの怪力やコンピューターや動力炉やらの機材を組み込むとなると、スペースに余裕は無いのだろう。
「これは普通のコンセントも対応している。だから、普通に充電出来るわけだ。既存のものとの違いは効率かな。充電効率も、蓄電能力も、変換効率も。」
そうでもなければ兵器のエネルギー源としては役不足だろう。
有栖によれば、それらは既存の十数倍にも達するらしい。
気掛かりな充電代…下世話な事を言えば電気代についてだが、これに関して有栖は『大丈夫』だと回答したが、どの程度なら大丈夫なのかは不明だった。
その他にも、各種のパーツについて有栖は説明を続けたが、前提になる技術や理論とその知識が必要になるものがほとんどで、理解にはほど遠い状態と言えるだろう。
一方で有栖がどれだけのオーバースペックか、それはよく理解できた。
構造はよくわからないが、肩や腰には推進装置のような物が、腿の裏側に用意されたスペースには拳銃のような物やナイフなどの武器が、更に右目にはプロジェクターの機能が備わっているらしい。
中にはかなり際どい場所に付けられた物もあり、本当に人間としての構造は考慮せずに組み込まれているらしい。
流石に、そこを見たり触ったりするの意地でも避けた。
製作者の悪意を感じる。
おそらく、そんな意図は無いのだろうが。
その他にも様々な装置が用意され、中には完全に用途不明のな物も存在している。
本当に好き勝手に弄られていた。
「こんなものかな?」
有栖はシャツのボタンを止めながら、言う。
一通りの説明を終え、有栖は服を着直した。
いい加減目のやり所に困っていたから、ありがたい。
気付けば、既に昼を過ぎて夕方になりかけていた。
流石にあれだけの機能を見て説明を受けたのだから、当然と言えば当然だが。
「ん、じゃあそろそろ飯にするか。有栖は苦手なものは…無いんだろうな。」
「正解、改造される前はわからないけど、今は特に無いかな?と言うか、今の僕の脳は『味覚』を感じることは出来ないし。」
「…は?」
また、ショッキングなカミングアウトをされた。
味覚が、無い?
「どういうことだ?」
「少し複雑なことだけどね、味覚は改造の過程で機能不全になったから、代わりに脳内コンピューターに記録されるようになっているんだ。僕としては味はわからないけど、それがどんな味なのかは理解できる…そんな感じ。」
「…そうか。」
それだけしか、言えなかった。
有栖の身体の状態はまともじゃない。
わかりきったことだが、それでもこんなことにまで影響しているとは、流石に想像できなかった。
コンピューターが記録した所で、一体なんだと言うのだろうか。
それでも、有栖は気にした様子は無い。
有栖にとっては味覚が実質無いことも『そういうもの』でしかないのだから。
ついさっき飲んでいたお茶の味もわからない、ただ人間の行動の真似事をしていたに過ぎない。
あるいはそういう行い自体が、普通の人間への擬態なのか。
不要と人間らしさを切り捨てたクセに、だ。
矛盾だ。
それでも食事を作るべく、立ち上がる。
きっと、自分でもそれが無駄でないと思ったから。
それでも有栖は人間だと思ったから。