【短編】「君を愛することはない」と言っていたくせに、今更愛を囁かれても困ります。
私の名前はメアリ・ワトソン。
ずっと公爵令嬢として生きてきた。
そんな私には婚約者がいる。
この国の王子。ルーク・フランシスだ。
私とルークが婚約させられたのは私が物心がつく前の幼少期だった。
政略的な理由で婚約させられたが、私はそれも公爵家に生まれた者の使命だとして受け入れていた。
それに加えて、ルークはとても容姿が整っていた。
子供の頃の私は、ルークと目が合った瞬間、恋に落ちた。
それは本来なら、幸せなことだったのだろう。
親同士の理由で婚約させられたのに、相手を好きになることができたのだから。
私はそれからルークのために努力した。
厳しい王妃教育に耐え、ルークのために好みの容姿に近づけ、服装もルークの好みに近づけた。
ルークがああして欲しい、と言ったことは私は全て実行した。
しかし、私が十六歳になった頃。
ルークの私への態度が、露骨に冷たくなり始めた。
理由は分からない。私はルークのためにずっと努力していたし、好みに近づけていた。
それなのにルークは私に対して、とても冷たかった。
何か間違っている、と私は気付いていた。
でも、何が間違っているのか分からなかった。
そして私は十八歳になり、ルークと結婚した。
「君を愛することはない」
「え……?」
初夜の日に、私はルークにそう言われた。
ルークはベッドの上にいる私を冷たく見下ろしていた。
私はこの日のために用意した室内着に着替えているのに対して、ルークは外行きの服を身に纏っていた。
それが意味することは、私と初夜を過ごすつもりはない、ということだ。
「ど、どうして……」
私は呆然としながらもルークに理由を尋ねる。
ルークに拒絶されて、私の胸の中はズタズタになっていたが、それでも理由を尋ねずにはいられなかった。
だって、私は今までずっとルークのために頑張ってきたのだ。
「言っても無駄だ。俺はもう君に全く興味が湧かないんだ」
「ルーク様、私、言われたことなら何でもします。化粧も服装も、お嫌いなら変えます。話し方も、性格もルーク様のために変えます。だからっ……!」
私を見捨てないで欲しい。
心の底からの叫びだった。
すでに目からは涙がとめどなく溢れていて、心は傷だらけだった。
でも、ルークに見捨ててほしくなかった。
「お願いします。私には、ルーク様が全て何です……っ!」
私はベットから立ち上がり、ルークの手を掴んだ。
「離してくれ」
「あっ……!」
しかし、ルークは私の手を鬱陶しそうに振り払った。
「もう言ったはずだ。君を愛することはない、と」
そして愛なんて欠片も無い、冷たい目で見下ろすと、振り返り部屋から出ていった。
私は一人になった部屋の中で泣いた。
何時間も涙が出続けた。
ずっとルークのために生きてきた。
それなのに、ルークにとって私はどうでもいい存在だった。
彼の心の中には、私の場所なんてこれっぽっちも存在していなかった。
それが分かって、私はどうしようも無く悲しかった。
途中、私の泣く声を聞きつけて、使用人がやってきた。
公爵家の時から私に仕えてくれていて、一番信用しているメイドのアンナだ。
そして部屋の中にルークがいないのと、私が泣きじゃくっているのを見て全てを察したのか、温かい紅茶を淹れてくれた。
「ありがとう、アンナ。少し落ち着いてきたわ」
温かい紅茶を飲んで、私は少し落ち着いた。
「私、絶対に許せません! メアリ様はずっとルーク様のために頑張ってきたのに!」
アンナは私が蔑ろにされたことに怒りを感じているようだった。
「そうね。でも、もうどうしようもないわ。だってルーク様は何をしたって私に振り向いてくれないもの」
私がルークに泣きついた時、ルークは忌々しげに私を見つめるだけだった。
本当に私に少しでも情が残っているなら、そんな表情にはならなかっただろう。
だから私はこれ以上何をしてもルークは私を見てくれないのだろう、という確信があった。
「これからどうしましょうか……」
もうルークには愛してもらえない。
「メアリ様。私に考えがあります。自由に生きればいいのです」
