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(2016/7/8)呉服店の屋号を『近江屋』に変更しました。もともと『近江屋』の名前は別のネタで使う予定でしたが方針変更。
* * *
「──私ども『近江屋』は初代の西村喜左衛門が近江国より京に出て商いを始めたのが起こりです」
慣れた調子で口上を述べているのは、良子と同い年くらいの娘であった。
「諸藩の京屋敷に出入りを許され、御家中のお仕立ての御用を承って参りました」
矢絣の振袖に袴という身なりも良子と一緒だが、髪型まで明治の女学生風の庇髪にしているのは本格的だ。
「のちに縁あって横須賀米が浜に店を構え、当地の皆様の御愛顧を賜ることとなりました」
愛嬌のある丸眼鏡の下は、意外に綺麗な顔をしている。
学校の同級生だったら仲良しになっておきたい典型だなと、可愛い女の子が好きな良子は思う。
それにしても──
「それにしても、どうして君たちがここにいる? 《倶楽部》へ行ったのではなかったのか?」
理代子が言った。ここは呉服屋の店内であった。
外から見た店構えも立派だったし、売場は女学校の教室よりも広く、大店といえよう。
売場の奥は畳敷きの小上がりになっているが、良子たちがいるのは、その手前に置かれたソファである。
良子と理代子が並んで座り、向かいには店の跡取りと名乗った松絵という娘がいる。
そしてソファの横に、理代子と同じ海軍女学校の制服姿の三人の少女が立っていた。
「坂本サンこそ、可愛い女の子を連れて呉服屋へ何の御用ですかァ?」
理代子以上の長身で、制服越しの胸は大きく、ところどころ撥ねた癖のある髪の少女が言った。
ちらちら覗く八重歯に愛嬌があり、笑顔はきっと可愛いのだろうに、ずいぶんと剣呑な眼つきである。
「金襴や縮緬の可愛い感じの巾着なんてェ、お土産にはお手頃でしょうけどねェ?」
「さすがお目が高いです、早苗様」
にっこりとして松絵は、良子に向かい、
「いまは洋装でも鞄に入れて小物入れにできる素敵な巾着がございます。良子様もお土産にいかがですか?」
「はあ……」
良子は苦笑いするほかない。このピリピリとした空気はなんだろう。
眼の前には、せっかく冷えた麦茶が置かれてあるのに、口をつけるのも気がひける。
理代子は、やんわりと笑ってみせ、
「従姉妹が面会に来たので横須賀の街を案内してるんだ。本当は喫茶店で休憩でもと思ったのだけど」
「海軍女学校の生徒さんが出入りを許されているお店は限られますからね」
松絵が言って、にっこりとする。
「私どもでよろしければ、いつでもお立ち寄り下さい。お茶のご用意をいたしますので」
「『近江屋』さんの別邸が上町にあってね、先年亡くなられた大奥様が隠居暮らしをされていたそうだけど」
理代子が良子に説明する。
「そちらを《倶楽部》として我が第二分隊を受け入れて頂いてるんだ。《倶楽部》はわかるよね?」
「海軍兵学校でも採用されている、生徒が休日に寛げるよう近隣の民家が解放される制度……だよね?」
良子が言うと、理代子は頷き、
「概ねその通りだけど、民家は分隊ごとに一軒ずつ指定されているんだ」
「別邸が《倶楽部》なら、本宅は《第二倶楽部》でよろしいのではなくて?」
海軍女学校生徒のもう一人、髪を頭の左右で束ねて金色のリボンを結んだ少女が言った。
可愛い顔立ちなのに眉は吊り上がっていて、ずいぶん勝ち気そうである。
おまけに派手な趣味でもあるようで、金色の扇子を手にしている。リボンも金色だし、ちょっと変な子?
