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短編

わけあり男装近衛騎士ですが、どうやら腹黒王太子の初恋を奪ってしまったようです~悪役令嬢回避のつもりが、いつの間にか外堀を埋められていた件について~

作者: 澤谷弥

久々の短編です。

 かわいい、私の子どもたち。

 どうか、幸せになってほしい――


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


「ケビン。聞いてくれ。オレはとうとう運命の女性と出会うことができた」

「左様ですか、それはおめでたいことですね。むしろ、殿下にとっては初恋ではありませんか。それで、お相手の方は?」

「よくぞ聞いてくれた。オレの運命の女性は、ケイト・トレイシー。トレイシー侯爵家のご令嬢だ」

「それって……」

「ああ、お前の妹だな、ケビン。いやお義兄様と呼ぶべきか」


 気が早い! とつっこみたくなるところを、寸でのところで堪えたのはケビンである。


 いや、ケビンに扮しているケイト。つまり、目の前の男の運命の女性と言われてしまった人物である。いや、運命の女性だけではない。ケイトが知っている限り、初恋の相手にも該当する。


 そもそも目の前にいる男はシュテファン第二王子殿下。このザハト国の未来の国王陛下となるべき資格を持つ男。


「ケイト嬢は病弱と聞いていたが……。すっかり丈夫になられたようだ……」


 ケイトを想ってうっとりとしているシュテファンの金色の髪は、窓から差し込む陽光によって、きらきらと反射していた。宝石のようにきらびやかに輝く翡翠の瞳。見た目が王子様であれば、身分もまごうごとなき王子様である。


「なあ、ケビン。ケイト嬢をお茶会に誘ってもよいだろうか」

「なぜ私に聞くのです?」

「それは、君が彼女の兄だからだ。ケイト嬢の情報をオレに売ってくれ、頼む。むしろケイト嬢をオレにくれ、頼む」


 シュテファンは両手を合わせて頭を下げている。まるで神に祈りを捧げるかのようにして、ケイトを拝んでいた。


「殿下。そうやすやすと臣下に頭を下げるものではございません」


 落ち着きを払った声で答える。


「臣下に頼んでいるわけではない。友人に頼んでいるんだ」

「友人ね」


 ケイトは小さく呟いた。

 シュテファンは目の前に想い人がいるとは、これっぽっちも思っていないのだ。


「さすがに家族を売るような行為はできません。父を通していただけないでしょうか」

「ちっ。正規ルートでの攻略か。まあ、いい。必ずお前をお義兄(にい)様と呼んでやる」

「はいはい」


 適当に返事をしてシュテファンをあしらった。


 だがケイトの内心は、焦っており冷や汗をだらだらとかいていた。

 なにしろ目の前のシュテファンの運命の女性認定されてしまったのだから。


 そして彼はケイトに気づいていない。ここにいるのは彼女の兄であるケビンだと思っている。

 それもそのはず。


 ケイトがケビンの身代わりとなり、シュテファンの側にいるようになってから、五年が経っている。男装も男性のような声色と振舞いも、かなり上達している。

 周囲にいる誰もが、ここにいるケビンが女性であるとは思わないだろう。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 ケビンとケイトは双子の兄妹である。


 光が当たれば銀色に見える絹糸のような髪も、燃えるような紅玉の瞳も、きりっと通った鼻筋も、艶やかなぽてっとした唇もそっくりな二人であった。


 ケイトがケビンになりすますようになったきっかけは十六年前にまでさかのぼる。

 ケビンは生まれたときから身体が弱かった。季節の変わり目になれば、すぐに熱を出す。少し遠出をすれば、すぐに寝込む。


 気管支が弱いのだろう、というのが医師の診察の結果であった。


 トレイシー侯爵は悩む。次期侯爵にと期待を寄せていた息子の身体が丈夫ではない。できれば治療に専念したい。だが、それを周囲に知られてしまえば、足元をすくわれてしまう可能性がある。


