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ショート日本の歴史

日露戦争 ビジネスに役立つ日本海海戦

作者: よしだともじ

日本人の叡智が詰まった日本海海戦の勝利

勝つべくして勝つ その具体的事例を考察しました。

 日本海海戦とは日露戦争中の1905年。大日本帝国海軍の連合艦隊が

ウラジオストックに向かうロシアの第2、第3艦隊 通称バルチック艦隊を

日本海対馬沖にて迎え撃った戦闘のことです。結果から先に言いますと、

ロシアのバルチック艦隊、ほぼ全ての戦闘艦が海の藻屑と消え、

日本側の損害は水雷艇(小型船)3隻だけという海戦史上稀に見る

日本の大勝利に終わります。

なぜこの様な奇跡とも言える大勝利を掴むことができたのでしょうか?

今回は、大日本帝国海軍がなぜ、ロシアの大艦隊に勝利することができたのか

その準備段階にスポットをあててお話ししたいと思います。


 まず、ロシアを仮想敵国として海軍の艦艇(戦艦)などの準備を推進したのが

当時の海軍大臣 山本権兵衛です。権兵衛はただ一つの目標

「ロシアの軍艦を全滅させる」この1点に全てを集中させました。


当時、日本の国力はどう見積もってもロシアの十分の1 まだ明治維新から40年足らずの日本が

ロシアと相撲を取ろうとしているのです。

しかし、この敵艦隊を全滅させるという後継無象の目標が達成できないと

日本の勝利はない と言うところに日本が置かれた厳しさが伺えます。


さて準備 その1 は人です。

海軍士官の育成において海外留学を推奨、秋山真之、広瀬武夫など、

多数の青年士官を大艦隊をもつ国々に派遣しました。 特にアメリカ合衆国に

派遣された秋山真之は日本海海戦の戦略を立てる立役者となります。

また、能力のある兵卒は途中からでも士官になれる制度を作りました。要は

実力主義の徹底です。


次に外交です。

外交において外務大臣、小村寿太郎に積極的に協力して日本と当時最強海軍国と言われた

イギリスとの日英同盟締結に支持強力していきます。 

この同盟が今後の日本海海戦にロシア側としては痛手として大きく響いてきます。 

その当時世界帝国だったイギリスは世界中の軍港を抑えていました。 

このことでアフリカの希望岬を大きく回って回遊してくるバルチック艦隊はなかなか港に寄港できず、

食料や燃料の調達に苦労したと言います。

要は、バルチック艦隊が日本海にたどり着いたときは、船も人もヘトヘトになっていたのです。


そして人事

連合艦隊総司令長官に当時、引退を控えて閉職にいた東郷平八郎を抜擢します。 

明治天皇になぜ東郷にしたのか? と尋ねられた山本は「運の良い男だからです」と答えてます。 

準備に準備を重ねても、トップの運が悪いと勝利もおぼつかない。 

この東郷平八郎をトップに据えたことが本当に日本の運を開かせることになります。


次に訓練です。

その頃の海戦において、相手戦艦に照準を合わせ砲弾を打つのですが、

各砲手の力量にまかさえているのが世界各国の実情でした。 

要は適当に打ちまくるような状況です。

しかし、東郷は総合的な照準方法を決め、その指示に沿って全員が砲弾を発射する方法を徹底します。 

まず、試し打ちが行われます。その着弾点と目標地点を計算、短時間にて各配置の砲弾主に知らせる仕組みを

作りあげ、日々訓練に打ち込みました。


そのほかにも新技術の積極的活用を進めました。

特に下瀬火薬の砲弾はロシア艦隊を悩ませました。

この下瀬火、当たると爆速が非常に早く、ようは

戦艦の構造物を粉々に吹き飛ばし、その特性である高熱のため

船の甲板が火の海になってしまうという、世界中から恐れられた日本人発明の火薬でした。

 

では、最後に連合艦隊解散の辞の一部分ではありますが、記載します。

計画 目標に沿った事前準備と日頃の訓練 今でいえば教育でしょうか

その大切さが詰め込まれています。

この文に何か感じ取っていただければ幸いです。


連合艦隊解散の辞  抜粋


戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。


神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。

昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ」と


明治三十八年十二月二十一日

連合艦隊司令長官 東郷平八郎

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― 新着の感想 ―
[良い点] 当時の日本とロシアの力の違いが明らかながらも、戦う頭によってサモトラのニケの微笑みが左右される。改めて自分を戒める言葉を教えて頂きました。東郷平八郎さん深いです。良いお話を有り難うございま…
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