落語声劇「大工調べ」
落語声劇「大工調べ」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約60分
必要演者数:4名
(0:0:4)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
政五郎:大工の棟梁。面倒見がよく、与太郎が店賃を滞らせていると聞き
、自腹を切って金を貸す。
与太郎:与太郎とは落語の世界では役に立たない愚か者
の事を指す。この噺の与太郎は大工の腕は大したものだが、頭の
回転がちょっと遅く、見当違いなことを言う。
源六:与太郎の住む長屋の大家。
かなりの業突く張り。
大岡:南町奉行所のお奉行様。すなわち、大岡裁きで有名な、
大岡越前守忠相である。
語り:雰囲気を大事に。セリフ数は少ない。
●配役例
政五郎:
与太郎:
源六:
大岡・語り:
※枕はどちらかが適宜兼ねてください。
枕:人間、面と向かって話さないと自分の思っている事、伝えたい事が
すべては伝わらないそうです。
面と向かって対話が八割~九割、電話だと六割~八割、手紙…今だと
メールなどもですな。これだと言いたい事の半分も伝わればいいほう
だと言われています。
ところが面と向かって話しても、些細な言葉のかけ違いで思わぬ騒動
に発展することが往々にしてあるもので。
政五郎:おい、与太、いるかい?
?与太? いるかってんだよ!
与太郎:ああ…棟梁。
政五郎:ああ棟梁、じゃねえよ、ぼんやりしてるじゃねえか。
お袋さんはどうした?
与太郎:…墓参り。
政五郎:そうか、そりゃ結構なことだ。年寄りは墓参りが何よりだ。
それに、おめえはお袋さんの面倒をよく見てえれぇや。
与太郎:それで…棟梁、今日はどうしたんだい?
政五郎:ああ、長ぇこと遊ばしといて悪かったな。
俺も気にはしてたんだが、いい仕事ができたぜ。
番町のお屋敷の仕事でよ、こいつは一年、長引きや一年半は
続こうってなぁ大仕事だ。もう心配するこたあねえ。
それでよ、今日のうちに向こうへ道具箱を運んじまおうと思って
な。そうすりゃあ明日は手ぶらで行けるって寸法だ。
だからよ、俺んとこに道具箱持って来といてくれや。
与太郎:…うん。
政五郎:早いとこしなよ。
与太郎:…うん。
政五郎:若ぇもんがで車で引っ張ってくからな。
与太郎:…うん。
政五郎:おい、分かってんのか?
与太郎:…うん。
政五郎:いいか?
与太郎:…うん。
政五郎:なんだよおい、うんうんって…。
せっかくいい話を持って来たってのに、
張り合いのねぇ野郎だなこいつは。
しっかりしろぃ!
与太郎:…それがね、棟梁の前だけどさ、
あんまりしっかりできねえんだよ。
政五郎:なんでぇ、何かあったのか?
与太郎:…道具箱がねェんだ。
政五郎:よせよおめぇ。
道具箱がねえって、大工が道具箱なくっちゃ話にならねぇ。
仕事できねぇじゃねえかよ!
さてはおめぇアレか。
ちょっと仕事が途切れたってんで、
とうとう道具箱、食っちめぇやがったな?
与太郎:いや、食いやしないよあんな硬ぇの。
だいいち金槌とか歯が立たねぇ。
政五郎:何言ってんだよ、本当にかじったってんじゃねぇよ。
質に入れちまったんだろ?
与太郎:質になんか入れてないよ。
…持ってかれちゃったんだよ。
政五郎:んだよ、持ってかれちゃったんだよっておめぇ、
のんびりしてる奴があるかよ。
おめぇ普段から戸締りしてねえって言ってたな?
だからそういう事になるんだよ!
で、夜中か?
与太郎:…それがね、夜中じゃねえんだ。
政五郎:じゃあなにか、明け方か?
与太郎:うぅん。
政五郎:日の暮れか?
与太郎:…うぅん。
政五郎:じゃあいつだよ。
与太郎:うぅん。
政五郎:なんだこの野郎、いつだって聞いてんだよ。
与太郎:それがね、あの…昼過ぎ。
政五郎:昼ゥ?
おめぇ家にいなかったのか?
与太郎:いたよ?
政五郎:居眠りでもしてやがったんだろ。
与太郎:居眠りなんてしてないよ。
持ってく奴のツラぁ見てた。
政五郎:見てたぁ?
持ってかれると思ったら、泥棒!とかなんとか怒鳴ったらいいじ
ゃねえか。
与太郎:怒鳴ろうかと思ったらね、大きな目玉でぎょろって睨まれたから、
やめちゃった。
政五郎:だらしのねえ野郎だなこいつは。
じゃ、そいつのツラぁ見て覚えてるか?
与太郎:覚えてるよ。
今朝もそのツラに会った。
政五郎:会ったァ!?
そりゃあうまくやったな!
取り返したか!?
与太郎:いや、取り返そうかなって思ったら、また大きな目玉で
ぎょろって睨まれてね、それで思わず、おはようございますって
挨拶しちまった。
政五郎:しょうがねぇなこいつは。
で、その野郎にどこで会ったんだ?
与太郎:長屋の井戸端。
政五郎:ハァ!?
じゃ何か、そいつァこの近所にいるってぇのか!
与太郎:いるよ。
家も知ってんだ。
政五郎:知ってるゥ!?
じゃ俺が行って取り返してきてやるよ。
どこだそいつの家は?
与太郎:あのね、この路地出て右っ側の角の家だよ。
政五郎:この路地出て右っ側の角って…いやに近ぇな。
…っておい、右の角ってったらおめぇ、大家の家じゃねえかよ!
