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微妙に緊張感がないのは主にチェレスのせい!

 馬車に半刻ほど揺られると、コスタンツァの実家であるマデールナ子爵家の館に到着した。下級貴族とはいえ平民のチェレスティーナたちから見れば豪華絢爛な館に思わずたじたじだが、エルダが当然のように入っていくので毒気を抜かれた。


 少し考えてみればこの館でメイドとして働いているのだからエルダが今更怖気付くわけもないのだが、同じ平民である彼女が堂々とした態度なので少し驚いてしまったのだ。貴族に慣れていない平民にはよく見られる反応のようで、エルダは3人の様子を見て笑いを零した。


 ニンファさん? いや、驚きのおの字もなかったよ。まぁ貴族相手にポーション売ってるくらいだし、慣れてて当然だよね……。


「こっちだよ」


 魔力障害によって上級学園をほぼ休学しているコスタンツァは東の部屋にいるらしい。エルダが迷いなくチェレスティーナたちを案内する。


 もうすっかり夜だが、廊下にまで明かりの魔術具を設置してあり蝋燭を持たなくても移動できるので安心だ。うっかりはぐれて迷いでもしたら大変である。うっかりマデールナ子爵家の誰かに見つかった時は特に。


 コスタンツァの部屋にはそれほど時間をかけずに着いた。思ったよりも館は広くないようだ。


 エルダはチェレスティーナたちに控えるよう言い、服のしわを軽く伸ばしてからドアをゆっくりノックした。


「コスタンツァお嬢様、エルダでございます」

「ええ、入って頂戴」


 澄んだ声がそう答える。エルダはそっとここに留まるようにジェスチャーをして、丁寧にドアを開けて中に入って行った。


「お嬢様、魔力障害を治癒するポーションを持っている錬金術師たちをお連れしました。平民ゆえ礼儀作法が心もとないところはございますが、入室をお許し願えますでしょうか」

「まぁ、見つかったの? エルダは本当に優秀ね。ドアの外に控えているのよね、すぐにお連れして」


 コスタンツァの許可を得たエルダは、ドアの外に待機していたチェレスティーナたちに最低限の礼儀作法を伝え、失礼のないように厳命してから部屋に入れてくれた。どうやら慕っているコスタンツァに失礼な客人を通すのは躊躇われるらしい。


「ええと、お初にお目にかかります、チェレスと申します。錬金術師院の生徒です」

「同じく、リーアと申します」

「同じく、エリデと申します」


 チェレスティーナたち3人は先程エルダに教えられた通り礼をし、簡潔に名乗る。


 えっと、お辞儀をしながら右手を胸に当てるんだよね。


 脚は何もしないのが平民の礼らしい。


 なんとか失礼なく礼を終え、ニンファも同じように名乗るのかと思ったら、違った。


「ヘッレのお導きにより御前にまみえることが叶いました。この出会いに心より感謝致します。ニンファ・シュローテと申します。領都で錬金術店を営んでおります。以後お見知りおきを」


 右手をゆっくりと胸に当て、優雅に礼をするニンファ。指先まで気を使っているのが分かるその仕草に、思わずチェレスティーナは目を見開いた。


 驚いたのは何もチェレスティーナだけではなかった。リーアもエリデも、何とエルダも「えーっ!」と言いだしそうな顔をしている。


 それもそうか。エルダさん、ニンファさんの作法が一番心配そうだったもんね。


 先ほどドアの後ろで礼の仕方や名乗り方などを教えられた時、ニンファは「そんなもの教えられなくたって出来るよ」と言って特に説明を聞かなかったのだ。馬車に乗っていた時もそれなりにぞんざいな態度だったので(もちろん平常運転なのでエルダがそう感じただけだが)、実は一番心配していたのである。


 チェレスティーナも、ニンファも(いい年の)大人なので酷いことにはならないだろうと思っていたのだが、それをいい意味で裏切られた。


 平民の礼が出来るんじゃなくて、貴族向けの礼が出来るって意味だったんだ……。


 ポーションの取引相手として貴族と面識があるということは知っていたが、当然いつも通りに特に礼節などに気を配らない態度で接しているのかと思っていた。しかしよく考えてみればそれでは貴族にお得意様になってもらうことは難しいだろう。

 礼節を守りつつ威圧感を出していくのがニンファなのである。そのことにやっと気づいた3人なのだった。


「生徒さんもいらっしゃったのね。どうぞ、お座りになって」


 礼を受けたコスタンツァはニンファの作法にさほど驚いた様子も見せず、チェレスティーナたちに椅子を勧めた。大きな長机にコスタンツァと相対するように座ると、本当に彼女が魔力障害以外に病を患っていないことが良く分かった。