『お父さま、わたしがケビンになります。そしてケビンがわたしになるの。そうすれば、()()()が治療に専念できるでしょ?』


 ケイトは父親もケビンも大好きだったから、二人が困るのがいやだった。


 ケイトの提案に父親は難色を示したが、ケイトの味方になってくれたのが母親だった。女性陣二人に押し切られた父親は、渋々と納得した。


 ケイトはケビンとして父親と共に王都の別邸で過ごし、ケビンはケイトとして母親と共に領地の本邸で過ごす。


 ケビンは次期侯爵として父親の手伝いをしており、病弱の妹のケイトは領地で療養している。そう、周囲に思わせるのが狙いだった。


 それは上手くいく。侯爵とケイトの思惑通りに事は進んだ。


 それに見た目もそっくりな二人なのだ。服さえ取り換えてしまえば、どっちがどっちであるかなんて、両親以外、見分けがつかない。

 ケビンも熱を出す回数は減り、身体も次第に丈夫になっていく。時期をみて、ケビンと入れ替わればいいと、ケイト自身も思っていた。


 だが、次に立ちはだかった壁が従騎士制度であった。


 この国では十六歳になった男は、二年間従騎士として騎士団に従事せねばならない。いくら身体が丈夫になってきたケビンであるが、従騎士として仕えるには身体ができあがっていなかった。

 もちろん、病気などを理由に免除も可能であるが、そのためには証明書と多額の免除金が必要となるし、()()()には病気の既往歴はない。


『お父様、私がケビンとして従騎士になります』


 父親はまた悩んだようだが、たった二年間でありその後、ケビンと入れ替われば問題ないと、これまたケイトが力説して押し切る。


 そして、十六歳となったケイトに待っていたのは社交界デビューであった。ケイトとしてケビンに出てもらいたいところであったが、そればかりは母親が反対した。


 ケビンも病弱ということも重なって、まだ線の細い男性であり、詰め物をしてドレスを着てしまえばケイトに見えないこともなかった。


 それでも母親は、どうしてもケイトにデビュタントの白いドレスを着せたかったようだ。


 なんとか入れ替わりをせずに、社交界デビューを果たしたケイトであるが、その後は病弱という理由で、一切社交界に顔を出さない。幼い頃からの彼女の噂を知っている者たちは、それに納得したものだった。だが、周囲が思っているケイトとは、ケビンである。


 そしてケビンとして従騎士となったケイトだが、同期入団にあのシュテファンがいた。従騎士制度は、王族であっても課せられる制度であり、免除するには他の者と同じ条件が必要であった。


 特に身体的に何も問題のないシュテファンは、従騎士として騎士団に入団することをよしとしていた。むしろ、楽しみだったと本人は口にしていた。


 なぜかシュテファンはケビンと馬が合った。正確にはケビンに扮したケイトである。


 むしろ、シュテファンのほうからケイトにちょっかいをかけてきたのだ。あまり、他人と関わりたくなかったケイトであるが、相手がシュテファンであれば適当にあしらうことも難しい。二年だけの我慢だと思って、付き合っていた。


 二年の従騎士の任期を終えたら、父親と同じ文官を目指そうとしていた。ケビンの体調を考えると、従騎士の後も騎士として続けるのは厳しいだろう。それが理由である。

 それにもかかわらず、シュテファンはしきりに近衛騎士隊に誘ってきた。


 できれば文官となりたい。そう、シュテファンには何度も伝えたのだが、彼は断固としてそれを聞き入れてくれなかった。


『絶対にオレの近衛騎士になれ』


 いくら断っても、意中の女性を口説くかのように、何度も何度もしつこく誘ってくる。


 そして彼は権力者だ。その権力が、見え隠れし始めたとき、ケイトは父親に相談をした。父親も困ったようであったが『なぜ、もっと早くに相談しなかった』と、口にした。


 ケイトを一人で悩ませてしまったことに、彼も胸を痛ませていたようだ。

 どちらにしろ、今すぐ本物のケビンを文官として王都に呼び寄せるのも難しいこともあり、ケイトがケビンとして騎士団に入団した。時期がきたら、退団すればいい。三人はそう考えていた。


 それから三年――


 シュテファンもケイトも、二十歳を過ぎてしまったが、ケイトはケビンとしてシュテファンの護衛を務めていた。


 この年になって問題になってくるのが互いの伴侶である。


 特にシュテファンは第二王子として、いい加減婚約者を決めなければならなかった。むしろ、本来であればもっと前に決めるべき事案でもある。それをシュテファンがああだこうだと文句を言って、今まで引き延ばしていたのだ。