与太郎:そう。
そのね、大家さんが持ってったんだよ。
政五郎:なんだよおい、じゃあおめぇアレだろ。
店賃が滞って、そのかたに大家が道具箱もってっちまったと、
こういうわけか?
与太郎:…ははは、当たった。
政五郎:当たった、じゃねえよ。
そんなもん当たったってしょうがねえよ。
いったい、いくら溜まってんだよ?
与太郎:…一両二分と八百文だよ。
政五郎:恐ろしく溜めやがったなこいつは。
与太郎:別にね、骨も折らねえし苦労しねえけど、溜まった。
政五郎:当たり前だよ。
そういうものはな、ほっときゃいくらだって溜まっちまうんだ。
まぁそんな事もあるかと思ってよ、
俺ぁいくらか腹掛けのどんぶりの中に放り込んできたんだ。
とりあえずこれだけあるから、よくわけを話して返してもらって
こい。
いいか、門限があるんだからな、間に合わなかったらおめぇ、
道具箱かついでかなくちゃなんねえぞ。
早く行ってこい!
与太郎:へい…すいませんね、棟梁にはいつもお世話になっちゃってさ、
すまねえなと思ってるんですよ。
お世話になりっぱなしで………?
あれ…。
棟梁、これぁだめだ、一分金が六枚だな。
政五郎:そうだよ、六枚だ。
与太郎:一分が六枚ってことはなんだな、これァ一両二分だね。
政五郎:そうだ。
与太郎:…あ、あのね、あっしの店賃の滞りは、一両二分と八百だよ。
そこへもってきて…うーん……。
政五郎:いつまで見てたって、金は増えねえぞ。
与太郎:いや、別に増やそうとは思わねえけどさ。
一両二分と八百のとこへ一両二分ということは、これは……
まあ、早い話がどういう事かなってーー
政五郎:じれってぇなおい。
八百文足りねえと、こう言いてえのか?
与太郎:あぁそうそう、そうなんだよ。
棟梁はすらすらっと勘定がうまいね。
政五郎:張り倒すぞこの野郎。
一両二分八百んとこへな、八百持ってくんじゃねえんだ。
親方の一両二分のほう持ってくんだぞ?
八百くらい御の字よ。
与太郎:なんだいその御の字ってのは。
政五郎:あたぼうだってんだよ。
与太郎:何そのあたぼうってのは。
政五郎:いちいち聞くなよ、おめぇも江戸っ子だろうが!
あたりめぇだ、べらぼうめを縮めてあたぼうってんだよ。
あたりめぇだべらぼうめ、なんてそのまま言ってみろ。
長ったらしくて陽気の時分にゃ言葉が腐っちまうし、
日の短けぇ時分には日が暮れちまうわな。
だから言葉はトーンと詰めて話すんだよ。
与太郎:はぁぁ、あたぼうね…うまく詰まった。
政五郎:またつまらねえことで感心してやんな。
一両二分八百のかたに持ってかれてる道具箱だが、
一両二分持ってって取り戻して来いってんだよ。
渡すも渡さねえもあるものかィ。
大工にとって道具箱は商売道具、武士にとっての刀じゃねえか。
そいつを店賃のかたに取るってぇのは呆れた話だ。
言いづくにすりゃタダでも取れるが、相手が町役で大家じゃ
しょうがねえ。
下手な事をして後で犬の糞で敵を取られるってぇ事もある。
長い物には巻かれろってこともあるんだ。
だから一両二分持ってって、詫びの一言でも言って
返してもらえ。よく下手に出るんだぞ。
早く行って来いッ!
与太郎:わ、わかったよ…。
棟梁はああ言うけどさぁ、いざとなったらおっかなくって
しょうがねえよ。
本当にこの大家がまたおっかねぇ人なんだ。
でもいい事聞いちゃったよ。そりゃあそうだ、あたぼうだよ。
今度から足りなくなったら、みぃんなあたぼうにしちゃおう。
【より間抜けな声で】
おぉーい、おぉ~やぁ~!
おぉ~やァ~!!
源六:誰だァ裏で間抜けな声出しやがんのは?
裏のバカか?
なんか用か?こっちへ入れ。
…ぬうっと入って来やがった。
与太郎:…へへ…よう、道具箱くれ。
源六:この野郎…くれっつってそこに突っ立ってる奴があるか。
奥の三畳の部屋に入ってんだ、おめぇも知ってんだろうが。
てめぇで持ってけ持ってけーーって待て待て。
ただで持ってきゃいいってんじゃねえぞ。
その前にな、決めとくもん決めとこうじゃねえか。
店賃は持ってきたんだろうな?
与太郎:あぁ、あらぁ。
源六:あらぁったって、おめえが持ってたってしょうがねえだろ。
こっちへ出せ。
与太郎:ほれ、受け取れぇ。
源六:っとっとっ、この野郎、銭ぃ放りやがったな。
こういうものを粗末にする奴に出世したためしはねぇんだ。
いつまで経ったってそんな事してーーあれ、おい婆さん、婆さん、
銭そっちへ飛ばねえか?
飛ばねえ?ほんとにか?
おいおいちょっと待て与太、これァ一両二分しかねえんじゃねえの
か?
与太郎:うん、そうだよ。
源六:いや、そうだよじゃねえ。
これ一両二分だろ。
与太郎:そうだよ。
いつまで見てたって増えないよ。
源六:なんだよその増えねえってのは。
八百文足りねえじゃねえか。
与太郎:え? いいじゃないか。
源六:良かねえよ!
足りねえところはどうすんだ!?
与太郎:八百ぐらいは御の字だよ。
源六:なんだ、その御の字ってのは?
与太郎:ぁ~、あたぼう。
源六:なんだそのあたぼうってのは。
与太郎:あ、大家さんも知らねえんですか?
それね、詳しく言うとね、
あたりめえだべらぼうめ。
源六:この野郎、足りなく持ってきて威張ってる奴があるか!