「え?」
アンナの言った事は、私が思いもしない言葉だった。
「だって、今までお嬢様はずっとルーク様のために生きてきたんです。それなら、これからは自由に好きなことをして過ごせばいいと思います」
「自由に……」
「はい。お嬢様はお嬢様だけのために生きていいと思います。それは私が保証します」
私のために生きる。
ルークのためじゃなく、自分の為に。
その言葉は、今までルークのために生きてきた私の心を、明るく照らしてくれるような気がした。
「……………そうね。アンナの言う通りだわ。私は、これから自由に生きる」
「はい! 自由に生きましょう」
私はアンナと笑顔を交わす。
そして窓の外を見ると、いつの間にか朝日が昇っていた。
この日から、私は自分のために生きようと決めた。
【ルーク視点】
最初メアリと婚約した時は、俺もメアリと婚約したことは良いことだと思っていた。
自分の言うことは何でも聞くし、俺に従順なメアリはとても好ましかった。
だが、メアリが成長するにつれ、俺はメアリに辟易するようになった。
化粧も濃いし、服装も派手になったからだ。
それに自分の考えを全く話そうとしない。俺の言うことには「そうですね」と肯定しかしないのだ。
確かに俺はその化粧と服装が好みだとメアリに言ったし、俺の言葉を否定しないように言ったが、流石に十年も見ていれば飽きてくる。
正直に言えば、自分で考えて欲しかった。
俺の好みは十年前と変わっていると。俺がメアリに飽きていると。
しかし、いつまで待っても一向にメアリは改善しようとしない。
俺はだんだんメアリに対しての心が冷めていった。
この時から俺はメアリを避けるようになった。
そしてついに初夜の日。
俺はメアリに「愛することはない」と告げた。
もうこの時になればメアリという存在に煩わしさしか感じなくなっていたし、早々にメアリに関わらないことを告げて、メアリから離れたかった。
俺がそのことを告げるとメアリはベッドの上で泣いていた。
そして俺に縋り付いてきた。
俺はこのメアリの俺に対する執着がとても鬱陶しかった。
だからその手を振り解き、部屋を離れた。
後ろからメアリが泣く声が聞こえたが、俺は振り返らなかった。
メアリのことなんて、どうでもよかった。
そして翌日。
俺が王宮の中を歩いていると、見知らぬ女性に出会った。
メアリとは違い、地味な見た目とメイク。そして溌剌そうな笑顔。
どれもメアリとは違う、素敵なものだ。
「そこの君」
「え?」
俺は早速その女性へと話しかけた。
相手の女性は急に王子である俺が話しかけたきたことに困惑しているようだった。
この時、俺はすでに彼女を側妃として迎えるつもりだった。
正妃にメアリがいるが、側妃として彼女を迎え、心ゆくまで愛そう、と。
俺は彼女と親交を深めようとした。
しかし、
「す、すみません!」
その彼女は勢いよく俺に頭を下げて、走って行ってしまった。
俺は突然のことに驚いたが、すぐに笑顔になった。
王宮の中を走る、というお転婆具合がとても愛おしく思えてきたからだ。
俺は次に彼女と会った時にプロポーズをしようと心に決めた。
その女性は、王宮のいたるところで見つけることができた。
ある日は中庭で。ある日は図書室で。そしてある日は調理場で。
彼女はどんな所にもいて、俺が見ている時はいつも何かしていた。
なぜ王宮の中にいるのか、そしてなぜ王宮の設備を使っているのか分からなかったが、俺にはそんな些細なことはどうでもよかった。
俺が考えていたのは、どうやって彼女を側妃として迎えるかだった。
彼女は、もう俺の中でとても大きな存在になっていた。
彼女を見るだけで、心が元気になる。
俺は彼女の姿を見つけるたびに話しかけに言った。
しかし、いつ声をかけても彼女はすぐに逃げる。
埒があかないので、俺は人を使うことにした。
近くにいた文官に話しかける。
「おい、いつも王宮の中で騒いでいるお転婆娘を知っているか?」
「はい、知っていますけど……」
「俺は彼女を側妃にしたい。彼女がいたら、王子である俺の元に来るように伝えてくれないか?」
