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炭酸サマー

「いらっしゃいませー」


今にも音を立てそうなくらいに太陽が激し

く自己主張をしはじめた季節。

額に滲む汗を右手の指先で拭い、そのファーストフード店に入った。店内のカウンターでは、バイトの店員が、いつも通りわざとらしく元気な声をあげて客に応対していた。

一学期の期末試験もおとといで終わり、間もなく向かえる夏休みが楽しみだった。もう少し世界史の勉強をしなくちゃならない、試験を終えてそう思いながら。


今日はカナと正午に駅で待ち合わせをしていた。

五月の文化祭のとき、生徒もほとんど帰った遅い夕刻の自転車置き場で告白され、僕らは付き合い始めた。

まだ知らないことも多いけれど、カナは間違いなくいい子で、今日みたいなごく普通の休日を、世界一楽しそうに過ごしてくれる。なんでもない買い物とか、ファミレスでのおしゃべりとか、そんなときも真っ白な笑顔で

僕に接してくれる。


僕はそんな穏やかな幸福に包まれて、この高校二年の夏を迎えていた。

客の列の後方から、カウンター上部にとりつけられているメニューを何となく眺める。決まりきったドリンクメニューを一瞥し、やはり決まりきったように、コーラのM サイズのところでその目線を外す。


書店に寄って、世界史と化学の参考書を購入し、思っていたより早く済んでしまったその買い物を終え、僕はこのファーストフード店に入った。昼食はこのあとどっかでカナと食べるつもりだから、ドリンクだけ注文することにしたのだ。


列の前方から、トレイにたくさんの品を乗せたおじさんが、「すいません、すいません」と言いながら小学生くらいの男の子と一緒に列の間を横切った。

額から頬、首筋に伝う汗、白い半袖のポロシャツ、ドジャースの野球帽をかぶった小学生。テンプレ通りの夏の雰囲気をそこに感じ、僕はなおさら夏休みが楽しみになった。


カナとどこへ行こうか。プールにでも誘ってみようか。そうだ、今日は一緒に水着を見に行ったりしちゃおう。

ゆっくりと前に進む、徐々に短くなる列の中ほどで、僕は少しにやけていただろうか。


僕の前にいた大学生っぽいの女の人が注文を終え、飲み物と番号札を持って後方へと下がり、僕の順番が来た。

そのときもやはり「いらっしゃいませ」と型通りの大きな声で挨拶を受ける。ハーフパンツの後ろのポケットから財布を取り出しながら、「店内でお召し上がりですか」という店員の声と同時にカウンターに顔を向けた。


「はい」という返事をする前に僕は「あ」と声をあげた。


「あれ、ジンくん?」

向こうも僕に気付き、そう言った。


村井こずえ


店員のネームプレートにもはっきりとそう記されていた。ジンというのは中学時代の僕のあだ名だ。名前が仁だから、その音読みで、ジン。みんなにそう呼ばれていた。


「コズ!元気?何、ここでバイトしてたの?」


驚いて思わず大きな声が出た。

中学を卒業して以来、一年と四ヶ月ぶりにコズに会った。髪はほんのやわらかな茶色に染め、少し化粧をしているようだった。

きれいだった。


僕らは中学のとき、付き合っていた。

とは言え、一緒に帰ったりしただけで、今思うとほんの些細な付き合いだった。受験勉強が忙しさを増してきても僕らの態度は変わらなかったが、高校が別になって自然に連絡が減り、お互いに楽しく充実した高校生活に入ったことで、僕らの距離は遠ざかって行った。好きでなくなったわけでもなく、何となく別れた感じだった。

高校一年の、今年とは違い、たいして暑くも涼しくもない夏の始まりに。


「そう。ついこないだから始めたの。ジンくんも元気にしてた?」


キラキラしてた。

カナと同じように眩しい笑顔を僕に向けた。


「うん」


僕は答え、僕らは無言で、笑顔で、向かいあった。

ほんの一、二秒のことだろうけれど、周囲の忙しない雰囲気の中で、すごく長く感じられ、同時に、もはや確かな過去となった僕らの事実を知った気がした。


「あ、注文は?」


僕の後ろに並んでいた人の若干怪訝な表情を読んで、コズは僕に少し慌てたようにそう聞いた。


「あ、んと、コーラ」


僕もつられて少し慌ててそう答えた。「店内で?」と聞かれ、とっさに出たのは、


「いや、テイクアウトで」


という返事だった。「今日ちょっと用事もあるからさ」と、意味不明に言い訳も添え、店の奥に注文を伝えるコズの背中を見ていた。

以前より短く切った髪の、軽くやわらかな栗色が揺れていた。


「はい。また来てよ。日曜はだいたいここにいるから」


コズは、多忙を少し恨めしく思いながら(多分、そうだっただろうと思う。ってか、そう思いたい。)、そう言って僕にコーラを差し出した。ストローを袋から取り出し、プラスチック製の薄いフタの穴に差しこんでくれた。


「うん」と言おうとしたが声が出ず、コズを見つめたまま、そしておそらくは笑顔で頷き、僕は列から離れた。


充分に冷えたコーラが入った紙コップを左手に持ち替え 、財布をポケットにしまいながら振り返り、再びカウンターを見た。

コズは忙しそうに次の客の応対に向かい、僕とはもう視線が合わなかった。


店を出て、歩いてすぐの駅前の花壇脇に座り、ストローを咥えた。飲み口に触れていたコズの白く、華奢な指先を思った。甘い痛みが、はじける気泡とともに咽喉を下っていった。


カバンの中でスマホがブルブルと振るえた。紙コップを花壇の石段に置き、カバンからスマホを取り出した。カナからのメッセージ。


「あと10分くらいで着く。お腹空いたよぉ」


カナ、何かさ、おいしいもの食べに行こう。そうだ、カラオケにも行こうか。水着は、んと、ゴメン、また今度見に行こう。そう思いながらスマホを丁寧にカバンに戻して、コーラを口に含む。


水滴がつき始めた紙コップの中で、小さな氷のつぶがコロンコロンと、情けないような、楽しいような、随分と妙な音を立てていた。

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