準備は大体順調、のはず
休暇の後も強制勉強は続き、その顔が青白くなってきた頃にやっとチェレスティーナはふたりから及第点をもらうことが出来た。及第点と言っても自分のポーションを解析できるようになったわけではなく、未だニンファから期待されているらしい論文執筆には程遠い状態なのだが、チェレスティーナのポーションは少し……割と……かなり規格外なので、一応お目溢しされたのだ。
そもそも、座学の得意なリーアはともかくエリデすらチェレスティーナのポーションは解析しきれていないところがあるのだ。それをチェレスティーナにやれと言っても無理なことを、ふたりは悟ったのである。
そんなわけでやっとのことで報告のために『槍の選別』を訪れると、その顔色にニンファは思いっきり引いていた。報告をおざなりに聞くとすぐにチェレスティーナの具合についてふたりに尋ね、事の次第を聞いて目を見開いていた。そんなにチェレスティーナの習熟度が低いとは思っていなかったようで、「あんた、もしかしなくても論文は書けないんじゃないかい?」と心配された。
これを機に論文を諦めてもらおうとチェレスティーナは胸を張って「はい、書けません!」と堂々と宣言したのだが、「そんなに自信満々に言うんじゃないよ、馬鹿かい」と一蹴された。どうやら何がどうなっても論文を書かせる気らしい。
その魔の手から逃れられないことを悟ったチェレスティーナは、それはそれは落ち込んでいた。
文系学生にとっては、理系科目はどの世界でも鬼門なことに変わりはないのである。そして往々にしてそれらから逃れられない運命に追い込まれることがあるということも。
店を決めたので次は家具である。家具などの大きいものはオーダーメイドが基本なので、前々から工房に注文を掛けないと間に合わないのだ。
店の条件についてはリーアたちが主導となって決めたため、家具ではチェレスティーナの意見が尊重される。それをいいことに、チェレスティーナは様々な家具を板に描き、あれやこれやと憧れを詰め込んだ。
棚はやっぱりあたたかみのある木で、装飾の彫りがほしいなぁ。あんまり注文する人がいない色付きポーションは手が出せない高いところに飾っておきたいな。ガラスが前についてる木箱とかどうかな? 棚にはレースの埃避けが欲しいよね、エリデとか編めるかな? 別の工房に頼むのかな? あとで相談しようっと。
あ、窓ガラスは必須! 雨が降った時にいちいち鎧戸を閉めるの面倒だし。
カウンターも木で、学習机みたいに座る側に引き出しが沢山ついてるといいよね。椅子は背もたれがある丸椅子かな……お尻が痛くなりそうだからクッション必須っと。引き出しの上段がレジだよね、仕切りを入れて種類ごとに分けられるようにしたら便利かも。それから冬には床にカーペットを敷いて……。
そんなこんなでチェレスティーナの憧れが詰まった家具の案を見たリーアとエリデは、文字通り固まった。
「どう? いいでしょ? あ、それからね、盗まれないようにひとつひとつの瓶に印をつけて、その印に魔力を込めたらいいと思うんだ。会計の時にこっそり魔力を抜き取るから、魔力がこもったままの瓶が外に出たように感じたら窃盗だって思えばいいの。いい防犯対策でしょ? それからね……」
「「却下!!!」」
チェレスティーナの無謀なアイディアを並べ立てられて、ふたりは思わずそう叫んだ。
その反応に、チェレスティーナは愕然とした。あれだけ家具や内装については好きにしていいからと言っていたのに、この手のひら返しは一体何だというのか。
その様子にふたりは慌てて弁明を始めた。
「ち、違うんです。約束を反故にしようというわけではなくてですね」
「で、出来るだけチェレスの希望通りにしたいとは思ってるのよ? でもね、物事には限度ってものがあるでしょう?」
そう、チェレスティーナの案があまりに非現実的すぎたのだ。
棚に彫りを入れるのは技術的には不可能ではない。しかし、普通の棚と比べて何倍もの代金が要るのだ。
ガラス付きの木箱も然りである。窓ガラスだけで恐ろしい金額が必要になるというのに、たかが木箱にわざわざガラスをはめ込むなど貴族のやることだ。
それからレースも高い。様々な柄を編み込める職人が少ないので、チェレスティーナの考えているような凝っていて大きいレースを注文するとなると納期も代金も恐ろしいことになる。
「カーペットもいらないわよ。皆土足で入ってくるのに、掃除が大変でしょうが。それにチェレスが考えてる毛足の長いカーペットは多分に漏れず高いわよ」
「この机は変なつくりをしてますね……。この形で使えるようなものを作ってもらうには相当の時間がいるんじゃないでしょうか」
「それから! 瓶に魔力を仕込むなんて何考えてるの!? そんな余分な魔力はないし、他人の魔力は取り出せないんだから3人がお店にいる時しか会計できなくなるわよ」
「チェレス、照明がいくら何でも多いですよ。これを全部魔術具にしたら魔力と代金が大変なことになりますし、かといって蝋燭のものにすると交換や購入の手間が増えますし……もう少し少なめの方が良いと思います」
