いとま探偵事務所 6-3
「彼女の名は絃間 杏さんで、いとま探偵事務所の所長っす!」
…………は?
普段のテンションで放たれた弾丸は私を軽々しく貫いていく――ドバッと、ズブリと、グニャリと。
「……ヒメちゃん?そんなキョトンとした顔してどうしたんすか?」
「……」
「そう言えば、まだ紹介してなかったすよね?すいません!」
「……」
「おーい!聞こえてますかー?」
「……」
匁流君の声が雑音にしか聞こえない。受信したくない。聴覚を通して音が振動して真実が分解されていく。
「あ、あのー?」
「匁流君、ヒメちゃんからしたら急な紹介なんだから、驚くのも仕方ないよ」
謎の彼女――絃間香さんは、放心状態の私を尻目に匁流君へ言葉を向ける。私はなにも聞こえない。
「ヒメちゃん、突然のこと状況が全く理解出来ないよね……それは当然のことだし、気持ちは分かるよ」
誰かが私を慰めている気がする。私はなにも聞こえない。
「だから、今は全てを理解しなくても良いんだ。これから少しずつ――」
「いや、無理でしょ……」
誰かの言葉を咄嗟に否定する。
「まずは深呼吸でもして冷静になるっす!」
「いやいや、無理だって……」
誰かの言葉を否定する。
「事前に説明してからの方が良かったんすかねー?」
「どちらにせよ、結果は大して変わらないと思うよ。可哀想だけどこればかりは覆らない」
「……」
二人の会話を呆然としたまま聞き流す……全てを否定したいのに、言葉がなにも出てこない。
「うーん、困った困った。犬のおまわりさんの気分っす……って、ウケる」
「君は相変わらず場にそぐわない発言をするね」
「これがウリっすから!」
「そうかい」
なにも聞こえない。なにも感じない。なにも知らない。なにも分からない。なにも出来ない。なにも受け入れたくない。
「……」
「固まったままっすね。どうしましょう?」
「そうだね……ヒメちゃんには悪いことをしたけど、少しずつ受け入れてもらうしかない。今日は各々の部屋に戻って明日改めようか」
「そうっすね!」
「……」
「ヒメちゃん、申し訳ないことをしたね。明日また話そう」
「急な紹介で失礼しました。今日はゆっくり休んで、明日に備えましょうっす!」
「…………」
二人はそれぞれの部屋へ戻っていく。私は朝も夜も置き去りのままだ。
照明器具がやけに虚しく部屋中を照らしている。こんな乾いた色だっけ?そう見えているのは私だけ?
「……あ、ああ、あああ」
少しずつ口が開くようになってきた。まだ言葉には程遠い。
「…………くっ、くぅぅ……クソっ」
覇気のない根性の搾りカスだけが、ようやく空気に接触出来た。そのままの勢いで立ち上がり、整理が追い付かないことは気にせず、重い足をゆっくりと動かす。
「……こ、ここにいても意味ない」
空の言葉と満ち溢れて濾過出来ない感情――鼓舞ですらない情報で、無理に指向性を定めながら一歩ずつ足跡を残していく。前向きさの欠片もない空っぽな跡なのは確かだ。
「……なにが起きているの?」
どうにかこうにか部屋に辿り着き、電池が切れたようにベッドへ倒れ込む。
情報整理しようにも完全にキャパオーバーで、どこから捌けば良いのかすら分からない。初めて料理をした感覚に近いのかもしれない。レシピもなければ調理器具すら揃っておらず、誰かのレクチャーも受けていない状態で、見たことのある料理をどう再現するかという無理難題。考えれば考えるほど理解からは遠くなり、どんどんと迷走していく無様を晒す羽目になる。
「……どこにいるの」
誰にも届かないほどに小さな声で彼を呼ぶ。
「……仁さん」
寝具の博愛に満ちた暖かさが、私の言葉を掻き消す――そのまま意識の糸が切れる。まるで昨日と今日が連結していないことをまざまざと思い知らされるように。
「起きてるっすか?」
コンコンコンと遠くから物音が聞こえる。
「…………あ、はい」
きっと寝ていたのだろう、どうにも意識がはっきりとしない。目覚めは割と良い方なのだが、今日に限っては訳が違うようだ。
「それなら良かった。外で待ってるんで少し散歩しましょう」
