隣人の施し 5-4
「宇宙ウイルスを用いて人類の歩みを早めます」
その言葉が全身を巡り大地に根を生やしマントルまで届き得る程の衝撃が暇仁に襲い掛かった――もちろん畏怖などではない。呆れ返って言葉もない状況である。
「なにかおかしかったですか?」
当たり前の発言をしただけと言わんばかりの煤木に唖然とした感情をどうにか隠しつつ暇仁は言葉を紡ぐ。
「……も、もしかしたら僕が聞き間違えをしたのかもしれません。もう一度聞いても?」
「宇宙ウイルスです」
「はぁ…………」
溜息しか出ない――これまでの忍耐がまるで無駄であったと思える回答に暇仁は心底辟易とする。
「本気ですか?」
「えぇ、もちろん」
嘘だと言って欲しい。まさかと思うが今日はエイプリルフールだったのかと有り得ない逃避に駆られる暇仁。
「何度でも言いましょう。我々は宇宙ウイル――」
「わ、分かりましたから……」
頑なに真っ当な主張であると声を強める煤木を制止する。
「その、えっと……宇宙ウイルス、ですか?それは一体全体どんな存在なんです?」
「宇宙からもたらされるバクテリア量は1日に約1トン以上にのぼることはご存知ですか?また過去に世界を席巻した、かのウイルスはそもそも地球上には存在せず宇宙から成層圏に降り注いだものだと提唱する研究チームも実在します」
「答えになっていませんよ……?」
「数多くの宇宙ウイルスの中から我々は人類の進化に適しているであろう株をいくつか既に入手しています」
「……」
目の前の見目麗しい外見をしている女性は徹底的に自分の主張にだけ絶対を当て嵌めているようだ、第三者の意見は受け付けていないと暇仁は改めて実感する。
「進化の可能性はあるが方向性まではまだ確証を得ていません。だからこそ――」
「だからこその臨床試験という訳ですね」
「その通りです」
「非臨床試験は済んでいるんですか?」
「えぇ、もちろん。ですが全ての個体が絶命しています」
「それは済んだと言えませんよ。完全に失敗しているじゃないですか」
「人間はまだ試していません」
「治験のプロセスはご存知でしょう?」
「忘れました」
「舌の根も乾かぬ内に……」
「やはり奇跡の因子を秘めたヒトでなければ成功することは有り得ません」
「うわっ、研究者に有るまじき運任せ。完全に命の無駄遣いじゃないですか」
「奇跡を起こすのです。多少の犠牲は付きものです」
「役満レベルの単語を並べて……」
ここまで羅列されると逆に清々しい気持ちで聞き続けられると誤った感覚が脳内を巡るのが分かった。
「では人類はなんの犠牲もせずに現在に至っていると?」
「論点をズラそうとしても無駄です。結果的な犠牲と同義ではないでしょう、あなた方のやろうとしていることは」
「平行線ですね」
「えぇ、地平線が見えますよ」
「暇さん、共生進化の話は覚えていますね?」
「えっ、あ、あぁ……そんな話もしましたね」
二転三転と坂から勢い良く転がっていく話題に記憶の整理が覚束ない返答をする暇仁。
「細胞小器官――所謂ミトコンドリアや葉緑体などは共生進化の果てに人体と密接な関係を構築してヒトも様々な環境に適応進化してきました。それが現在の姿です」
「それで?」
「今は悪影響を与えかねない宇宙ウイルス――謂わば未知なる微生物がヒトを新たな進化へと導くのです」
「……」
「宇宙ウイルスが持つ特殊な遺伝子と原核生物の遺伝子をゲノム編集を用いて人工的な変異体を誕生させます。"シン・原核生物"と呼んでも良いでしょう」
「ゴジ◯やウルト◯マンじゃないんだから……劇場公開はいつです?」
「銀幕デビューの予定は残念ながらありませんが"シン・原生生物"は既に誕生しています」
「……マジっすか」
「えぇ、マジです」
暇仁は思わず聞き返す。夢物語の妄想でしかないと高を括っていたが言葉の圧に僅かながらに信憑性を感じてしまう。
