エルダー・マクガーデン
そろそろ春の風が吹いてもいい時季なのに、ルーブ王国の北の果て、ユーマスの村にはうっすらと雪が積もっていた。
外の世界と隔絶した、ともすれば止まってしまいそうなくらいゆったりと流れる時間を、小気味よい機織りの音が規則正しく刻んでいる。
そして、時々、深い森から餌を求めて飛び立つ野鳥の鳴き声が、冷たく引き締まった、静かな空気に亀裂を入れた。
しかし、何よりやかましいのは村の子供たちだ。
楓の葉のように大きな手袋で、泥の交じった雪をすくってこねては、行き当たりばったりに雪合戦を繰り広げている。
すくってこねて、すくってこねて。
きゃっきゃと騒々しい子供たちに、今日もエルダーは引っ張り出されて彼らの相手をつとめている。
「おらおらおら、逃げんなよ! ぜんいん血祭だぜ! あ、おい、トレイム、小石まぜんのは禁止だからな! あぶねーから」
「うわーっ、エル兄が来たーっ! いったんタイキャクしてゲイゲキするんだぁーっ」
幼い子供たちは思い思いに、興奮しきった奇声と掛け声をあげるばかり。
エルダーは、すくってこねこねしながら、特にやんちゃな坊主のトレイムを追いかけた。
「てめー聞いてんのか、おい――」
どんっ。
エルダーの右頬めがけて、雪玉が横殴りに飛んできて、クリーンヒットした。
エルダーが振り返ると、少し年下の幼馴染、ユウトのきらきらした得意顔にでくわした。
「はっはっ、ざまぁみろ。トレイムに気を取られてるからだぞ」
「いってーな。ユウト、何すんだよ!」
「ぼさっとしてるほうが悪いんじゃねーの?」
「さっすがユウト!」
トレイムがはやし立て、その弟のリクルも調子づく。
「よーし、今のうちにエル兄やっつけるぞ!」
囲まれたエルダーは思わず口走る。
「わわっ、お前らちょっと待て、こんなの卑怯――」
「ふふん、そんなんじゃ一流の狩獣士になんかなれやしないよ!」
とユウト。
「狩獣士の仕事じゃ、こうやって魔獣に取り囲まれるケースなんて日常茶飯事だろ!?」
「馬鹿にしゃーがって!」
くらえ、とエルダーが勢い込めて投げた雪玉は、突如ユウトの眼前に現れた白くて丸い塊にはじかれた。
ユウトが守護獣の“ピース”を召喚し、防いだのだ。
「てめっ、白玉犬だしやがって、ずるいぞ!」
「これくらい、歳の差ハンデってことでいいっしょ?」
ユウトは、くぅんと甘い声で鳴くピースを撫でながら笑った。
「そうだそうだ!」
「ハンデハンデ!」
トレイム&リクル兄弟も、自分たちの守護獣を召喚する。
エルダーはにやりと笑った。
「へっ、いい度胸だな……。そんならこっちも本気だ。大人の雪合戦ってやつを見せてやるぜ!」
ガキどものお守りというエルダーのポジションが、きれいに雲散霧消した瞬間であった。
それから日が暮れるまで、彼らは仲睦まじく雪の塊を投げ合った。
やがて、トレイムとリクルは、迎えに来た母親に手を引かれ、もう片方の手でエルダーに手を振った。
「じゃーなーエル兄! 明日はこのオレサマがお見送りしてやるぜ」
「覚悟しとけよ!」
「何を覚悟する必要があんだよ!」
兄弟の姿が見えなくなると、エルダーはまだ残っているユウトに一瞥をくれた。
「何してんだ、てめーも帰んな」
「……」
ユウトは押し黙り、うつむいたままだ。どこか、様子がおかしい。
「どした?」
エルダーはユウトに近づく。
「お前、具合わるいのか? それとも、まさかどっかケガを? それとも――」
エルダーはしたり顔で言った。
「俺との別れがいまさら寂しくなったってか?」
エルダーのしたり顔に雪玉がたたきつけられた。
「引っかかったーっ」
ユウトはクックッと楽しそうな笑い声をあげる。
「このタイミングで、具合悪くなるとかありえないじゃん。ほんと、エル兄は単純だなーもう」
やり返そうとしたエルダーに、ユウトはでもさ、と付け加えた。
「別れが寂しいってのは……あるかもしれないな」
「は?」
「いや別に、寂しいって言っても、あれだからな、遊び仲間がいなくなってって意味だから。ほかの連中じゃ、ガキっぽくてつまんねーし、ってこと」
「はぁ」
「なんだよ、その間抜けなリアクションは! そんなんじゃ絶対、一流狩獣士なんかにはなれないからマジで!」
ユウトはそっぽを向いて、睨むようにエルダーの視線を捉えた。
「とにかく、また明日、エル兄。寝坊して列車に遅れんなよな」
そう言ってユウトは、走り出しざまに隠し持っていた雪玉を、エルダーに投げつけた。
「あ、こら待ちやがれ!」
と、エルダーが言い終わるころには、ユウトの後ろ姿は青っぽく暗い、夜道の中にかき消えていた。
「ったく、最後の最後まで……。ま、あいつらしいけどな」
ユウトの言う通り、寝坊なんてしたら笑い話にもならない。エルダーも帰路につくことにした。