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無解決探偵って需要ありますか?  作者: わゆ
【5章】隣人の施し
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隣人の施し 5-2

「まだこれからですよ。"済んだ話"になるのは」


 その言葉に煤木はなにを感じたのか――喧騒から隔離された空間に二人まとめて収容されているかのような静けさが答えと言わんばかりに。

 

「暇さんはなにを危惧されているんですか?」

「え……それはもちろんあなたですよ、煤木さん」

 さも当然のように、真っ直ぐに、貫くように相手を見る。


「私ですか」

「そうです。それ意外に選択肢はありません」


「私の雇用契約書がないことですか?」

「それは正直どうでもいいです。研究所のケアレスミスとも言えますし、定期的に棚卸しや確認をしていればもっと早く気付けたと思っています。佐々所長は気にしていましたが書面なんて後からいくらでも作成可能ですからね、巻き直しは容易でしょう」

「では、問題ないと思いますが?」

「そう!問題ありません……あなたの動機次第では」

「動機ですか」

「動機って大事なんですよ。なにを為すにせよね」

「暇さんは私が真っ当な理由で佐々の側にいるとは思っていないと考えている訳ですか」

「違うんですか?」

「私は佐々が研究している生物動物学や動物生命学を最先端科学との融合により理解を深める志に感銘を受けたに過ぎません。それ以上でもそれ以下でもありません」

「そうですか。それなら言うことないんですけどね……なら何故ですか?」

「……?」

「なら何故、わざわざ僕の不在時を狙って我が事務所まで足を運び、助手二人へ意味不明な講釈を垂れたんですか?」

「意味不明でしたか?」


「そもそも佐々所長の研究所でクローンやキメラの研究なんてしていないじゃないですか?」

「……」


「すぐに露呈する嘘を織り交ぜてまで二人に近寄った理由を教えて欲しいものです」

「……」


「あなたは佐々動物生命研究所を利用して、なにを企んでいるんですか?」

 暫しの静寂――暇仁は優しい表情で煤木を見つめる。その意図は本人にしか分からない。そして、口を開く。


「……そうですね。暇仁の領域に踏み込んだのであれば遅かれ早かれこうなるのは分かっていました」

 煤木は感情を表に出すことなく平坦な口調のまま続ける。


「流石です、暇さん。まぁ、私なりの匂わせは功を奏したという訳ですね」

「……」

「匂わせと言うには些か大胆が過ぎた気もしますが……それはそれです、結果オーライですかね」

「分かりませんね……」

「なにがですか?」

「色々としか言いようがありませんが……そもそも面倒な工程を挟んでまで僕へ匂わせた理由は?すぐに露見するぐらいなら直接会いに来たら良かったじゃないですか、わざわざ助手二人に近寄ったのは何故ですか?」

「それは簡単です」

「……」

「私の考えに、共感や同調……少なくとも興味や印象を植え付けられたらと」

「なんの為に?」

 

「被験者の同意なしには研究は進められないのでしょう?」

 

 その発言に暇仁は冷めた視線を煤木へと送る。

「日本に限りませんでしたね、3要件を満たす国家と認められている国と言った方がより正確でしょう」

「1934年発効のモンテビデオ条約第1条ですか?今回の話との繋がりは?」

「そうです。第1条の国家の要件において、人民・領域・主権の3要素を満たす必要があります。その国家では人権擁護や人権尊重を憲法などによって定められています、当たり前ですがね」

「それは知っています。だから、それがどう繋がるんですか?」

「そのままの意味です。私も日本国に住まう人民として他者の人権を尊重したまでです。彼らのような被験者候補の方には誠意ある説明と柔軟な理解が必要ではないのですか?」

「それが正当な医療研究であればね」

「それはご安心下さい。私の目指すところはいつでも正当で真っ当です」

「その根拠を無知な僕にご教示願いますか?」

「無知なんて……露骨な謙遜は逆に嫌味でしかありませんよ?いえ、暇さんの性格について議論をするつもりはありません、それもそれであなたの立派な個性なのでしょう」

「ご理解感謝しますよ」

「ふふっ、それで……根拠でしたか?えぇ、暇さんにも十全に説明します」


 飄々とする者、無感情な者、両者の行き着く先は?


