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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「大工調べ」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「大工調だいくしらべ」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約60分


必要演者数:4名

      (0:0:4)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


政五郎まさごろう大工だいく棟梁とうりょう面倒見めんどうみがよく、与太郎よたろう店賃たなちんとどこおらせていると聞き

    、自腹を切って金を貸す。


与太郎よたろう与太郎よたろうとは落語の世界では役に立たない愚か者

    の事を指す。このはなし与太郎よたろう大工だいくの腕は大したものだが、頭の

    回転がちょっと遅く、見当違けんとうちがいなことを言う。


源六げんろく与太郎よたろうの住む長屋ながや大家おおや

   かなりの業突ごうつり。


大岡おおおか南町奉行所みなみまちぶぎょうしょのお奉行ぶぎょう様。すなわち、大岡裁おおおかさばきで有名な、

   大岡越前守忠相おおおかえちぜんのかみただすけである。


語り:雰囲気を大事に。セリフ数は少ない。




●配役例


政五郎:

与太郎:

源六:

大岡・語り:



※枕はどちらかが適宜てきぎねてください。



枕:人間、面と向かって話さないと自分の思っている事、伝えたい事が

  すべては伝わらないそうです。

  面と向かって対話が八割~九割、電話だと六割~八割、手紙…今だと

  メールなどもですな。これだと言いたい事の半分も伝わればいいほう

  だと言われています。

  ところが面と向かって話しても、些細ささいな言葉のかけ違いで思わぬ騒動そうどう

  に発展することがおうおう々にしてあるもので。


政五郎:おい、与太よた、いるかい?

    ?与太よた? いるかってんだよ!


与太郎:ああ…棟梁とうりょう


政五郎:ああ棟梁とうりょう、じゃねえよ、ぼんやりしてるじゃねえか。

    おふくろさんはどうした?


与太郎:…墓参り。


政五郎:そうか、そりゃ結構けっこうなことだ。年寄りは墓参りが何よりだ。

    それに、おめえはおふくろさんの面倒めんどうをよく見てえれぇや。


与太郎:それで…棟梁とうりょう、今日はどうしたんだい?


政五郎:ああ、なげぇこと遊ばしといて悪かったな。

    俺も気にはしてたんだが、いい仕事ができたぜ。

    番町ばんちょうのお屋敷の仕事でよ、こいつは一年、長引ながびきや一年半は

    続こうってなぁ大仕事だ。もう心配するこたあねえ。

    それでよ、今日のうちに向こうへ道具箱を運んじまおうと思って

    な。そうすりゃあ明日は手ぶらで行けるって寸法すんぽうだ。

    だからよ、俺んとこに道具箱持って来といてくれや。


与太郎:…うん。


政五郎:早いとこしなよ。


与太郎:…うん。


政五郎:わけぇもんがで車で引っ張ってくからな。


与太郎:…うん。


政五郎:おい、分かってんのか?


与太郎:…うん。


政五郎:いいか?


与太郎:…うん。


政五郎:なんだよおい、うんうんって…。

    せっかくいい話を持って来たってのに、

    張り合いのねぇ野郎だなこいつは。

    しっかりしろぃ!


与太郎:…それがね、棟梁とうりょうの前だけどさ、

    あんまりしっかりできねえんだよ。


政五郎:なんでぇ、何かあったのか?


与太郎:…道具箱がねェんだ。


政五郎:よせよおめぇ。

    道具箱がねえって、大工だいくが道具箱なくっちゃ話にならねぇ。

    仕事できねぇじゃねえかよ!

    さてはおめぇアレか。

    ちょっと仕事が途切とぎれたってんで、

    とうとう道具箱、食っちめぇやがったな?


与太郎:いや、食いやしないよあんなかてぇの。

    だいいち金槌かなづちとか歯が立たねぇ。


政五郎:何言ってんだよ、本当にかじったってんじゃねぇよ。

    しちに入れちまったんだろ?


与太郎:しちになんか入れてないよ。

    …持ってかれちゃったんだよ。


政五郎:んだよ、持ってかれちゃったんだよっておめぇ、

    のんびりしてる奴があるかよ。

    おめぇ普段ふだんから戸締とじまりしてねえって言ってたな?

    だからそういう事になるんだよ!

    で、夜中か?


与太郎:…それがね、夜中じゃねえんだ。


政五郎:じゃあなにか、明け方か?


与太郎:うぅん。


政五郎:日の暮れか?


与太郎:…うぅん。


政五郎:じゃあいつだよ。


与太郎:うぅん。


政五郎:なんだこの野郎、いつだって聞いてんだよ。


与太郎:それがね、あの…昼過ぎ。


政五郎:昼ゥ?

    おめぇうちにいなかったのか?


与太郎:いたよ?


政五郎:居眠いねむりでもしてやがったんだろ。


与太郎:居眠いねむりなんてしてないよ。

    持ってく奴のツラぁ見てた。


政五郎:見てたぁ?

    持ってかれると思ったら、泥棒どろぼう!とかなんとか怒鳴どなったらいいじ

    ゃねえか。


与太郎:怒鳴どなろうかと思ったらね、大きな目玉でぎょろってにらまれたから、

    やめちゃった。


政五郎:だらしのねえ野郎だなこいつは。

    じゃ、そいつのツラぁ見て覚えてるか?


与太郎:覚えてるよ。

    今朝けさもそのツラに会った。


政五郎:会ったァ!?

    そりゃあうまくやったな!

    取り返したか!?


与太郎:いや、取り返そうかなって思ったら、また大きな目玉で

    ぎょろってにらまれてね、それで思わず、おはようございますって

    挨拶あいさつしちまった。


政五郎:しょうがねぇなこいつは。

    で、その野郎にどこで会ったんだ?


与太郎:長屋ながや井戸端いどばた


政五郎:ハァ!?

    じゃ何か、そいつァこの近所にいるってぇのか!


与太郎:いるよ。

    うちも知ってんだ。


政五郎:知ってるゥ!?

    じゃ俺が行って取り返してきてやるよ。

    どこだそいつのうちは?


与太郎:あのね、この路地ろじ出て右っかわかどうちだよ。


政五郎:この路地ろじ出て右っかわかどって…いやにちけぇな。

    …っておい、右のかどってったらおめぇ、大家おおやうちじゃねえかよ!


与太郎:そう。

    そのね、大家おおやさんが持ってったんだよ。


政五郎:なんだよおい、じゃあおめぇアレだろ。

    店賃たなちんとどこおって、そのかたに大家おおやが道具箱もってっちまったと、

    こういうわけか?


