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閑話 『槍の選別』の会合は囲い込みを阻止するために囲い込むことにした。

 大通りの先にある、周りとは不釣り合いな古ぼけた木造の錬金術店、『槍の選別』。


 いつも営業しているのかいないのか分からないほどの古ぼけようなのだが(なにせ窓が少なく、明かりも少ないのだ)、今日は珍しくはっきりと店頭に『本日、休み』と札がかけてある。むしろ開店している日に『本日、営業中』という札が必要ではないだろうか。


 そんな『槍の選別』の店部分は、カーテンが閉まっており明かりもすっかり消えていた。ニンファが奥の調合室に籠っているのだ。


 竈に沢山の薪を並べてごうごうと燃やし、鍋をその上にいくつも並べてひっきりなしにかき混ぜている。冷涼の魔術具も稼働させているのだがやはり熱気には勝てず、ニンファの額には脂汗がいくつも浮かんでいた。


「こっちはもういいね。これはあともう少しだ」


 左の鍋を覗き込み、魔石から流れ出た魔力によって液体がどろどろになったのを見て取ると、すぐに火から降ろす。粗熱が取れたら漏斗を使って細長いガラス瓶に注ぎ、色がきっちりと観察できるようにした。


「さあて、あと3つだ。おお、これももういいね」


 そう言っては頃合いの鍋を火から降ろして粗熱を取り、漏斗で細長いガラス瓶に注いでいく。


 そんな作業がそろそろ終わるか、という時、店側のドアがぎいっと軋む音が聞こえた。

 手元が狂わないようにしっかりとガラス瓶に注ぎ切ってから店の方を覗くと、そこには薄い青髪の女性が所在なく佇んでいた。


「なんだファビア、お前かい。確かに呼んではいたが、そっちから入って来いとは言ってないよ。まったく、錬金術師院の子供は伝言も満足に出来ないのかね」


 数日前、わざわざ錬金術師院まで赴いて近くにいた子供に言伝てを頼んだのだ。それなのにファビアがその通りにしないということは上手く伝わっていなかったということだ。


「すみません、ニンファさん。そのようです」

「まったく。多少面倒でも魔術具を使えばよかったんだがね、残り少なかったからやめたんだよ。ああ、これだから子供は嫌だ」


 ファビアは、言伝てを頼まれた子供が半分も内容を覚えていなかったのはニンファのただならぬ気配に怯えてしまっていたからだ、ということは少しも言うつもりはなかった。

 ニンファがその錬金術の腕で稼いだ金にものを言わせて沢山の魔術具を買い漁っていることを知っていたからだ。世の中、金を持っている人がそれを落として経済を回せばいい。


 賢いファビアは、教え子たちが罵られたことに多少の憤りを感じたものの、それをおくびにも出さず言い訳もせず、ただ「ええ、次からはそうしてください」とだけ言った。


「今日の会合は何について話し合うんですか?」

「なんだって?」

「ええと、ニンファさんが私たちをお店に呼ぶくらいだから、てっきり会合かと……」


 ニンファはその錬金術の腕から様々な人脈を持っており、その中でも選りすぐりの錬金術師を不定期に集めて色々な問題について話し合ってきた。そう、ファビアもその一員なのである。


 なんだかんだ言ってもファビアの腕を買っているニンファなのであった。本人はそんな様子をほとんど見せないけれど。


「ほら、あんたがこの前連れてきた子供についてだよ。チェレスとか言ったっけ?」

「ああ、やっぱり」


 最近目新しい話題と言えばそれくらいしか思い当たらない。ズッペルゲンの供給不足について随分前に対処してから、錬金術界では目立った問題や話題はなかったのだ。


「チェレスを錬金術店に連れてきたのはここが初めてかい?」

「は、はい。というか、ポーションを作ったのもあの日が初めてです」


 ファビアがそう告げると、まさか、という顔でニンファがじっと見つめてきた。しかしそれほど厳しい視線にもならず、すぐにひらひらと手を振って笑い出した。


「そうかい、あれが初めてかい。本当に訳が分からないねえ、あの子供は。魔力もそうだが、一体どれだけ丁寧に素材の処理をしたんだか。座学で習ってたって、そう簡単に出来るもんじゃあないよ」