 先日、シュテファンの出会いの場として、盛大な夜会が開かれた。国内の名だたる貴族の令嬢たちが、一斉に王城の大広間に集められた。

 ようは、シュテファンの婚約者選びである。彼本人は気乗りしていない様子であったが、いろんな手前がある以上、この場で幾人かの女性を選ばなければならなかったらしい。


 本来であれば、ケイトはケビンとして、シュテファンの側にいるべきであったのだが、トレイシー侯爵家のケイトが参加する以上、身内が側にいるのは贔屓であるという意見もあって、その日はシュテファンの護衛から外されることとなった。


 だからケイトは、その日は休暇をとった。休暇となったのだから、別邸でのんびり過ごせるはずだった。


 ところが、ケイトとして夜会に出席するはずだったケビンに大問題が起こったのである。


『え? ケビン……?』


 久しぶりに会ったケビンは、昔の彼と似ても似つかない体つきになっていた。顔もケイトと瓜二つと言われていた可愛らしいものではない。


『え? お父様、そっくり……』


 しばらく会わない間、ケビンはすっかりと大人の男性になっていた。線の細い男性であったのに、今では熊のような大男になっている。顔も可愛らしかった面影が一つものこっていない。まるで父親と瓜二つ。


『急に、成長した』


 そう言った彼の声も、獣を思わせるような低い声であった。成長したと彼は言ったが、成長し過ぎである。


『だから、僕がケイトとして夜会に出席することはできない……』

『そうね……。今のケビンがドレスを着たら……。え、と……、うん。見たくない』

『ケイト、今までありがとう。ケイトのおかげで、僕もすっかりと元気になったよ』

『うん、元気になりすぎたと思う』

『さあさあ、時間はないわよ。ケイト』


 ケビンと共に別邸へやってきた母親は、なぜか生き生きとしていた。


『あの第二王子殿下の婚約者選びでしょう? 気合をいれていかなきゃ』

『え? 欠席ではないの? ケビンが出れないのだから』

『何を言っているの。夜会には、各家の年頃の娘は全員出席なのよ。流行り病などの特別な理由がないかぎり、欠席は許されないわ』

『じゃ、流行り病ってことで……』

『あきらめなさい』


 母親がピシャリと口にした。


『やっと、本来の姿に戻れるのです。私たちが、どれだけあなたたちに心を痛めていたか……』

『ごめん、母さん、ケイト。僕がひ弱だったばかりに……』

『いいのよ、ケビン。丈夫に産んであげられなくてごめんなさいね……』


 母親はケビンを抱きしめて、よしよしと頭を撫でているが、大男が小柄な女性に頭を撫でられている光景は、どことなく不気味である。


『やっと、あなたを着飾らせることができるわ』


 恐ろしいことに、母親の手には、真新しいドレスが握られていた。薄紅色の布地にアイボリーの細やかな刺繍が施されている、華やかでありながらも派手過ぎないドレスだ。

 驚いてケイトが一歩下がった。


『安心しなさい。あなたの身体に合わせて作ってあるから、ぴったりよ』

『お母様……。私の身体の情報は一体どこから?』

『どこからって。お父様もいるでしょう? 優秀な使用人もね』


 こうやって、ケイトはデビュタント以降、二度目となるドレス姿になったのである。


『あぁ……、ケイト。本当に綺麗よ』


 娘を着飾った母親は、うるうると瞳を潤ませていた。

 母親が口にした通り、ドレスはケイトにぴったりだった。


『本当は僕がエスコートしたいところだけど……。いきなりこの姿では驚かれるよね』

『ケイトのエスコートは任せておきなさい』


 ケビンと瓜二つの父親がドンと胸を叩き、ケイトは父親のエスコートによって王城へと向かった。

 そこは、とにかくきらびやかな世界であった。いつもは護衛として白い騎士服姿で参加していた社交の場に、このようなドレス姿でいるのがむず痒い気持ちがした。


 シュテファンの婚約者選びの場であるため、一人一人、彼の前で挨拶をする流れになっていた。父親と共にシュテファンに挨拶をし、残りの時間は壁の花になるつもりだった。社交の場にケイトとして出ていない彼女は、顔見知りの令嬢などいないのだ。


 ケビンとしてであれば、何某の妹を何人かは知っている。父親は、見知った顔を見つけると、そちらに挨拶へ向かう。目がぎらぎらと輝いている令嬢は、我こそはとシュテファンにぐいぐいと迫っていた。