与太郎:…ははは、当たった。


政五郎:当たった、じゃねえよ。

    そんなもん当たったってしょうがねえよ。

    いったい、いくらまってんだよ?


与太郎:…一両二分いちりょうにぶ八百文はっぴゃくもんだよ。


政五郎:恐ろしくめやがったなこいつは。


与太郎:別にね、骨も折らねえし苦労しねえけど、まった。


政五郎:当たり前だよ。

    そういうものはな、ほっときゃいくらだってまっちまうんだ。

    まぁそんな事もあるかと思ってよ、

    俺ぁいくらか腹掛はらがけのどんぶりの中に放り込んできたんだ。

    とりあえずこれだけあるから、よくわけを話して返してもらって

    こい。

    いいか、門限があるんだからな、間に合わなかったらおめぇ、

    道具箱かついでかなくちゃなんねえぞ。

    早く行ってこい!


与太郎:へい…すいませんね、棟梁とうりょうにはいつもお世話せわになっちゃってさ、

    すまねえなと思ってるんですよ。

    お世話になりっぱなしで………? 

    あれ…。

    棟梁とうりょう、これぁだめだ、一分金いちぶきんが六枚だな。


政五郎:そうだよ、六枚だ。


与太郎:一分いちぶが六枚ってことはなんだな、これァ一両二分いちりょうにぶだね。


政五郎:そうだ。


与太郎:…あ、あのね、あっしの店賃たなちんとどこおりは、一両二分いちりょうにぶと八百だよ。

    そこへもってきて…うーん……。


政五郎:いつまで見てたって、金は増えねえぞ。


与太郎:いや、別に増やそうとは思わねえけどさ。

    一両二分いちりょうにぶと八百のとこへ一両二分いちりょうにぶということは、これは……

    まあ、早い話がどういう事かなってーー


政五郎:じれってぇなおい。

    八百文はっぴゃくもん足りねえと、こう言いてえのか?


与太郎:あぁそうそう、そうなんだよ。

    棟梁とうりょうはすらすらっと勘定かんじょうがうまいね。


政五郎:張り倒すぞこの野郎。

    一両二分八百いちりょうにぶはっぴゃくんとこへな、八百持ってくんじゃねえんだ。

    親方の一両二分いちりょうにぶのほう持ってくんだぞ?

    八百くらいおんよ。


与太郎:なんだいそのおんってのは。


政五郎:あたぼうだってんだよ。


与太郎:何そのあたぼうってのは。


政五郎:いちいち聞くなよ、おめぇも江戸っ子だろうが!

    あたりめぇだ、べらぼうめをつづめてあたぼうってんだよ。

    あたりめぇだべらぼうめ、なんてそのまま言ってみろ。

    長ったらしくて陽気の時分じぶんにゃ言葉が腐っちまうし、

    日の短けぇ時分じぶんには日が暮れちまうわな。

    だから言葉はトーンとめて話すんだよ。


与太郎:はぁぁ、あたぼうね…うまくまった。


政五郎:またつまらねえことで感心してやんな。

    一両二分八百いちりょうにぶはっぴゃくのかたに持ってかれてる道具箱だが、

    一両二分いちりょうにぶ持ってって取り戻して来いってんだよ。

    渡すも渡さねえもあるものかィ。

    大工だいくにとって道具箱は商売道具、武士にとっての刀じゃねえか。

    そいつを店賃たなちんのかたに取るってぇのはあきれた話だ。

    言いづくにすりゃタダでも取れるが、相手が町役ちょうやく大家おおやじゃ

    しょうがねえ。

    下手へたな事をして後でいんくそかたきを取られるってぇ事もある。

    長い物には巻かれろってこともあるんだ。

    だから一両二分いちりょうにぶ持ってって、びの一言でも言って

    返してもらえ。よく下手したてに出るんだぞ。

    早く行って来いッ!


与太郎:わ、わかったよ…。


    棟梁とうりょうはああ言うけどさぁ、いざとなったらおっかなくって

    しょうがねえよ。

    本当にこの大家おおやがまたおっかねぇ人なんだ。

    でもいい事聞いちゃったよ。そりゃあそうだ、あたぼうだよ。

    今度から足りなくなったら、みぃんなあたぼうにしちゃおう。


    【より間抜けな声で】

    おぉーい、おぉ~やぁ~!

    おぉ~やァ~!!


源六:誰だァ裏で間抜まぬけな声出しやがんのは?

   裏のバカか?

   なんか用か?こっちへ入れ。

   …ぬうっと入って来やがった。


与太郎:…へへ…よう、道具箱くれ。


源六:この野郎…くれっつってそこに突っ立ってる奴があるか。

   奥の三畳さんじょうの部屋に入ってんだ、おめぇも知ってんだろうが。

   てめぇで持ってけ持ってけーーって待て待て。

   ただで持ってきゃいいってんじゃねえぞ。

   その前にな、決めとくもん決めとこうじゃねえか。

   店賃たなちんは持ってきたんだろうな?


与太郎:あぁ、あらぁ。


源六:あらぁったって、おめえが持ってたってしょうがねえだろ。

   こっちへ出せ。


与太郎:ほれ、受け取れぇ。


源六:っとっとっ、この野郎、ぜにぃ放りやがったな。

   こういうものを粗末そまつにする奴に出世しゅっせしたためしはねぇんだ。

   いつまでったってそんな事してーーあれ、おい婆さん、婆さん、

   ぜにそっちへ飛ばねえか?

   飛ばねえ?ほんとにか?

   おいおいちょっと待て与太よた、これァ一両二分いちりょうにぶしかねえんじゃねえの

   か?


与太郎:うん、そうだよ。


源六:いや、そうだよじゃねえ。

   これ一両二分いちりょうにぶだろ。


与太郎:そうだよ。

    いつまで見てたって増えないよ。


源六:なんだよその増えねえってのは。

   八百文はっぴゃくもんりねえじゃねえか。


与太郎:え? いいじゃないか。


源六:良かねえよ!

   足りねえところはどうすんだ!?


与太郎:八百ぐらいはおんだよ。


源六:なんだ、そのおんってのは?


与太郎:ぁ~、あたぼう。


源六:なんだそのあたぼうってのは。


与太郎:あ、大家おおやさんも知らねえんですか?

    それね、くわしく言うとね、

    あたりめえだべらぼうめ。


源六:この野郎、足りなく持ってきて威張いばってる奴があるか!

   なに言ってやがんだ!


与太郎:だけど言いづくならね、タダでも取れるんだよ。

    

源六:なっ…なんだとォ!?

   言いづくならタダでも取れるなんて言いぐさがあるか!!