 ファビアもその意見に全面的に賛成する。座学で教えてすぐに実行できるのなら、何回も実技をやる必要もない。魔力の扱いと同じくらい素材の処理は大切なのだ。効率よく神の力を取り込むために。


 確かにそう教えてはいたけれど、あんなに完璧に出来てしまうなんておかしいです。エリデやリーアはまだ処理が甘いところも見受けられましたが、チェレスはそうではなかった……一体何者なんでしょう。


 年にしては小さい身体にどれだけの可能性が秘められているのか。年甲斐もなくわくわくしてきてしまうファビアとニンファなのであった。



 それからほどなくして5人の錬金術師が更にやってきて(きちんと裏口からである)、いよいよ会合が始まった。


 まずチェレスティーナの錬金術の腕について、ファビア以外の者たちに簡単に説明する。信じがたいものなので、先ほどニンファが汗だくで用意したポーションの組成表と実際に分離されたポーションを出し、嘘ではないと証明した。


「はぁ……まさか10歳でこれほどのものを……目の前にあっても疑ってしまうくらい荒唐無稽な話ですね……」

「10歳でこれって、ここから魔力効率が成長したらどうなるんだ? 末恐ろしいぞ」

「……こんなものが数多く出回れば確実に市場が混乱するね。一体どうするんだい、ニンファ」


 辛うじて反応できている者が3人、絶句している者が2人。

 仕方がない。何十年と錬金術に携わってきたニンファですら最初は疑ったのである。こうして組成表とポーションを出されても信じがたいのは当たり前だろう。


「まあ聞いとくれ。チェレスは記憶喪失で親に関する記憶がない。寄る瀬なく錬金術師院に来たクチなんだ」

「記憶喪失か……」

「リーアとエリデという同室の者と随分仲が良いようだが、庇護者は依然として現れていない。私はチェレスが納品してくるポーションは取りあえず貴族に献上して様子を見るしかないと思ってるが、それでは囲い込みは避けられないだろう」


 ニンファの言に皆が首肯する。


 貴族に献上して先方を立てないことには学会がとばっちりを受けるし、基本的に無色透明でないポーションを買える平民などほとんどいない。どう転んでも貴族と取引していくことになるだろう。

 店を開くまでもなく領主のお抱えとして働くことも不可能ではないほどの腕を持っている。


 しかし、ファビアはもちろんニンファにもチェレスを貴族にやる気はなかった。


 いざという時にはニンファの視線にも負けない胆力を持っているのに、普段の様子は天然そのもの。確実に貴族に囲われるだけでなく食い物にされてしまうに決まっている。そしてあの無防備さでは多分良心的な貴族を選ぶ前に悪事を企む貴族に攫われるだろう。


 将来有望な錬金術師を、それもあんなに無邪気で無防備で寄る瀬ない子供をみすみす悪の手に逃がしてしまうなど、人間のやることではなかった。


「だからチェレスはうちの店が擁することにしたよ」


 具体的には、調合したポーションを全て買い取る、これから学会に提出することになるであろう色付きポーションに関する論文に共同研究者としてチェレスティーナの名前を明記する、貸し家を斡旋する、貸店舗を斡旋する、地税の免除を貴族と交渉する、などである。


 それはつまり莫大な利益と将来有望な錬金術師の信頼を一挙に得るということでもあったが、異論はなかった。ニンファは、他領はともかく自領では一番腕のいい錬金術師である。貴族との付き合いも長く、お得意様も沢山持っている。


 チェレスティーナにとってはこれ以上ない良縁である。それをわざわざ邪魔する者などここにいるはずがなかった。


「チェレスはギルニェーユの辺りに錬金術店を開きたいと考えているようです。誰かそちらの方面に知り合いのいる方は……」

「あそこになら2~3人心当たりがあるぜ。嬢ちゃんたちがいつ店を開くのか知らないが、一応声をかけておこう」

「助かります」


 ちなみにギルニェーユとはエディッタが住んでいる辺りの地名である。ニンファもファビアも、チェレスティーナの意向を無視してまで自分たちのところに据え置こうとは思っていなかった。情報源となる信頼のおける人物をチェレスティーナの傍に置いておけばいい。


