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横須賀海軍女学校  作者: 白紙撤回
第一話  《倶楽部》
13/27

1 - 13

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

 海軍女学校の酒保しゅほは兵学校の伝統にならい「養浩館ようこうかん」と呼ばれる。

 これは海軍兵学校で祝宴や賓客の接待に使われている別館の名称に由来する。

 江田島の「養浩館」は洋館と日本館の二棟が併設されており、酒保は日本館の隣に設けられている。

 そして日本館は普段は休憩所として解放され、生徒が酒保で購入した菓子や飲料を飲み食いできるのだ。

 それが兵学校生活における限られた娯楽の一つであり、「養浩館」は酒保の代名詞となっている。

 一方、海軍女学校の「養浩館」は生徒館一階の一角にある。

 広さは小学校や高等女学校など一般的な学校における教室の、およそ二つ分。

 そのうち半分(つまり教室一つ分)が売場であり、もう半分は畳敷きの座敷で休憩所となっている。

 入口には『養浩館』と墨書された天然木の看板が掲げられ、それが正式な店名であることを示す。

 もちろん命名者は江田島生活を懐かしむ学校幹部であろう。

 売場には町中の菓子店と同様に陳列棚が設けられ、煎餅せんべい羊羹ようかん、ビスケットなどが並ぶ。

 サバの味噌煮やクジラの大和煮など惣菜そうざいの缶詰も、蜜柑みかんやパイナップルなど果物の缶詰とともに売られている。

 さらに冷蔵庫にはサイダーやコーヒー牛乳などの飲料と、水羊羹やゼリーなどの水菓子。

 夏場には小型冷凍庫も置かれてアイスクリームやアイスキャンデーも扱われる。

 海軍女学校生徒の食欲と嗜好しこうを満たすに充分な品揃え。

 それを取り扱う「養浩館」の、町中の小売店とも、一般の学校の購買部とも異なる特徴は──

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

「──板チョコ、粒チョコ、ナッツチョコて、春風あんたチョコレートばかりうてるやん」

「だってー、糖分は頭の栄養だしー、『マエダ』のインドネシアチョコ美味しいしー」

「小桜ちゃんこそ、お惣菜の缶詰と燻製くんせいばかりじゃん? それでお酒があれば完全におつまみじゃん?」

 

 菓子や飲料を詰め込んだ買物籠を手にした生徒たちが、売場の一隅の「帳場ちょうば」に列を作っている。

 帳場といっても事務机が一つあるだけで「店員」はいない。

 机の上には白紙の伝票のつづりと筆記用具、それに郵便受けのような木箱が置いてある。

 木箱の上には剽軽ひょうきんな顔つきの木彫りのカエルが立ち、その腹には『五省ごせい』の一ヵ条が記されている。

 

至誠しせいもとるなかりしか』

 

 木箱は伝票入れであり、生徒は購入する品目と数量を自ら伝票に書き込んで、伝票入れに納める。

 精算は月末にまとめて行なわれ、俸給ほうきゅうすなわち給与から天引きされる。

 つまり海軍女学校の酒保は、手本とする海軍兵学校と同様、生徒の「至誠」に基づく運営であるのだ。

 

「あれェ? 安岡サァン、坂本サンどこ行ったか知りませんかァ?」

 

 燻製牛肉スモークジャーキーを買物籠に山盛りにした早苗が、きょろきょろ辺りを見回しながら言った。

 錦綺はアイスキャンデーをくわえたまま、両手に持った塩煎餅と醤油煎餅の袋を見比べながら、

 

「ほひほほほひへはひほはふほ……」

「はァ? アンタなに言ってんだかわかんねェよォ」

「……良子殿に、手紙を書くと言っておられた」

 

 煎餅を棚に戻し、空いた手でアイスキャンデーを口から離して錦綺は答えた。

 

それがしは煎餅を買って来てほしいと坂本殿から頼まれたが、さて塩と醤油とどちらがお好みにござろうか?」

「坂本サンなら揚げ煎餅だろォ? というか水くせェなァ、買物ならアタシに頼んでくれればさァ」

「千葉殿は夕食が済むとすぐ食堂を出て行かれたではござらぬか。坂本殿が声をかけるいとまもなく」 

「ぐッ……」

 

 早苗は決まり悪そうに頬を赤らめ、

 

「この燻製牛肉は最近すぐ品切れちまうんだよォ、美味うまいってことが皆に知れ渡ったみたいでさァ」

「それは桂殿にござろうな。昨日、同じものをまとめて籠に入れてござった」

「なんだってェ? あの団子頭の仔豚チャンめェ……」

 

 

 

     *     *     *

 

 

 

 生徒館の寝室は一般的な学校の教室ほどの広さで、二段式の寝台ベッドが八つ並べられている。

 寝室は分隊ごとに割り当てられ、各学年四名、計十六名が一個分隊を構成することになる。

 しかし第一期生しか在校していない初年度は、四名で一つの寝室を贅沢に使っている。

 寝台のほかには各人一つずつの小さな箪笥タンスと、制服を吊るして収納する共用の洋箪笥クローゼットも二つ、置いてある。

 あとは窓寄りの部屋の隅に書き物机が二つ。その上には鏡が置かれ、化粧台としても使われている。

 勉強机や本棚は、寝室とは別に各分隊に割り当てられた「自習室」に用意されている。

 理代子は、書き物机に向かいながら、吐息をついた。

 筆が進まない。良子に手紙を書くというのは口実でしかないからだ。

 眼の前には白紙の便箋びんせんと万年筆、そして西陣織の匂い袋が一つ。

 良子や早苗に渡したのと同じものだった。理代子は、それを全部で三つ、買い求めていたのだ。

 だが、三つめの匂い袋は、相手に渡す機会も口実も得られそうになかった。

 手紙を添えて、相手の目につく場所に置くことも考えたが、他人の目にも触れてしまいそうで恐ろしい。

 麟子には「何でも御出来になる」と言われたが、全くそんなことはなかった。

 自分の想いは、どうにもままならない。

 それに自分には忌むべき「裏」がある。

 早苗に良い顔をしておきながら、別の相手に同じ贈り物をしようとしているのだから。

 

「…………」

 

 吐息をつき、肩をすくめる。

 渡す手立てなど、やはりなかった。せめて早苗に渡したのとは違うものを買えばよかったかもしれない。

 理代子は立ち上がって机の前を離れ、自分の箪笥の引き出しの奥に、匂い袋をしまい込んだ。

 そして机に戻り、良子に宛てた手紙を書き始めた。

 ままならない想いは胸の奥にしまい込んだ。切り替えは早いつもりだった。

 結局、自分は坂本理代子という人間を演じているのだ。

 分隊の仲間に慕われ、伍長の同輩にも一目置かれる模範的な指導者リーダーを。

 

「……演じきってみせるさ」

 

 自分に言い聞かせるように、つぶやいた。


関東近県の小学生が一度は遠足で訪れる場所。

そして、海軍女学校生徒にとっては大事な訓育の場所。

それが記念艦《三笠》!

次回【 第二話 《三笠》 】近日航海!



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