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異世界にも理系科目はあるんだね……

 次に訪れた土地屋はけしからん従業員がいた土地屋よりも大分外装の格が落ちていた。ガラス扉でないのはもちろん、窓にもガラスがはまっていない。一応カーテンらしき布で覆われているので平民の家よりはましだが、それにしてもなんというか、古ぼけている。


「ニンファさんのお勧めだし、大丈夫よね……?」

「そ、そのはずだけど……」


 とても儲かっていそうには思えないその風貌にチェレスティーナとリーアがひそひそと囁き合う。


「そんなの見てみればいいんですよ、見てみれば。それでまた外れだったらさっきみたいにポーションを見せつけて去ればいいでしょう」


 そう割り切るエリデがきびきびとした動作で扉を開けた。やはりそれなりの年に見える者が先に見えた方があちら側も驚きが少ないだろうから。


「錬金術店を開くので貸店舗を探しているんですけど……」



 結論から言うと、その古ぼけた土地屋『ヘイゼル』は当たりも当たり、大当たりの店だった。


 従業員が少ないらしく店主が対応してくれたのだが、3人で錬金術師として店を開くと言っても別段驚くこともなく、すぐに物件探しに移ってくれた。

 ルイーニ商会の対応とは雲泥の差だったので、エリデすらその差に驚いて「い、いいんですか? 貸していただけるんですか?」と聞いてしまったくらいだ。店主が言うには、錬金術師院に通っていて店を開くための講義を受けているのだから大丈夫に決まっているらしい。


 取りあえず決めておいた希望を優先順位をつけて言っていくと、奇跡的にそのほとんどに合致する店が見つかった。希望する広さより少々広い16ルッフェで2階建て。少々古いのが難点だが、店全体に耐久の広範囲魔術が掛けられているので耐久性には問題ないそうだ。竈はひとつだけだったが、多少金額を上乗せすれば別の竈に入れ替えることも出来るらしい。


 何よりその店は停留所からその外観が見えるほど近く、また多少裏路地を通れば『糖蜜場』にもそこそこに近かった。


「ここにした方が良いと思うわ、エリデ」


 いくつか出された候補の中で一番条件が合っているその店をリーアが推すと、エリデは「チェレスはどうですか?」と尋ねた。


「私もここが良いと思う。広範囲魔術が掛かってるから古くても大規模な改装は出来なさそうだけど、掃除すればかなり綺麗になるよね?」

「そうですね。毎朝皆で清めをしましょうか」


 これでお願いします、とエリデが言うと、店主が様々な書類を持ってきて丁寧に説明してくれる。そのそれぞれにひとりずつ署名をし、店主が紙の左上を少し破って契約成立である。


「こちらは錬金術ギルドと商業ギルドに提出する書類です。開業届を出す時に必要なのでなくさないようにお願いします」


 そう言って手渡された書類は収納の魔術具にポイである。こうしておけば取り出すときに念じればその書類が出てくるのでなくす心配もない。


 ちなみにこの世界に内見という概念はないようで、見たければ外見を見てきてください、というだけらしい。故に詐欺も後を絶たないようだが、この店の真摯な対応を見ればその可能性がないことが分かるので心配はしていない。


 見取り図らしきものをもらえたのでそれを元に備品を発注しようと決めた。


「あ、店主さん、ちょっと聞いていいですか?」


 この店の外見を見た時から気になっていたことを聞こうと思い、ついでにね、という感じでチェレスティーナが店主に話しかける。


「あの、どうしてこのお店ってこんなに儲かってない感じなんですか?」


 チェレスティーナの率直過ぎる質問に店主が項垂れ、リーアがチェレスティーナの頭にチョップをかまし、エリデが「すみません! すみません!」と謝り倒した。


「チェレスあんた、空気を読みなさいよ空気を! いくらこの店が古ぼけてて他に従業員も見当たらなくてとても繁盛してるようには見えないからって、面と向かって聞くようなことじゃないわよ!」

「り、リーア、店主さんが追加ダメージ受けてますよ……」

「あっ」


 チェレスティーナを叱る姿勢になっているとはいえ、『儲かってない感じ』という感想を諫めるどころか肯定する勢いのリーアに、店主ががっくりと更に項垂れた。


「いいんです、本当のことですから……」


 その言葉を皮切りに、店主の昔話が始ま……らなかった。


「店が豪華だったり私が贅沢したりするよりも、皆さんにお安く物件をお貸ししたりお売りしたりして喜んでもらえる方が好きなんです」


 そう、ただのお人好しなのであった。


 エリデは薄々気づいていたのだ。自分の知っている相場よりもかなり安い家賃、自分たちの要望に出来るだけ沿った物件を見つけてくれる真面目さ、分かりやすく丁寧な説明、何より店主の真摯な態度。

