ポーションの謎を解く! ・・・・・・あ、ニンファさんが。
エリデが中級魔法の2倍の魔力を注いで作ったというポーションは、全く緑色の片鱗も見えない無色透明であった。
「へ、変だよね……」
「変ですね……」
「変よねぇ……」
まず、チェレスティーナとエリデの『中級魔法の2倍の魔力』というのには大分差があるのだ。
通常、詠唱を行えば魔法を行使するのに必要な量の魔力が誘導され、そのまま行使できる。しかしチェレスティーナは魔力効率がとても良いせいで中級魔法の威力が凄いことになってしまい、リーアたちに「じ、人災……」と絶句されてからはかなり魔力を絞っているのだ。
意識的にやれば絞れないこともないし、逆に詠唱が誘導する以上の魔力を込めることもできる。
後者については怒られるのでやる気はないが。
とにかく、チェレスティーナが中級魔法に消費している魔力は普通と比べてかなり少なめになっている。もちろんエリデよりも、だ。
問題なのはそこだ。チェレスティーナが言う『中級魔法の2倍の魔力』というのは、エリデが言うものよりもかなり少ない。というか、個人ごとにそれは違いがあるものだ。魔力を絞っていないため威力の方に差が出る者もいる。
しかしその量の違いを説明することは難しい。本当は魔力量というものも正確に測るのは至難の業なのだが、必要なのは数値ではなくどれだけ魔法を行使できるかなので、魔力効率も併せて考えられることが多くなっている。魔力が少ないのに魔力効率がとても良い、というのはあまり起こらないので、あながち間違ってもいないらしい。
その辺りの研究はチェレスティーナたちには知る手段がないので、曖昧になってしまうのも仕方がない。
錬金術では魔法とは違い、単純に注がれた魔力量に比例して質が良くなると言われている。チェレスティーナもエリデも、ふたりの間の『中級魔法の2倍の魔力』の量の差を鑑みて、多い分には問題ないだろうと判断して調合を行い、一方は結果を待ったのだ。
つまり、エリデのものの方が確実に注がれた魔力は多い。しかし色は普通のポーションと変わらない無色透明である。
「本当に中級魔法の2倍の魔力を注いだんだよね?」
「当り前です。念のため少し多めに注いだくらいですよ。緑色にならないなんて……どうしてでしょう」
考えてみても全く原因が分からない。座学の得意なリーアに視線を送ってみると、
「……さっきファビア先生が出してきた巻物って、きっと私たちが習っていない内容だと思うの。魔力は多ければ多いほどいいとは教えられてたけど、それによって色が変わるなんて聞いたことがないわ。やっぱり先生たちに質問した方が確実よ」
記憶力に優れているリーアにそう言われれば、もうここでぐだぐだと無駄な仮説をこねくり回している意味もない。
リーアが知らないのならば、誰も知らない。
これがチェレスティーナとエリデの認識であった。
「先生! ちょっと来てください」
教室の端の方で別の生徒を見ていたファビアがこちらを見て、少し待つように手を振る。そして二言三言生徒に助言するとすぐにこちらの方に向かってきた。
「一体次は何をやらかしたのですか?」
「せ、先生、言い方……」
「事実ではありませんか。またあの巻物が必要ですか?」
どうして私ってこう問題児扱いなんだろう……。
ファビアの歯に衣着せない言にがっくりと項垂れるチェレスティーナ。他のふたりはそんなチェレスティーナを気にかける様子もなくファビアに質問し始める。
と、友達って言ってたのに!(泣)
「これ、チェレスが緑色のポーションを作った時よりも多い魔力を注いだポーションなんです。なのに何故か無色透明のままなんです」
「そうですか……チェレスよりも確実に多いという証拠は?」
ファビアに聞かれたエリデがチェレスティーナの魔力効率について話すとファビアも納得した。
「それはおかしいですね。どうしてなのか私も分かりませんし、多分ここの誰もわからないでしょう。お恥ずかしながら、錬金術師院の教師たちはみな学会や論文からは遠ざかって生きていますから……ニンファさんに見てもらうしかないですかねぇ」
ニンファさん? 聞いたことのない名前だなぁ……ここの先生じゃないのかな?