「坂本さんもそのおつもりで、『近江屋』さんのお店へお寄りになったのでは?」
「その通りだよ、規則としては灰色だけどね。みんなは上町へ行ったと思ったから、ここで会って驚いた」
理代子は苦笑いする。
「まさか、この暑さで上町まで行くのが億劫になって、ここに来たわけでもないだろうけど」
「…………」
少女たちは顔を見合わせる。どうやら図星であったらしい。
松絵が、おっとりと笑って言った。
「上町でご用意しておりました仕出しや水菓子は、車を回してこちらへ運ばせております」
「お手数をおかけいたします」
頭を下げる理代子に、松絵は「いいえ」と笑顔で首を振り、
「理代子様と良子様のお食事もご用意しております。どうぞ、このままご一緒なさって下さい」
「重ねてのお心遣い、ありがとうございます」
「従姉妹殿は、視力は幾つでござるか?」
「──っ!?」
いつの間にか真横へ移動して来ていた三人目の少女が、ぬっと顔を近づけて来て、良子はたじろいだ。
縁が下半分しかない奇妙な丸眼鏡に、鳥の巣のようなもじゃもじゃの髪。
ぱっちりとした二重瞼の整った眼鼻立ちを、眼鏡と髪型で台無しにしている不可思議な少女だ。
ついでに言葉遣いも変である。
「……い、一・二です、左右とも……」
良子は答えて言った。本当は海軍女学校の身体検査合格基準ぎりぎりの一・〇だけど。
鳥の巣少女は、にっこりとして(笑うと可愛い。髪型と相まって西洋人の子供みたいだ)、
「ふむふむ、もう少し下と見受けましたが、なに大丈夫。視力は鍛えられますからな、某考案の訓練法で」
そして言うことも、やっぱり変だ。
理代子が苦笑いで、
「紹介しておく。彼女は安岡錦綺。機関学校志望だったけど女子の採用がないので海軍女学校へ来たそうだ」
「安岡でござる。以後お見知り置きのほど」
にっこりとする錦綺に、良子は頭を下げ、
「理代子の従姉妹の、楢崎良子です。よろしくお願いします」
「ちなみに錦綺の眼鏡は伊達だよ。視力は二・〇以上、まあ訓練の成果だそうだ」
「坂本殿のその口ぶり、よもや我が訓練法の効能をお信じ頂けてはおらぬのか」
「そうだよ? それで、そちらの身体も態度も大きいのが、千葉早苗。噛みついたりはしないから大丈夫」
「ちょっと坂本サン、アタシは猛獣扱いですかァ?」
鼻の頭に皺を寄せ、ますます剣呑な顔をする早苗に、良子はともかくも挨拶する。
「よろしくお願いします」
「…………」
早苗は、じろりと良子を睨みつけ、ふんっと鼻を鳴らした。
怖い。何を怒ってるんだろう、この人?
「そして我が第二分隊の伍長補が彼女、岩崎弥生だ」
「よろしくお願いするわ」
金リボンの少女が金の扇子を掲げ持ちつつ、傲然と胸を張ってみせた。
理代子が曖昧な笑みで言い添える。
「ちなみに実家は霞ヶ関の大地主だよ。といっても東京のではなく、埼玉県は入間郡、霞ヶ関村のね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
良子は苦笑いで頭を下げた。
どうやら金色好きは大地主の娘という生い立ちに由来するようだ。
松絵が立ち上がり、淑やかにお辞儀した。
「では皆様、そろそろお食事の用意も整う頃ですので、食堂へご案内いたします」
「かたじけない。馳走になり申す」
「今週はどこの仕出しだァ? アタシ玉ねぎダメだっての、ちゃんと伝わってっかなァ?」
「貴女ひとりのために献立を決めると思って? 玉ねぎが出たら安岡さんに分けて差し上げればよくてよ」
「野菜も魚も大好物でござるよ。何でも頂戴いたしますぞ……」
錦綺、早苗、弥生は、松絵の案内も待たず勝手を知った様子で店の奥へ向かう。
良子と理代子は苦笑いで顔を見合わせた。
「お姉ちゃん、伍長のお役目は苦労してそうだねえ」
「それを理解してもらえれば、きょうは収穫だよ」