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横須賀市、深田町──
米が浜の交差点にかかる陸橋の上から、理代子と良子は、海軍女学校の校地を見渡していた。
白塗りの塀の向こうには、全天候舗装の陸上競技トラックを備えた運動場。
その奥には、赤煉瓦風の重厚な造りの校舎と、白い花崗岩を外壁に用いた大講堂が並ぶ。
「ここには昭和八年から私立の高等女学校があったけど、運動場の拡張のため久里浜に移転したんだ」
理代子は説明する。
「その跡地を海軍が買い上げた。海軍施設に近いし、高女の創立者は元海軍将校という縁もあったからね」
「校舎が立派だけど、思ったより普通の学校みたい。高等女学校のままということはないよね?」
良子は拍子抜けしたのか、眼を丸くしながら言って、理代子は笑い、
「江田島の兵学校を模した新築だよ。煉瓦に見えるのは残念ながらタイル張りだけど」
「兵学校って、あの横に長い軍艦みたいな建物だよね? 図鑑の写真で見たことあるよ」
「あちらは百五十メートル近いそうだから、巡洋艦並みだね。こっちはその三分の一、駆潜艇くらいかな」
校舎を指差して、
「正しくは『生徒館』といって、教室と寮を兼ねてるんだ。二階が寝室で、一階に教室や食堂がある」
「江田島の兵学校との大きさの違いは、生徒数の違いってこと?」
「そういうことだね。あちらは約八百人の大所帯だから、生徒館も有名な『赤煉瓦』のほかに西館がある」
「お姉ちゃんたち海軍女学校の第一期生は四十名。良子が受験する来年も採用員数は同じというから……」
顎に手を当てて考え込む仕草の良子に、理代子は肩をすくめてみせ、
「四学年合わせて百六十名だね。少数精鋭とは言えるかな」
「それだけ人数が違うのは、やっぱり海軍としては、まだ女性を兵科将校に任官するのに慎重ということ?」
「それはもちろん。四年後に私たちが卒業して、さらに一年、少尉候補生として訓練を終えたあとが本番さ」
理代子は微笑む。
「第一期生は責任重大だよ。在学中に何か失敗をすれば、そのまま女は海軍将校失格なんて話にもなる」
「それは良子たち、あとに続く第二期生も一緒だね……。もちろん、来年合格すればだけど」
「合格するつもりなんだろう?」
「もちろん、そのための学校見学だよ。夏休みの猛勉強の前に、気持ちを高めておこうと思って」
良子は胸を張ってみせ、理代子は笑って頷く。
「その意気やよし、だね。ちなみに生徒館の中では、移動は常に駆け足、階段は二段飛ばしが決まりなんだ」
「そこは受験の参考書で予習したよ。海軍兵学校に──というより、軍艦の中の生活に準じてるんだよね」
「その通り。朝の起床から夜の就寝まで、ラッパと号令に追い立てられる毎日だよ」
「それも覚悟してるけど、将来の海軍士官が、学校ではそこまで雁字搦めの生活なんだね」
「学校を出て艦に乗れば、自分より年齢も軍隊経験も上の下士官兵に命令を下す立場になる」
理代子は言う。
「だから、学校にいるうちに海軍精神が徹底して叩き込まれるんだ。──とはいってもさ」
そこでまた、悪戯っぽく片眼をつむってみせる。
「一年三百六十五日、息を抜く暇もないなんてことは、もちろんない。きょうみたいな休日もあるからね」
「反動で羽目を外しちゃう人もいそうだね」
「そこは想像に任せるよ。ちなみに、さっき良子が言った高等女学校のまま、という話に絡むけど」
理代子は、海軍女学校から通りを挟んで向かい側の、大きな庭木に囲まれた日本家屋を指差して、
「そこに有名な海軍料亭があるけど、学校の敷地の一部も、高女ができる前は割烹旅館だったんだ」
「この交差点は米が浜って名前だよね? 昔は海岸で、だから旅館があったのかな?」
「そうだろうね。そして旅館の湯殿──つまり浴場だった建物が、いまも敷地内に残ってるんだ」
「それじゃ、旅館のままの立派なお風呂があるってこと?」
嬉しそうに眼を輝かせる良子に、理代子は笑って、
「高女時代は付属の幼稚園に使われていたそうだけど、再び浴場として改装し直したんだ」
「それは贅沢だね。やっぱり御殿みたいな唐破風造りで、壁には富士山が描いてあったりするの?」
「和風の御殿というより中国のお城みたいかな。高女の生徒は竜宮城と呼んでたらしいよ」
「竜宮城のお風呂なんて、そそられるなあ。この世の楽園が広がってそう」
「現実を見たらガッカリすると思うけど。入浴もラッパで急かされて、蛇口の奪い合いで殺伐としてるもの」
理代子は苦笑いで言う。
「それと壁に描いてあるのは江田島の古鷹山だよ。私たちも最近気づいたけど、風景が絵葉書と一致してた」
「そこもまた江田島仕様なんて、こだわりがあるんだろうね学校のお偉いさんたちに……」