「で、でもニンファさんにこんないたいけな子供たちを会わせるのは……うーん、でも……」
ファビアが眉を寄せて悩みながら独り言をぶつぶつ呟く。
「い、いたいけな子供たち……?」
「私とチェレスはともかく、エリデはあと2年もすれば成人よねぇ……」
「そんなエリデですら『いたいけな子供たち』で括られちゃうくらい危ない、とか……」
魔物でもあるまいし、基本的には意思疎通の出来る同族に対して危ないとは失礼な言である。
しかしファビアの悩みようや漏れ聞こえてくる「この前ニンファさんとたまたま会っちゃった子はすぐにやめちゃったし……」とか「私たちが納めてるポーションにすらたまにケチつけてくるし……」とか「夜な夜なニンファさんのお店からは謎の声が聞こえてくるし……」とかの言葉からして、なんだか危なさそうだったのだ。
そしてそれはリーアとエリデも同じ意見であった。
なんか、やばそう。
『いたいけな子供たち』に警戒心を持たせるということにおいては、ファビアの少々危険でうるさい独り言は十分な役割を果たしたと言えよう。
「仕方がありません、今からニンファさんのところへ行きましょう。ここはサロメ先生に任せます。いいですね、皆さん」
実技が終わってからではなく今から向かうらしい。ファビアに念を押された生徒たちは調合の手を止めて一度頷き、また調合に集中し始めた。
「それでは私はサロメに事情を話してから東門に向かいます。エリデはすり鉢のポーションを瓶詰めして、チェレスとリーアと一緒に東門まで来てください。ああ、チェレスは緑色になったポーションを1本持ってきてくださいね」
生徒の使うすり鉢は小さく、ポーション1本分にしかならない。すぐに瓶詰めを終えると、簡単に道具の片づけをしてから急いで東門に向かった。
東門は人通りの多い道に面している門だ。直営店の入り口もこちら側にあり、その通りには様々な店が立ち並んでいる。錬金術店、薬草屋、木工工房に属す雑貨屋などだけでなく食べ物屋も沢山ある。
「へいお嬢ちゃん、かわいいねえ。ヒェメひとつ買ってかないかい」
「うちの串焼きも絶品だぜ。もうすぐ昼だろ、腹が減るころだ。一つ大銅貨4枚に値引きしてやるよ」
「お前みたいなむさい肉屋にはこの可愛い嬢ちゃんは似合わねえよ」
「なんだと!」
下町らしい粗野な言葉遣いで、エリデの争奪戦が始まった。確かにチェレスティーナとリーアに比べると格段に大人っぽく――様々なところが――可愛い嬢ちゃん、というのはあながち間違っていない評価だ。しかもその可愛い、というのは『子供らしくて可愛い』ではなく『容姿そのものが可愛い』ということである。
「「うぬぅ……」」
なんだか負けた気がする。負けてもどうということはないのだが、なんだか悔しい。
複雑な乙女心であった。乙女かどうかは別にして。
『むさい男たち』をファビアにいなしてもらって通りをずんずん進んでいく。
「お昼は寮で支給されるっていうのにわざわざこんなところで買うなんて、もったいないの極みですよ」
いなしてもらわなくても買うつもりは毛頭なかったようである。
時折土埃の舞う道を灼熱の太陽にじりじり焼かれながら歩くと、一軒の古ぼけた店が見えてきた。
「あれがニンファさんの錬金術店、『槍の選別』ですよ」
「「「ぶ、物騒……」」」
槍の選別って、つまり槍でぶすぶす突いて避けられる人だけを、ってこと? でもポーションを買いに来る人たちって必ずしも冒険者だけじゃないのに……ていうか、名前からしてニンファさんって女の人だよね? 槍、持てるの?