 そんな様子を横目に、給仕から受け取った飲み物を片手に持ちながら、壁の花となる。いわゆる人間観察だ。シュテファンの敵になりそうな家柄はどこだろうか。むしろ彼に相応しい相手はどこの令嬢だろうか。


 そういったことを考えながら、視線を張り巡らせていると、意外と楽しめる。


『ケイト・トレイシー嬢。どうか私と一曲踊っていただけないだろうか』


 突然名を呼ばれ、ダンスに誘われた。今日のこの日、誘われる相手としたら一人しか心当たりはいない。むしろ、そのための夜会なのだから。

 いつの間にかすぐ側に父親がきており、黙ってケイトのグラスを取り上げた。無言の圧力である。何より、文官として王城に務めている父親にとって、目の前の男は仕えるべき主の一人でもあった。


『シュテファン王子殿下……』


 驚きのあまり、ぽろっと零れた。


『できれば、この手を取っていただけると嬉しいのですが』


 あまりにもの衝撃に、ケイトは固まっていた。それにシュテファンも気づいたようだ。だから、今のような言葉をかけてきたのだ。

 ここまでいろんなところから圧力をかけられてしまったら、断れない。


『は、はひっ……』


 そう返事をしたのはいいが、緊張のあまり声が裏返ってしまった。

 いつもケビンの声色で低い声を出していたため、女性らしい声色にするには意識する必要もあった。


『ケビンにあなたのような美しい妹がいたとは。ケビンは何も言わないからな』


 社交辞令だとわかってはいるが、美しいの形容に顔が火照った。


 とにかくシュテファンと一曲は踊った。彼は続けて踊りたそうであったが、婚約者でもない彼とは一曲でやめておく必要がある。

 それに、無闇に敵は増やしたくない。それとなく断って、父親のもとに逃げた。

 彼は、他の女性とも幾人かは踊ったはずだ。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 ケイトが別邸に戻ると、ケビンがどすどすと出迎えてくれた。


「おかえり、ケイト。たいへんたいへんたいへんたいへんたいだよ」

「どうしたの?」

「しゅしゅしゅしゅしゅしゅ……、シュテファン王子殿下から、書簡が届いている」

「え、ええええええ!」

「はやく、父さんのところに」


 ケビンに引きずられるようにして、ケイトは父親の執務室へと向かった。


「ケイトです」


 息を弾ませながら名乗ると、父親はどんよりと沈んだ様子で執務席に座っていた。その前にあるソファには、母親が座っていて優雅にお茶を飲んでいる。

 ケイトは執務席を挟んで父親の目の前に立った。


「お父様。シュテファン殿下から、何やら書簡が届いたと伺ったのですが」

「あぁ……」


 こちらも地の底が震えるような声だった。


「どのような内容なのでしょうか」


 ケイトには嫌な予感しかしなかった。先日の夜会。そして、シュテファンのあの告白。


「ケイト・トレイシーを婚約者に望むと……」


 顔を伏せたまま、父親は届いた書簡をつつっと机の上を滑らせるようにして、向か側に立っているケイトの前に置いた。


 たいてい、嫌な予感は当たってしまうから恐ろしい。


 びくびくとしながら、書簡を手にする。パサっと広げると、細やかな字が目に飛び込んだ。隣のケビンも覗き込んでくる。


「ほ、本当だ……」


 獣を思わせるような声で、ケビンが呟いた。


「お、お断りを……」

 ケイトが言いかけると。


「できるわけないだろう」


 父親が顔をあげると、満面の笑みを浮かべている。


「よくやった、ケイト。これで君も未来の王太子妃。今までケビンの身代わりとして、女性らしいことから遠ざけていたから、心配していたんだ」

「え、ええ。お父様はこの婚約に反対ではないのですか?」

「なぜ反対する必要がある? 相手はシュテファン王子殿下。これから王太子になられるかもしれないお方だ。不満があるか? ないよな?」


 あるかないかで言ったら、多分、ない。未来の配偶者として、これほど立派な相手はいないだろう。


「ですが、シュテファン第二王子殿下ですよ。今、私は彼の近衛騎士として勤めているのですよ?」

「それはケビンであってケイトではない。近衛騎士と未来の王太子妃。断るとしたら、どちらだ?」

「王太子妃……?」

「んなこと、できるか!」


 ケイトの答えに、父親の大きな声が響いた。思わずそれには耳をふさぐ。

 それにしても父親は気が早い。シュテファンが立太子したわけでもないのに、彼と結婚したら王太子妃になれると思っているのだ。


「ケイト」


 穏やかな声で呼ばれ振り返れば、そこには母親が立っていた。


「結婚だけが女の幸せだとは言わないけれど、結婚をしてわかる幸せもあるのよ。あなたの相手がシュテファン王子殿下であれば、その幸せを手に入れることができるのではないかしら? それにまだ、シュテファン王子が王太子になるともかぎらないでしょう? あのシュテファン殿下のことだから、臣籍にくだるとか言い出して、辺境にこもりそうな気がするけれど」