「ていうか、あのお店にはもう窓ガラスがあったような気がするんだけど。まさか新調する気?」
リーアとエリデが怒涛の勢いで弁明という名の駄目出しをしていく。チェレスティーナはもう既に涙目である。
しかし、諦める気は毛頭なかった。
「うぅ~っ……小金貨! 小金貨つぎ込んだら何とかならない?」
憧れの自分の店を、代金が嵩むという理由で中途半端なものにする気はない。これから先もずっとそこでやっていくつもりなのだから譲るわけがない。
幸いチェレスティーナはポーションを納品して何十枚もの大小の金貨を貯めているし、出来ないことはないのだ。今回ばかりは、ふたりが譲歩してくれるぎりぎりまで店を憧れに近づけるつもりだった。
その覚悟を見たリーアとエリデは、仕方がなさそうにため息をついて顔を見合わせた。
「……1枚じゃ窓ガラス代で終わっちゃうわね。一体どれだけの小金貨が必要なんだか」
「チェレスの貯金から出すなら許します。もったいないことに変わりはないんですけど」
「リーア、エリデ……ありがとう!」
それからはふたりと認識のすり合わせをし、どうにか貯金をつぎ込めば実現可能な域まで持って行った。エリデは何度も「もったいない!」と言いたげな顔をしていたが、言っても無駄なことが分かっているので口には出さなかった。
チェレスティーナは変なところで頑固なのだ。普段はほわほわ天然パワーをまき散らしているのに。
「よしっ、出来た! これで注文すればいいの?」
「そうね、それでいいはずよ。工房も決めてあるのよね?」
「決めてあるっていうか、あっちのお店に近い方がいいかなって思って選んだだけっていうか」
それでもニンファやファビアに聞いても悪い噂がそれほど聞こえてこなかったのだから、当たりではなくとも外れということはないはずである。ギルニェーユは田舎なので情報が少ないのだが、それは仕方がない。
「じゃあ送るね。念のため郵便じゃなくて魔術具にしておく?」
「そうね」
郵便は着くのも遅いし破損もよくあるので、注文書など重要なものを送る時には向かないのだ。
チェレスティーナが書き上げた注文書を封筒に入れ、エリデが魔力量を確認した鳩型の魔術具に咥えさせて工房の名前を囁く。クルッ、クルッと頭を前後に揺らした鳩は、ほどなくして窓からぱたぱたと飛び立っていった。
「はぁ、疲れたわねぇ……」
「ほんとにね~」
「いや、何をどう考えてもあんたのせいよ?」
暢気に伸びをしているチェレスティーナにリーアが突っ込む。
エリデは収納の魔術具から板を数枚出して、にっこりと笑っていた。
「なになに?」
「さあ、組成表の復習をしましょう」
「ぎゃあああ~~!!」
チェレスティーナのポンコツ脳みそは様々な公式を忘れていて、就寝時間になってファビアが注意しに来るまで地獄は続いた。
「ひぃぃ……」
そろそろ講義の課程も終盤に入り、少しずつ冬が深まり始めた。マルファンテ領の領都は雪が降らず寒さもそこまで厳しくはないのだが、それでも寒いものは寒い。コートは馬鹿高いためチェレスティーナたちは下着を何重にもして寒さを凌いでいた。
寮の部屋には暖炉はなく、床にカーペットも敷いていない。チェレスティーナたちの部屋は2階にあるとはいえ底冷えはするので、靴の中にきちんと布の張ってある靴を冬用に買い揃えた。これだけでも大分違うのだ。
錬金術師には少ないとはいえ暖炉があり、それなりに暖かい。この時期は寮に帰るのをなるべく遅らせる生徒もいるくらいだ。もちろん食事の時や就寝時は帰らなければならないが、そうでない放課後には錬金術師院にいても特に咎められない。
寒い寒い、と食堂で温かいスープをお腹に入れてから錬金術師院の教室に向かう生徒達。今日は課外授業なのでコートを携えている者もいる。そういう者の実家は大抵両親のどちらかが魔術師の裕福な家だったりするので、生まれの格差というものは大きいなぁと思うのだ。
「今日は錬金術ギルドの登録日だぞ。全員揃っているか? 揃っているならもう行くぞー」
「サロメ先生、まだ出席を取っていません」
「全員揃ってるんだからそんなものはいいんだ!」
「「「良くないと思います!」」」
今回の引率はファビアではなくサロメである。せっかちなサロメは出席確認もそぞろにギルドに向かおうとするのだが、生徒はそれを許さない。ここでサロメのせっかちを止めなければ後でファビアに注意を受けるのだから当然と言えば当然か。
生徒に面倒を見られるサロメ先生も面倒を見させるファビア先生も、なんか駄目だよねぇ……。
これでもそれなりの錬金術師なのだが、錬金術以外の、性格に含まれる何かが欠落しているのではないかと思うチェレスティーナ。
サロメは生徒に止められて不服そうに赤の長髪をいじくり、物憂げな目をしながら出席を取り始めた。
あの顔をされると、間違っているのはサロメのはずなのに何故か自分の胸が痛むのだから、何ともずるい技である。
