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* * *
「──きゅぃぃぃぃーん……!」
「ぶぅぉぉぉぉーん……!」
「ばるばるばるばるー……!」
第九分隊の三人娘が浴室に飛び込んで来たのを見て、浴槽に浸かっていた早苗は、ニィッと笑った。
「来たなァ、三匹の仔豚チャンたちィ」
「十一時方向に敵艦見ゆ!」
「すでに一番風呂は奪われたか! 小隊長殿! 攻撃許可を!」
「焦るな! 兵装を転換して確実に仕留める! 全機、かけ湯用意!」
三人娘は流し場に駆け寄って、その隅に積まれていた共用の木桶をそれぞれ手にとり、蛇口から湯を汲む。
そして、ざばっと頭から湯をかぶると、晴蘭、紫音の順に浴槽に飛び込んだ。
続けて澪も飛び込もうとして──
「──悪乗りが過ぎるのではなくて?」
「ぎゅ!?」
その行く手を弥生が遮り、澪の首に腕を巻きつけるようにして抱き止めた。
「弥生ちゃん苦しっ……! 放しっ……!」
「妹の貴女の振る舞いで、姉である私が恥をかくことがわからなくて?」
弥生と澪は実の姉妹である。
弥生というのは旧暦の三月に生まれたことにちなんだ名前で、新暦では四月生まれ。
澪は翌年の新暦二月生まれで姉と同学年であり、今年三月に揃って高等女学校を卒業。
四月からともに海軍女学校の第一期生となったのだ。
一方、早苗は晴蘭と紫音の来襲に、
「面白れェ、『館山の雷魚』と呼ばれたアタシに喧嘩ァ売るかァ?」
不敵に笑うと、ざばっと湯の中に潜り、そのまま浴槽の底に身を沈めた。
洗い場から見ていた春風が小首をかしげ、
「カミナリウオってー、名前からして鮫や鯱みたいに獰猛なヤツー?」
「違う。またの名をハタハタという深海魚。昼間は海底の砂に隠れて、夜に活動して小エビや小魚を食べる」
香が答えて言う。
「元水泳選手の千葉さんの異名がカミナリウオなのは、たぶん潜水が得意だから」
「ふーん、なんか微みょー」
春風は呆れ顔をする。
順が、つかつかと浴槽へ歩み寄った。
その手を麟子がつかんで引き止め、
「小栗さん、まさかと思うけど貴女まで加わるおつもり?」
「放してよ、麟子! 皇国の興廃此の一戦に在るんだ!」
「伍長補である貴女の軽はずみな振る舞いが、第一分隊の恥となるのがおわかりにならないの?」
「順クン、やっぱり参加したがってるです」
「遊び心が騒ぐのさ♪ げっつぇくさいてぃづ♪("Get excited.")」
陽子が呆れ、千代が笑う。
小桜が腕組みしながら、ふんっと鼻息を荒くして、
「あかんなあ第一期生、お子ちゃまが多すぎやろ」
「まったくですねえ」
隣で航子がにこにこしながら、よしよしと小桜の頭を撫でる。
小桜は眉をしかめて航子の顔を見上げ、
「そこで頭を撫でるんは、ウチのこともお子ちゃまと言いたいん?」
「そう思わせてしまったなら、ごめんなさい」
航子は、にこにこしたまま悪びれない。
「身長のお悩みがござるなら、某考案の体格向上訓練法を……」
横から口を挟んだ錦綺を、じろりと小桜は睨みつけ、
「あんたは、自分のそのチリチリ頭の改善法を考案したほうがよろしいわ」
「ぶぅぅぅぅぅーん……!」
「ばりばりばりばりぃー……!」
紫音と晴蘭は両手を広げ、ばしゃばしゃと湯を蹴りながら早苗に迫った。
早苗のほうも、ついーと滑るように浴槽の底を進み始める。
それが、速い。両腕を頭上に差し伸ばし、両脚を揃えて水を蹴る海豚蹴技の潜水泳法だ。
「突撃準備隊形作レ! 突撃……りょ!?」
紫音は水中を突進して来た早苗に足元をすくわれ、湯の中へ転ばされた。
「分隊士殿!」
叫んだ晴蘭も、湯の中から早苗に脚を引っぱられて、派手に飛沫を上げて倒れる。
「にゃ!?」
紫音と晴蘭を返り討ちにして、早苗は湯から立ち上がって腰に手を当て、仁王立ちで高笑いした。
「はッはッはッ! 思い知ったか仔豚チャンたちィ!」
そこに理代子が近づいていき、空の木桶で早苗の頭を、こつんと軽く叩く。
「みッ!?」
「爆雷投下。君も悪乗りしすぎだよ、早苗」
「……うーん、坂本殿ォ……」
早苗は決まり悪そうに笑いながら、くたくたとその場に頽れるふりで、湯の底に身を沈めた。