 ふふっと母親は艶やかに微笑んだ。


 そう、シュテファンは第二王子。彼の兄である第一王子が存在する。どちらが次期国王に相応しいかというのは、ここ数年話題にあがっているが、第二王子であるシュテファンはそれに全く興味がない様子。むしろ、兄のほうが相応しいと、口外しているほどだ。


「ケイト。いやケビンであるケイト。今すぐ、近衛騎士を辞しろ。そして、シュテファン殿下の話を受け入れろ」

「無理ですよ。むしろ、そちらの方が不敬になりませんか?」

「いや、辞さなくていい。一か月程度でいいから、休暇を要請しろ。一か月後、ケビンをケビンとして近衛騎士に戻す」

「えぇえええええ!」


 ケイトは父親とケイトを交互に見回した。そして、最後に自分を見る。


「一か月で、これからこれに?」


 指を差して、再確認をする。


「では、三か月にしろ。理由は……、そうだな。ケイトが婚約者候補にあげられたからでいいだろう。ケビンがケビンに戻ったら、ケビンには近衛騎士を辞めてもらう。ケビンは文官として、私の後を継いでもらいたいからな」


 ケイトはもう一度ケビンを見上げた。父親もそうだが、この身体で文官。似合わなすぎる。


「わかりました。近衛騎士を辞めると、殿下にはお伝えします」


 とにかくケイトは気が重かった。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


「ケビン、聞いてくれ。オレはケイト嬢に正式に婚約の申し入れをした」

「それでお話があります」


 執務席で書類にペンを走らせていたシュテファンは、朝から機嫌がよかった。今日は、いつもより執務がはかどっているようにも見えた。


「なんだ?」

「殿下の近衛騎士を辞したく……」


 ガタガタと音を立てて、シュテファンは立ち上がった。


「なぜ、だ……? オレに不満があるのか?」

「不満はございません。ですが、ケイトを望むのであれば、私が殿下の側にいることはできないと、そう思ったのです。トレイシー家ばかりが殿下にまとわりつくのを、よしと思わない者もいるでしょう。そうなれば、私は身を引くべきです。あなたがケイトを望むのであれば」


 彼はケイトを見下ろしてくる。ケイトも背が高く見えるようなブーツを履いてはいるが、それでも彼のほうが背は高い。


「ケイト嬢は、婚約を受け入れてくれる、と?」

「それは、私の口から伝えるべき内容ではありません」


 それでもシュテファンは翡翠の瞳で見つめてくる。

 その辺の令嬢であれば、ころっとその視線にやられてしまうだろう。

 だがケイトはケビンであって、その辺の令嬢とは違う。むしろ、騎士だ。


「そうだな。悪かった」


 しゅんと肩を落とした彼は、すとんと椅子に座った。


「ケビン。ケイト嬢と正式に婚約するまでは、側にいてくれるのだろう?」


 捨てられた子犬のような潤んだ瞳で見つめられてしまうと「はい」としか言いようがない。


「殿下の婚約が決まるまでは……」


 ケイトはそう呟く。


 だが、ケイトがシュテファンと婚約するのは時間の問題だろう。彼は、どのようにしてケイトに愛を囁くのか。ケイトがケイトに戻ってしまったら、ケビンと同じように振舞ってはくれないだろう。