なに言ってやがんだ!
与太郎:だけど言いづくならね、タダでも取れるんだよ。
源六:なっ…なんだとォ!?
言いづくならタダでも取れるなんて言い草があるか!!
与太郎:だけど相手が町役でもって、大家でもって
そんで長ぇもんだから…あの…犬の糞だよ。
源六:なに言ってやがんでェこの野郎ォ!
そうか、どうもおかしいと思ったが、今日はおめえの了見で来たん
じゃねえな?
誰かおめえの尻押しをした奴がいるんだろ。
そいつを連れてこい!お前に差し金した奴をここへ出せ!
与太郎:ダメだよ。
差し金は道具箱に入ってるから。
源六:っな、なに言いやがんだ!
もう帰れッ!!
与太郎:じゃあ帰るから道具箱こっちくれ。
源六:ダメだ! あと八百持ってこい!
与太郎:じゃあ今の金こっちへ返して。
源六:こいつは店賃の内金にしてもらっておく。
与太郎:ずるいぞそれは。
金も取っちゃってそれで道具箱も返してくれねえってのは。
そういうのはずるいぞ。
源六:何をぐずぐず言ってんだこのバカ!
帰れったら帰れッ!!
与太郎:…。
また追い出されちゃったよ…。
【二拍】
棟梁~。
政五郎:?おいどうしたお前、手ぶらじゃねえか。
道具箱はどうした?
与太郎:道具箱はね、向こう。
政五郎:銭はどうした?
与太郎:銭も向こう。
政五郎:じゃ何か、道具箱くれねえで銭だけ取り上げやがったのか!?
与太郎:それにダメだよ棟梁。
このごろはほら、あの、あたぼうってのは流行らないよ。
政五郎:なんだ、流行らねえってのは?
与太郎:向こうでもってさ、八百文足りねえって言うから、
八百ぐらい御の字だって、そう言ったんだ。
そしたら御の字って何だって言うから、あたぼうだって言ったら
、あたぼうって何だってまた聞くから、よく分かるようにさ、
あたりめえだべらぼうめって。
政五郎:おい…おめぇそれ、大家にそのまんま申し上げたのか?
与太郎:申し上げた。
政五郎:申し上げた、じゃねえよ!
それはおめぇと俺との楽屋話だろうが。
大家、怒っただろ。
与太郎:怒った。
真っ赤になって目ぇむいて怒っちゃった。
あと八百持ってこい!持ってこねえうちゃ、道具箱渡さねえぞ!
帰れェーっ!てさ。
政五郎:だから言っただろうが。
よく訳を話してもらってこいって。
明日は門限があんだぞ、門限が。
どうするんだよ、おめぇだけ道具箱かついで、
後からのこのこのこのこ入ってくって事になったらよ。
格好がつかねえじゃねえか!
…まぁしょうがねえ、おめぇ一人で行かせた俺も悪かったよ。
あと付いてきな。取り返してやるから。
与太郎:あっあっ、棟梁、表からじゃなくてーー
政五郎:分かってるよ。引っ張るんじゃねえ。
こういう時は裏から入るもんだ。
ごめんくださいやし。
ごめんくださいやし!
源六:はい、誰だいーーってなんだい、棟梁じゃないか。
おい婆さん、棟梁が見えたよ!ちょっと座布団持って来な!
棟梁、そんな汚い裏から入らないでさ、いつものように表から入っとくれ
よ。
ってちょっとちょっと、そんな隅っこで小さくなられてたんじゃ
困るよ。
婆さんと今も棟梁の噂をしてたんだ。
お前さんのおとっつぁんは立派な棟梁だった。
そしたらお前さんはこれまた親勝りだ。
町内の華だ、いや大したもんだ…って
そんなとこでもってかしこまられちゃ困るじゃないか。
こっちへもっと…って、どなたかお連れさんがいなさるのかい?
もし、お連れさんの方、こんな汚い裏ですがね、
どうぞこちらへお入りーー。
与太郎:へへ…どうも…。
源六:ぁっ…バカ野郎だ。
そうかい、尻押ししたのは棟梁なんだね。
お前さんそのバカ連れて詫びに来なすったのかい。
いや、今もね、わずかの銭が足りねえからって腹を立てたわけじゃ
ねえが、あんまり言いぐさがひでえから追い返したまでの話なんだ
よ。
政五郎:どうも、相すいやせん。
何しろこの野郎は少々人間がおめでたく出来上がっておりやして
、こんなバカな野郎ですがね、これで仕事をやらせますってぇと
一人前以上の仕事をいたしやす。
それにこいつは親孝行者でね、普段から目ぇ掛けてやっておりや
すが、近頃は長ぇこと遊ばせといちまいまして。
あっしも気にはしてたんですが、今度いい仕事ができましてね。
番町の方のお屋敷でもって、ここ一年か一年半は続くてな大仕事
でございやす。
さっそく喜ばしてやろうと思って話をしたところ、
これこれこういうわけで一両二分八百文の店賃の滞りがあって、
そのかたに大家さんが道具箱を持ってっちまったと聞きやした。
いやね、さっき散々っぱら小言を言いやした。
雨露しのぐ店賃を滞らせるようなことするんじゃねえ、って。
あっしも店賃の額は承知だったんですが、あいにく一両二分しか
持ち合わせてなかったもんですから、野郎にそれ持たして、
大家さんによく訳を話して返してもらってくるようにと、
そう言ったんです。
この野郎がどんな事くっちゃべったかは分かりやせんが、
どうかひとつ、勘弁してやってもらいてえんで。
源六:…それで、仕事はいつから始まるんだい?