 まず顔色が良い。色白な肌で、頬に程よく朱が入っているのが健康的だ。唇には紅が塗られているようだが、色が悪いのを隠そうとしているふうでもなく上品に仕上がっている。


 次に髪の毛。エルダが子爵様がポーションをぶっかけたと言っていたが、誇張でも何でもなく本当にぶっかけたらしい。薄桃の長髪が艶々と光を放っている。


 天使の輪って言うんだっけ……すごいくっきり出てる。


 しっとりとまとまった髪はひとつの枝毛もないように見える。今までポーションをコンディショナー代わりに使うという話は聞かなかったがこれからは使ってみようか、とチェレスティーナはついつい勿体ないことを考えてしまう。


 長机の端には素朴な焼き菓子が積み上げられている特殊な作りの皿があった。均一に焼きあがっているそれらはコスタンツァの長髪よろしく光を放っており、蜂蜜がふんだんにかけられていることが分かる。

 この世界の蜂蜜はとにかく甘く、そしてくどい。それがたっぷりとかけられた焼き菓子が出されるくらいなのだから、コスタンツァの体調は本当に良いのだろう。


「単刀直入に伺いますが、魔力障害が残っているというのは本当でしょうか?」


 ふんわりとした座り心地の良い椅子に腰を落ち着けてエルダの淹れた紅茶に口をつけると、早速というようにニンファが話を切り出した。


 コスタンツァに直答を許されたのはニンファだけだ。貴族というものは同時に何人もの人間と言葉を交わすことを失礼だと捉えるらしい。これは貴族間でも同じで、茶会などでも基本的に同時に話すのはふたりまで、という暗黙の了解があるらしい。余程の理由がない限り公式の場で3人以上で言葉を交わすことはないようだ。

 茶会では主催者と招待客ひとりの会話が続き、それを他の招待客は自分の番が回ってくるまで大人しく聞いているのだそうだ。


 リーアとエリデと縦横無尽に言葉を交わしているチェレスティーナからすれば面倒この上ないと思ったのだが、「まあ私は貴族じゃないし、関係ないよねっ」とさっさと意識を切り替えていた。たった今直答を許されず気になることがあっても基本的に尋ねられないという面倒くさい場面を経験したはずなのだが、それは『関係あること』にカウントされなかったようである。チェレスティーナなので。


 コスタンツァはニンファの問いにおっとりと答えた。


「ええ、そうなのです。流行り病に罹ったのでその時は不思議にも思っていなかったのですけれど、病が治っても魔力障害だけが残るので困っていて」


 大分控えめな言い方だが、本当は途轍もなく困っているはずだ。エルダの説明からもそう予想できた。魔力が使えない、魔法が行使できないというのは、成績にも就職にもまずそれらが関わってくる貴族にとっては一大事なのだ。


「具体的な症状をお教えいただいても宜しいでしょうか?」

「ええ、もちろん。エルダ、あれをお見せして」


 声を掛けられたエルダが棚から紙束を取り出して持ってきた。それをニンファの前に丁寧な手つきで並べる。字が小さいので端に座ったチェレスティーナには見えないが、特に気にもしなかった。


 だって見ても分かんないもんね。


 魔力障害について全くと言っていいほど知識のないチェレスティーナは、巡時代で培った『出来ない・分からないことは他の人に任せる!』という技術を存分に行使していた。リーアとエリデのように横目で盗み見たりせず、コスタンツァの方をぼうっと見る。


「?」


 見られていることに気が付いたらしいコスタンツァが可愛らしく首を傾げると、それに応えるようににっこりと笑みを浮かべてみせた。直答を許されていないのでこれくらいが精一杯なのだが、意図が伝わっているのかいないのか、コスタンツァは頬に手を当てて殊更に微笑んだ。


「ふむ、ここで病は治ったが次の日も魔力は動かなかったのかい。なるほど……」


 ニンファがぶつぶつと紙束をめくりながら独り言を言う。


 何をするでもなく手持ち無沙汰なチェレスティーナたちに、エルダが紅茶のお替りを注いでくれた。ふわりとフルーティーな香りが立ち上り、思わずほうっと息をついてしまう。

 色は赤茶で巡時代のものと変わらないのだが、香りはかなり違う。鼻孔をくすぐるいたずらっぽい香りはティーポットに浮かぶ赤い実から出ているのだろうか。ついっと口をつけると、苺に少し酸味を足したような味がした。