「ケイト嬢と結婚したいが、ケビンと離れるのは嫌だ。いや、ケイト嬢と結婚すれば、ケビンも漏れなくついてくるのか?」

「人をおまけのように言わないでください。私は、父の跡を継ぎます」

「やっぱり、辞めないでくれ」


 シュテファンがひしっとケイトの腰に抱きついた。そのような場所に抱き着かれてしまったら、ケイトだって驚き声をあげてしまう。


「ひゃっ」


 おもわず女性のような高い声に、両手で口元を押さえた。


「夜会で一緒に踊ったケイト嬢も好きだが、この場にいて、こうやってオレを構ってくれるケイトも好きなんだ。どっちかを選ぶなんてできない」

「離れてください」

「嫌だ。結婚してもここにいてくれ。こうやって、オレの側にいて欲しい」

「殿下」


 ケイトは無理やりシュテファンを引き離しにかかる。だが、彼はがっしりとケイトに抱き着いていて、離れようとはしないし、シュテファンの力が強い。


「殿下っ」

「君はこんなに細いのに、ずっとオレの側でオレを守ってきてくれた。今更手放すことなどできないだろう?」

「殿下。私は男です。いつからそのようなご趣味に? もしかして、ケイトのことをカモフラージュに?」

「何を言っている、ケイト。ケイトのことをカモフラージュにするつもりはない」


 シュテファンは抱き着いていた腰から離れ、ケイトの前にすっと立ち上がった。

 それよりも今、彼がケイトをケイトと呼んだことのほうが気になった。


「殿下。殿下は私を妹と勘違いしておりますか?」

「ケイトに妹はいない。ケイトにいるのは兄のケビンだろう?」

「ですが、今、私のことを……」

「君はケイトだろう? 出会ったときからずっと」


 シュテファンは、どことなく熱を孕んだ目でケイトを見下ろしていた。


「もしかして、ずっと? ご存知でしたか?」

「ああ……」

「いつから?」

「出会ったときから」

「ずっと?」

「ずっとだ」

「私が兄のケビンではなく、妹のケイトであると、わかっていたと?」

「そうだ」


 シュテファンが一歩ケイトに近づいた。ケイトは一歩下がる。


「ケイト……。オレは君のことが好きだ。オレと結婚して欲しい」


 揺れ動く翡翠の瞳は、しっかりとケイトを見つめていた。


「なぜ、私なのです?」

「一目ぼれだ。従騎士として騎士団に入団した君は、凛として格好よかった。男のオレから見てもほれぼれするほどだ。そして君があのトレイシー侯爵の娘だと知って、納得した。息子であるケビンは、ずっと身体が弱くて領地で療養していると聞いていたからな」


 シュテファンからの思いがけない告白に、ケイトはヒシッと石のように固まった。固まり過ぎて、呼吸の仕方すら忘れてしまうほど。


「おい、ケイト。大丈夫か?」


 シュテファンの言葉で我に返り、大きく新鮮な空気を吸い込んだ。


「シュテファン殿下は……。一体どこまでご存知なのですか?」

「どこまで? どこまでと聞かれたら、全部と答える。ケビンがケイトとして領地で療養していたのも、ケイトがケビンとして従騎士になったのも、全部知っている」

「私を……、罰するつもりですか? 性別を偽り、ケビンの代わりとして騎士団に入団したことを……。」

「そのつもりはない。……、いや、脅しの材料にさせてもらおうか」


 シュテファンが一歩近づいた。ケイトは一歩下がろうとするが、背中に彼の執務用の机があり、これ以上は下がれない。


「ケイト……」


 情欲がたぎる瞳で、シュテファンはケイトを見下ろすと、彼女の顎を指で撫で上げる。


「このことを黙っていて欲しかったら、オレと結婚をしろ……」


 ケイトはシュテファンを見上げる。いつもへらへらとしている彼とは異なる、真剣な眼差し。それだけ、本気ということなのか。


「殿下は……。それでよろしいのですか? 脅された私が『はい』と言って受け入れて、嬉しいのですか?」

「ああ、嬉しいね。卑怯だと罵ってもらってもかまわない。オレはどんな手を使ってでも君を手に入れたい」

「どうして、そこまでして?」


 なぜシュテファンはケイトにそこまで思いを馳せるのか。


「オレは、君を死なせたくないからだ……」


 ケイトが何か言いかける前に、シュテファン自身の唇によって口を塞がれた。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 後日、シュテファンの近衛騎士であるケビン・トレイシーは騎士団を退団した。それは、妹であるケイト・トレイシーが、シュテファンとの婚約を決めたからとも言われているが、一部ではトレイシー侯爵が自分の跡を継いでもらいたいと、以前から強く口にしていたためとも言われている。


