おかえりなさいと誰かが言った
クラスの人気者である如月翔都と、その如月翔都が目の敵にして苛めている橘花夕香。ある日翔都とそのクラスメイトたちは、異世界に転移することになる。しかしそこで翔都は、夕香が異世界にいないことに気づくのだった。
如月翔都にとって、橘花夕香とは目障りな女だった。
翔都は高校一年生である。見目が良く成績も良く、バスケ部では一年に関わらずすでにユニフォームを貰っていた。女子生徒たちはもちろん男子生徒たちからも人気が高く、教師たちからの評価も高かった。
大抵の相手に対して愛想の良い翔都が、唯一キツく当たる相手が夕香だった。
夕香は酷く美しく、成績も良い少女だった。けれど、生徒たちからも教師たちからも嫌われていた。
理由は簡単で、夕香が同じ学年に異母妹を持つ愛人の娘で、しかも鮮やかなオレンジ色の髪を持っていたからだった。同じ髪色を持っていたらしい母親からの遺伝らしいけれど、黒髪ばかりの学校の中で鮮やかなオレンジ色の髪は酷く目立った。
「おい、ガイジン女!」
そう呼んで、いつもいつも翔都は夕香をからかった。夕香が他の男子生徒と話していれば淫乱だと騒ぎ立てて髪を引っ張り、友だちも作れずに一人で弁当を食べていればその弁当を奪ってゴミ箱に投げ捨てた。
「ほら、ゴミ箱から拾って食えば良いだろ」
「やだ、きたなーい」
翔都にぴったりと貼りついて、一緒になって嘲笑っているのは異母妹の茜音だった。
夕香の実母は行方知れずになってしまったので、夕香は夕香の実父と結婚した茜音の実母に育てられた。茜音の実母は夕香を嫌って茜音を可愛がっていたので、夕香の立場はとても弱かった。
弁当といっても、養母が夕香の弁当を作ってくれるわけがないので夕香の弁当は白米に海苔を乗せただけのものだった。
冷蔵庫の中身を使ったら鬼のような形相で怒られるからだ。バイト代も養育費に使うからと言われて全て奪われていた。
捨てられた弁当を眺めて、夕香は溜め息をついて弁当の箱だけを拾い上げた。くすくすと笑うクラス中の視線を受けながら、夕香は教室から逃げ出そうとした。
そんな夕香を、翔都は髪を引っ張って引き留めた。
「おい、何逃げようとしてんだよ!」
「ちょっと、食べ物粗末にしちゃいけないんだよー」
翔都や茜音の囃し立てる声に頭痛を覚えて、夕香が眼を伏せる。ぐらりと、世界が揺らいだ気がした。
***
そして翔都は、クラスメイトたちと一緒に、自分が全く見知らぬ場所に立っていることを自覚した。
「え、は……?」
呆然として周りを見回す。床には何かよく判らない模様が描いてあって、周りには漫画で見るようなローブ姿の男たちが倒れていた。
「何これ」
「あれじゃね、異世界召喚ってやつじゃね?」
ちょっと興奮したように言っているのは、いわゆるオタクと呼ばれるタイプの男子生徒たちだった。翔都は卒がなく、オタクという人種ともそれなりに交流を持っていたので、その男子生徒たちに近づいて話しかける。
「なあ、これどういう状況?」
「俺たちが勇者とか聖女に選ばれたかも知れないってこと! 上手くやりゃーお姫さまなんかと結婚できるかもだぜ」
「俺ツエーってやつだよ!」
「ふーん……」
よく理解できなかったので、諦めて翔都はまた周囲を見回した。
そして気づいた。あれほど目立つオレンジ色の髪が、どこにも見当たらなくなっていた。
周りには薄暗い色のローブ姿の人びと。とある男子生徒が、ふとそのローブ姿に近づいた。
「おい、これ死んでるんじゃね……?」
言いながら、爪先で蹴りつける。ローブ姿がころりと転がって、布がはだける。
男か女かも判らない、ミイラのように干からびた誰かがまろび出て、辺りは一瞬でパニックになった。
そうして翔都とそのクラスメイトたちは、ローブ姿の男たちの前にいる。
翔都たちが恐らく召喚らしきことをされてから、すでに数日が経っていた。あのとき転がっていた薄汚れたローブではなく、装飾を施された美しいローブ姿だった。
恐らくこの中では一番偉いのだろう、真ん中の男が口を開く。