「えっ? それは……」
文官は「何を言っているんだ?」と言いたげな顔だった。
俺はメアリと結婚したばかりで、常識的に考えて側妃を迎えるのは外聞に差し障ると思っているのだろう。
俺もそんなことは分かっている。すぐに側妃にするつもりはない。
ただ、どうしても彼女と一度話がしてみたいのだ。
「まだ彼女を側妃にするつもりはない。一度話してみたいだけだ。そういうわけだから、頼むぞ」
「はぁ、分かりましたけど……」
文官は納得したようだ。
俺はその場から離れてまた彼女を探し始めた。
しかしなかなか彼女に遭遇できず、一週間が経った。
それはある日の執務中だった。
「全く、最近は忙しいな……」
「申し訳ありません」
俺は仕事をしながらため息をつく。
そばにいる文官が謝ってくるが、それなら俺の仕事を減らして欲しい。
一度休憩しよう、と窓の外を見た。
「ん?」
外には例の彼女がいた。
何やら大きな鍋でスープを煮込んでおり、それを兵士たちに食べさせているようだ。
普通王宮の中では考えられないような行動に、俺は苦笑した。
そして同時に、元気にスープを配る彼女がとても愛らしく感じた。
「はあ……愛らしい。彼女の名前だけでも聞いてみたいものだ」
俺は庭で紅茶を飲む彼女を眺めながらため息をついた。
その時、隣にいた文官が疑問の声を上げた。
「え? ルーク様、何を言っているんですか?」
「何を言っているって、彼女の名前を聞いてみたい、と言っただけだろう」
俺がそう言うと、文官は驚愕したような表情になった。
俺は何かおかしなことを言っただろうか?
「まさか……知らなかったんですか!?」
「何の話だ」
「彼女は、メアリ様ですよ!?」
「は……?」
俺は一瞬文官が何を言っているのか分からなかった。
あの愛らしく、溌剌としていて、太陽のような彼女が、メアリ?
「な、何を言っているんだ。そんな訳が……」
「私はこんなことで嘘は言いません。ルーク様、あの方は正真正銘メアリ様です」
「そ、そんな馬鹿な……!」
俺は窓の外にいる彼女を見た。
確かに言われてみれば、出会った時のメアリに似ている気がする。
本当に、彼女はメアリだと言うのだろうか。
しかし、もし彼女がメアリだと言うのなら、俺の中にあった小さな疑問が全てが繋がる。
なぜ王宮の中を自由に歩いていたのか。
なぜ王宮の施設や設備を使うことができていたのか。
「本当に、彼女はメアリなのか……?」
俺は呟く。
いや、認めざるを得ない。
俺はずっとメアリのことを誤解していた。
本当はあんなにも元気で、溌剌とした女性だったのだ。
そのことに俺は気づくことができなかった。
「俺は何て情けないんだ……!」
俺は悔やんだ。
今まで、ずっとメアリのことを表面しか見ていなかった。
彼女が本当に考えていることや、本質を全く知ろうとしていなかった。
「すぐにメアリに謝らないと……!」
「え? ルーク様!?」
俺は仕事を放り出し、部屋から飛び出した。
そして走ってメアリのいる庭までやってきた。
「メアリ!」
メアリは俺に名前を呼ばれ、俺を見る。
そして「まずい」という表情になりすぐに逃げようとした。
「逃げなくていい! 話があるんだ!」
俺はメアリを引き止めた。
「俺と、もう一度やり直してくれ!」
そして跪いてメアリの手を取った。
「俺は今までずっとメアリのことを勘違いしていた。だけど分かったんだ! 俺はメアリの表面だけしか見ていなかった! 本当のメアリはもっと美しい女性だったんだ! どうかもう一度、俺とやり直してくれ!」
俺は真心を込めてメアリに愛を叫ぶ。
メアリは俺のプロポーズに少しポカン、としていたがすぐに頷いた。
「そうですか」
「っ! メアリ……!」
メアリはそう言ってにっこりと笑った。
俺は安堵した。
よかった。メアリは納得してくれた。
これでやり直すことができる、と。
しかし、次に出てきたのは全く別の言葉だった。
「ルーク様。申し訳ありませんが、それはできません」
【メアリ視点】
私は自由に生きる、と決めた次の日から何もかも変えた。
まず変えたのは、ルークが命令したメイクと服装だ。
