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合格祈願の御守り

作者: RENTO
掲載日:2026/02/10

 放課後帰りの私は、病室の扉を開ける。


 室内は大きめの窓が少しだけ開いていて、そこから風が吹き込んでくる。カーテンがゆらゆらと揺れるのに合わせ、髪も靡く。


 机の上には、いつしか私が持ってきていたマリーゴールドの花が、花瓶に一輪挿さっている。


 そんな室内には、いつものように本を読んでいる彼が居た。


「…今日もお見舞いに来てくれたの?」


 ベッドに座っている彼は本を閉じ、私に向けてそう尋ねた。私は「うん」と言って、こくりと頷く。


「いつもありがとね。でも、君ももう中学三年生…受験生でしょ?僕のお見舞いに時間を使ってる暇も惜しいんじゃ…」


 その問いに、私は返す。


「確かに、そうだけど…私は心配で…」


 私は目的語の無い、曖昧な回答をした。


 そんな私に、彼は意地悪をする。


「へえ〜…そんなに受験が心配なんだ?」

「…違うって、分かって言ってるでしょ」


 私は少しだけ、顔が熱くなるのを感じながら彼を睨む。


 私は〝彼が〟心配だと言ったつもりだったのに…彼は分かっていて、わざと訊いてきたのだ。本当に、悪い性格をしている。


「あはは、ごめんって。でも、受験が心配なのには変わりないでしょ?君、結構名門校行こうとしてるし…不安が無いって言ったら、嘘になるんじゃない?」

「…まあ、そうなんだけど…」


 現在は11月下旬…私は私立の名門校に入学希望を出していて、入学試験まで三ヶ月を切っていた。


 勉学に力を入れているとはいえ、挑むのは名門校の入学試験なのだ。不安はあるに決まっている。


「…さて。そんな君を応援する為に…君に少し、渡したい物があるんだよ」

「え…?」


 突然、彼が言い出した事に、私は少し驚くとともに、心が躍った。


 彼からのプレゼント、彼からの応援。想像するだけで頬が緩み、気持ち悪い笑みを浮かべそうになる。


「…なんだと思う?」


 彼は答えを待つ私を焦らし、尋ねてくる。私は頬を膨らませながら。


「そういうの良いから…早く、出して…」


 そう、言った。


「せっかちだな〜、君は」


 彼は楽しそうな声音で言いながら、懐からある物を取り出した。私はその名前を認識するまで観察する。


「…御守り?」


 それは、〝合格祈願〟と刺繍がなされていた御守りだった。ただ、少々歪な形をしているので、恐らく。


「そう、ただの僕が作った御守り。君の不安を全部消し飛ばして、無事に大学に合格して、君がずっと言っていた夢を叶えて、って。少し欲張りだけど、そんな御守りだよ」


 そういう彼の表情は、儚げだった。


「正直、僕は君の入試結果を聞くまで生きていられるか分からない…自分でも分かる。僕はもう長くないんだ」

「……」


 私は喉元や目頭から出そうになる何かをぐっと堪え、彼の言葉の続きを待つ。


「本当にごめんね。それでも、僕は君を応援してるから。だから…受け取って欲しい」


 彼は私へとその御守りを差し出してきた。


「…ありがとう」


 私は落とさないようにそれを受けとった。御守りは彼の指に挟まっていたけど、それは簡単に引っ張り出す事が出来た。


「…それじゃあ、こんなしんみりとした空気は嫌だし…君の話を聞かせてくれる?」

「…!うん…!」


 彼のその言葉で、私は安心した。いつもの彼だったから、というのもあるけど、それ以上に、彼が私を見てくれていると感じるから。


「今日の小テストの事なんだけど、私が──」


 この時、随分と長く短い時間を、彼の会話で使っていた。彼と毎日話すのはとても楽しく、ずっと一緒に居たいとすら思ってしまう。


 叶うならば、私は彼と…とまで。


 そこまで長い付き合いじゃなかったけど、私にとって彼の存在はそこまで大きくなっていた。


 だからこそ、いつまでも彼の傍に居続けたい。今でも、そう思っているのだ。











 今日も、私は放課後帰りに彼の病室に足を運ぶ。


「また来てくれたの?」


 今日も変わらず、本を読んでいた。そんな彼に、私は告げる。


「…試験、合格したよ」


 そんな報告を。


「そうなの…?おめでとう…!」


 そんな言葉だけで、私の心は激しく動く。


「…貴方の、御守りのお陰…これがあったから、頑張れた…」

「そっか…役に立ったんだ…」


 彼はいつものように、儚い笑みを零す。


 数秒黙り込んで…そして。


「…良かったよ。〝最期に〟その報告が聞けて」

「…………えっ…」


 その言葉は、私の表情を歪ませるには十分過ぎた。


「なんで…なんでそんな事言うの?」


 私は今まで背けてきた事実を、この期に及んで否定する。


「もっと生きてよ、もっと私と話してよ…なんで」


 みっともなく言う私に、彼は突き付ける。


「…確かに、もっと君と話していたかった…けど、もう分かってるでしょ?君自身が、〝忘れつつある〟って事」

「やめて…」


 嘆き訴える私を無視して、彼は続ける。


「君はもう…〝僕の大部分を忘れてる〟。だから、これで終わりなんだよ」


 …やめて…やめろ。そう、自分自身に暗示をかける。


「…だからさ──」

「やめてっ!!」


 生まれて初めてかもしれない。こんなに大きな声を出して、拒絶するのは。


 だけどそれだけに留まらず、私は叫ぶ。


「なんで現実を突き付けてくるの!?なんで目を背けさせてくれないの!?私だって分かってる!でも受け入れられないものは受け入れられないんだよ!私はそこまで強い人間じゃない!」


