第五話 密会
「峰葵、今いいかしら」
「どうぞ」
夜更けすぎ、誰も周りにいないのを見計らって峰葵の部屋に忍び込む。
いくら王と宰相とはいえ、男と女。
下手にこの二人が睦んでると噂が立つと、花琳が余暉の身代わりの王として君臨していることをよく思っていない上層部が黙っていない。
そのため、花琳と峰葵が内々で会うときはいつもこのように夜更けの逢瀬だった。
花琳は部屋の中に潜り込むと、足早に一番奥の衝立の裏にある峰葵の寝具のところまで行く。
もし万が一誰かが部屋に侵入してきた場合にすぐさま寝具に身を隠すためである。
今までそのような事態になったことは一度もなかったが、念には念を入れておくに越したことはない。
「誰にも見られていないか?」
「私を誰だと思っているの。そんなヘマするはずがないでしょう?」
「……ほう。日中は俺に見つかったというのに?」
「そ、それは……っ! ただ、ちょっと……間が悪かっただけよ」
寝具に寝転がりながら尋ねる峰葵に、花琳はコソコソと声を小さくして顔を近づけて話す。
以前からお互いに何か用があれば、このように周りに漏れ聞こえないよう至近距離で話し合っているのだが、最近はなんだかこの距離感がむず痒いと思っている花琳。
というのも、誰もが魅了されるほどの見た目と色気にあてられるのは花琳も例外ではなく、いつからか密かに兄の幼馴染であり幼少期から親しい峰葵に淡い気持ちは抱いていた。
だが、公私混同してはいけないとその気持ちを押し殺し、一切表に出さないように心掛けている。
そもそも峰葵はこの見た目、美声と物腰の柔らかさから女官達に大人気であり、今はなき余暉の後宮の妃たちや女官たちからもコナをかけられていたくらいだ。
噂には夜な夜な取っ替え引っ替え美人と睦んでいると聞くし、齢十八だというのに身長が伸びず、ちんちくりんな花琳など眼中外だろう。
特に花琳に対しては女官たちへのような対応とは違って物腰が柔らかいどころか横柄な態度であるし、まるで妹のような身内の扱いをしてくるので脈なしだということは彼女自身もわかっていた。
けれど、だからといって一度ついてしまった恋心は簡単には消えない。
意識しないようにしても無意識に意識してしまうのが厄介であった。
「ちょっと近くない?」
「いつもと変わらんだろう。何だ、俺を意識しているのか?」
「べ、別にそんなんじゃないわよ。女たらし」
「随分な言いようだな。……それで、何の用だ」
灯りに照らされて輝く紺碧の瞳に見つめられる。
寝る前だからか、夕闇に紛れるほどの美しい長い髪を下ろしていて彼の愛用の香油が花琳の鼻腔をくすぐり胸が疼いた。
だが、花琳はその色気ある峰葵の姿に高鳴る鼓動を悟られないようにゆっくりと息を吐いて心を落ち着かせると、小さく口を開く。
「えっと、その……今日の日中のことを謝りたくて。あれは、ちょっと、やりすぎたというか……」
ちらっと花琳が峰葵の頬を見るとほんのりと痣になっているようで胸がちくりと痛む。
つい勢いで投げ飛ばしてしまったが、いくら頭に来たからと言ってもあれはさすがにやりすぎたと反省した。
だが、峰葵は頬に視線を感じたからか首を傾げて長い髪で頬を隠すと、なぜか「はぁ」と小さく溜め息をついた。
「あぁ、何だ。そのことか」
「何だ、って何よ。人が謝りにきたというのに……!」
「別に気にしていない。不意打ちとはいえ、やられてしまった俺に落ち度がある。それよりも市井に行ったことのほうを謝ってほしいんだが」
「そ、そっちは謝らないわよ! おかげで色々情報収集できたのだし」
「ほう? 例えば?」
「例えば……」
今日収集したばかりの話をつらつらと話す。
特に賭博の件と捨て子の件は早急に対処せねばならない案件であると力説した。
「なるほど。明日そちらに官吏を向かわせよう。だが、無茶は程々にしてくれ。明龍から聞いたぞ、危うく暴漢に襲われそうになったとか」
「いや、あれは、別にそういうんじゃなくて……っ」
(明龍ったら余計なことを〜!!)