与太郎:だけど相手が町役ちょうやくでもって、大家おおやでもって

    そんでなげぇもんだから…あの…いんくそだよ。


源六:なに言ってやがんでェこの野郎ォ!

   そうか、どうもおかしいと思ったが、今日はおめえの了見りょうけんで来たん

   じゃねえな?

   誰かおめえの尻押しりおしをした奴がいるんだろ。

   そいつを連れてこい!お前にがねした奴をここへ出せ!


与太郎:ダメだよ。

    がねは道具箱に入ってるから。


源六:っな、なに言いやがんだ!

   もう帰れッ!!


与太郎:じゃあ帰るから道具箱こっちくれ。


源六:ダメだ! あと八百持ってこい!


与太郎:じゃあ今の金こっちへ返して。


源六:こいつは店賃たなちん内金うちきんにしてもらっておく。


与太郎:ずるいぞそれは。

    金も取っちゃってそれで道具箱も返してくれねえってのは。

    そういうのはずるいぞ。


源六:何をぐずぐず言ってんだこのバカ!

   帰れったら帰れッ!!


与太郎:…。

    また追い出されちゃったよ…。


    【二拍】


    棟梁とうりょう~。


政五郎:?おいどうしたお前、手ぶらじゃねえか。

    道具箱はどうした?


与太郎:道具箱はね、向こう。


政五郎:ぜにはどうした?


与太郎:ぜにも向こう。


政五郎:じゃ何か、道具箱くれねえでぜにだけ取り上げやがったのか!?


与太郎:それにダメだよ棟梁とうりょう

    このごろはほら、あの、あたぼうってのは流行はやらないよ。


政五郎:なんだ、流行はやらねえってのは?


与太郎:向こうでもってさ、八百文はっぴゃくもんりねえって言うから、

    八百ぐらいおんだって、そう言ったんだ。 

    そしたらおんって何だって言うから、あたぼうだって言ったら

    、あたぼうって何だってまた聞くから、よく分かるようにさ、

    あたりめえだべらぼうめって。


政五郎:おい…おめぇそれ、大家おおやにそのまんま申し上げたのか?


与太郎:申し上げた。


政五郎:申し上げた、じゃねえよ!

    それはおめぇと俺との楽屋話がくやばなしだろうが。

    大家おおや、怒っただろ。


与太郎:怒った。

    真っ赤になって目ぇむいて怒っちゃった。

    あと八百持ってこい!持ってこねえうちゃ、道具箱渡さねえぞ!

    帰れェーっ!てさ。


政五郎:だから言っただろうが。

    よくわけを話してもらってこいって。

    明日は門限もんげんがあんだぞ、門限もんげんが。

    どうするんだよ、おめぇだけ道具箱かついで、

    後からのこのこのこのこ入ってくって事になったらよ。

    格好かっこうがつかねえじゃねえか!


    …まぁしょうがねえ、おめぇ一人で行かせた俺も悪かったよ。

    あと付いてきな。取り返してやるから。


与太郎:あっあっ、棟梁とうりょうおもてからじゃなくてーー


政五郎:分かってるよ。引っ張るんじゃねえ。

    こういう時は裏から入るもんだ。

    ごめんくださいやし。

    ごめんくださいやし!


源六:はい、誰だいーーってなんだい、棟梁とうりょうじゃないか。

   おい婆さん、棟梁とうりょうが見えたよ!ちょっと座布団ざぶとん持って来な!

   棟梁とうりょう、そんな汚い裏から入らないでさ、いつものようにおもてから入っとくれ

   よ。

   ってちょっとちょっと、そんなすみっこで小さくなられてたんじゃ

   困るよ。

   婆さんと今も棟梁とうりょううわさをしてたんだ。

   お前さんのおとっつぁんは立派な棟梁とうりょうだった。

   そしたらお前さんはこれまた親勝おやまさりだ。

   町内の華だ、いや大したもんだ…って

   そんなとこでもってかしこまられちゃ困るじゃないか。

   こっちへもっと…って、どなたかお連れさんがいなさるのかい?

   もし、お連れさんの方、こんな汚い裏ですがね、

   どうぞこちらへお入りーー。


与太郎:へへ…どうも…。


源六:ぁっ…バカ野郎だ。

   そうかい、尻押しりおししたのは棟梁とうりょうなんだね。

   お前さんそのバカ連れてびに来なすったのかい。

   いや、今もね、わずかのぜにが足りねえからって腹を立てたわけじゃ

   ねえが、あんまり言いぐさがひでえから追い返したまでの話なんだ

   よ。


政五郎:どうも、あいすいやせん。

    何しろこの野郎は少々人間がおめでたく出来上がっておりやして

    、こんなバカな野郎ですがね、これで仕事をやらせますってぇと

    一人前以上の仕事をいたしやす。

    それにこいつは親孝行者でね、普段から目ぇ掛けてやっておりや

    すが、近頃はなげぇこと遊ばせといちまいまして。

    あっしも気にはしてたんですが、今度いい仕事ができましてね。

    番町ばんちょうの方のお屋敷でもって、ここ一年か一年半は続くてな大仕事

    でございやす。

    さっそく喜ばしてやろうと思って話をしたところ、

    これこれこういうわけで一両二分八百文いちりょうにぶはっぴゃくもん店賃たなちんとどこおりがあって、

    そのかたに大家おおやさんが道具箱を持ってっちまったと聞きやした。

    いやね、さっき散々っぱら小言こごとを言いやした。

    雨露あめつゆしのぐ店賃たなちんとどこおらせるようなことするんじゃねえ、って。

    あっしも店賃たなちんがくは承知だったんですが、あいにく一両二分いちりょうにぶしか

    持ち合わせてなかったもんですから、野郎にそれ持たして、

    大家おおやさんによくわけを話して返してもらってくるようにと、

    そう言ったんです。

    この野郎がどんな事くっちゃべったかは分かりやせんが、

    どうかひとつ、勘弁かんべんしてやってもらいてえんで。


源六:…それで、仕事はいつから始まるんだい?