意味不明な店の名前に混乱するチェレスティーナ。リーアとエリデも不可解そうな顔をして首をかしげている。
「……まぁ、否定はしません」
そして肯定もしないが否定もしないファビア。
うーん、不安だなぁ。
一抹どころではない不安を抱えながら、ファビアが開けたドアの中に入る。
「うわぁっ」
店内はポーションの楽園だった。
チェレスティーナの身長の2倍はある棚に所狭しとポーションが並び、ところどころに判別用と思われる札が立ててある。埃っぽいがそれが逆に雰囲気を作り上げていて、なんだか秘境のようだ。
ポーション棚と向かい合うように置かれている小さめの棚には雑然と薬草が積んである。麻紐で束になるように結んであるが、こちらには値札も品種を示すものもない。
お好きにどうぞ、ってやつ?
チェレスティーナは巡時代にたまにカウンターに置いてあった飴を思い浮かべた。
「誰だい、私の許可も得ずに入ってくる無礼者は」
いきなり低い声がして驚き、そちらの方を反射的に窺う。
「おや、あんた、錬金術師院の教師じゃないかい? こんなところで何をしているんだね」
奥のドアから出てきたのは、真っ黒な長髪と瞳に負けないくらいの黒いローブを羽織っている女性だった。年齢はファビアと同じくらいか少し上に見える。声が低いのも一因だろう。
「そこの子供。うろちょろするんじゃないよ、鬱陶しい。そこの教師に連れられてきたのか知らないが、うちの店はあんたたちみたいなやつが来るようなところじゃないんだ。大人しく帰っておねんねしてな」
口、悪っ!
言葉遣いだけでなく口調も荒々しく、チェレスティーナたちを疎ましく思っているのがありありと読み取れる。年齢の割に大人に見られるエリデまでひっくるめて『あんたたち』と呼称しているあたり、多少の年の差は関係なく『子供』という生き物を嫌悪しているのかもしれない。
うーん、これは確かに錬金術師にとってもお客さんにとっても『槍の選別』かも。
「あの、お邪魔になるのは百も承知なんですが、どうしても見ていただきたいものが……」
「あん? なんかおかしなものでも納品されたのかい?」
「いえ、そうではなく……」
「珍しい素材が持ち込まれたとか」
「そ、そうでもなく……ええと……」
「もごもごしてないではっきり言っとくれ。ここんとこ年のせいか耳が聞こえづらいんだ」
……ん? 年のせい?
……この人、ほんとは何歳なの!?
リーアと目を合わせると、恐ろしいことを聞いたというように身震いをしてみせた。エリデは唖然、呆然、といった表情である。
うん、女の人に年を聞くのはご法度だよね。
そんなふうに3人が納得していると、
「はぁ、全く話が通じません……これは見せてしまった方が早いかもしれません。チェレス、エリデ、ちょっとこちらへ」
ファビアは説明を諦めて現物を見せることにしたらしい。手招きされ、促される。
チェレスティーナは緑色のポーションを、エリデは無色透明のポーションを、言われるままにニンファの前に掲げてみせた。
「これが私の作ったやつで」
「こちらはそれよりも魔力を多めに注いだにも関わらず無色透明のままのポーションです」
このあと質問することがあるので後者に関しては詳しく説明しておく。
ニンファはじっとエリデの方のポーションを観察し、そろそろ腕を挙げているのが辛くなってきた頃にやっとチェレスティーナのポーションの観察に移った。
くぅっ、痛い! 早くして!
ただえさえ調合ですりこぎで『ごりごり』してきた後である。二の腕が限界だ。
早く、早く、早く!