 紅茶を堪能しているとエルダが皿に載っている焼き菓子を勧めてくれたので、有難くひとつ頂くことにする。茶器の載っていた可動式の台のようなものの下の部分から綺麗な白い皿と金属の棒が出てきた。エルダが丁寧な手つきで焼き菓子をひとつずつサーブし、先が尖っていて小さな突起が付いている棒を添えて出してくれた。


 ああ、これを使うんだ。


 この世界にはフォークはない。スプーンとナイフは形が少し違うが一応あるのだが、フォークは本当にないのだ。というか、料理を食べるときには基本的に刺して食べるようなものは出ない。

 しかし菓子や果物など、特定のものを食べる時にはフォークと同じような役割を果たすカトラリーが使われる。


 それが、今チェレスティーナたちが焼き菓子を食べるのに使っているそれである。掌くらいの長さの細く先の尖った金属の棒で、半分から下には小さな突起が付いている。チェレスティーナはこのカトラリーの名前をまだ耳にしたことがないので、もしかしたら名前はないのかもしれないと思っている。


 皿とぶつかって音を立てないように慎重に焼き菓子に刺し、一口大に切り取る。ほろりとした生地の感じが既に伝わってくる。切り取った焼き菓子に突起が絡むようにさくりと刺して口に運んだ。


「あ、おいしい」


 濃厚なバターの味に甘い蜂蜜が合わさって、流石貴族、と言いたくなるような味を出していた。紅茶を飲みながら食べるとその美味しさが際立つ。


 あっという間に食べ終わったのでちらりとニンファの方を窺うと、今度は何やら書き物を始めている。コスタンツァはにこにこしながらエルダの給仕した紅茶と焼き菓子を楽しんでおり、大して気にもしていないようだ。

 チェレスティーナはちらりとエルダに視線を送り、なるべく小さめに手を動かした。その意図に気が付いたエルダはすぐに台をこちらに持ってきて紅茶のお替りを注いでくれ、焼き菓子ももうひとつ給仕してくれる。


 上手く伝わってよかった。うーん、おいしいなぁ。


 恥ずかしげもなく焼き菓子をお替りしたチェレスティーナにリーアとエリデは少々呆れていたが、エルダに「お二方もいかがですか?」と丁寧な口調で話しかけられると、誘惑に勝てなかったようで肩をすぼめながらお替りをもらっていた。


 そんなわけで、馬を急がせて館に到着したにも関わらずチェレスティーナたちはしばし優雅なティータイムを楽しんでいた。


「……こんなもんかね」


 チェレスティーナの後に給仕してもらったリーアとエリデが焼き菓子をすっかり食べ終わったころ、紅茶にも形ばかり口をつけただけのニンファがやっと紙束から顔を上げた。それに合わせてコスタンツァもティーカップを置いて話す姿勢を取る。


「大変興味深いものを拝見させていただいてありがとう存じます。念のため魔力障害の検査をしたいのですが、宜しいですか?」

「ええ、もちろん」

「それでは右腕の袖をまくっていただけますか」


 ニンファの言を聞いたエルダがすぐにコスタンツァの傍に行き、羽織物を脱がせてベロアのようなしっとりとした生地のブラウスの袖を丁寧にまくった。そこにニンファが恭しく跪き、籠から取り出した瓶の液体を布に含ませてコスタンツァの腕に塗りたくっていく。


「あ……」

「薬品ですので、万一があっては困りますので」


 コスタンツァとしてはお付きメイドのエルダに塗って欲しかったようだが、ニンファが塗っているのは薬品である。もちろん素肌に塗りたくるものなので危険物ではないのだが、それでもほいほいと他者に触られたいものではない。


 多少の無礼を働いてニンファが薬液を塗りたくると、ほどなくして魔力線が浮かび上がってきた。


「ああ、ありますね」


 魔力は全身を巡っており、どこを通っているかと言えば魔力線である。血管のようなものだ。普段は目には見えないがニンファの使ったような薬液を塗ると蛍光色に浮かび上がる。

 魔力障害の場合は、魔力線のところどころに滞りがあったり濃度が異常に高くなったりするらしい。その時は魔力線の色が変わるようだが、残念ながらチェレスティーナはそれ以上のことは覚えていなかった。


 心筋梗塞の魔力線バージョンってことだっけ?