政五郎:それが、明日から始まるんで。

    今日のうちに向こうへ道具箱を運んじまおう。

    そうすりゃ明日、野郎は手ぶらで行けるって寸法すんぽうで、

    野郎に職人の貫録かんろくを付けさしてやりてえ、とこう思いやして。

    そんなわけで、こうしてお願い申してるんで。

    門限に間に合わねえと野郎だけ一人で明日、のこのこ道具箱を

    かついでいくような、間抜まぬけな仕儀しぎになりやすんで。


源六:ふうむ…。


政五郎:あとは…たかが八百文でございやすから、

    何かのついででもありましたらお宅に届けさせるようにいたしま

    すんで。

    大家おおやさん、何とかひとつ、よろしくお願い申しやす。


源六:……あぁそう、へえへえへえ、分かりましたよ。

   だけど何だね棟梁とうりょう、お前さんも時々おかしなこと言うんだね。

   なんだい、たかが八百てな。

   そりゃお前さんにとっちゃ八百のぜにも”たかが”かもしれないけど

   ね、あたしにとっちゃ大金だよ。

   地べた掘ったって八百文はっぴゃくもんが出てくるわけじゃねえんだ。

   ま、それはそれでいいさ。

   なんだいその、”ついででもありましたら”ってのは。

   あたしはね、世の中でその”でも”ってのが一番嫌いちばんきれぇなんだよ。

   じゃあ何かい、その”ついででも”の”でも”が無いと、八百のぜに

   はそれっきりかい?


政五郎:いや、そういうわけじゃねえ。

    あっしは職人でもって口のきき方はぞんざいだが、

    気にさわったら勘弁かんべんしてくんねえ。

    じゃ、こうしやしょう。

    あとの八百はね、すぐうちのやっこにお宅へ放り込ませやしょう。


源六:…よしてくれ、俺んとこは賽銭箱さいせんばこじゃないよ。

   むやみにぜになんか放り込まれてみろ。

   当たりどころが悪けりゃ、怪我けがしちまうよ。


政五郎:いや、本当におっぽり込もうって話じゃねえんだ。

    大家おおやさんだって道具箱持ってたってしょうがねえでしょう。

    あっしの方じゃそれが入用いりようなんだ。

    道具箱さえありゃ、八百ぐらいのぜにぜにと思っちゃいねえんです

    からね。

    八百のことでこうしてあっしが来て頭下げて頼んでるんだ。

    野郎に道具箱を渡してやってくれたっていいじゃございやせんか

    。


源六:…なんだいおい、”八百ぐらい”?

   ”あっしが来て頭下げて頼んでるんだから、野郎に道具箱渡して

   やってくれたっていいじゃございやせんか?”


   …おいお前、誰に口きいてるんだ?

   あたしは町役人ちょうやくにんだよ。

   おめえはたかが大工だいくじゃねえか! 雪隠大工せっちんだいくのくせしやがって、

   町役ちょうやくの前で大工だいくが頭下げてどうなるってんだ?

   あたしの目がくらむってぇのか?つぶれるってぇのか?

   お前の身体からはくが落ちるとでも言うのか?

   でかいつらァするなぃ!

   あと八百文はっぴゃくもん持ってこねえなら、道具箱は渡さねえ!

   びた一文いちもん欠けたってダメだ!


政五郎:~~なんだなおい、そんな因業いんごうなこと言わねえで…。


源六:おぅあたしは因業いんごうだよ!

   知ってるだろ、因業大家いんごうおおやってなぁあたしのことだよ!


政五郎:そんな大きな声出さなくたって…


源六:大きな声?地声じごえだよこれは!

   あといくらでも大きな声が出るよ!


政五郎:いや、それじゃ大家おおやさん、話しになりやせんよ。


源六:ああ話なんかしたくないね!

   気分が悪いんだ。顔を見るのが嫌なんだよ。

   帰ってくれ!!


政五郎:…じゃあ何ですか。

    あっしがこれほど筋道すじみち立てて話してお願いしても、

    野郎に道具箱は渡してやっちゃもらえねえと、

    こうおっしゃるんでござんすか。


源六:あぁおっしゃるとまで分かってたら、念を突くには及ばないね。

   渡せませんよ。ああ渡せないね。

   渡せねえってやぁどうするんだ?


政五郎:…どうするもこうするもねぇや。

    いらねぇってや、それでいいんでぇ。

    道具なんざ集めりゃ何とでもなるんだ。


    【一呼吸置いて】


    【足で床を踏み鳴らすようなSEあれば】


    何をかしやがんでぇこの丸太まるたぼうめッ!!!


源六:いっ、いきなりなんだい、人の家でケツまくって座り込んで…!

   っておばあさん、一人で逃げるんじゃないよ!

   逃げる時はあたしも一緒に逃げるんだ。


   な、なんだい棟梁とうりょう、人をつかまえて丸太まるたぼうってのは。


政五郎:そうだろうが!

    てめえなんざ目も鼻も口も血も涙もねえ、のっぺらぼうな

    人間の皮かぶった畜生野郎ちくしょうやろうだから丸太まるたぼうってんだ!

    この惚助ほうすけ藤十郎とうじゅうろう珍毛唐ちんけぇとういもり、かぶっかじりめィ!

    てめえに頭ァ下げるようなおあにぃさんとおあにぃさんの出来できが、

    少ゥしばかり違うんでぇ!

    デカいつらァするなだァ!?そりゃこっちのセリフでぇ!

    なにかしゃがる!御託ごたくがすぎらぁ!

    誰のおかげで大家おおやだの町役ちょうやくだの言われるようになったと思って

    やがる、このたろの頭、あんにゃもんにゃめ!

    いいか、今からてめぇの氏素性うじすじょうすっぱ抜いて、

    ずらーーっと並べ立てて聞かしてやるから、

    びっくりして座り小便して馬鹿になったり、

    赤くなったり青くなったりすんなよ!


源六:ぁ、あたしは七面鳥しちめんちょうじゃないよ!


政五郎:ぃやかましィ!!

    どこの馬の骨だか牛の骨だかわからねえ野郎が

    この町内に流れ込んで来やがった。

    その時のてめえのザマぁなんでぇ!

    寒空さむぞらに向かいやがって洗いざらしの浴衣ゆかた一枚でもって

    ガタガタガタガタ震えてやがって、

    「どうぞみなさんよろしくお願いします」って

    みんなの前でペコペコペコペコ頭ァ下げた事、忘れやしめぇ!

    さいわいこの町内の人はみんなお慈悲深じひぶけえや、

    可哀想かわいそうだから何とかしてやりましょうってんで、てめえはここの

    定番じょうばんになったんだ!

    二、三文さんもんの使いぜにをもらいやがって、てめぇなんざ使いやっこじゃね

    えか!

    あっちのご用聞ようきき、こっちの使い走りしてまごまごまごまご

    しやがって、

    冷やめしの残りを一口もらって細く短けぇ命をつないだこと、

    忘れやしめぇ!

    「おう源六げんろくさん、この手紙もってあっち行ってくれ」

    「へい」

    「この手紙もって向こう行ってくれ」

    「いや、向こうへは行かれません」

    「どうしてだい?」

    「向こうの方から風が吹いてきます。お腹がいてますんで、

    風に向かって歩けません」

    風のまにまにふわふわしてやがってこの風吹かぜふきガラスめ!