「シュテファン殿下」


 シュテファンは、婚約者となったケイトの屋敷を訪れていた。

 花が彩る庭園にある東屋(ガゼボ)でお茶を嗜んでいると、柔らかな風が頬を撫でていく。


 ケイトは、シュテファンに見せたいものがあると言って、一度屋敷に戻っていった。

 一人残された彼に声をかけたのは、ケイトとケビンの母親であるキャロリンだ。キャロリンは、ケイトとよく似ている。親子なのだから当たり前だろう。


「ケイトのことを、どうかよろしく頼みます」


 キャロリンは、深く頭を下げた。


「オレのほうこそ。協力をしてもらった礼を言いたい」

「協力だなんて……。ケビンも喜んでおりますのよ。ケイトが殿下と婚約して」


 ふふふと色っぽく笑う姿は、刻んだ年齢を感じさせない。


「従騎士の任命式で、ケイトを一目見て驚いた。なぜ、彼女がそこにいるのかわからなかった。本来であれば、あそこにいるのはケビンだったはずだ。なぜならケビンは、あのときにはすでに病気は完治していて、従騎士として申し分ない能力を発揮するはずだった」

「そうですね。そして、ケイトはデビュタントでクリストファー殿下と出会い、彼と婚約をする」


 クリストファーとは、シュテファンの兄である第一王子である。


「だが、そうならなかった。ケイトがケビンの代わりとなったときから、彼女の運命はかわった」

「えぇ……、私はあの子たちの母親ですから。我が子が破滅の道に進むのがわかっているならば、それを回避しようとするのは当たり前ではなくて?」

「オレは……。ケイトさえ手に入れば、あとはどうだっていい」

「殿下のそういうところが好きですよ。……、あら。あの子が戻ってきたみたい」


 二十歳を過ぎた娘を捕まえて「あの子」もないだろうに、やはり母親にとって子はいくつになっても子なのだろう。


「どうぞ、ごゆっくり」


 そう言葉を残し、キャロリンは東屋を立ち去る。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 この世界が、いわゆる乙女ゲームと呼ばれる世界であることに気づいたのは、双子を産んだ時だ。双子の誕生に喜んだトレイシー侯爵は、男の子にケビン、女の子にケイトと名付けた。


 ケビンは生まれつき身体が弱く、伏せがちである。それに引き換え、ケイトは元気で逞しい女の子だった。


 キャロリンは既視感(デジャブ)を覚える。


(あぁ……。ケイト・トレイシーは、悪役令嬢……)


 乙女ゲームには悪役令嬢と呼ばれる敵役がつきものである。その敵役が腹を痛めて産んだ我が子なのだ。


 ケイトはデビュタントでクリストファー殿下と出会い、彼と婚約をする。だが、そこからすぐに、クリストファーは下働きの女に懸想する。この女こそが、ゲーム内の正ヒロインであり、ケイトを死に追いやる人物であった。


 ケイトは心優しい女の子であったのに、この正ヒロインのせいで心を歪め、精神的に追い詰められていき、最終的には処刑されてしまうのだ。

 であれば、ケイトはクリストファーと婚約しなければいい。


 そのためにはどこかでルートを変更する必要がある。


 まずは双子が五歳のとき。本来であれば、ケビンが病弱であることを公表し、家族で領地に戻るはずだった。だがキャロリンは夫であるトレイシー侯爵に「他の者に、トレイシー家の弱みを見せてはならない」と毎日のように言い聞かせる。

 それによって彼は悩み、心優しいケイトはケビンの代わりになると言い出した。


 次は十六歳の従騎士制度のタイミングである。ケビンの身体は充分に回復していた。だが、それをキャロリンはひた隠し、ケイトをケビンの代わりとして騎士団へ送り込んだ。


 そこで、ケイトはシュテファンと出会う。

 シュテファンは、密かにケイトへ思いを寄せていた人物である。だから、彼女の悪事に手を貸していた。それが本来のシュテファンだ。


 だが、この世界のシュテファンはケイトを想う気持ちを持ち合わせており、彼女を手に入れることだけに執着していた。

 キャロリンがそれとなくシュテファンを問い詰めると、彼はこの世界を二回目だと言う。


 本来であれば信じられない話を、キャロリンは容易く受け入れる。


 そして、かわいい娘をシュテファンに託したのだ。


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 かわいい、私の子どもたち。

 どうぞ、お幸せに――


お読みくださりありがとうございます。

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