聞き馴染んだ声がゆっくりと私の体へ浸透していく。扉越しの声は、普段とは少しだけ色合いを変えて届いてくる。
「……うん、分かった。少し待ってて」
声の主である匁流君の急な誘いを承諾するも、心はドクドクと荒い振動をするばかり。
身体が重い、頭が痛い、胸が締め付けられる……駄々をこねる幼い子供じみた躊躇の言葉が宙を舞う。
「……はぁ」
混乱した世界に取り残された経緯や事情を知りたい気持ちと相反する溜息に、寝ても覚めても整理が出来ていないことを理解する。
急拵えな身支度を済ませ、事務所の外で匁流君と合流する。彼はいつものように軽装だ――いつもと変わらない。
「二人で買い物がてら外出することはちょこちょこあったっすけど、こうやって散歩みたいな形で出歩くのは久しぶりっすよね」
「……そうだね、うん」
匁流君は普段通りの笑顔のまま私へ接してくる。
まだ空も完全に目を覚ましておらず、辺りはまだ灰色の塗料が塗られている。肌寒い風が「冷静になれ」と私の心へ訴えているようだ。
「昨日はごめんっす!ヒメちゃんなら受け止められるかと思ったんすけど、見込みが甘かった。申し訳ないっす」
「……ベツニ、キニシテナイヨ」
「メチャクチャ気にしてるじゃないっすか!まぁ、それもそうっすよね……」
「……」
私は舗装された道と睨めっこする。
「それにしても……ヒメちゃんが居候を始めてからどれぐらい経ちました?半年以上は経ってるんすよね?」
「そうだね……春頃からお世話になっているから半年ちょっと、かな……」
気付けば半年――自分勝手なとある理由で、いとま探偵事務所にお世話になっている。暇仁と三刀匁流の二人に有難くも迎え入れられて今に至る。
「なんか数年一緒にいる気分っすけど、それだけ濃密な期間だったんすかねー!」
「どうだろ……私には分からないけど」
「ヒメちゃんが来てから事務所内が賑やかになったのは確かっすよ!これは完全に良い意味っすけど、仁さんと二人の時は生活リズムが結構違ったんで、すれ違う日が多かったんすよね。だから今みたいにワイワイと話す時間も少なかったし、タイミングが合っても俺が一方的に話して、仁さんが聞き役ってことが殆どだったんで」
「そうなんだ……」
「そうなんすよー!だけど、今はヒメちゃんが事務所にいてくれる。ヒメちゃんと仁さんが話したり、俺とヒメちゃんが話したり、タイミングが重なれば三人で話したり……なんだかんだ間接的なコミュニケーションが取れているんすよ。これが嬉しかったし有難いんすよね!」
「……」
匁流君は嬉しそうに話を続ける。
「人と人が交われば、そこにキッカケが生まれる。そのキッカケが起爆剤となって、場を温めていずれ沸き立つ。そういう空間は空気の入れ替えをしたかのような気持ちの良さが漂ってるんすよ!その大役を担っていたのがヒメちゃんっす!」
「……」
「最初の頃は、表情も硬くて瞳もどんよりしてたんで少し不安だったんすけど、すぐに環境に慣れてくれて図々しくなった。ヒメちゃんの元々の性格もあるでしょうけど、君の明るさのおかけで俺も仁さんも助かった部分はあるっす!」
「……図々しかった?」
「まぁ、そうっすね!それでも、その距離の詰め方は俺たちには心地良かったっす!」
「褒められているのか貶されているのか……」
「褒めてるんすよ!」
昨日に比べれば、多少の会話が成立する程度の口数が戻ってきている――良い兆候だと思う、きっと。
「なら、許す」
「御心のままに」
「昨日の私じゃん」
「ケハっ!ちゃんと覚えてたんすね!」
こんな時でもどんな時でも、三刀匁流は三刀匁流だった。
「それにしても……ヒメちゃんが来てからの半年間、色々とあったっすねー!」
「……うん」
色々あった、今も尚。
「覚えてます?ヒメちゃんが転がり込んですぐに依頼があった、"家出少女捜索事件"!」
「……なんだっけ、それ?」
「忘れたんすかー?10歳の少女が遊びに行くと家を出てから音信不通になり、その両親が警察や探偵やらに捜索依頼を掛けまくって、ウチにも駆け込んで来たやつっすよ!」
「……あー、なんかあった気がする」
少しずつ記憶が蘇る……確か、凄い剣幕で両親が事務所へ突撃して来たんだっけ……?