政五郎:それが、明日から始まるんで。
今日のうちに向こうへ道具箱を運んじまおう。
そうすりゃ明日、野郎は手ぶらで行けるって寸法で、
野郎に職人の貫録を付けさしてやりてえ、とこう思いやして。
そんなわけで、こうしてお願い申してるんで。
門限に間に合わねえと野郎だけ一人で明日、のこのこ道具箱を
担いでいくような、間抜けな仕儀になりやすんで。
源六:ふうむ…。
政五郎:あとは…たかが八百文でございやすから、
何かのついででもありましたらお宅に届けさせるようにいたしま
すんで。
大家さん、何とかひとつ、よろしくお願い申しやす。
源六:……あぁそう、へえへえへえ、分かりましたよ。
だけど何だね棟梁、お前さんも時々おかしなこと言うんだね。
なんだい、たかが八百てな。
そりゃお前さんにとっちゃ八百の銭も”たかが”かもしれないけど
ね、あたしにとっちゃ大金だよ。
地べた掘ったって八百文が出てくるわけじゃねえんだ。
ま、それはそれでいいさ。
なんだいその、”ついででもありましたら”ってのは。
あたしはね、世の中でその”でも”ってのが一番嫌ぇなんだよ。
じゃあ何かい、その”ついででも”の”でも”が無いと、八百の銭
はそれっきりかい?
政五郎:いや、そういうわけじゃねえ。
あっしは職人でもって口のきき方はぞんざいだが、
気にさわったら勘弁してくんねえ。
じゃ、こうしやしょう。
後の八百はね、すぐうちの奴にお宅へ放り込ませやしょう。
源六:…よしてくれ、俺んとこは賽銭箱じゃないよ。
むやみに銭なんか放り込まれてみろ。
当たりどころが悪けりゃ、怪我しちまうよ。
政五郎:いや、本当におっぽり込もうって話じゃねえんだ。
大家さんだって道具箱持ってたってしょうがねえでしょう。
あっしの方じゃそれが入用なんだ。
道具箱さえありゃ、八百ぐらいの銭ァ銭と思っちゃいねえんです
からね。
八百のことでこうしてあっしが来て頭下げて頼んでるんだ。
野郎に道具箱を渡してやってくれたっていいじゃございやせんか
。
源六:…なんだいおい、”八百ぐらい”?
”あっしが来て頭下げて頼んでるんだから、野郎に道具箱渡して
やってくれたっていいじゃございやせんか?”
…おいお前、誰に口きいてるんだ?
あたしは町役人だよ。
おめえはたかが大工じゃねえか! 雪隠大工のくせしやがって、
町役の前で大工が頭下げてどうなるってんだ?
あたしの目が眩むってぇのか?潰れるってぇのか?
お前の身体から箔が落ちるとでも言うのか?
でかい面ァするなぃ!
あと八百文持ってこねえなら、道具箱は渡さねえ!
びた一文欠けたってダメだ!
政五郎:~~なんだなおい、そんな因業なこと言わねえで…。
源六:おぅあたしは因業だよ!
知ってるだろ、因業大家ってなぁあたしのことだよ!
政五郎:そんな大きな声出さなくたって…
源六:大きな声?地声だよこれは!
あといくらでも大きな声が出るよ!
政五郎:いや、それじゃ大家さん、話しになりやせんよ。
源六:ああ話なんかしたくないね!
気分が悪いんだ。顔を見るのが嫌なんだよ。
帰ってくれ!!
政五郎:…じゃあ何ですか。
あっしがこれほど筋道立てて話してお願いしても、
野郎に道具箱は渡してやっちゃもらえねえと、
こうおっしゃるんでござんすか。
源六:あぁおっしゃるとまで分かってたら、念を突くには及ばないね。
渡せませんよ。ああ渡せないね。
渡せねえって言やぁどうするんだ?
政五郎:…どうするもこうするもねぇや。
いらねぇって言や、それでいいんでぇ。
道具なんざ集めりゃ何とでもなるんだ。
【一呼吸置いて】
【足で床を踏み鳴らすようなSEあれば】
何を吐かしやがんでぇこの丸太ん棒めッ!!!
源六:いっ、いきなりなんだい、人の家でケツまくって座り込んで…!
っておばあさん、一人で逃げるんじゃないよ!
逃げる時はあたしも一緒に逃げるんだ。
な、なんだい棟梁、人をつかまえて丸太ん棒ってのは。
政五郎:そうだろうが!
てめえなんざ目も鼻も口も血も涙もねえ、のっぺらぼうな
人間の皮かぶった畜生野郎だから丸太ん棒ってんだ!
この惚助、藤十郎、珍毛唐、芋っ掘り、蕪っかじりめィ!
てめえに頭ァ下げるようなお兄ぃさんとお兄ぃさんの出来が、
少ゥしばかり違うんでぇ!
デカい面ァするなだァ!?そりゃこっちのセリフでぇ!
なに吐かしゃがる!御託がすぎらぁ!
誰のおかげで大家だの町役だの言われるようになったと思って
やがる、このたろの頭、あんにゃもんにゃめ!
いいか、今からてめぇの氏素性すっぱ抜いて、
ずらーーっと並べ立てて聞かしてやるから、
びっくりして座り小便して馬鹿になったり、
赤くなったり青くなったりすんなよ!
源六:ぁ、あたしは七面鳥じゃないよ!
政五郎:ぃやかましィ!!
どこの馬の骨だか牛の骨だかわからねえ野郎が
この町内に流れ込んで来やがった。
その時のてめえのザマぁなんでぇ!
寒空に向かいやがって洗いざらしの浴衣一枚でもって
ガタガタガタガタ震えてやがって、
「どうぞみなさんよろしくお願いします」って
みんなの前でペコペコペコペコ頭ァ下げた事、忘れやしめぇ!