源六:この野郎、黙って聞いてりゃぁべらべらべらべらしゃべりやがって。

   なんだい棟梁とうりょう、言うがおかしいや。

   細く短く?言葉くらい覚えとけ。

   それを言うなら太く短くだろうが。


政五郎:なにをなにをなにをォ?

    太く短くだァ?そんなもん世間にいくらでもあらァ!

    てめえなんぞ細く短くでちげぇねぇだろうが!

    ろくに食うものも食わねえで、爪に火をともすようにして

    ぜにめやがって、そいつをたけぇ利息で貧乏人に貸し付けて、

    てめぇにゃ何人泣かされたか分からねぇんだ!

    そんなうらみを買ったぜにでもって家主いえぬしかぶ買いやがって、

    それで大家おおやでござい、町役ちょうやくでござい?

    なに言ってやんでェ!

    町役ちょうやくが聞いてあきれらぁ!大悪おおあくだよてめぇなんざ!

    てめえの運が向いたのは、ここの六兵衛ろくべえが死んだからじゃね

    えか!六兵衛ろくべえの事を忘れたらてめえなんざばちが当たるぞ!

    「おう源六げんろくさん、腹が減ったらこのいもを持って行きなよ」

    「寒かったらこの半纏はんてんを着たらどうだ」

    って、何くれとなくてめぇの面倒めんどうを見てくれた。

    その恩をあだでけぇしやがって!

    おうばあさん、隠れてることはねえ、こっち出てきな!

    みんな知ってんだ。

    もとは六兵衛ろくべえのかかあじゃねえか。

    その時分じぶんにゃあぶくぶく太って黒油くろあぶらなんぞつけて、

    おつに気取きどりやがって嫌らしいばばあだ。

    六兵衛ろくべえがぽっくりっちまって一人でさみしがって、

    人手ひとでりねぇところにつけ込みやがって、

    おかみさん水汲みずくみましょ、芋洗いもあらいましょ、薪割まきわりましょ、

    ってんでずるずるべったりこのうちへぇり込みやがってよ!

    いもだってそうだ!

    六兵衛ろくべえの売ってたいもってな、川越かわごえの本場のいもだ。

    あつっぺらに切ってき付けをしまねえからうめぇ。

    どきになってみろ、子供は正直だ。

    町内ちょうないえてほうぼうから買いに来て黒山くろやまの人だかりだ!

    てめえの代になってからそんな事が一度でもあったか!

    気のきいたいも売った事があったか!えぇ!?

    場違ばちがいないも買ってきやがってき付けをしむから、

    生焼なまやけのガリガリのいもじゃねえか!

    それ食って腹ァ下して死んじまったやつが何人いるか分かんねぇん

    だこの人殺し!

    与太よたッ!

    おう与太よたッ、こっち来いッ!


与太郎:ぁっ…その、…もう、帰ろうか。


政五郎:ッこの野郎、俺がここで何してるのか分からねぇのか!?


与太郎:な、なんか、ケンカらしいな…。


政五郎:らしいなじゃねぇこんちきしょう!

    もうケンカになっちまってんだよ!

    こっち来いってんだ!


与太郎:い、いや、行きますよ…。

    …なんでしょう。


政五郎:なんでしょうじゃねえ!

    なんか言ってやれッ!


与太郎:ぇ、あ、ぃや、その……こんにちわ。


政五郎:挨拶あいさつしてどうすんだよ!

    毒づいてやれッ、毒づいて!


与太郎:いや、その、だって、さ……。


政五郎:~~この野郎、ほんとうにじれってぇな!

    腹ぁ立たねぇのか!?


与太郎:い、いや、立ててもいいけど…


政五郎:義理で腹立てるんじゃねえ!

    早くなんか言ってやれッ!


与太郎:ちょ、ちょっ待っ、わ、わ、わかったよ…じゃあ言うよ……。

    や…や…やい!

    ぉ、お、大家おおやさん!


政五郎:”さん”なんぞいらねえッ!


与太郎:ぁっじゃっ、あのっ…さ、さんなんぞいらねぇや!

    大家おおやァ!!

    おおやァ!

    おやぁ?

    …おやおや。


政五郎:んなっ何を言ってんだおめぇは!

    はっきりしやがれッ!


与太郎:っ、ぁあ、だんだんハッキリするぞこのやろう!驚くな?ぁ?

    いまからおめえの氏素性うじすじょうをすっぱ抜いてやるから、

    それ聞いてびっくりして、赤くなったり青くなったりすんなよ!

    おれは七面鳥しちめんちょうじゃねえや。


政五郎:バカ、そうじゃねえ。

    そりゃ向こうが言うセリフだ!


与太郎:ぁぁそうだ。

    おめえが言うんだ、忘れるな!


源六:おめぇが忘れるな!


与太郎:うっ、ご、ごめんなさい。


政五郎:あやまってどうすんだ!

    もっとどんどんいけ!


政五郎:ぉっ、ぉぅどんどんいくぞ!

    っな、なんだおめえなんざっ、っお大家おおやだってっ威張いばって、

    っぉ大家おおやのくせになんだっ、ずっ図々しいぞ店賃たなちんなんか取りやが

    って!


源六:そりゃ当たり前だろうが!


与太郎:っそ、そりゃぁあたりめぇだ。

    俺が悪かった。


政五郎:だからあやまってどうすんだよ!


与太郎:っで、な、なんじゃねぇか。

    おめえなんか、この町内に流れやがっただろ、大水おおみず


源六:はァ?変な事言うない!


与太郎:で、寒空さむぞらに向かいやがって、洗いざらしのどてらーー


政五郎:浴衣ゆかただ!


与太郎:ぁそうだ。浴衣ゆかた一枚でガタガタうれしがりやがって!


政五郎:寒がったんだ!


与太郎:ぁぁそうだ寒がったんだ、こんちきしょう。

    で、二文三文にもんさんもんぜにもらいやがってあっちこっち行って、

    てめえなんざ、つか、つか…使いやっこさんどちらへ行く?


源六:な、何言ってんだ…。


与太郎:であの、風のまにまにふわふわしやがってこの、風吹かざふきトンビ!


政五郎:カラスだよ!


与太郎:っトンビの方が大きいや!

    でな、てめえの運が向いたのはなんだ。

    ろ、ろ、ろ、六兵衛ろくべえじいさんが死んだからだぞ、ほんとにな!

    六兵衛ろくべえさんが死んだって、てめえなんか香典こうでんもやるめえ!