どうせ、峰葵に促されるまま報告と称して洗いざらい吐いたのだろう。
こういうとき明龍の気の弱さは仇になるんだからっ、と花琳は内心で明龍に毒づく。
「何かあってからでは遅いと言っているだろう? とうぶんは市井に出るのは禁止だ」
「でも、仲考が暗躍してるのよ? 小競り合いだって、税収のことだって、密輸入だって、私は関知してないことだし、峰葵も許可してないとなるとどう考えても仲考がやってるとしか考えられないのに」
「それはわかっている。だからこそ言っているんだ。下手に動いて返り討ちにあったら困るだろう? 今はまだいいが、そのうち追い詰めすぎるとあらぬほうに舵切りをする可能性があるのだから、あまりヤツを煽るんじゃない。今日だって強気にヤツに仕掛けていてヒヤヒヤしたと良蘭から報告を受けているぞ」
(良蘭も……! すぐに何でも峰葵に言うんだから!)
正論を言われてぐうの音も出ない。
花琳はやられたらやり返したくなる性分なのだが、実際いざとなったら性差には勝てないのは事実だった。
なりふり構わぬ彼の手先にやり込められる可能性もなくはない。いや、大いにあり得る。
峰葵や良蘭が常に気を張って花琳に危害が加えられぬよう目を光らせているが、ここは良蘭が言ったように伏魔殿。
誰がいつ寝返るかもわからぬ魔物の棲まう場所だ。
だからこそ、峰葵は何度も何度も気をつけろと花琳に忠告していた。
「わかったわ。我慢するようにする」
「そうしてくれ。……とはいえ、すまないとは思っている。いつも花琳には我慢ばかりさせて」
珍しく峰葵が謝ることに花琳はドキリとする。
いつも不遜で花琳に怒ってばかりの峰葵がまさか頭を下げるだなんて思わず、花琳は慣れない状況に戸惑った。
「な、何よ、急に今更。……別に大丈夫よ。兄さまが死んだときに覚悟したもの。それに、林峰も私ならやれるって言ってくれたでしょう?」
「それは……当時は父さんにはその選択しかできなかったからな」
先代の秋王である花琳の兄、余暉が亡くなったのは十年前の春のことだった。
季節の変わり目ということもあり、暖かかった前日から一転して急に冷え込んだ早朝、咳と共に吐血し、そこから一気に具合が悪くなり、帰らぬ人となったのだ。
その前日は麗かな陽射しの出る穏やかな日で、余暉の非常に体調もよく、「ここのところ体調も安定してきたし、花琳の誕生日には乗馬で一緒に散策にでもしよう」と余暉から提案され、花琳は期待に胸を膨らませていたばかりだった。
それなのに、翌日の急逝で気持ちがついていかず、ずっと放心状態だった花琳の代わりに奮闘してくれたのが当時の宰相で峰葵の父である林峰であった。
恐らく彼がいなかったらきっとこの国は花琳の知っている代々の王が意志を継いできた秋波国ではなく、違った国となっていただろう。
だからこそ、自分がこの国に縛られることになったとしても、林峰の決断は花琳にとって最善だと思っていた。
「だが、帝王学や戦術などもままならぬ花琳を王として擁立したことには未だに思うところがあるみたいだからな。俺に会うたびに花琳に不自由をさせてないかとしつこく聞かれる」
「ふふ、林峰は峰葵に輪をかけて過保護だものね。そういえば、以前……」
花琳が昔話をしようとした瞬間、突然峰葵のすらっとした美しい手で口を塞がれる。
突然のことに訳もわからず目を白黒とさせていると、「シッ、誰か来る。隠れろ」と言われて、慌てて峰葵の寝具に潜り込んだ。