「君たちは転移事故の被害者として扱われることになる。悪魔召喚の余波だね」
「悪魔、召喚……?」
クラスメイトの誰かが問うた。男がうんざりしたように頷く。
「まったく、馬鹿な連中が面倒なことをしてくれたよ。国としても事前に察知できなかっただなんて、他国に対してもとんだ赤っ恥だ。――とにかく、大規模な悪魔召喚は失敗して、その余波でこの世界に一瞬だけ穴があいた。君たちは、異世界からその穴を通してこちらの世界に迷い込んできた、ということ」
「勇者召喚じゃなくてか?」
そう問うたのは、オタクのうちの一人だった。男が心底不思議そうに首を傾げる。
「勇者召喚って、何だい、それは?」
「この世界で何か困りごとがあって、それを解決するために俺たちを呼んだ、とか……」
「いま一番の困りごとは悪党どもが企んだ悪魔召喚とその影響さ。現場を中心に数ブロック先までの人びとから無作為に魔力が吸い出されて、術者たちが死んだのはもちろん、無辜の人びとにも死者や重軽傷者が出ている。異世界から迷い込んで魔力もお金も持たない君たちに出来ることなんかないよ」
えっ、と誰かが声を上げた。
「俺たち、魔法を使えないってこと?」
「当たり前でしょう、異世界から迷い込んだんだから」
何を当たり前のことを言っているのかと言いたげに、男は答えた。
「じゃあ俺たち、これからどうすれば良いんだよ!」
「同情するけれど、聞いている限り恐らく元の世界には戻れない。座標を確定できないからね。逆に、君たちの世界から君たちを引っ張り戻すことは、手段さえあれば比較的簡単なのだけれど――」
ゆらゆらと顔の横で指を揺らして、男はふむと言った。
「例えば釣りをしていたとして、もの凄く遠いところに餌を投げて、引っかかった獲物を引き寄せて釣り上げることはできる。けれど一度釣り上げた獲物を、寸分違わず全く同じ場所にまた投げ入れて戻すことはほぼできないよね。それと似たようなことなのだけれど、想像つくかな。仮にこちらから君たちの世界が補足できたとしても、君たちがいた時間よりもずっと過去に飛ばしてしまうかも知れないし、逆にずっと未来に飛ばしてしまうかも知れない。全く同じ時間を補足できたところで、うっかり海の中やら空中やら地中やらに送ってしまうかも知れない。何しろ世界ってのは、絶えず動き続けているものだからね」
ちょっと楽しげに、男は言った。それから我に返って不謹慎だと気づいたのか、一つ咳払いをする。
「もしも君たちの世界に魔法や、それに準じる世界に干渉する方法が存在するのであれば、君たちの世界の人間たちが君たちを探り当てて釣り上げる可能性もあった。けれど話を聞いている限り、魔法も存在しないというしその可能性は低そうだね。あとは人間の行いではなくて、君たちの世界そのものが君たちを探り当てて釣り上げるという可能性もあるけれど、その世界にとって重要だったり大切な人間でもなければこれもあまり期待できないかなあ。もちろん不意に釣り上げられる可能性はあっても、あんまりそれを期待しすぎてこちらの世界に馴染む努力をしないままだと辛くなるよ、ってお話ね」
淡々と可能性を潰してから、どんどん雰囲気が暗くなる学生たちに気づいたのか、男は困ったように微笑んだ。
「先ほども言ったように、君たちは悪魔召喚の余波で起きた転移事故に巻き込まれた被害者として扱われる。君たちのような転移事故の被害者でこそないけれど、今回の事件で身内を亡くしたり本人が重軽傷を負った住民たちも多いから、彼らに準じた扱いを受けることになる。とはいえ君たちはこの世界のことを何も知らないだろうから、ある程度の教育を受ける環境は用意してあげよう。数年の間は衣食住に困らないように手配するから、その間にこの世界で自立してくれ」
ほとんど決めつけるように、男は言った。一方的な物言いではあったけれど、元の世界に戻れないのであれば、翔都たちはこの世界で生きていくしかないのだった。