サロメが出席を取り終わると出発である。サロメは女性としてはそれなりに長身で歩幅も広く、そのせっかちさと相まって生徒を置いてけぼりにしがちなので、ここでも足の速い男子が適度に抑えないといけない。
でないとチェレスティーナもリーアもついて行くのが大変なのだ。
「私はもっと早く歩けるぞ!」
「違います、サロメ先生を心配してるんじゃありません!」
頓珍漢な答えを返すサロメに必死になって突っ込みをかます男子を見て、チェレスティーナは笑ってしまいたいような、でも笑うと何だか申し訳ないような、複雑な心境に駆られていた。
「ほら、あそこの金髪で小さい女子を見てください! 大変そうに歩いてるでしょう! もっとスピードを落とさないとついてこれない人もいるんですよ!」
「うぇ!?」
これはあの男子を笑いたくなった罰なのだろうか。びしっと指さされて否応無しに注目を集めてしまったチェレスティーナは、今すぐ男子に「ごめんなさい! 笑いそうになってごめんなさい!」と謝りに行きたくなった。
もっともその男子はたまたま大変そうに歩いていたチェレスティーナが目に付いたから示してみせただけで、別に腹いせとかそういう目的はなかったので、謝られても何のことやら訳が分からなかっただろうが。
ていうか、リーアも隣にいたじゃん!
チェレスティーナの方が小さいので目立つのだが、そんなことには思い至るはずはないのであった。
錬金術ギルドは領都の中心にある商業ギルドから少し離れたところに位置していた。商業ギルドが白くて綺麗な5階建てなのに対し、錬金術ギルドはぼろぼろで蔦の這った2階建ての建物だった。マルファンテ領の錬金術ギルドはここが本部なので、つくづくこの領の錬金術業界の残念さが伺えるというものである。
「さあ、行くぞ!」
勝手知ったるといった感じで堂々とドアを開け、中に入っていくサロメ。生徒たちは少し気後れした様子でその後に続く。
錬金術ギルドにはあのからんからんって鳴るベルはないんだな……冒険者ギルド限定なのかな? 一回聞いてみたいなぁ……。
チェレスティーナは、巡時代に読んだラノベを思い出してそんなことを思っていた。
「あらサロメ。……ああ、今年もそんな季節なのね」
錬金術師院の生徒たちの錬金術ギルドへの登録はいつもこの季節らしく、粗末なカウンターで書き物をしていた受付嬢らしい女性がこちらを見てそう言った。
「ああ。早速登録してくれないか? 適当に並ばせるから、登録の板を渡して記入させて……」
「はいはい、毎年やってるんだから言われなくても分かってるわよ。いい加減そのせっかちなところ治らないの?」
「はっはっは、私はこれが取り柄だからな」
「どう考えても取り柄ではないと思うわよ……」
受付嬢の呆れ突っ込みに生徒たちがこくこくと首肯する。特にサロメを抑えていた男子の頷きようが凄い。よっぽど大変だったのだろう。うっかりサロメの近くで歩いてしまったばかりに。
「それじゃあ私の取り柄はなんだ? 文字の読み書きもそれほど得意ではないし……」
「錬金術の腕でいいじゃないの。それよりあんなに急いでた登録はどうしたの? 全く、一度脱線するとどこまでも行っちゃうんだから……。ほら、そこのきみからおいで」
声を掛けられた茶髪の男子が慌ててカウンターに駆け寄り、板を渡されて必要事項を記入していく。項目はそれほど多くないようですぐに記入が終わり、受付嬢が確認したら次の番が来る。
受付嬢の見事な手さばきで後ろの方にいたチェレスティーナたちの番もすぐに回ってきた。
「はい、これ。字は書ける?」
「はい」
板を受け取り、傍にあったペンとインクを手に取る。
さてさて、最初の項目は……名前、かぁ。どうしよう……。
そう、チェレスティーナは平民にしては不自然なほど名前が長く、貴族への侮辱と取られないよう普段は愛称を本名として名乗っているのだ。果たしてそれがギルドでも通用するのか。いくら戸籍管理が粗雑な世界とはいえ、流石に登録書類に偽名を書くのは間違っているのではないか。
むーん、と悩んでいると、チェレスティーナの手が一向に動かないことを不思議に思った受付嬢が声を掛けてきた。
「どうしたの? 何か分からないことでもあった?」
「あ、えっと……私、元の名前が貴族くらい長くて、侮辱になるからって助言されていつもは愛称を名乗ってるんです。ギルドの登録って愛称でも大丈夫ですか?」
それを聞いた受付嬢は不可解そうな顔になる。
「そんなに長いの? 名前」
「はい。チェレスティーナって言います」
「……それは長いわね。愛称を名乗るのも頷けるわ」
でもね、と受付嬢が否定に入る。
「本名が分かってる場合は基本的に本名で登録することになってるの。でもギルド職員に貴族はいないし、ギルドにそう登録したからって必ずその名前を名乗らなくちゃいけないって訳でもないの。契約書とかには正確な記載が必要だけどね」
「そうなんですね」
ここで余計な波風を立たせるのは本望ではない。素直に回答に従って枠を埋めていく。
私、これ以上目立ちたくないの!