 向ける先の無い言葉が一帯に反響する。それでも私は抑え切れない気持ちを全て吐き出す。


「私は〝彼〟が好きなんだよ!意地悪だけど、優しくて面倒見が良くて、学校で嫌な事があった時に慰めてくれる…そんな〝彼〟が、どうしようもないくらいに好きなんだよ!なのにっ…!そんなのって、無いよ…!なんで、居なくなっちゃうの…!」


 …それから数分くらいは、嘆いて、喚いて、駁していたのだろう。喉が千切れる程に痛く、息切れも激しかった。


 今までの私が見せてこなかった弱い部分を、〝彼〟を模った存在にとはいえ見せてしまった。それがとても辛い事だった。


「…ありがとう」


 だけど〝ソレ〟は、全てを吐き終えた私にそう言ってくれた。


「君がこの二年間、僕の事でずっと悩んでいたのは分かる。夭折してしまった僕を、どれだけ悼んでくれたかは分かる」


 私が、私に向けた言葉を放ってくる。


「それでも、もう。僕に妄執するのは、君には無理なんだ。何より、僕がして欲しくない」

「でもっ…!」


 言い返そうとする私の身体に。


 目の前の存在はそっと、腕を回してくれた。


「えっ…?」


 そこに居ない筈なのに、ただの夢である筈なのに。


 私を抱き締める腕は、私よりも高い体温が宿っているような気がして…私は涙が止まらなくなった。


「大丈夫…大丈夫だから。君はこれから先、苦しい事、辛い事…それらが待ち受けているだろうけど…それでも」


 私を抱き締める力が強くなったような気がして、そして。


「──僕は、君を見守ってるから」

「っ…!」


 その言葉の直後。


 身体を覆う温かさが、段々と消えていく。


「約束、だよ…?ちゃんと見守っててね…?」


 私は触れられない存在を抱き締め返した。目を閉じ、静かに泣く。


 そんな情けない私に。


「うん、約束。僕は、いつまでも、君の傍に居るから」


 その言葉は…その最期の言葉だけは。


 ──本物の〝彼〟の言葉だったような…そんな気がした。











 閉じていた目を開く。


 …その病院も病室も、既に機能していなかった。


 二年と少し前に、彼にあげた一輪のマリーゴールドもなくなり、今は花瓶しか残っていなかった。


 薄暗い部屋だった。窓の硝子は所々が割れていて、そこから風が吹き込んでくる。引き裂かれたカーテンがほんの少しゆらゆらと揺れるのに合わせ、髪も靡く。


 ただ…病床に彼は居なかった。いつものように本を読んでいる姿も無い。


「この病院は、彼が亡くなってから直ぐに閉院したんだっけ…」


 すっかり忘れていたその事実を思い出し、哀愁を感じる。


 此処は、彼との思い出の場所だったから。此処でしか、彼と思い出を作れなかったから。


 それが失くなってしまったのは、寂しかった。


「…ありがとね、御守り」


 私はあの時、〝偶然見つけた〟不器用な刺繍がされている御守りを懐から出して、大事に握る。


「貴方がこれをくれたお陰で私、勉強頑張れたよ。これのお陰で、私は今も夢へと進めてるよ」


 私は俯き、彼の顔を思い出そうとする。


 だけど時が経ち過ぎたのか、はっきりとは思い出せずに居た。


(…でも、それで良い)


 私の気持ちが伝われば、私の思いが彼に届けば、それで良い。


 だから私は、彼に届くように伝えるのだ。未練を晴らす為に、後悔を晴らす為に。私が、これから始まる高校生活を、彼に見ていてもらえるように。


「ずっとずっと、ありがとう…」


 涙が出て上手く紡げない言葉を。


「貴方はもう居ないけど…」


 心の中でも否定したい、幻想であって欲しい言葉を。


「それでも、貴方と過ごした日々は、本当に楽しくて…」


 もう戻れない過去を振り返る言葉を。


「いつも一緒に居たいって…そう思えた…」


 もう二度と叶わない、泡沫の夢を願う言葉を。


「とっても恥ずかしいけど…言うね?」


 今までずっと、言えなかった言葉を。


「──貴方の事がどうしようもないくらい、大好きだよ…これからもずっと、見守っててね…?」


 満面の笑みで、そう伝えた。

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