政五郎:ぉおうめぇこと言うな!


与太郎:俺もやってねえ!


政五郎:それは余計だ!


与太郎:っそれで、あの、なんじゃねえか。

    そこにいるおばあさんは、もとは六兵衛ろくべえおじいさんのおばあさん

    だろ。

    んで、おじ、おじいさんがいて、おばあさんがいたんだ。

    おじいさんが山へ柴刈しばかりにーー


政五郎:なんで昔語むかしがたりになってんだ!


与太郎:っであ、あの、おじいさんが死んじゃっておばあさん一人になっ

    たら、そこんとこにスッと行きやがって、

    おばあさんや、いもを割りましょ、

    まきを洗いましょーー


政五郎:バカ、あべこべだろうが!


与太郎:っぁ、あ、あべこべにしやがって一緒になって、

    二人でもって爪の先っちょに火を付けやがって、

    よくおめえは火傷やけどをしねえなこの野郎!

    で、一生懸命いっしょうけんめいお金をめちゃって今じゃこんな立派な大家おおやさんに

    なっちゃって、

    どうもおめでとう!


政五郎:何を言いやがんだ!

    めてどうすんだよ!


    いいか大家おおやァ!

    弱ぇこちとらにゃ、強えお奉行様ぶぎょうさまが付いてるんだ!

    お白州しらすでもってづらかかしてやるからな!

    おう与太よた、かっこむぞ!かっこむんだ!


与太郎:ぇえ? あの、茶漬ちゃづけかい?


政五郎:茶漬ちゃづけじゃねえ!

    奉行所ぶぎょうしょに訴え出るんだ!


語り:交渉決裂と相成あいなりまして、政五郎まさごろう源六げんろく物別ものわかれ。

   怒り収まらぬ政五郎まさごろう、すぐさま南町奉行所みなみまちぶぎょうしょへ訴え出ました。

   この時代、奉行所ぶぎょうしょというものはこういう些細ささいごとというものは

   取り上げなかったそうです。

   だけども何度も何度も熱心に訴え出たもんですから、

   お役人も根負こんまけしてこの願書がんしょを見ると、

   「このたび与太郎儀よたろうぎ家主源六やぬしげんろく二十日余はつかあまり道具箱をめ置かれ、

   老母一人ろうぼひとりやしながたし。」

   とある。

   これは穏やかならんというのですぐに源六げんろくの元へ差しがみが付き、

   双方そうほう奉行所ぶぎょうしょへ呼び出しと相成あいなりました。

   お白州しらすへ入ると一段高い所には南町奉行みなみまちぶぎょう大岡越前守忠相おおおかえちぜんのかみただすけ

   左右には目安方めやすかた公用人こうようにんえんの下には同心どうしん十手じってを持ってひかえております。


政五郎:【つぶやく】

    けっ、今にそのもったいぶったツラぁ青くしてやる…!


源六:【つぶやく】

   ふん…。


大岡:神田三河町かんだみかわちょう家主源六いえぬしげんろく、並びに同店子どうたなこ大工職だいくしょく与太郎よたろう

   差添え人、神田竪大工町かんだたてだいくちょう喜平治きへいじ店借たながり、大工職だいくしょく政五郎まさごろう

   め合いの者一同、そろいおるか?


源六:一同、そろいおりましてございます。


大岡:うむ。

   与太郎よたろう、おもてを上げい。

   …おもてを上げい。


政五郎:【小声で】

    おい、何してんだよ。

    早くおもてを上げろ!


与太郎:【小声】

    ん、ぅん? おもて?

    ぃやあ、おもてはちょっと上げられねえ。

    土台がしっかりしてねえから。


政五郎:【小声で】

    なに言ってやがんだ、バカ!

    顔を上げるんだよ、顔を!


与太郎:【小声で】

    ぁっ、か、顔かい。

    そらぁ上がるよ、うん。


大岡:そのほう、何歳にあいなる?


与太郎:ぇっ、えっ…なんだい…?


政五郎:【小声で】

    分からねえなおめぇは。

    お奉行ぶぎょう様はおめえの年をお聞きになられてるんだよ!

    早く言え!


与太郎:【小声で】

    ぇっ、と、年って、誰の?


政五郎:【小声で】

    だからおめぇだよ!


与太郎:【小声で】

    あぁ、うん、あるよ。


政五郎:【小声で】

    あたりめぇだよ、早く言え!


与太郎:【小声で】

    う、うん…ぁ、あれ?

    いくつだっけ?


政五郎:【小声で】

    分からねえのかよ!しょうがねぇな。

    たしかおめぇは今年で二十六じゃねえか?


与太郎:【小声で】

    ぁ、う、うん、そうかもしれねえ。


政五郎【小声で】

   そうかもしれねえって何だよ!

   早く言え!


与太郎:っあ、ぇ、ぇえと、に、二十六でございます。


大岡:おぉ左様さようか。

   願書がんしょのおもむきによると、これなる与太郎よたろう家主源六いえぬしげんろくに、

   道具箱を二十日余はつかあまめ置かれ、それが為に老母一人ろうぼいちにんやしながたし、

   と言う事になっておるが、それに相違そういないか?


政五郎:相違そうい、ございません。


大岡:うむ、左様さようか。

   家主源六いえぬしげんろく、おもてを上げい。


源六:ははーっ。


大岡:なにゆえあってそのほうは、これなる与太郎よたろうの道具箱を二十日余はつかあま

   め置いた?

   仔細しさい、ありていに申し述べよ。


源六:恐れながらお奉行様ぶぎょうさまに申し上げます。

   実はこれなる与太郎よたろうが、あまりに店賃たなちんめますのでたびたび催促さいそく

   に参りましたところ、一向いっこうに払う様子ようすはございません。

   そこで道具箱を預かるが良いかと聞きましたところ、

   他に考えがないからそうしてくれと当人が申します。

   少しは気にもなりましたが他の店子たなこ手前てまえもありまして、

   与太郎よたろうだけを大目おおめに見るというわけには参りません。

   それでわたくしが道具箱を預かっておりましたところ、

   過日かじつ一両二分いちりょうにぶを持って道具箱を返してくれとわたくしの所に参りました。

   しかしながら店賃たなちんとどこおりは一両二分八百いちりょうにぶはっぴゃく、八百文も足りないところ

   からどうしたのだと聞きましたところ、やれ「言いづくにすれば

   タダでも取れる。」だの、「あたりめぇだべらぼうめ」だのと、

   あまりに悪口雑言あっこうぞうごんを申します。

   その為わたくしもつい、カーーッとなりまして、

   今日、かようにお奉行ぶぎょう様の手をわずらわせるというようなことになった

   次第しだいでございました。


大岡:左様さようか。

   …だが源六げんろく、それは何か思い違い間違まちがいというものではないか?