幸いこの町内の人はみんなお慈悲深えや、
可哀想だから何とかしてやりましょうってんで、てめえはここの
定番になったんだ!
二、三文の使い銭をもらいやがって、てめぇなんざ使い奴じゃね
えか!
あっちのご用聞き、こっちの使い走りしてまごまごまごまご
しやがって、
冷や飯の残りを一口もらって細く短けぇ命をつないだこと、
忘れやしめぇ!
「おう源六さん、この手紙もってあっち行ってくれ」
「へい」
「この手紙もって向こう行ってくれ」
「いや、向こうへは行かれません」
「どうしてだい?」
「向こうの方から風が吹いてきます。お腹が空いてますんで、
風に向かって歩けません」
風の随にふわふわしてやがってこの風吹きガラスめ!
源六:この野郎、黙って聞いてりゃぁべらべらべらべら喋りやがって。
なんだい棟梁、言うがおかしいや。
細く短く?言葉くらい覚えとけ。
それを言うなら太く短くだろうが。
政五郎:なにをなにをなにをォ?
太く短くだァ?そんなもん世間にいくらでもあらァ!
てめえなんぞ細く短くで違ぇねぇだろうが!
ろくに食うものも食わねえで、爪に火を点すようにして
銭貯めやがって、そいつを高ぇ利息で貧乏人に貸し付けて、
てめぇにゃ何人泣かされたか分からねぇんだ!
そんな恨みを買った銭でもって家主の株買いやがって、
それで大家でござい、町役でござい?
なに言ってやんでェ!
町役が聞いて呆れらぁ!大悪だよてめぇなんざ!
てめえの運が向いたのは、ここの六兵衛が死んだからじゃね
えか!六兵衛の事を忘れたらてめえなんざ罰が当たるぞ!
「おう源六さん、腹が減ったらこの芋を持って行きなよ」
「寒かったらこの半纏を着たらどうだ」
って、何くれとなくてめぇの面倒を見てくれた。
その恩をあだで返しやがって!
おう婆さん、隠れてることはねえ、こっち出てきな!
みんな知ってんだ。
もとは六兵衛のかかあじゃねえか。
その時分にゃあぶくぶく太って黒油なんぞつけて、
おつに気取りやがって嫌らしい婆だ。
六兵衛がぽっくり逝っちまって一人で寂しがって、
人手の足りねぇところにつけ込みやがって、
おかみさん水汲みましょ、芋洗いましょ、薪割りましょ、
ってんでずるずるべったりこの家に入り込みやがってよ!
芋だってそうだ!
六兵衛の売ってた芋ってな、川越の本場の芋だ。
厚っぺらに切って焚き付けを惜しまねえからうめぇ。
八つ時になってみろ、子供は正直だ。
町内越えてほうぼうから買いに来て黒山の人だかりだ!
てめえの代になってからそんな事が一度でもあったか!
気のきいた芋売った事があったか!えぇ!?
場違いな芋買ってきやがって焚き付けを惜しむから、
生焼けのガリガリの芋じゃねえか!
それ食って腹ァ下して死んじまった奴が何人いるか分かんねぇん
だこの人殺し!
与太ッ!
おう与太ッ、こっち来いッ!
与太郎:ぁっ…その、…もう、帰ろうか。
政五郎:ッこの野郎、俺がここで何してるのか分からねぇのか!?
与太郎:な、なんか、ケンカらしいな…。
政五郎:らしいなじゃねぇこんちきしょう!
もうケンカになっちまってんだよ!
こっち来いってんだ!
与太郎:い、いや、行きますよ…。
…なんでしょう。
政五郎:なんでしょうじゃねえ!
なんか言ってやれッ!
与太郎:ぇ、あ、ぃや、その……こんにちわ。
政五郎:挨拶してどうすんだよ!
毒づいてやれッ、毒づいて!
与太郎:いや、その、だって、さ……。
政五郎:~~この野郎、ほんとうにじれってぇな!
腹ぁ立たねぇのか!?
与太郎:い、いや、立ててもいいけど…
政五郎:義理で腹立てるんじゃねえ!
早くなんか言ってやれッ!
与太郎:ちょ、ちょっ待っ、わ、わ、わかったよ…じゃあ言うよ……。
や…や…やい!
ぉ、お、大家さん!
政五郎:”さん”なんぞいらねえッ!
与太郎:ぁっじゃっ、あのっ…さ、さんなんぞいらねぇや!
大家ァ!!
おおやァ!
おやぁ?
…おやおや。
政五郎:んなっ何を言ってんだおめぇは!
はっきりしやがれッ!
与太郎:っ、ぁあ、だんだんハッキリするぞこのやろう!驚くな?ぁ?
いまからおめえの氏素性をすっぱ抜いてやるから、
それ聞いてびっくりして、赤くなったり青くなったりすんなよ!
おれは七面鳥じゃねえや。
政五郎:バカ、そうじゃねえ。
そりゃ向こうが言うセリフだ!
与太郎:ぁぁそうだ。
おめえが言うんだ、忘れるな!
源六:おめぇが忘れるな!
与太郎:うっ、ご、ごめんなさい。
政五郎:謝ってどうすんだ!
もっとどんどんいけ!
政五郎:ぉっ、ぉぅどんどんいくぞ!
っな、なんだおめえなんざっ、っお大家だってっ威張って、
っぉ大家のくせになんだっ、ずっ図々しいぞ店賃なんか取りやが
って!
源六:そりゃ当たり前だろうが!
与太郎:っそ、そりゃぁあたりめぇだ。
俺が悪かった。
政五郎:だから謝ってどうすんだよ!
与太郎:っで、な、なんじゃねぇか。
おめえなんか、この町内に流れやがっただろ、大水。
源六:はァ?変な事言うない!
与太郎:で、寒空に向かいやがって、洗いざらしのどてらーー
政五郎:浴衣だ!