「まあ上級貴族は必ずこっちの色付きポーションの方を所望するだろうからね。今まで貴族相手にやってきた店は多少苦しくなるのは否めないだろう」

「上級貴族に太いパイプを持てるほどの腕の錬金術師なんてそう何人もいませんよ。大方、質の悪いポーションで荒稼ぎしてた奴らが痛い目に遭うくらいでしょう」

「それなら別にそっち方面の対策は必要ねえな。あちらさんに気遣うこったあねえ」


 ポーションの質というのは素人がぱっと判断できるようなものではない。運悪くそれほど腕の良くない錬金術師に当たってしまった貴族は質のいいポーションを知らないままその店と取引を続けることも珍しくないのだ。そこに正しい知識を持った錬金術師が入っても横槍を入れたとしか思われない。


 何度か腕の悪い同業者に煮え湯を飲まされてきた者は、貴族を相手にするとなると容赦なく市場の混乱を容認した。

 特にギルニェーユの辺りは錬金術店が少ないせいで阿漕な商売をしている者もいると聞く。正々堂々と錬金術の腕で彼らを負かしてほしいものである。


「あの辺りで有力な貴族は?」

「上級貴族ならビッリャッツィ、タルクウィーニオ。中級と下級ならトリオンフェラ、アゴリヤーティ、エヴァンジェリスタってとこかね。タルクウィーニオ侯爵のとこの長男がちょうど流行り病か何かで臥せっているらしい」


 黒髪の老獪な女性が黒い笑顔を浮かべながらニンファにそう告げた。彼女の意図を理解したニンファもにやり、と黒い笑顔になる。


「そうかい、そうかい。それじゃあそのうち納品される中級ポーションでも持ってギルニェーユに行こうかね」


 そのうち納品される中級ポーションとはもちろんチェレスティーナの調合したものである。初めての調合で成功しすぎたチェレスティーナはファビアの強い推薦により特待生扱いとなり、実技の課程をファビアの監督のもと先取りすることになったのだ。


 本来ならあとひと月ほどは初級ポーションに費やすところだったので、かなり時間的に得をしたと言えよう。


「中級ポーションで治るのかい? 流行り病ってあれだろ、魔力持ちの貴族には独特の症状が出るっていう……」

「私の知っている限りでは大丈夫さね。絶対に治る。保険で私の作った上級ポーションも持っていくつもりだが、まあまず出番はないだろうよ」


 チェレスティーナたちは知らないことであったが、色付きポーションは少なくとも通常の3倍の効き目を示すと分かっている。緑色となれば5倍は堅いだろう。いや、それ以上の効き目があるかもしれない。


「楽しみだな。その結果が分かったらまた会合を開いてくれるんだろ?」

「当たり前じゃないか。こんな楽しみをひとりで独占するほどがめつくなった覚えはないよ」


 いつも少しの質の低下も見逃さずに仕入れ値を値切ってくるニンファの言に、一同は苦笑いとなった。



 それからひと廻りほど経ってチェレスティーナが緑色の中級ポーションを納品すると、ニンファは前金と言って小金貨5枚を渡してからギルニェーユに向けて発った。


 ニンファは青色のポーションも存在は知っていたのだが、そこまでオーバーキルするつもりも必要もない。きちんと言いつけたように緑色のものが納品されたので珍しく満足そうに笑ったものだ。


「さあて、どうするかね」


 口ではそう言っていても、もうやることは決まっている。手紙を送る鳩型の魔術具を出して先ほどしたためた悪意たっぷりの手紙をタルクウィーニオ侯爵へ向けて車窓から飛び立たせると、今度はもう少し格の低い魔術具で数通の手紙を送る。


 ファビアが会合にいた男性に根回しを頼んでいたので必ずしも必要ではないのだが、ニンファはニンファできちんと自分側に情報源を持っておきたい。昔馴染みの錬金術師のうち何人かにことの次第をしたためて送ったのだ。


 しかしニンファも人が悪いもので、そこにチェレスティーナの情報は書いていない。


 次の春ごろにはそちらに腕のいい錬金術師が行くから良くしてやって、たまにこちらに情報を伝えとくれ。


 ファビアは除くとして、現役の錬金術師の中で自分だけが彼女に驚かされたというのはあまりに悔しいので、そんなようなことしか書かなかったのである。


 次の春、あの子供にみっともなく驚かされりゃいいんだ。


 くっくと悪い笑いが止まらないニンファなのであった。

明日はおやすみです。

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