「CRISPR/Cas9技術やTarget-AID技術を用いれば造作もありません」
「ゲノム編集自体は可能でも、そんな馬鹿げた話が有り得るのか……?」
「その進化の種と言える"シン・原生生物"を新薬に取り入れています」
「……」
「治験に参加される被験者には、錠剤を経口投与するグループ、注射にて血管へと直接注入するグループ、被験者の細胞を摘出してシン・原核生物との共生進化を促し再度移植するグループの複数パターンで奇跡を起こす予定です」
「無茶苦茶だ……」
辛うじて言葉を返す暇仁だが、余りにも酔狂な思想と荒唐無稽な妄想話にしか聞こえない計画に喉が詰まる。
「所謂、ヒトの強制進化です」
「そのギャグは本当に笑えないですね……」
「表舞台では、日本国内の研究チームが動物細胞に葉緑体を移植して光合成を可能にする実験に近年成功しています。我々はその数年前には既に実証完了しており再現性や確実性をより強固なものにしています。実際はそれほどまでに歩みの速度が違うのです」
「そのヤバい新薬が存在しているという証拠はありますか?」
「もちろんです。こちらです」
煤木は自身が所持していたバッグから小さなPTP包装シートを取り出す――それは誰しもが一度は見たことのあるような錠剤一粒ずつ分けられた銀色のシートであった。
「この錠剤ですか?」
暇仁は包装シートに詰められている白い錠剤を指差す。
「そうです」
「……これが厚顔無恥の結晶なんですね」
「ふふっ、言葉に棘がありますね」
「えぇ、それはもちろん」
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
「特殊性癖をお持ちで?」
二人は益体のない会話を広げる。一方は自信満々の声色で相手を見つめ、もう一方は懐疑的な表情で謎の錠剤を見つめる。
「ここまでの形にするまでなかなか骨が折れましたが、ようやく……ようやく悲願が叶います」
「……」
「人体への影響がどのようなものになるか……いくつか想定はしていますが予測精度はまだ高くありません。それはそうです――奇跡を人工的に起こそうとしているのですから。異常な増殖速度を有しているのは確かですので、細胞を依代としてどう人体を巡り進化の糧となるのか……ワクワクが止まりません」
「……」
「奇跡の姿を見たことはありますか?私はありません。だからこそ目の前に奇跡を顕現させるのです!ミトコンドリアと共生して現在の人体を形成していますが、それが今回のシン・原核生物によって人体が変容するのかしないのか、体内や細胞内でどんな反応を起こすのか、そして……ヒトがどんな進化を辿るのか」
「……」
煤木の声色自体は変わらないが内から溢れる熱を帯びて圧を感じさせる。
「楽しそうだな……」
それに引き換え暇仁はまるで他人事のように静観していた。
「えぇ、楽しみです。暇さんはどうですか?」
「全く興味ありませんね」
「理由を聞いても?」
「僕はこのまま死ねれば十分なので進化したいとは思いません」
「そんな生産性のない発言はらしくないですね」
「らしくない……?僕はずっと生産性なんて求めて生きていませんよ」
「そうでしたね、暇さんは"面白味"が重要でしたか……それを言えば、我々の研究は面白味はありませんか?」
「ありませんね」
「何故です?」
「言わないと分かりませんか?」
「是非とも」
暇仁は普段通りの声色で言葉を続ける。
「だって、その野望はもう叶いませんから」
「……?」
その言葉が合図――煤木の言葉を遮るように事務所内まで漏れてくる程のけたたましいサイレン音が室内を包囲する。
「この音は……?」
「ご存知ではありませんか?パトカーのサイレンです」
「そういう意味ではありません。警察ですか?」
「その通りです。煤木さんが訪問することは分かっていましたからね、事前に警察を呼んでおいたんです」
「探偵が警察の手を借りるんですか?」