与太郎:ぁそうだ。浴衣一枚でガタガタ嬉しがりやがって!
政五郎:寒がったんだ!
与太郎:ぁぁそうだ寒がったんだ、こんちきしょう。
で、二文三文の銭もらいやがってあっちこっち行って、
てめえなんざ、つか、つか…使い奴さんどちらへ行く?
源六:な、何言ってんだ…。
与太郎:であの、風の随にふわふわしやがってこの、風吹きトンビ!
政五郎:カラスだよ!
与太郎:っトンビの方が大きいや!
でな、てめえの運が向いたのはなんだ。
ろ、ろ、ろ、六兵衛じいさんが死んだからだぞ、ほんとにな!
六兵衛さんが死んだって、てめえなんか香典もやるめえ!
政五郎:ぉおうめぇこと言うな!
与太郎:俺もやってねえ!
政五郎:それは余計だ!
与太郎:っそれで、あの、なんじゃねえか。
そこにいるおばあさんは、もとは六兵衛おじいさんのおばあさん
だろ。
んで、おじ、おじいさんがいて、おばあさんがいたんだ。
おじいさんが山へ柴刈りにーー
政五郎:なんで昔語りになってんだ!
与太郎:っであ、あの、おじいさんが死んじゃっておばあさん一人になっ
たら、そこんとこにスッと行きやがって、
おばあさんや、芋を割りましょ、
薪を洗いましょーー
政五郎:バカ、あべこべだろうが!
与太郎:っぁ、あ、あべこべにしやがって一緒になって、
二人でもって爪の先っちょに火を付けやがって、
よくおめえは火傷をしねえなこの野郎!
で、一生懸命お金を貯めちゃって今じゃこんな立派な大家さんに
なっちゃって、
どうもおめでとう!
政五郎:何を言いやがんだ!
褒めてどうすんだよ!
いいか大家ァ!
弱ぇこちとらにゃ、強えお奉行様が付いてるんだ!
お白州でもって吠え面かかしてやるからな!
おう与太、かっこむぞ!かっこむんだ!
与太郎:ぇえ? あの、茶漬けかい?
政五郎:茶漬けじゃねえ!
奉行所に訴え出るんだ!
語り:交渉決裂と相成りまして、政五郎と源六は物別れ。
怒り収まらぬ政五郎、すぐさま南町奉行所へ訴え出ました。
この時代、奉行所というものはこういう些細な揉め事というものは
取り上げなかったそうです。
だけども何度も何度も熱心に訴え出たもんですから、
お役人も根負けしてこの願書を見ると、
「この度与太郎儀、家主源六に二十日余り道具箱を止め置かれ、
老母一人養い難し。」
とある。
これは穏やかならんというのですぐに源六の元へ差し紙が付き、
双方奉行所へ呼び出しと相成りました。
お白州へ入ると一段高い所には南町奉行・大岡越前守忠相、
左右には目安方の公用人、縁の下には同心が十手を持って控えております。
政五郎:【つぶやく】
けっ、今にそのもったいぶったツラぁ青くしてやる…!
源六:【つぶやく】
ふん…。
大岡:神田三河町家主源六、並びに同店子大工職与太郎、
差添え人、神田竪大工町、喜平治店借り、大工職政五郎。
詰め合いの者一同、揃いおるか?
源六:一同、揃いおりましてございます。
大岡:うむ。
与太郎、おもてを上げい。
…おもてを上げい。
政五郎:【小声で】
おい、何してんだよ。
早くおもてを上げろ!
与太郎:【小声】
ん、ぅん? おもて?
ぃやあ、おもてはちょっと上げられねえ。
土台がしっかりしてねえから。
政五郎:【小声で】
なに言ってやがんだ、バカ!
顔を上げるんだよ、顔を!
与太郎:【小声で】
ぁっ、か、顔かい。
そらぁ上がるよ、うん。
大岡:そのほう、何歳に相なる?
与太郎:ぇっ、えっ…なんだい…?
政五郎:【小声で】
分からねえなおめぇは。
お奉行様はおめえの年をお聞きになられてるんだよ!
早く言え!
与太郎:【小声で】
ぇっ、と、年って、誰の?
政五郎:【小声で】
だからおめぇだよ!
与太郎:【小声で】
あぁ、うん、あるよ。
政五郎:【小声で】
あたりめぇだよ、早く言え!
与太郎:【小声で】
う、うん…ぁ、あれ?
いくつだっけ?
政五郎:【小声で】
分からねえのかよ!しょうがねぇな。
たしかおめぇは今年で二十六じゃねえか?
与太郎:【小声で】
ぁ、う、うん、そうかもしれねえ。
政五郎【小声で】
そうかもしれねえって何だよ!
早く言え!
与太郎:っあ、ぇ、ぇえと、に、二十六でございます。
大岡:おぉ左様か。
願書のおもむきによると、これなる与太郎が家主源六に、
道具箱を二十日余り留め置かれ、それが為に老母一人養い難し、
と言う事になっておるが、それに相違ないか?
政五郎:相違、ございません。
大岡:うむ、左様か。
家主源六、おもてを上げい。
源六:ははーっ。
大岡:なにゆえあってそのほうは、これなる与太郎の道具箱を二十日余り
留め置いた?
