チョコパンひとつちょうだい
気になっているクラスメイトにバレンタインチョコをあげたいナナミちゃん。
でも、その男の子はチョコが嫌いだったのです。
藤乃 澄乃様の個人企画『バレンタイン恋彩2』参加作品です。
ある冬の日、ナナミちゃんの教室では歴史の授業が行われていました。
歴史の先生がプロジェクターでオランダ語の書籍の写真と、翻訳された書籍の写真を表示しました。
「江戸時代には日本は鎖国をしており、オランダとだけ貿易をしていました。オランダ語で書かれた書物によって、いろいろな技術が日本に入ってきました。有名なものとしては杉田玄白らの『解体新書』があります。これはオランダ語で書かれた解剖学の書籍を翻訳したもので、医学の向上に役立ったといわれています」
ここで生徒のナギサくんが手をあげました。
何か意見をいうのかな? ナナミちゃんはいつも親切にしてくれるナギサくんのことが気になっています。
「先生、これって作者に許可を取らずに勝手に翻訳したんですよね。著作権がやばくないですか?」
「いい質問です。解体新書のもとになる医学書は18世紀にドイツで書かれました。当時のドイツではまだ著作権はできていませんでした。日本にはオランダ語に翻訳されたものが入ってきたんです。印刷技術が普及する以前は、書物は手で書き写すのが普通でした。日本の古典で有名な源氏物語や枕草子なども、原書はなくなっていて、人の手で代々書き写されたものが現代に残っています。もちろん、今の時代は勝手に複製して販売すると著作権に引っ掛かりますね」
先生は図で説明を続けます。
「当時は日本語とオランダ語を比較する辞書もなかったので、翻訳は苦労したようです。たとえば『鼻が盛り上がっている』という箇所で、盛り上がりを示すフルヘッヘンドという言葉の意味がわからなくて苦労した、という逸話が残っています」
ここでまたナギサくんが手をあげてました。
「すみません。先生、その逸話は僕も調べたことがあるんですが、なんか……ウソみたいですよ。原文の医学書の『鼻』の部分にはフルヘッヘンドという言葉は使われてないんです。盛り上がっているという意味でのフルヘッヘンドは、鼻ではなく、女性の胸の箇所で書かれていたとか……」
少し間を開けて、教室の中では大きな笑い声があがりました。
女性の胸? 盛り上がっている? ナギサくん、そーいうことを言う人?
ナナミちゃんは首をかしげました。
「今、クラスのみんなが笑ったみたいに、翻訳した人たちも大笑いをしたと思います。一番印象に残ったことを記録に残したんですね。ただ、女性の胸で説明するのは下品だと思って、鼻ということでごまかしたんだと思います」
「よく知ってますね。原書では胸の他に、手の箇所でもフルヘッヘンドが使われています。最初に出した解体新書は誤訳が多かったため……」
ナナミちゃんは先生の話を聞きながら、ナギサくんの方を見ました。
以前にナナミちゃんが友達と喧嘩をしてしまったとき、ナギサくんが間に入ってくれて仲直りができました。
他にもナナミちゃんが困っているときに助けてもらったことも何度かありました。
もうすぐ、バレンタインデーです。
ナナミちゃんはナギサくんに何か特別なプレゼントを渡したいと思いました。
でも、ナギサくんはチョコが嫌いみたいです。
チョコ味のパンなどは問題ないようですが、板チョコなどは食感が苦手と言ってました。
そうだ……チョコパンの形のアクセサリーを作ろう。
ナナミちゃんはそう思いました。
その日の放課後、自宅に帰ったナナミちゃんは材料を集めました。
手芸が得意なナナミちゃん。チョコレート色の布で、ロールパンの形のキーホルダーを作ることにしたのです。
完成すると消しゴムより少し大きめのサイズになりそうです。
何日かかけて、布を縫いあげました。糸がほとんど目立たないようにできました。
中にワタをつめて、キーホルダー用の金具を縫い付けました。
チョコロールパンの小さなぬいぐるみができました。
「……できた。ナギサくん、よろこんでくれるかな。……あれ? なんか変……」
色や形は問題なさそうでしたが、ナナミちゃんは手触りがいまいちだと思いました。
指で押して離すと凹んだままなのです。
ワタの代わりにスポンジにしようかと考えました。
が、それだと反発力が強すぎるかも。
パンのようなさわり心地にするのは難しそうです。
押してからゆっくりと戻るのがいいのですが、そんな材料はありません。
と、そこまで考えたところで、頭の中で豆電球がピカッと光りました。
ナナミちゃんは何かを思いついたようです。
そして、バレンタイデーの放課後になりました。
クラスのかっこいい男の子に女子生徒が群がっていました。
ナナミちゃんは、あこがれのナギサくんを見つけると、近づいて声をかけました。
「ねえ、ナギサくん、これをプレゼントしてもいいかな?」
ナギサくんは少し驚いた様子でしたが、優しい笑顔でキーボルダーを受け取りました。
「手作り? これはすごくかわいいね、ありがとう。どうしてパンの形なの?」
ナナミちゃんは照れくさい笑顔で答えました。
「ナギサくん、チョコレートがあまり好きじゃないって言ってたでしょ。代わりにパンの形にしてみました~」
ナギサくんはふわふわのキーボルダーを手に取りながら、優しく微笑んだ。
「ありがとう、ナナミちゃん。あたたくていい手触りだね。これ、とても嬉しいよ。作るの大変だったよね」
「いいの。ナギサくんにはいつも助けてもらってるからね」
「お互い様だよ。教室でクラスの子が騒いでいたら、ナナミちゃんが止めてくれているでしょ。あれで僕も助かっているんだ」
ナナミちゃんとナギサくんは、互いの微笑む顔が、教室の中に幸せな温かさを広げていくように感じられました。
「これ、低反発素材だよね。すごいね。こんなもの、よく作れたね」
「あ、あははは……。たまたま家に材料があったの」
……言えない。素材をお姉ちゃんの快眠マクラからこっそり切り出したなんて言えない……
ナナミちゃんは心の中で冷や汗をかいていることを、幸いにもナギサくんは気づかなかったようです。
その自宅に帰ると、ナナミちゃんはお姉ちゃんから声をかけられました。
ナナミちゃんは、マクラのことがバレたかと思ってドキッとしました。
「ナナミー……。なんかかわいいパンのキーホルダー作ってたよね。余ってたら、あたしにもキーホルダーのチョコパン、ひとつちょうだい」
「え? お姉ちゃん、あれとまったく同じのでいいの?」
「うん。同じやつがいいの。かわいくできてたよね」
「まかせて。材料は余っているから、明日には渡せるよ」
自分の部屋に戻ったナナミちゃんは、残った材料を確認しました。
チョコパンの形に縫い上げた布はいくつか作ってて、お姉ちゃんのマクラから取った緩衝材はまだ半分残っていました。
「これって姉ちゃん本人から依頼されたから、ギリギリセーフだよね……」
そうつぶやきながら、ナナミちゃんは残った材料でキーホルダーを作り始めました。