煤木に焦った様子はない。
「漫画やドラマの見過ぎですね、探偵に大した権限なんてそもそもありませんよ。身の危険など感じたら国の行政機関を利用するのは国民からしたら当然のことです」
「……」
煤木はひんやりとした視線を暇仁へ送るのみ。
「そう言えば、僕らの会話は外で控えている警官に全て聞こえるようにしています。色々と違法行為をしていると自白もしてくれましたよね、それに……そんな危険性を帯びた錠剤も所持してくれるなんて……なんてことでしょう、警察の調査の手間が省けますね」
「……全ては仕組まれていた、と」
ようやく面倒事から解放されると言わんばかりの笑顔を見せる暇仁。最初から最後まで対象的な二人の姿。
「仕組んだと言えばそうかもしれませんが、そもそもですね……僕が佐々動物生命研究所を訪問している時点でお察しでしょう?あなたの現状と同じく研究所にも警察の皆様を大勢配備してもらったので、立ち入り調査やあなたの協力者の確保に動いていると思いますよ」
「佐々はこのことを……?」
「もちろん知っていますし、忙しい人にも関わらず全力で協力してくれています」
「そうですか」
「佐々所長からしたら由々しき問題ですからね……心中お察ししますよ」
ピンポーンと玄関の方からチャイムが鳴り響く。誰が尋ねて来たかなんて今更だろう。
「お時間のようです、煤木さん」
「そうみたいですね」
「僕に語らったように署内でも自己主張を頑張って下さい」
「……そうですね。それはそうと来訪者を出迎えなくて良いのですか?」
「お気遣い感謝しますが心配には及びません。ここまで来てあなたの姿を視界から外すなんて有り得ませんよ。玄関扉を施錠していないことは既に伝えています」
レバーハンドルが押し下がりガチャリと玄関扉が開く――数名の警官が事務所内へ突入する。
「ご協力ありがとうございます。被疑者は目の前にいる煤木という女性になります」
「分かりました。では煤木さん、署までご同行願います」
警官の一人と軽いやり取りを交わす暇仁に対して、煤木はこの期に及んで涼しげな表情のまま無言で警官の指示に従う。四方を警官に囲まれる状態で事務所を退去する煤木を見つめながら暇仁は玄関外まで見送る。
「ねぇ、暇さん」
玄関から出てすぐに煤木は立ち止まり暇仁へと言葉を投げ掛ける。
「私はこれまで自身の内から溢れる正しさに従って行動してきました。今後もそれは変わりません」
「そうですか」
「あぁ、後はそうですね……佐々所長に大変お世話になりましたと伝えてもらえますか?」
「分かりました……僕からも最後に質問良いですか?」
「なんでしょう?」
「あなたは何者ですか?」
「ふふっ、謎は謎のままで……あなたにとって私は美しい謎になれそうですか?」
出会って初めて笑顔と呼べる表情のまま煤木は警官と共にパトカーへと乗り込む。結果だけ見ると案外呆気ない幕切れだ。
「はぁ……やっと終わった……」
深い溜息が離れ去る走行音と交差する。気付けば辺りに配備されていた警察御一行はどこにもいない。
「やれやれ、全く……本当に面倒な人だった。さっさと惰眠でも貪りますか……」
暇仁は肩の荷が下りたのか先程とは打って変わって緩い表情を浮かべる。
「確かに謎は謎だからこそ美しいが……」
何事にも限度があるということなのかもしれないと彼女の言動を思い出す。
「人類の新たな共生進化ねぇ……」
都市伝説、夢物語、こじ付け――所謂エンターテイメントの類ではないのか?「こんな話、都市伝説番組で見たことあるしな……もしかしてそれに触発された?」なんて不謹慎なことが彼の脳内にぼんやり浮かんでは消えていく。
「仮に奇跡的に進化出来たとして、それが彼女たちにどんなメリットがあるのだろう……それに――」
"私はあなたたちのような現生人類ではありません。人類との共生と新たな進化の為に地球に舞い降りました"