仔細、ありていに申し述べよ。
源六:恐れながらお奉行様に申し上げます。
実はこれなる与太郎が、あまりに店賃を溜めますのでたびたび催促
に参りましたところ、一向に払う様子はございません。
そこで道具箱を預かるが良いかと聞きましたところ、
他に考えがないからそうしてくれと当人が申します。
少しは気にもなりましたが他の店子の手前もありまして、
与太郎だけを大目に見るというわけには参りません。
それでわたくしが道具箱を預かっておりましたところ、
過日、一両二分を持って道具箱を返してくれとわたくしの所に参りました。
しかしながら店賃の滞りは一両二分八百、八百文も足りないところ
からどうしたのだと聞きましたところ、やれ「言いづくにすれば
タダでも取れる。」だの、「あたりめぇだべらぼうめ」だのと、
あまりに悪口雑言を申します。
その為わたくしもつい、カーーッとなりまして、
今日、かようにお奉行様の手を煩わせるというようなことになった
次第でございました。
大岡:左様か。
…だが源六、それは何か思い違い間違いというものではないか?
町役人に向かってそのような悪口、いかに愚かな者と言えども言う
わけはないと思うがのう、どうじゃ?
源六:いえ、確かに申しました。
大岡:いやいやそのようなことはあるまい。
それは何かの聞き間違いであろう。
のう与太郎。
そのような事は申しておらぬな?
与太郎:!っえ、ぃえ、言ってやったんです。
大岡:おぅこれこれ、落ち着けよ、よいか?
よもや、そのような事は申しておらぬな?
与太郎:ぃっ、ぃえ、そう言ってやったんです。
だってっ、言ったんだから…。
ぁ、あたぼうだって言うとあたぼうって何だって言うから、
あたりめぇだべらぼうめを詰めたんだって、
そうやって教えてやったんで…。
大岡:【床を叩くようなSEがあれば】
これッ!
かりそめにも町役人に向かい、そのような悪口を申す奴があるか!
ましてや店賃を滞らせ、しかも足らずに持って参ってそのような
ふるまい、ならんぞ!
また、老母一人養えぬ身でありながら一両二分の金子、
いずこにて工面いたした?
ありていに申せ。
政五郎:【少し丁寧に言い慣れてない】
恐れながら、お奉行様、政五郎代わって申し上げます。
それは、手前が、この野郎に、貸し、与えたもんにございやし
て。
大岡:おぉ政五郎、そのほうが貸し与えたのか。
うむ、それは良い事をしたな。奇特な事である。
しかしながらのう政五郎、なぜその時、あと八百文貸してやらな
んだ?
一両二分八百文整っておれば、事は穏便に済み、
かようにお上の手を煩わす事もなかったはずではないか?
のう、仏作って魂入れずとはこの事ぞ。
どうじゃ、今ここで与太郎に八百文、
貸してつかわすわけには参らぬか?
政五郎:へい、承知いたしやした。
大岡:おお、そうか。
ではな、すぐに貸してやるがよい。
与太郎、そのほう政五郎より八百文借り受け、
ただちに源六に返済いたすのだ。
与太郎:へ、へい…。
大岡:源六、与太郎より金子を受け取り帰宅しのち、
すぐに道具箱を与太郎に引き渡せ、よいな?
源六:【満足そう】
ははぁ~~っ。
大岡:店賃の滞り、日延べ猶予相成らぬ!
一同の者、立ちませぃッ!
【二拍】
源六:ははは…勝つのが当たり前だ。
だいたいね、店子が家主を訴えるなんてのが間違いなんだ。
あたしなんざね、毎朝神棚に手を合わして商売繁盛なんて願った事
はないんだ。
騒動繁盛、揉め事だったら人の揉め事でも何でもあたしは引き受け
ようって男だ。
こちとら公事慣れしてんだよ。
それを相手取って訴え出るなんて、当人の馬鹿さ加減が知れるって
もんだ。
その尻押しをする奴も大馬鹿野郎だよ!
おいッ、与太郎ッ!
こっち来いッ!
与太郎:ぅっぇっ、な、なんだい?
源六:なんだじゃねえ!
いま聞いてたろ。あと八百文、さっさと出せ。
与太郎:ね、ねえよ。
源六:ねえなら尻押しんとこ行って借りてこい。
与太郎:ぁっ、そうか。
尻押しー!
政五郎:ぃやかましィ!こんちきしょう!
てめぇのような間抜けな奴はねえや!ええ?
お奉行様がせっかく、そのような事は申しておらぬなって
謎をかけてくれてんのに言いました言いましたって、バカが…!
赤っ恥かきに来たようなもんじゃねえか!
ったくしょうがねえな……、ほれ、八百文!
早く持ってって、渡して来い!
与太郎:ぅわ、わかったよ…。
政五郎:ぁ~口惜しいったらありゃしねぇ!!
与太郎:はっ、はっ……、
持ってきた!
源六:こっちへよこせ!…よし。
墨付きの書面が出るまで付き合え!
ほれ、呼び出しだ!
【二拍】
大岡:さて、いかが相成った?
源六、八百文の金子、しかと受け取ったか?
源六:はい、確かに受け取りましてございます。
大岡:うむ、くどいようではあるが、
帰宅ののち、速やかに与太郎に道具箱を引き渡すべきこと、
よいか。
これで不足のあろうはずはないな?
源六:はい、それはもう…不足のあろうはずはございませぬ。
大岡:そうじゃ、ところで源六。
源六:?はい。
大岡:そのほうに、ちと訊ねたき儀がある。
源六:な、何でございましょう?
大岡:与太郎の道具箱だが、店賃のかたに預かったのであるな?
源六:はい。
大岡:うむ。
一両二分八百文のかたに道具箱を預かった、
確かに相違ないな?
源六:左様でございます。
大岡:してみると、質物と同じであるな。
そのほう、質株は所持いたしておるか?
源六:…いや、それは…あの…どうも、恐れ入りましてございます。
大岡:それではわからぬ。
質株は所持いたしておるのか?
源六:ぅ…あ…。
政五郎:【つぶやく】
ぉ…?
こいつァ風向きが変わってきやがったぞ…?