「暇さん、人間は生命体ですか?」

「そうですね」


「人間は動物ですか?」

「えぇ」


「人間は生物ですか?」

「その通りです」


「では、人間という生命体を佐々動物生命研究所で扱うことになんの弊害がありますか?」

「それは言葉遊びというやつですよ。確かに人間も生物ですから広義的には研究所の研究対象でしょう……それが一般倫理に基づいていればですが」

「暇さんって案外保守的ですよね……あなたのような存在は倫理や道徳を軽んじる方が多い印象でしたが」

「僕は善良に生きている一般人ですからね、のんべんだらりと暮らせればそれで良いんですよ」

「それも個性ですか、まぁ良いでしょう。もうお分かりの通り、私は人間を対象にした研究を独自に進めています」

「独自……佐々所長にバレずに?」

「えぇ、そうです。佐々に気付かれないように研究所内で活動をさせてもらっています」

「あの監視体制で、よくもまぁ……感心しますよ」

「暗躍するにもなかなか難儀ではありますが着実に研究は進められています」

「と言うことは……あなた一人だけではなさそうですね、やはり協力者や工作員なども入り込んでいるんですか?」

「もちろんです。志を共にする仲間は所員として何年も前から活動しています。全所員の内、現在ですと約3割ぐらいでしょうか」

「そういうことですか……」

 あのセキュリティ環境での単独行動は困難を極める。それ故に協力者や間者が必須であるが所内の3割程度が仲間であるならば意味が変わってくる。予想の範疇の中でも取り分け最悪であったと暇仁の胸中に冷たい風が吹く。


「本来の研究や実験の合間を見て仲間同士で情報共有し、その隙間に差し込みながら隠密裏な活動を日々行っています。様々な部署に潜伏していますので所内の出来事を全て掌握することも可能です」

「それであれば、あなたの雇用契約書類がないのも頷ける。管理部や人事部にも協力者はいるんでしょうね……だからこそ、今の今まで隠し通すことが出来たという訳ですか」

「お察しの通りです」

「影響のある部署や役職には必ず協力者の影があるのだとすれば数で制圧する必要もなく全体を掌握出来る」

「そうですね。ただ、勘違いして欲しくはないのですが、あくまで私たちの行動を少しでも円滑に進める為の配置ですので所内全体への扇動や誘導は行ってはいません。仲間以外の所員はなにも変わらず佐々の意図を汲んで仕事をしていますので我々とは一切関係ありません」

 実権を裏から握り研究所全体を支配するつもりはないと語る煤木。


「佐々や研究所に対して妨害や破壊工作も一切考えていません。邪魔するつもりもありません」

「……」

「ただ、隠れ蓑として利用させて頂いています」

「それが将来的に被害や損失を生む可能性は考えないのですか?」

「その可能性は決してゼロではありません。ですが、出来る限りの処置や対策は講じています。これでも尊敬の念や感謝の気持ちは持っているんですよ」


「そうですか、それで?」

 本題はここから。


「確かに尊敬や感謝はあります……ただ、それ以上に望むことがあるだけ、優先順位の問題です」

「……」

「その感情にも勝る目的の為に佐々動物生命研究所を利用して隠密裏に治験者を集めています」


 治験――未承認の薬品や適応外の治療法が安全で効果があるか人間を用いた臨床試験。臨床試験には3段階あり、健常人を対象とした薬物動態や影響を確認する第1相試験、少数患者に対して有効性、安全性をより探索して投与の回数や間隔を調べて用量決定させる第2相試験、多数患者に対して実際の治療に近い形での効果確認を行い、既存薬やプラセボとの比較試験を実施することもある第3相試験に分かれる。新薬の場合、臨床試験まで行った情報を基に厚生労働省が約1〜2年を掛けて承認申請審査を行う。治験に参加可能な条件は内容や医療機関よって異なるが、多くの場合は内容に同意した18歳以上の健常者で既往歴や生活習慣などを参考にスクリーニングによって決められる。


「治験ですか……」

「そうです。我々はとある薬品開発を目的としています……因みに新薬の開発過程はご存知ですか?」

「えぇ、簡単にですが……確か創薬期間と育薬期間でしたか。創薬期間では、基礎研究、非臨床試験、臨床試験、承認申請審査まで行い、新薬として承認を得た後は育薬期間として発売後の各種チェックという流れで合ってますか?」

「流石は暇さん、よくご存知で。その過程を経て年間約50種程度の新医薬品が開発されています」

「では、あなたたちが開発している新薬候補は創薬期間の佳境に差し掛かっているという訳ですか」

「そうとも言えますね」

「違うんですか?」

 単なる言葉の綾なのかもしれなかったが暇仁にはその発言がやけに気になった。そういう場合は高確率で悪い予感でもある。


「もう少しだけ創薬期間について基本的な補足をしましょう。まずは薬の元となる新規物質の発見や創製を行う基礎研究に2〜3年掛かります。次に動物などを用いて、新薬候補の安全性や有効性を詳しく調べる非臨床試験に3〜5年を要します。この後に、人を対象とした臨床試験(治験)が3〜7年掛けて実施されます。最後に新薬として国から承認を得る為の審査に1〜2年を費して……ようやく新医薬品として市場に出ます」