チェレスティーナの必死な願いが通じたのか、ニンファはチェレスティーナの持っているポーションを手に取り、更にじっくりと観察し始めた。
「ファビア先生、いったい何をそんなに観察しているんでしょうか?」
「さぁ……ポーションの質とかではないですか? かくいう私も緑色のポーションを見たことがないので、ニンファさんが何を確かめているのかあまり分からないんです」
錬金術師院の教師ですら分からないものを、この妙齢――少なくともそう見える――の女性が分かるものなのだろうか。錬金術師院の教師は学会や論文から離れていると言っていたから、そこの関係だろうか。
確かにこの店はお世辞にも手入れされているとは言い難いし、外観もとても入りやすいとは言えない。きっとここに来るのは常連ばかりで、一見はお断りなのだろう。そして最低限の業務の他は研究に費やしている、とか。
そんな予想をしていると、ニンファがなにやら奥から温度計のようなものを2本持ってきた。取っ手の部分に小さい映玉が填まっているので魔術具の類だろう。
「そこの。そのポーションも貸しとくれ」
エリデが慌ててポーションを差し出す。
ニンファはきゅぽんとコルクを抜き、魔術具の映玉のはまっていない部分をポーションに突っ込んだ。そのまましばらく待つと映玉の色が変わり始めた。
「わぁ、きれい……」
無色透明の方は赤から橙、黄に変わるとそのまま変化をやめた。緑色のものは赤から橙、黄のも変化し続け、黄緑、緑、青緑、青、青紫、紫……とくるくる色が変わっていく。
12色相環みたい。
巡時代に美術の授業で習ったものを思い浮かべる。くるくると変化を続ける映玉はとても綺麗だ。
映玉はとうとう最初の色の赤に戻り、また橙から黄、黄緑……と色をループさせ始めた。
「こんなものだろうかね」
ふぅっと一息ついたニンファは魔術具を引き揚げ、ファビアたちを手招きした。
謎解きの時間のようだ。
「まず、あんた」
指名されて背筋を伸ばすチェレスティーナ。
「誰に頼まれたのか知らんが、人の作ったポーションを自分が作ったと騙っちゃいけないよ。おおかた錬金術師院の生徒なんだろうが、そんなんではいい錬金術師にはなれん。肝に銘じときな。わかったか?」
「あ、あの、本当にそれ、私が作ったんです」
騙ったも何も事実なのでそう主張すると、ニンファは舐めるような視線をチェレスティーナに這わせた。
「そんなことがあるもんかい。冗談も休み休みお言い。それかあれか? もしやエルフとのハーフか?」
「た、たぶん違います」
「そうだろうさ、耳が少しもとがっとらんからな。しかし人間の子供が、子供がだぞ? こんなものを作れるほど魔力が多くて、しかも魔力効率もいいだなんて、そんな馬鹿な話があるもんかい。たばかろうったってそうは行かんぞ」
「あの、でも、私が作ったんです」
ニンファの鋭い視線に縮み上がりながらもそう言うことをやめないチェレスティーナ。
するとファビアが助け舟を出してくれた。
「ニンファさん、そのポーションは誓ってこの子以外の誰が作ったものでもありません。チェレスは異常に魔力が多くて、しかも扱いに長けているんです」
「……あんたまでそんなこと言うのかい?」
「はい。それに、ニンファさんはいつも私たちが納品するポーションを見ていますよね。こんな緑色のものを作れるほどの力量の者がいましたか?」
せ、先生と比べないで! いたたまれない! 更に問題児度が上がる!
巡時代には教鞭を取る者の力量を超えたことなどもちろんないチェレスティーナが内心で叫んでいると、
「それもそうだな。あんたたちのポーションはまあ及第点だが、こんなものはどう頑張っても作れんだろう」
「は、はい。それでは……」
「しかしあんた、錬金術師院の教師全員よりもこの子供の方が腕がいいというつもりかい? 教師としてどうなんだろうねえ、それは」
ニンファが試すようにファビアに厳しい視線を向ける。ファビアはそれに負けないように胸を張り、きゅっと拳に力を入れた。
「はい。悔しいですが、チェレスはもう今の時点で錬金術師院の教師全ての力量を超えています。更に飲み込みも早いので他の工程も難なくやってのけます。錬金術師としては一流になるでしょう」
その答えに、ニンファはにわかに驚いたような表情を隠さなかった。
「へえ、そこまで言うかい、あのファビアがねえ」
「はい」
ニンファはふっと厳しかった目を緩め、チェレスティーナたちの方へ視線を向けた。
「ファビアがこう言うから、私もあんたたちの言うことを信じるよ。それに、この緑色のポーションは少々異常だ」
「「「異常?」」」
「ああ、今から謎解きをしてやろう」