 微妙に違う例えを考えながら必死に思い出そうとするチェレスティーナ。

 まあ覚えていなくても仕方がない。血管は生物の範囲なので、魔力線もそう(理系の範囲)なのである。少なくともチェレスティーナの中では。


「確かにコスタンツァ様が魔力障害を患っておられることが分かりました」

「それで、あなたは錬金術師なのですよね? 魔力障害を治癒するポーションがあるのですか?」


 コスタンツァが懐疑的な口調でニンファに問うた。


「自分で言うのもなんですが、私はお父様に溺愛されてきました。そのお父様が数多くの錬金術店を訪ね、時には関係のなさそうな効果のポーションを購入までしても治らなかったのです。果たしてあなたが魔力障害を確実に治癒するポーションを調合してくれるのでしょうか?」


 出来やしないだろうと言いたげな口調だが、その心境は理解できた。

 エルダが説明してくれたこと以上にコスタンツァの父親、つまりマデ―ルナ子爵は様々な治療を試したのだろう。魔術師をとっかえひっかえしただけでなく出来る限りのポーションを買い集めてコスタンツァに使ったらしい。


 ポーションというのは決して安いものではない。それを何本も、何十本もつぎ込まれるということは、コスタンツァは恐らく彼女の言う通り本当に溺愛されている。貴族にもそのような情があるのだと、今更チェレスティーナは気が付いた。


 しかし、大量の銀貨金貨をつぎ込んで尚治らなかったらどうだろう。例え子爵自身がそう思っていなかったとしても、コスタンツァは迷惑をかけた、自分のせいで、と思い詰めるに違いない。今目の前にいる彼女のように外見はどこもかしこも健康そのものなら、「どうして魔力障害だけ」と思っても不思議はない。


 エルダは沈痛な面持ちでコスタンツァの傍に控えていた。いくらコスタンツァの態度が貴族にとっては問題にならないものであっても、自分が無理を言って来させたのだという負い目があるのだろう。しかしコスタンツァの心境も痛いほど分かる。だからあのように辛そうな顔をしているのだ。


 ニンファは八つ当たりとも取れるコスタンツァの態度に特に反応することもなく、「ええ、調合できますし、ここにありますよ」と言って籠からチェレスティーナの調合したポーションを取り出してみせた。


 あ、それ、とチェレスティーナが言う前に椅子ががたりと音を立てた。


「なんですって? あるのですか? それがそうなのですか? 本当に?」


 ふるふると手が震えている。目は見開かれ、口も半開き。後で自分の姿を見たら顔を覆い隠してしまいたくなるであろう醜態だが、この時のコスタンツァはそんなことには全く気付いてもいなかった。


「ええ。私はマルファンテ領でも五指に入ると言われる錬金術師でございます。コスタンツァ様のお耳に入れるほどではないと存じますが」


 完全に皮肉っているニンファにコスタンツァの頬がひくりと引きつった。


 わぉ、ニンファさん、実は怒ってたんだね。


 リーアとエリデも苦笑いである。言われっぱなしで黙っているニンファではないのだ。どこかで言い返すとは思っていたが、慇懃無礼とはまさにこのことである。


「え、ええ、そうとは知らずにごめんなさいね」

「いえいえ、マデ―ルナ子爵にも認知されていないのですから、元来それほどの腕ではございません。お気になさらず。……ポーションをご購入なさいますか?」


 ついでにコスタンツァの父であるマデ―ルナ子爵まで落としておいてポーションの購入を持ち掛ける。焼き菓子を堪能している時はにっこりと笑みを浮かべていたコスタンツァであるが、もうその可愛らしさはどこにも見えない。


「い、いえ、そのポーションが本当に魔力障害を治癒できるかどうかも分からないのに購入は致しません。せめて試してからでないと」


 本来ポーションに試すも何もないのだが、ニンファはこれ幸いとそれを許可した。何か企んでいるのは分かるのだが、何を企んでいるのかは分からない。


 ニンファはエルダにポーション瓶をふたつ手渡して、一気に飲むように伝えた。コスタンツァはエルダからポーション瓶を受け取り、はっとした声を上げた。


「色付きポーション……! 本当にあったのね」


 最近市場に出回り始めた色付きポーションのことは小耳に挟んでいたらしい。眉唾物だと疑ってかかっていたようだが、これで存在を信じてもらえたようだ。これならもしかしたら、と思ったのか勢いをつけてふたつとも飲み干す。


「半刻くらいで効いてくると思います」


 そう言ったニンファは、エルダに視線だけで焼き菓子と紅茶を給仕させ、悠々と食べ始めた。チェレスティーナもそれに倣って本日3つ目の焼き菓子を給仕してもらう。


「チェレス、太りますよ……」

「し、しぃーっ!」


 いくらなんでも食べ過ぎじゃ、とエリデがチェレスティーナに注意すると、こっそり自分も焼き菓子をもらおうと思っていたらしいリーアがその隣でびくんと肩をはねさせていた。

更新滞っていてすみません! 夏の鬼、そう、課題に追われていました……。また少しの間更新が遅れるかもしれませんがよろしくお願いします!

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