「細かい期間は知りませんでしたが、新薬開発には膨大な時間が掛かることは噂程度には知っています」

「そうですね、多大なコストを掛けて開発しているんです。どんなにスムーズに進んでも約10年、場合によっては15年前後掛かる可能性もあります……その理由は分かりますか?」

「安全性と規制ですか?」

「その通りです。当たり前ですが市場に出す為には安全性の確保が絶対です。どんな医薬品にも副作用などのリスクは必ず残りますが、用法や用量を守ることでリスク発生を可能な限り低下させるまで精度を高めないといけません。また、国の定める規制も年々厳しくなっているのが現状です。内容に遵守しながらの開発は容易ではありません。後は……」

「後は?」

「成功率の圧倒的低さと掛かる費用です」

「成功率と費用?」

「新薬開発は言ってしまえばギャンブルです」

「ギャンブル……」

「医療とギャンブル……異なる領域のように聞こえるかもしれませんが実はそうではありません。まず全体の成功率ですが、様々なデータがありますが一般的には約3万分の1の確率と言われています。臨床試験(治験)まで進んでも承認される確率は10%程度なのが実情です。なので、臨床試験以前に問題が起きて失敗するケースの方が圧倒的に多く、例え臨床試験まで進んでも狭き門を必死に突破する必要があります。新薬開発がファストフード購入費用程度で済むのであればそこまで問題になってはいないのですが……残念ながらそうではありません。莫大な投資がなければ開発に着手することは出来ません。種類や規模によっても変動しますが一般的には数十億円以上を費やす必要があり、そこまで掛けて成功率は先述した程度です。仮に新薬開発に成功しても高い費用対効果が得られるとは限りません」

「……」

「これはギャンブルと言っても語弊はないはずです。なんなら、国営ギャンブルの方が費用対効果が高い可能性も十分にあります」


「開発が大変なのは伝わりました……それで?先程の含んだ言葉の答えになっていませんよ」

 直面している困難さを訴えることには成功したが暇仁を説き伏せるまでには至らない。


「そうですね。まずは一般的な理解からと思い説明させてもらいましたが、我々の新薬開発では既存の工程を打開しているんですよ」

「……悪巧みの匂いがしますね」

 暇仁は心底嫌そうな表情を見せる。煤木は表情こそ変わらないが口から出てくる言葉の数々は如何にも感情がこもっているように聞こえる。


「ふふっ、そんなこと言わずに。厳しい規制に長期的な期間と掛かる膨大な費用……それではいつまで経っても目的の達成が出来ません」

「だから?」

「大義の為ならば細かい規制や承認は事後でも良いかと」

「大義なんて言葉を使う人間は歴史上の人物か違法者だけと義務教育で習わなかったんですか?」

 暇仁は「言わんこっちゃない」とばかりに大袈裟に溜息を吐く。


「合法も違法も関係ありません」

「仮に国籍が日本でなくても間接的には関係あります。少なくとも佐々所長へ多大なる迷惑と損害を与えますよ、尊敬と感謝はどこに捨ててしまったんですか?」

「それに勝る目的の話を今はしています」

「頑固ですね……」

 革新や変革を考える人間の一部には必ずこういう輩が出てくる。それに数多く出会ってきた暇仁は呆れ返るばかりだった。


「それにね、暇さん」

「なんでしょう?」


「私は日本に限らず世界のどこにも帰る場所はありません」

「……?」


「国籍なんて私には関係ないということです」

「それすら無視するという強い意思表明ですか?」


「いえ、言葉通りの意味です」

「……」

 雲行きがどんよりと悪くなるのを暇仁は感じた。


「暇さんであれば、もしかしたら調べは付いているんじゃないですか?」

「……」

 口にはしなかったがその後に続くであろう言葉の最悪さを警戒せざるを得ない。


「私は――」


「あなたたちのような現生人類ではありません。人類との共生と新たな進化の為に地球に舞い降りました」


「種が異なる存在……」

「全ては偶然の産物です。他国でも良かったのですが我々の研究に一番適していたのが日本であったに過ぎません」

「……」

「その中で確かな技術力と規模を誇り親和性の高い場所が佐々動物生命研究所だったという訳です」


「ねぇ、暇さん……細胞内共生進化を知っていますか?」

 

 笑顔に似たなにかを浮かべ瞳からは含みのある意思を現す煤木に対して、暇仁は笑うことが出来なかった。


 暗雲立ち込める二人だけの空間――煤木の真意とは?

次話は26日7:00に投稿予定です。

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