派手なものが好きだと言っていたから派手なメイクと服装をしていたが、本来私が好きなのはもっと地味な服装だった。
私は化粧も、衣装も私好みのものに変えた。
そしてその日から王宮の色んなところを探索することにした。
今までは王妃教育と、ルークの命令で慎ましやかに、奥ゆかしい女性でいなければならなかった。
しかし私は本来もっと好奇心旺盛な性格だった。
それをもう抑えておく必要はない。
私は心の赴くままに王宮を探索し、剣を振ってみたり、料理に挑戦したりした。
なぜか毎日ルークが近づいてくるので逃げなければならなかったが、私は自由を謳歌していた。
私はどんどんと表情が明るくなっていった。
しかしある日のこと。
一人の文官が、私に「ルーク様が側妃にしたいので呼んでいる」と言ってきた。
どうやら別の愛する人ができて、その女性を正妃に据えるために私を側妃にしたいらしい。
私の心がすうっと冷えていくのを感じた。
馬鹿らしい。私を側妃にするなら直接言いに来るのが礼儀だし、勝手に側妃にすればいいだろう。
どうせ私には全く興味が無いのだから。
私はルークの言葉を無視することにした。
それからルークからの言葉は無く、一週間経過した。
今日はスープを作ることに挑戦したので、庭で兵士たちに配っていた。
「メアリ!」
すると急にルークがやって来た。
ルークが大股で歩いてきたので私はまた勝手に動き回っていることに怒りにきたのだと思い、逃げようとした。
「逃げなくていい! 話があるんだ!」
ついに側妃のことを話しにきたのかと思った。
そしてルークは私の目の前までくると跪き、私の手を取って話し始めた。
「俺は今までずっとメアリのことを勘違いしていた。だけど分かったんだ! 俺はメアリの表面だけしか見ていなかった! 本当のメアリはもっと美しい女性だったんだ! どうかもう一度、俺とやり直してくれ!」
ルークは真剣にそう言っているようだった。
私はニッコリと笑ってそれに返答する。
「ルーク様。申し訳ありませんが。それはできません」
ルークは断られると思っていなかったのか、驚愕していた。
「なっ!? どうしてだ!」
「あなたをもう愛していないからです」
「っ……!」
私がルークに「愛することはない」と言われて一ヶ月が経つ。
もう、ルークへの愛は冷めてしまっていた。
「ですから私はやり直そうとは思いません。ルーク様。私たち、もうキッパリと別れましょう」
「メ、メアリ……」
「一ヶ月間白い結婚なら離婚ができるので、明日にでも離婚届を出そうと思っているんです。私は側妃にはなれませんが、新しく愛する人がいるようなので大丈夫ですよね?」
「ご、誤解だ!」
「それでは私は部屋に戻りますので」
私は話を打ち切り、部屋に戻ろうとした。
「ま、待ってくれ!」
しかしルークが呼び止めてきた。
「俺には君が全てなんだ! だから頼む……っ!」
ルークが私の手を握ってくる。
ルークはかつての私のように、悲痛な表情になったいた。
しかし、その表情を見ても私は何の感情も湧かなかった。
「離してください」
「あっ……!」
私はルークの手を振り解く。
昔、私はルークのことを愛していた。
しかし今はもう違う。
だから、好きでもない男性に手を握られても、気持ち悪さしか感じなかった。
「言ったはずです。もう私はあなたを愛していないと」
私は振り返ってその場から離れる。
もうこれ以上ルークに付き纏われるのは面倒臭かった。
「メアリ! 悪かった! 謝るから! お前が全てなんだ!」
後ろからそんな声が聞こえてきた。
しかし私は振り返らなかった。
次の日、私とルークは離婚した。
白い結婚の場合、片方の意思だけで問答無用で離婚できる。
ルークは何とか私を思いとどまらせようとしてきたが、私は聞き入れなかった。
ルークと離婚した後、私は自由気ままに過ごした。
公爵領で新しく事業を立ち上げたり、孤児院を設立し、公爵領の発展に努めた。
ルークはその後誰と結婚するかで苦労し、何年経っても結婚できていないようだ。
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