「あの時は、依頼人も情緒不安定だったんで、宥めるの大変だったんすから!仁さんも引いてたっすもん!」
いや、困っている人を見て引くなよ……
「まぁ結局は、両親がウチに来る前の右往左往してた間に、少女を見つけて入れ違いで自宅へ送り届けてたってのがウケるっすよね!あの時じゃないっすか?」
「……なにが?」
「仁さんの名言をヒメちゃんが初めて聞いたの!」
"済んだ話"――無解決探偵に定評のある暇仁の代名詞。起きた事件を解決するのではなく、起きる前に有耶無耶にして事件自体を発生させない、彼の理念であり行動指針。
「……うん、そうだったと思う」
「あの台詞が格好良いかはさて置いて、仁さんの決め文句っすよねー」
「……」
「あっ、アレは!?なんだっけ……あ、あぁ!"42回目の宇宙への旅事件"」
「あったね、なんか懐かしい!」
「アレもアレで骨が折れたというか変な案件っすよねー!」
「最後まで意味不明だったもん、私……」
「それは仕方ないっすよ!仁さんが無解決にしてくれてなかったらと思うと俺もゾッとするっす……!」
「じゃあ……これは覚えている?」
「なんすか?」
「"木乃伊の手事件"」
「あー!あったっすねー!!今の今まですっかり頭になかったっすけど、案件名を聞いて完全に思い出したっす!」
「アレも凄かったよね……」
「いやー、衝撃度で言えば群を抜いていたっすもんね!」
「そうそう。木乃伊の手が入った小包が、事務所に突然送られて来たんだもん」
「そうっすよね!あの時のヒメちゃん、挙動不審過ぎて怖かったすもん!」
「だ、だって……!仕方ないじゃん……慣れてないんだし……」
ニヤニヤとふざけた表情を見せる匁流君から、咄嗟に目を逸らす。
「アレも大事にならなくて良かったよね」
「そうっすねー!仁さんもあの時はだいぶ大変だったそうっすよ?」
「そうなんだ……」
「話してたらアレも思い出したっす!ヒメちゃん覚えてるっすかー?確か――」
"致死量に至る青事件"や"ロールケーキ横断事件"に"予知夢絶命事件"など、私が生活を共にしてから無解決になった事件を思い思いに語り合う。
「あの時はあぁだった」や「この時はどうだった」など、それぞれの主観を交えた回顧の旅――仁さんから見た事件と、それぞれの立ち位置で感じた事件には、きっと受け取る情報に大きな差異がある。それが悪いことではなく必然のことで、その違いをお互いに持ち寄って、全体像を描いていく作業はなかなか楽しいものだ。三刀匁流から見た無解決、火芽纏から見た無解決――不規則な波模様のように、大袈裟で大らかな景色。関係者の分だけ見える世界、変わる印象に組み上がる積木。完全一致なんて有り得ない……どんな事柄にもどんな事象にもどんな事件にも――どんな無解決にも。
「着きました!」
「……ここは」
匁流君が指差した場所は、駅へ向かう道中にある平凡な公園。買い物帰りに休憩がてら二人で何度か寄ったことがある。それに……もう一人のヒメマトイさんと相対した場所。風はまだ寒さを帯びる。
「ここなら静かだしベンチもあるんで最適っすね!」
「なにかするの?」
二人は公園内に設置されているベンチへと進んでいく。
「俺らがすることなんて、アレしかないじゃないっすか!」
「……?」
ベンチに腰掛けて匁流君は続ける。
「お話しましょう!」
「……」
「ヒメちゃんも色々と抱えているんじゃないっすか?……俺も俺なりに考えたっす!杏さんがいて萎縮や躊躇されたら意味ないっすからね。半年一緒に生活を送った俺なりの誠意っす!」
「……そうだね、ありがとう」
「そうこなくちゃっす!話し合いは大切っすから!それに――」
「ヒメちゃんの目論見が外れたこともね」
色を変える無解決、彩が異なる無解決、現実が代わる無解決、目的と過程の乖離、私とあなたのすれ違い。
「本当のあなたを教えてね?」
誰かと誰かが交わした言葉――全身にドロりとこびり付く誰かの言葉。私は"私"と相対す。
次話は2月2日7:00に投稿予定です。