大岡:質株なくして人のものを、こたびの場合は店賃のかたとして
道具箱を預かるはご法度じゃ。
町役を務めるそのほうが、よもやそれを知らぬはずはあるまい。
源六:ぅ…うぅ…。
与太郎:【つぶやく】
? ぐ、具合でも、悪いのか…?
大岡:重ねて訊ねるぞ、源六。
質株は、持っておるのか?
源六:ッ………お…恐れながら……質株は…
持って…おりませぬ……っ!
大岡:何ッ!?
質株を持っておらぬと申すか!
【床を叩くSEあれば】
不埒者め!
質株なくして、なぜそのような事をいたした!
お上の定めた法度に背くは不届き至極!
本来ならばきつく咎めを申しつけるところながら、
こたびは願い人が店子であるゆえ、過料にて差し許す!
よいかッ!!
源六:はっ…ははぁーーーっ…!
与太郎:【つぶやく】
ぇっ、ぇっ…?
政五郎:【つぶやく】
ぃよっしゃァ!
見ろィ、あの源六のツラぁ!
ザマ見やがれってんだ!
大岡:さて与太郎、大工の手間だが…日にどのくらいであるか?
与太郎:ぅえっ? えっ、えぇと…っ
政五郎:【つぶやく】
ようし、ここはひとつ…吹っ掛けてやれ!
いいいい、俺が答える!
恐れながらお奉行様!
政五郎代わって申し上げます!
大岡:おお政五郎、申してみよ。
どのくらいであるか?
政五郎:へい!
ここのところ、大工の手間もだいぶ上がっておりやして。
またこの野郎は大工仕事となりゃ、一人前以上の腕を持ってるも
んで稼ぐんでございやす!
早出居残りと色々ありやして…。
大岡:ああ政五郎、細かいところはよい。
おおまかで構わぬぞ。
政五郎:へい、一日当たり…銀十匁てぇところでございやす!
大岡:ほう、銀十匁であるか。
それを二十日ぶんとすると、銀二百匁であるな。
金に直すと、三両三分三朱か。
相わかった!
これ源六!
源六:は、はい…。
大岡:そのほう、与太郎に、ただちに銀二百匁を渡すのだ。
よいか!
源六:は…ははぁ~~…。
大岡:このこと、日延べ猶予は相成らぬ!
一同の者、立ちませぃッ!!
【二拍】
政五郎:へへへ勝ったぜ!どうだい!
あたりめぇだよ、冗談じゃねえぜ!
やっぱりお天道様はお見通しだ、ザマぁ見ろィ!
おう与太! 早く源六んとこ行って銀二百匁、もらってこい!
与太郎:へへへ、わかった!
【二拍】
へへ、げ、源六、源六。
源六:…来やがったよ。
なんだ!?
与太郎:に、二百匁、よこせえ。
源六:ッ何を言いやがんだちきしょうめ!
与太郎:っひのべ、ゆうよ、あいならぬぅ。
源六:~~口惜しいよ、まったく!
そら!手ェ出せ!
ッ!
持ってけ!
与太郎:っへへ、ありがとさん~。
【二拍】
棟梁、もらって来た!
政五郎:ようし、こっち貸せ。
俺が預かっとくからな。
おっ、呼び出しだ。
【二拍】
大岡:さて政五郎、いかが相成った?
政五郎:へい。
この通り、銀二百匁しっかと預かりやした。
大岡:おぉそのほうが預かったか。
うむ、結構である。
源六よ。
源六:は、はい…。
大岡:いかに愚かな者と言えども、縁あってそのほうの店子になった者で
あるぞ。
これからは労わってつかわせ。
良いな。
源六:は、ははーっ。
大岡:これ与太郎。
与太郎:?っへ、へい。
大岡:そのほうもじゃ。
町役人にむかって悪口雑言など申してはならんぞ。
これからは職に精を出し、親に孝行をつくせよ。
この越前、しかと申しつけるぞ。
分かったな?
与太郎:へ、へえ、分かりやした。
大岡:うむ!
これで調べは相すんだ。
一同の者、立ちませィ!
おおそうだ、政五郎。
ちとこれへ。
政五郎:?へい、何でございやしょう?
大岡:…一両二分と八百のかたに銀二百匁は、ちと儲かったであろう。
政五郎:…へいっ。
大岡:さすがは大工は棟梁【細工は流流】。
政五郎:へい、調べ【仕上げ】をごろうじろ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
古今亭志ん朝(三代目)
立川談志(七代目)
柳家小三治(十代目)
※用語解説
お金の説明:一分金は今の価格で二万円ほどで、江戸時代の貨幣は全て
四進法で計算される。すなわち
一分金四枚、または二分金二枚で一両
一両は約八万円
銀一匁は現代で約千二百五十円
銀二百匁は二十五万円
朱→一朱銀なら約五千円弱
八百文は一万五千円
店賃:家賃の事。
町役:江戸時代に町奉行の下で、町方の民政を行った下級役人。
身分は町人。
雪隠大工:下手な大工の事。
因業:頑固で無情なこと。仕打ちのむごいこと。
惚助:馬鹿者の事。
珍毛唐:外国の人を馬鹿にして言う言葉。
藤十郎:※調べたけど出て来ませんでした。
芋っ堀り:田舎者を見下して言う言葉。
蕪っかじり:※調べたけど出て来ませんでした。
芋っ掘りと似たような意味ではないでしょうか。
差し紙:江戸時代、尋問や命令の伝達の為、役所から日時指定して
特定の個人を呼び出す召喚状。
過料:行政上の秩序の維持のために、違反者に制裁として金銭的負担を
課すもの。刑事事件の罰金と異なり、過料に科せられた事実は
前科にはならないそうである。
あんにゃもんにゃ:意味のない罵倒言葉。なんじゃもんじゃがなまった
ものだそうである。
質株:質屋株。質営業をする権利。