   町役人ちょうやくにんに向かってそのような悪口あっこう、いかにおろかな者と言えども言う

   わけはないと思うがのう、どうじゃ?


源六:いえ、確かに申しました。


大岡:いやいやそのようなことはあるまい。

   それは何かの聞き間違いであろう。

   のう与太郎よたろう

   そのような事は申しておらぬな?


与太郎:!っえ、ぃえ、言ってやったんです。


大岡:おぅこれこれ、落ち着けよ、よいか?

   よもや、そのような事は申しておらぬな?


与太郎:ぃっ、ぃえ、そう言ってやったんです。

    だってっ、言ったんだから…。

    ぁ、あたぼうだって言うとあたぼうって何だって言うから、

    あたりめぇだべらぼうめをめたんだって、

    そうやって教えてやったんで…。


大岡:【床を叩くようなSEがあれば】

   これッ!

   かりそめにも町役人まちやくにんに向かい、そのような悪口あっこうを申す奴があるか!

   ましてや店賃たなちんとどこおらせ、しかもらずに持って参ってそのような

   ふるまい、ならんぞ!

   また、老母一人ろうぼいちにんやしなえぬ身でありながら一両二分いちりょうにぶ金子きんす

   いずこにて工面くめんいたした?

   ありていに申せ。


政五郎:【少し丁寧に言い慣れてない】

    恐れながら、お奉行ぶぎょう様、政五郎まさごろう代わって申し上げます。

    それは、手前てまえが、この野郎に、貸し、与えたもんにございやし

    て。


大岡:おぉ政五郎まさごろう、そのほうが貸し与えたのか。

   うむ、それは良い事をしたな。奇特きとくな事である。

   しかしながらのう政五郎まさごろう、なぜその時、あと八百文はっぴゃくもん貸してやらな

   んだ?

   一両二分八百文いちりょうにぶはっぴゃくもんととのっておれば、事は穏便おんびんに済み、

   かようにおかみの手をわずらわす事もなかったはずではないか?

   のう、仏作ほとけつくってたましい入れずとはこの事ぞ。

   どうじゃ、今ここで与太郎よたろう八百文はっぴゃくもん

   貸してつかわすわけには参らぬか?


政五郎:へい、承知いたしやした。


大岡:おお、そうか。

   ではな、すぐに貸してやるがよい。

   与太郎よたろう、そのほう政五郎まさごろうより八百文はっぴゃくもん借り受け、

   ただちに源六げんろく返済へんさいいたすのだ。


与太郎:へ、へい…。


大岡:源六げんろう与太郎よたろうより金子きんすを受け取り帰宅しのち、

   すぐに道具箱を与太郎よたろうに引き渡せ、よいな?


源六:【満足そう】

   ははぁ~~っ。


大岡:店賃たなちんとどこおり、日延ひの猶予ゆうよ相成あいならぬ!

   一同の者、立ちませぃッ!


   【二拍】


源六:ははは…勝つのが当たり前だ。

   だいたいね、店子たなこ家主いえぬしを訴えるなんてのが間違まちがいなんだ。

   あたしなんざね、毎朝神棚まいあさかみだなに手を合わして商売繁盛しょうばいはんじょうなんて願った事

   はないんだ。

   騒動繁盛そうどうはんじょうごとだったら人のごとでも何でもあたしは引き受け

   ようって男だ。

   こちとら公事慣くじなれしてんだよ。

   それを相手取あいてどってうったえ出るなんて、当人の馬鹿ばか加減かげんが知れるって

   もんだ。

   その尻押しりおしをする奴も大馬鹿野郎おおばかやろうだよ!

   おいッ、与太郎よたろうッ!

   こっち来いッ!


与太郎:ぅっぇっ、な、なんだい?


源六:なんだじゃねえ!

   いま聞いてたろ。あと八百文はっぴゃくもん、さっさと出せ。


与太郎:ね、ねえよ。


源六:ねえなら尻押しりおしんとこ行って借りてこい。


与太郎:ぁっ、そうか。


    尻押しりおしー!


政五郎:ぃやかましィ!こんちきしょう!

    てめぇのような間抜まぬけな奴はねえや!ええ?

    お奉行ぶぎょう様がせっかく、そのような事は申しておらぬなって

    なぞをかけてくれてんのに言いました言いましたって、バカが…!

    あかぱじかきに来たようなもんじゃねえか!

    ったくしょうがねえな……、ほれ、八百文はっぴゃくもん

    早く持ってって、渡して来い!


与太郎:ぅわ、わかったよ…。


政五郎:ぁ~口惜くやしいったらありゃしねぇ!!


与太郎:はっ、はっ……、

    持ってきた!


源六:こっちへよこせ!…よし。

   墨付すみつきの書面しょめんが出るまで付き合え!

   ほれ、呼び出しだ!


   【二拍】


大岡:さて、いかが相成あいなった?

   源六げんろく八百文はっぴゃくもん金子きんす、しかと受け取ったか?


源六:はい、確かに受け取りましてございます。


大岡:うむ、くどいようではあるが、

   帰宅ののち、すみやかに与太郎よたろうに道具箱を引き渡すべきこと、

   よいか。

   これで不足のあろうはずはないな?


源六:はい、それはもう…不足のあろうはずはございませぬ。


大岡:そうじゃ、ところで源六げんろく


源六:?はい。


大岡:そのほうに、ちとたずねたきがある。


源六:な、何でございましょう?


大岡:与太郎よたろうの道具箱だが、店賃たなちんのかたに預かったのであるな?


源六:はい。


大岡:うむ。

   一両二分八百文いちりょうにぶはっぴゃくもんのかたに道具箱を預かった、

   確かに相違そういないな?


源六:左様さようでございます。


大岡:してみると、質物しちもつと同じであるな。

   そのほう、質株しちかぶ所持しょじいたしておるか?


源六:…いや、それは…あの…どうも、恐れ入りましてございます。


大岡:それではわからぬ。

   質株しちかぶ所持しょじいたしておるのか?


源六:ぅ…あ…。


政五郎:【つぶやく】

    ぉ…?

    こいつァ風向かざむきが変わってきやがったぞ…?


大岡:質株しちかぶなくして人のものを、こたびの場合は店賃たなちんのかたとして

   道具箱を預かるはご法度はっとじゃ。

   町役ちょうやくつとめるそのほうが、よもやそれを知らぬはずはあるまい。


源六:ぅ…うぅ…。


与太郎:【つぶやく】

    ? ぐ、具合ぐあいでも、悪いのか…?