「さて、大きなところではこんなものかな。疑問があれば後からでも聞くけれど、今のうちに訊いておきたいことはあるかな」
「一つ良いか」
翔都は片手を上げた。男に促されて口を開く。
「直前まで近くにいた女が一人いないんだ。ユウカ・タチバナって名前なんだけど、何か知らないか」
問われた男は、いかにも困ったように眉尻を下げた。
そういえば、と翔都は気づいた。異様な雰囲気に飲まれて気づかなかったけれど、眼の前の男も夕香と同じように鮮やかなオレンジ色の髪を持っていた。
「今のところ、直近で転移事故に巻き込まれたらしい報告が届いているのは君たちだけだよ。見当たらない誰かがいるとしたら、その誰かは転移事故には巻き込まれずに元の世界に残ったままか、それとも――」
次の言葉で、翔都の頭は真っ白になった。
「時空の狭間にすり潰されて、魂ごと消滅したかも知れないね」
「そんなわけないだろ!」
何かを考えるよりも早く、言い返していた。隣で腕を組んでいた茜音が、あまりの剣幕に驚いて身を震わせる。
「あいつが、あいつが! 死んだなんて、そんなわけないだろ!」
「……えーっと、何だろう、大切な子だったの?」
問うてくる男が、何とも言えない表情で茜音を眺めている。
視線の意味に気づいて、翔都は茜音の腕を振り払った。茜音が悲鳴を上げて尻餅をつくが、もう翔都には関係なかった。
「この女は何でもない! 違う! ユウカ・タチバナはどこだよ!」
「いや、知らないけど」
癇癪を起こす子どもを宥める大人の表情で、男は窘めた。
「まあ、どちらにせよもう会えないんだし、割り切ってこの世界のことを勉強する方が良いよ」
男の言葉には容赦がなく、だから希望などないのだと知らしめた。やがて翔都が崩れ落ちて泣きわめくのを、クラスメイトたちは気まずい様子で眺めていた。
***
「お帰りなさい、トラヴィスお兄様」
「ただいま、可愛いユーカ」
気に食わない異世界人たちへの説明を終えて屋敷に戻ったトラヴィスは、血の繋がった従妹であり半年ほど前に義妹として迎え入れたユーカを抱きしめた。
ユーカの座るテーブルの前には山のような課題が積み上がって、この世界に馴染むために努力をしていることが窺えた。
「勉強は辛くないかい、ユーカ」
「ちっとも! 特に魔法は楽しいわ、今日は氷魔法でウサギを作ったのよ! 保存魔法が上手く効かなくて、すぐに溶けてしまったけれど」
「良いね、いつか見せてくれ」
半年ほど前にトラヴィスの子爵家に迎え入れたときには平民みたいな言葉遣いだったのに、ユーカはどんどん知識を吸収して、今ではすっかりご令嬢としての言葉遣いが身についた。特に最初は、トラヴィスを兄と呼ぶのも恥ずかしがっていたほどだった。
ユーカ、異世界での名前をユウカ・タチバナという少女は、トラヴィスの実父の実妹の実娘であり、つまりトラヴィスの実の従妹だった。
その昔、魔法の実験をしていてうっかり異世界に流されたユーカの母が、異世界の現地人との間に作った娘がユーカだった。ユーカの母は数年後にこの世界に戻ってきたが、異世界生まれのユーカを上手くこちらの世界に引っ張ることができないでいたのだった。
ユーカがこちらの世界に来たのは、半年ほど前のことだ。他の異世界人が数日前に流れ着いたのに対して時間が異なっているのは、単純に時間軸がずれたからだろう。
当初はユーカの母がユーカを引き取りたがっていたが、ユーカの母は平民出身の魔法士に嫁入りしていたので、勉学で遅れを取らざるを得ないユーカのバックアップのためには貴族家のほうが良いだろうと子爵家の養女になったのだ。
「悪魔召喚をやらかした馬鹿どもにははらわたが煮えくりかえる思いだけれど、ユーカがこちらの世界に来てくれたんだから感謝もしなくちゃね」
恐らくユーカの元クラスメイトたちが召喚事故でこちらに流れついたのは、ユーカの母が繰り返しユーカを釣り上げようと召喚魔法で試行錯誤していたからだろう。そういう意味では、クラスメイトたちはユーカに巻き込まれたと言える。