そのときようやく、富士子が浴室に入って来た。いままで律儀に分隊の仲間の制服を畳んでいたのだ。
「こらー、みんな走り回ったら、他の分隊に迷惑だからー!」
「…………」
その場にいた皆が振り向いて、
「もう、終わりましてよ?」
澪の首に腕を回したままの弥生が言い、富士子は顔を真っ赤にして、ぺこぺこと頭を下げた。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい、うちの分隊の子たちがお騒がせして……!」
「私の妹でもありましてよ? よく言い聞かせておきますわ」
「……ぐぇ!? 弥生ちゃん苦しいって! 首締まってる! 締まってるってばぁ!」
「もちろん締めていてよ? 貴女にはお仕置きが必要ではなくて?」
「富士子ちゃん助けてぇ……!」
「あわわわ……弥生さん、できれば、ほどほどにしてあげて下さい……」
恐る恐る言った富士子に、にんまりと弥生は笑みを返し、
「中島さんも、このくらい厳しく躾て頂いてよろしくてよ?」
「やれやれ。落ち着いたところで、ゆっくりお湯に浸からせてもらおうかな」
理代子は湯の中に腰を下ろし、浴槽の縁に背中を預けた。
「ふうっ……」
するとその横に、すーっと浴槽の底から浮上した早苗がさりげなく並び、何事もなかったような笑顔で、
「いいお湯ですねェ、坂本サン」
「そうだね……」
理代子は苦笑い。
「──ぷはあっ!?」「……けほっ、けほっ!?」
紫音と晴蘭が湯の中から顔を上げた。
悔しそうに早苗を睨んで、
「なかなかやるじゃん? でも、これで勝ったと思わないほうがいいじゃん?」
「来週また勝負させてもらうよ?」
「はッはッはッ! 何度勝負したところで仔豚チャンは悪い狼に勝てないのさァ!」
胸を張ってみせる早苗の頭に、理代子が軽く手刀を落とす。
「痛ッ!?」
「早苗は、そうやって挑発しない。それと川西さんと愛智さんは、あまり中島さんを困らせないようにね」
にっこりと笑う理代子に、紫音と晴蘭は気まずげに頬を赤らめ、顔を見合わせた。
「さ……坂本さんがそう言うなら、勝負は預けたってことでいいんじゃん?」
「もともと一番風呂を賭けた勝負だし、来週は、ぼくたちがもっと早く帰ればいいんだからねえ?」
「…………」
麟子が隣で湯に浸かりながら、じっと理代子の顔を見た。
理代子は微笑み、
「どうしたの?」
「貴女って皆の手綱捌きが上手だし、訓育も学術も不得手なものがないし、何でも御出来になるのね?」
「そんなことはないさ。普通学なんて眠気との戦いで、成績もそれなりだよ。倫理学や哲学あたりは特にね」
理代子は苦笑いして、麟子を挟んで向こう側で湯に入った順を見やる。
「そもそも学術の成績では、私は小栗さんにかなわないよ」
「小栗さんは頭の作りが普通と違いますわ。予習や復習をする姿を見たことないのに成績最優秀ですもの」
麟子が言って、順は口を尖らせ、
「ボクは授業で聞いたことは、だいたい忘れないんだよ。仕方ないだろ、昔からそうなんだ」
「悪いとは言ってませんわ。羨ましすぎますけど」
「でも、小栗さんの美点はそこではなく、いつも前向きで、皆を巻き込んで一緒に楽しもうとする性格だよ」
理代子が言い、順は眼を丸くした。
「えっと……そんなに褒められるようなことって、あったかな」
「見ている人は見てるんだ、胸を張っていいと思うよ。だから分隊監事殿から伍長補も任されたのだろうし」
「えへへ、そうなんだって」
順が麟子に向かって照れ笑いしてみせ、麟子は眉をしかめて理代子に、
「ちょっと、我が分隊の伍長補を、あまり調子に乗せないで下さいな」
「私は自分が思うことを言っただけだよ」
微笑む理代子に、横から早苗が、ニィッと八重歯を剥き出してみせた。
「坂本サァン、アタシの美点は何ですかねェ?」
「え?」
理代子は早苗の顔を見て、微笑み、
「八重歯……かな?」
「それ外見の話じゃァないですかァ!」
早苗は八重歯を剥き出しながら、ぺちっと理代子の肩をひっぱたく。
「痛てっ。まあ、真面目に言えば、早苗の場合は素直で、表も裏もないところだよ」
「素直ってェ、それ褒め言葉なんですかァ?」
「私は褒めてるつもりだよ。裏のない人柄なんて、立派な美徳さ」
理代子は言って、微笑んだ。
次で第一話《倶楽部》は終わる予定です。