彼女が発した意味深な台詞――馬鹿みたいに言葉通り受け取るならば、彼女は地球発祥の生物ではないということ。それは即ち地球外生命体ということだ。そんなことが有り得るのか?UFOすらまだ見たことないのに……いや、今はUAP(未確認異常現象)と呼称されていたか。ただ、呼び方にさして意味はない、それ以上に存在の有無の方が優先度は高いだろうと、暇仁はさっぱりとした表情をした空を見つめながら思考を続ける。
「これが噂に聞くレプティリアン?もしくはヒューメイリアンの可能性も……」
レプティリアン――都市伝説やファンタジー界隈ではお馴染みのヒト型爬虫類。人類より高度な科学技術を有しており過去から現在に至るまで世界を裏で操っていると名高い異星人。ヒューメイリアン――人類の進化を裏で見守る人間と宇宙人のハイブリッド種。五感を超えた新しい感覚として第六感・第七感と開いていくと現生人類でもテレパシーで交信が可能と言われている。
「どちらも人間社会に潜り込み溶け込み混じり合っているとか……それが煤木さんなのか?」
可能性はゼロではないと分かっていても……心が、感情が――それを受け入れられないと彼の脳内でせめぎ合っていた。
暇仁は謎を愛している――それは謎という現象単体を指すのみにあらず、その先にある不思議、怪奇、不可解、不明、不明瞭といった、可能性が満ち溢れている状態がなにより魅力的だと考え、『1+1=2』の方程式では世界を見ていない。過程や仮定に重きを置いているが故に結果や帰結に対する期待が高い。今回の煤木という存在は正に彼の理論に合致しているのだが、その反面、心のどこかで有り得ないとなにかが訴えていることは誤魔化せない。あまりにオカルトじみているから?胡散臭いから?極端過ぎるから?証拠がないから?……自問自答しても答えは出ない。
「なんにせよ……結局は、きっと――」
暇仁が自身に課した信念を揺さぶるであろう言葉が喉の奥から溢れそうになるのを自覚し、咄嗟に玄関扉を閉めて室内へ戻ろうとした。
「やっほー、仁君」
「……」
「おいおい!閉めようとしないでくれ……せっかく会いに来たんでしょうに」
記憶からどうしても消し去ることの出来ない知った声の主が共用廊下にそっと立っていた。それを見るや否や、急いで扉を閉めようと試みるが扉の隙間に片足をねじ込まれてしまい失敗に終わる。
「相変わらずだね、仁君は……イタタッ、怪我したら治療代請求するよ?」
「うるさい、さっさと帰れ」
「そう言うなって……それはそうと煤木の件はご苦労様」
「……」
「ねぇ」
「なんだ」
「来客だよ?居室に案内してくれないのかい?」
「……はぁ」
暇仁は心底嫌そうな視線を来客へ向けながら渋々扉を開き招き入れた。
来訪者とは先月振りの再会になる。呼出により顔を合わすことになった喫茶店での一幕――知人であれば月に数回会うのも決しておかしいことではないのだが、彼女とそんなに頻繁に会うことが暇仁からしたらストレスの源でもある。それ故に、この頻度でのエンカウントは彼の陰鬱な気持ちが地を這い足首をギュッと握り締める感覚に襲われた。
「久しぶりのいとま探偵事務所だ」
「それが永遠に訪れなければどれだけ良かったか」
「相変わらずだねー、仁君は……もう少し友好関係を築こうとは思わないのかい?」
「思わない」
「そうかい……あっ、喉乾いたからお茶とかない?」
「ここは喫茶店じゃない。欲しければ帰れ」
「おー怖い怖い。せっかく煤木のこと教えてあげたのに」
「それは歴野さんの件の詫びではなかったか?」
「おや、そうだっけ?」
暇仁は白々しいと露骨に表情を歪ませる。先程の煤木とは性質の異なる対照的な二人。
「それで?要件はなんだ?」
「そうそう!私は仁君に用事があったんだ」
「……なんだ?」
「お役目ご苦労様」
来訪者――絃間 杏はそっと幕を下ろす。
―― 隣人の施し 無解決
5章終わり。次話は28日7:00に投稿予定です。