けれど、トラヴィスに彼らへの同情はなかった。こちらの世界に来たばかりのユーカはガリガリに痩せ細って、明らかに殴られたり蹴られたような痕が幾つも残っていたし、話を聞くに家庭でも学校でも酷い扱いを受けていたからだ。
召喚事故の被害者として国から必要な補償はされるのだから、国を支える一員である貴族としての義務は果たしたと言える。もしもユーカと仲の良い誰かがこちらの世界に来ていたのであれば、条件の良い職業の斡旋くらいはしてあげても良かったのだけれど。
「君の異母妹に会ったけれど、随分な女だったね。男に抱きついていたのに、わたしの顔を見るなりわたしにすり寄る素振りを見せたよ」
「あぁ、アカネは昔からそうなのです。それに、オレンジ色のウィッグを被って年上の男性からお金を貰ってデートを繰り返したりして。こちらの世界では珍しくありませんけれど、あちらの世界には、オレンジ色の髪だなんて染めてなければいませんでしたから……」
詰まり、異母妹の良くない行いが何もかもユーカのせいにされてきたということだろう。
ちょっと涙声になったユーカを宥めるように、トラヴィスはポンポンと背中を叩いてやった。
「叔母上はこちらの世界で再婚しているからね、ユーカには異父弟と異父妹が一人ずついる。仲良くなれそうかい?」
「はい、つい先日も一緒にお菓子作りをしました。お父上が有能な魔法士だそうで、わたくしよりずっと魔法が得意なんです」
「叔母上の血を引いているのだから、君もそのうち魔法がうんと上手くなるさ」
そのユーカの母はといえば、ユーカと同い年の異母妹の存在を知って怒り狂っていた。
実のところ、ユーカではなく異母妹の茜音のほうが、元は愛人の子だったからだ。そのことを、ユーカはこの世界に来て初めて知った。それが知れただけでも、ユーカはこの世界に来られて良かったと言えた。
「せめて叔母上がこちらの世界に戻ったあとに生まれた子どもであれば、叔母上も君の異母妹を保護する気になれたのかも知れないけれどね。どちらにせよ、あの性悪じゃ無理だったかな」
自分に噛みついてきた少年と、その少年の腕に絡みついていた少女を思い返して、トラヴィスは失笑した。
ユーカからよくよく話を聞けば、その少年は最も率先してユーカを苛めてきた相手だという。
「あんな下等な男となんか、二度と会わせないからね。そもそも、代々高位の魔法士を輩出している我が家門の令嬢と、魔法を使えないどころか魔力の一つも持たない平民じゃあ、この先ですれ違うことすらないでしょう」
ほとんど吐き捨てるように、トラヴィスは言った。付き合いはまだ短いとはいえ、可愛い可愛い従妹であり義妹の少女を、すっかりトラヴィスは可愛がっていたからだ。
お揃いのオレンジ色の髪を揺らして、二人は笑い合った。
前に似たような話を書いたよなーと思いつつ、思いついたので似たような話を何回でも擦ります。自分の中の設定を落とし込むというか、ひとまず形にするような気分で書きました
わたしは作中で『罪に対する罰は本当に相応か?』というのをけっこう気にするタイプなのですが、ヒロインを苛めていたクラスメイトたちが異世界転移したのはヒロインの実母起因っていうのはどうなのかなーって書きながら思ってました。まあ実母起因というか、実母影響+知らん阿呆どもによる悪魔召喚起因ですが。正直わたしの中ではいまいち釣り合っていないのですが、とはいえ設定に沿うならこうなるよね、っていう。心が二つあるー
茜音が夕香を苛めているのはシンプルに嫌がらせのためですが、翔都が夕香を苛めているのは翔都にとって夕香が気になるあの子だったから、、というのを表現したつもりだったのですが上手く書けてますでしょうか。自信がないな。きっと翔都はこれから、下手をすれば死んだのかも知れない夕香への苦い初恋の思い出を引きずりながら生きていくことになるんじゃないでしょうか
【追記20260206】
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