大岡:かさねてたずねるぞ、源六げんろく

   質株しちかぶは、持っておるのか?


源六:ッ………お…恐れながら……質株しちかぶは…

   持って…おりませぬ……っ!


大岡:何ッ!?

   質株しちかぶを持っておらぬと申すか!

   【床を叩くSEあれば】

   不埒者ふらちものめ!

   質株しちかぶなくして、なぜそのような事をいたした!

   おかみの定めた法度はっとそむくは不届ふとど至極しごく

   本来ならばきつくとがめを申しつけるところながら、

   こたびは願いにん店子たなこであるゆえ、過料かりょうにてし許す!

   よいかッ!!


源六:はっ…ははぁーーーっ…!


与太郎:【つぶやく】

    ぇっ、ぇっ…?


政五郎:【つぶやく】

    ぃよっしゃァ!

    見ろィ、あの源六げんろくのツラぁ!

    ザマ見やがれってんだ!


大岡:さて与太郎よたろう大工だいく手間てまだが…日にどのくらいであるか?


与太郎:ぅえっ? えっ、えぇと…っ


政五郎:【つぶやく】

    ようし、ここはひとつ…けてやれ!

    いいいい、俺が答える!


    恐れながらお奉行ぶぎょう様!

    政五郎まさごろう代わって申し上げます!


大岡:おお政五郎まさごろう、申してみよ。

   どのくらいであるか?


政五郎:へい!

    ここのところ、大工だいく手間てまもだいぶ上がっておりやして。

    またこの野郎は大工仕事だいくしごととなりゃ、一人前以上の腕を持ってるも

    んでかせぐんでございやす!

    早出はやで居残いのこりと色々ありやして…。


大岡:ああ政五郎まさごろう、細かいところはよい。

   おおまかでかまわぬぞ。


政五郎:へい、一日当たり…銀十匁ぎんじゅうもんめてぇところでございやす!


大岡:ほう、銀十匁ぎんじゅうもんめであるか。

   それを二十日はつかぶんとすると、銀二百匁ぎんにひゃくもんめであるな。

   きんに直すと、三両三分三朱さんりょうさんぶさんしゅか。

   あいわかった!

   これ源六げんろく


源六:は、はい…。


大岡:そのほう、与太郎よたろうに、ただちに銀二百匁ぎんにひゃくもんめを渡すのだ。

   よいか!


源六:は…ははぁ~~…。


大岡:このこと、日延ひの猶予ゆうよ相成あいならぬ!

   一同の者、立ちませぃッ!!


   【二拍】


政五郎:へへへ勝ったぜ!どうだい!

    あたりめぇだよ、冗談じゃねえぜ!

    やっぱりお天道様てんとさまはお見通みとおしだ、ザマぁ見ろィ!

    おう与太よた! 早く源六げんろくんとこ行って銀二百匁ぎんにひゃくもんめ、もらってこい!


与太郎:へへへ、わかった!


    【二拍】


    へへ、げ、源六げんろく源六げんろく


源六:…来やがったよ。

   なんだ!?


与太郎:に、二百匁にひゃくもんめ、よこせえ。


源六:ッ何を言いやがんだちきしょうめ!


与太郎:っひのべ、ゆうよ、あいならぬぅ。


源六:~~口惜くやしいよ、まったく!

   そら!手ェ出せ!

   ッ!

   持ってけ!


与太郎:っへへ、ありがとさん~。


    【二拍】


    棟梁とうりょう、もらって来た!


政五郎:ようし、こっち貸せ。

    俺が預かっとくからな。

    おっ、呼び出しだ。


    【二拍】


大岡:さて政五郎まさごろう、いかが相成あいなった?


政五郎:へい。

    この通り、銀二百匁ぎんにひゃくもんめしっかと預かりやした。


大岡:おぉそのほうが預かったか。

   うむ、結構けっこうである。

   源六げんろくよ。


源六:は、はい…。


大岡:いかにおろかな者と言えども、えんあってそのほうの店子たなこになった者で

   あるぞ。

   これからはいたわってつかわせ。

   良いな。


源六:は、ははーっ。


大岡:これ与太郎よたろう


与太郎:?っへ、へい。


大岡:そのほうもじゃ。

   町役人ちょうやくにんにむかって悪口雑言あっこうぞうごんなど申してはならんぞ。

   これからはしょくせいを出し、親に孝行こうこうをつくせよ。

   この越前えちぜん、しかと申しつけるぞ。

   分かったな?


与太郎:へ、へえ、分かりやした。


大岡:うむ!

   これで調べはあいすんだ。

   一同の者、立ちませィ!


   おおそうだ、政五郎まさごろう

   ちとこれへ。


政五郎:?へい、何でございやしょう?


大岡:…一両二分いちりょうにぶと八百のかたに銀二百匁ぎんにひゃくもんめは、ちともうかったであろう。


政五郎:…へいっ。


大岡:さすがは大工だいく棟梁とうりょう細工さいく流流りゅうりゅう】。


政五郎:へい、調べ【仕上げ】をごろうじろ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)

立川談志(七代目)

柳家小三治(十代目)



※用語解説


お金の説明:一分金は今の価格で二万円ほどで、江戸時代の貨幣は全て

      四進法で計算される。すなわち

      一分金四枚、または二分金二枚で一両

      一両は約八万円

      銀一匁は現代で約千二百五十円

      銀二百匁は二十五万円

      朱→一朱銀なら約五千円弱

      八百文は一万五千円


店賃:家賃の事。


町役:江戸時代に町奉行まちぶぎょうの下で、町方まちかたの民政を行った下級役人。

   身分は町人。


雪隠大工:下手な大工の事。


因業:頑固で無情なこと。仕打ちのむごいこと。


惚助:馬鹿者の事。


珍毛唐:外国の人を馬鹿にして言う言葉。


藤十郎:※調べたけど出て来ませんでした。


芋っ堀り:田舎者を見下して言う言葉。


蕪っかじり:※調べたけど出て来ませんでした。

      芋っ掘りと似たような意味ではないでしょうか。


差し紙:江戸時代、尋問や命令の伝達の為、役所から日時指定して

    特定の個人を呼び出す召喚状。


過料:行政上の秩序の維持のために、違反者に制裁として金銭的負担を

   課すもの。刑事事件の罰金と異なり、過料に科せられた事実は

   前科にはならないそうである。


あんにゃもんにゃ:意味のない罵倒言葉。なんじゃもんじゃがなまった

         ものだそうである。


質株:質屋株。質営業をする権利。




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