 ひとりひとりに時間を掛けているからこそ沢山の取引は行えず、その態度を変えたくないから従業員も極力雇わず、おそらくぎりぎり赤字を回避できるくらいであろう家賃で貸し、希望すればアフターサービスまでやってくれる。お人好しでなければ出来ない。


「……頑張ってくださいね」


 その姿勢に敬意を表して激励の言葉を述べるエリデ。

 その思惑に気づいたチェレスティーナとリーアも微笑んで店主を振り返り、


「ありがとうございました、店主さん」

「また何かあったらお願いするわ。……ありがとう」


 去り際に店主の瞳が潤んでいたことは見て見ぬふりをした。



 契約をした店の外観を見に行き、手頃な店で昼食を取り、そこで宿についての情報収集をして宿を決めた。

 物件探しは今日で終了したが、せっかくなので明日明後日で緑色の上級ポーションを納品した錬金術店と薬草店に顔を出そうと思ったのである。


 停留所に近く治安のいい場所にある宿『ハイデ』に到着して一休みした3人は、エリデの声掛けである勉強を始めた。


 組成表の書き方についての勉強だ。


 錬金術師院では教えられないのだが、ニンファに教えを乞い、板にしっかりと記録しておくことで自宅学習も出来るようにしたのだ。


 感心なことなのである。チェレスティーナは本心からそう思っているのだ。

 自分がやるのでなければ、だが。


「うぬぅ……」


「えーっと……わかんないなぁ」


「どうして!? どうしてこうなるの!?」


「わあああああああ」

「「チェレス、うるさい!」」


 そう。錬金術師院での座学は理論についての内容が少なかったので暗記すれば良かったし、魔力が多くて実技の成績が良ければ卒業出来るので、今までその存在を忘れていたのだ。


 その名も、数学と科学。


「理系は無理だって言ってるのにいいいいい!」

「リケイって何よ!? とにかく静かにしなさいってば!」


 リーアが必死に諫めようとしてくるが、これで静かにしろという方が鬼畜だ、とチェレスティーナは思った。


 謎の人物名のついた公式、原理、原則。特殊文字に分類される複雑な記号を用いた説明。魔力に魔力効率が影響するため曖昧になっている魔力量の定義。何故か掛け算した式に謎の特殊文字を充てると導かれる変換効率。


「無理だってば! 錬金術にこんなのがあるなんて知らないってば!」


 今までしてこなかった苦労が一気に降りかかってきた気分である。根本的な理論を応用した理論を組成表を書く上で使うのだから、ただ暗記するだけでは太刀打ちできないのが更に酷い。


 そうだよね。いくら文明が遅れてるからって多少は研究されてるに決まってるよね。そんでもって数学も地球のとは違うに決まってるよね。

 でも! 必修で泣く泣くやった数Ⅰの内容すら全然被ってないのは酷くない!? 知らない公式だらけだよ! しかも魔法化学!? 新しい教科出してこないでよ! 酸素とか二酸化炭素とかあるわけないし、高1で取った科学無駄じゃん! 分かるわけないじゃん! 無理、無理、無理!!!


 心の中で悲鳴を上げながら苦し紛れに公式に記号を当てはめていると、エリデがちらっとチェレスティーナの板を覗いてきた。


「チェレス、学校に通ったことがないんですか?」

「学校って、エリデの弟さんが通いたいようなやつ?」


 この世界に義務教育はないようなので、通うとしたらそういう学校なのかと思ってそう尋ねると、エリデは首を捻った。


「それはどちらかというと高等教育ですね。地域にもっと初歩的なことを学ぶ学校があるはずですよ。もちろん学費はかかりますが、私でも通えたくらいですからチェレスも通っててもおかしくないんですが……」


 ここの学校システムは全くと言っていいほど記憶にないので、へぇーと相槌を打ちながら聞く。エディッタが通っていないようだったので、そんなものがあるとは知らなかったのだ。

 母親が魔力持ちだったのに貧乏だったらしいエリデが通えたということは、チェレスも通っていた可能性が高い。それなのに一切記憶が残っていないということは、少なくとも日常的には通っていなかったのかもしれない。


「でも、ちょっとでも通ってたなら覚えてたかったなぁ……」


 巡時代の学校と比較して差を見つけたり、色々な友達と談笑したりするのも楽しいだろう。授業の内容も巡時代のものとは違うようなのでその知識が欲しいというのもある。なにより、世間話には常識が詰まっていると言うし、この問題児さも少しは治す余地があるかもしれない。