始めて来る錬金術ギルドでは何としても問題児扱いはされたくないチェレスティーナなのであった。
そして。
何考えてるのか何となく分かるけど、多分無理だろうなぁ……。
チェレスティーナの全身に漲る意気込みに冷水を浴びせるような思考をするリーアとエリデなのであった。
「さーて、皆登録は終わったか?」
「ひとりの漏れもなく終わったに決まってるでしょ。私を誰だと思ってるの?」
「おう、天下のステッラ様だな」
「誰がそんなこと言ったのよ……!?」
ステッラと呼ばれた受付嬢が青筋を浮かべてサロメを睨む。迫力満点の睨みにサロメは慄くが、傍目から見ている生徒たちからするとなかなか仲が良いように見える。
「質問です! サロメ先生とステッラさんは知り合いなんですか?」
「当たり前だろう」「誰がこんな奴と!」
緑の三つ編みの女子がはきはきと質問すると、正反対の答えが揃って返ってきた。
「……つまり仲良しってことですか?」
「そういうことだな!」「何を聞いてたのよあなた!」
またまた正反対の答えが返ってくる。三つ編みの女子はにやにやと楽しそうだ。
興が乗ったとばかりにサロメがステッラに時折妨害されながら話してくれたことによると、ふたりは元々領都に住む幼馴染だったらしい。
ちまちま工房で仕事をするのが嫌なサロメと工房に良い男などいないと考えるステッラは、その頃は人気の職業だったらしい錬金術師院への進学を揃って希望した。
親も錬金術師だったサロメと違い、ただの平民だったステッラには恐らく試験に受かるほどの魔力はないだろうと思われていた。しかしステッラは決して志望を変えることなく、「落ちたらその時考える」と言い張ってサロメと一緒に試験を受けた。
そして見事に試験に落ち、未練たらたらだったステッラは次点で錬金術ギルドへの就職を決めたらしい。
「サロメが受かって私が落ちたと分かった時のこいつの表情と言ったら! 本当に憎たらしいわ!」
「まあまあ、それは水に流すって約束だったじゃないか」
「それはあんたが私に良い男を紹介するって言ってたからでしょ!? 私、まだ一度も紹介されてないわよ!」
くるくるの巻き毛を震わせて抗議するステッラを、サロメはわっはっはと笑って受け流す。
「何だかんだ言って、私が錬金術師院に行くと言ったら付いてきて、駄目だったら今度は錬金術ギルドに就職するんだから、ステッラは私が好きだよなぁ!」
その瞬間、ステッラの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
「~~~っ! ち、違うんだから! 私は良い男を探すために……」
「照れるな照れるな、私は分かってるぞ!」
「何にも分かってなあああいっ!」
人が少ないのをいいことに叫びまくるステッラ。後ろの方のギルド職員も苦笑いをするばかりで止める様子はない。
ぎゃあぎゃあとうるさいふたりを見て、友情関係にもツンデレはあるんだなぁ、とチェレスティーナはまたひとつ新しい常識を学んだ。
そして。
それは常識じゃないっ!!!
またもやチェレスティーナの思考を読み、総突っ込みをかますリーアとエリデなのであった。
300bmありがとうございます!
あと一話で二十話ですね~。まだ開店にはちょっとかかりますが楽しんでくださいね。
それから、隔日更新なので暇潰し用に活動報告を更新し始めました。良かったら読んで、更に暇だったらコメントよろしくお願いします!