 ……うん、希望は大事だよね。


「でも、どうしてそんなことを聞いてきたの?」

「割り算まで出来ている割に、初歩的な学校でも習う公式が理解出来てなかったり、魔法科学の基礎も何も身についていないような気がして……。ここはβではなくαですよ」

「え、なんで!?」

「ツァトゥーヴァの法則といって、総影響力を求める公式にここで表されているαを掛けると……」


 あまりにチェレスティーナの出来が悪いので、エリデが特別に家庭教師をしてくれることになった。リーアももちろん学校に通っていたのでリーアに教えてもらっても良かったのだが、なんというか、チェレスティーナが躓くたびに絶望的な顔をするので心が折れそうになるのである。取りあえずリーアが絶望しないレベルに到達するまでは、冷静に噛み砕いて教えてくれるエリデが適任なのだ。


 その結果、かなり急場しのぎではあるがチェレスティーナを一応簡単な組成表を書けるくらいまでにしてくれた。


「はぁ、はぁ、出来たー!」

「ニンファさん謹製の問題①、終了ですね」

「……い、1問だけかぁ」

「でも大分理解してますから、この後はさくさく進められるはずですよ」


 エリデにそう励まされるが、ニンファの出す問題はほとんどが小難しい言い回しで書いてあって、まずそれを読み下すのも大変なのだ。先が長いと感じられるのも仕方がない。


「でも錬金術の論文を書く時はこういう言い回しで書かなきゃいけないらしいわよ。面倒よねぇ」


 後で論文を書く時にチェレスティーナたちが少しでも楽であるようにとの気遣いかもしれないが、少なくともチェレスティーナ本人には論文を書くつもりは全くないので安心して欲しい。そしてあわよくば問題文を平易に書いて欲しいものである。


「私たちの中じゃチェレスが一番論文を期待されてると思うわよ?」

「げっ」

「ち、ちょっと辛いですね。チェレスが今解いたのはリーアよりも大分品質が低いポーションの場合の組成表ですから」

「ぎゃーっ!」


 組成表というのは品質が上であれば上であるほど書くのが難しくなるのが普通だ。様々な要因が重なり合い、様々な魔力パターンや魔力効率を考え、その中からパズルのように組み立てていかなければならないのである。


 うん、無理!!!


「リーア、エリデ、お願いだからもしニンファさんから論文を催促されたら手伝ってね!」

「他力本願じゃない……。まぁいいけど、努力もするのよ?」

「うっ」


 エリデに了解を取り付ける前に突っ込まれてしまい、ぐふっと息を漏らす。


 本音を言えば、そんな努力はしたくない。本当に、1ミリも、全くもってしたくない。というかする気もない。

 しかしふたりにかかると、何故か丸め込まれて勉強させられているのだ。もしかしたら自分のポーションを解析できるようになるまでこの地獄は続くのかもしれない。


 必修じゃないのに! 錬金術師院でもやらないのに! ニンファさんにちょっと教えてもらっただけで、やるかやらないかは私が決めるはずなのにぃ!!!


 もちろんそんな理屈がリーア、エリデ、そしてニンファに通じるはずもない。


 しかし。


 錬金術、無理!!!


 今まで魔力でゴリ押ししてきたチェレスティーナは、初めて全力で他の職業を探そうかと考えかけた。必修でもない組成表のせいで。


 もちろんふたりに脅され、焦がされ、叩かれ、陰謀を巡らされて止められたので即刻取り下げたが。


 錬金術師院でここら辺をちゃんと初歩からやってくれないから悪いんだもん! そんでもって私が入る前のチェレスティーナが覚えてないのが悪いんだもん! 国語とか字とかみたいに熱心にやっててよ! どれだけ脳みそをひっくり返しても公式ひとつ出てこないっておかしいでしょ!


 自分も理系科目から全力で逃げていたのを棚に上げてそう憤るチェレスティーナであった。


「チェレス、手が止まってますよ!」

「はいぃ!」



 エリデのスパルタ家庭教師に加え、更に座学が得意なリーアに効率のいい解き方や高度な公式を教えてもらい、チェレスティーナは丸2日掛けてようやくリーアの作る品質のポーションの組成表の書き方を習得した。


 昼は薬草店や錬金術店を回り、ほんの一刻にも満たないそれらが終わったら延々と勉強タイムである。


 私、マジ頑張った。受験勉強よりも頑張った。


 初歩的な学校の内容が全飛びしているかそもそも習っていないか、とにかくこの世界での小学生レベルの知識すらほぼない状態だったチェレスティーナは、言わば小学生から高校生までにやる内容を一気に行ったような密度で勉強していたのだ。もちろんふたりが必要な単元に絞って分かりやすく教えてくれたので独学よりは確実に効率が良かったのだが、 本当に疲れた。


 一応計算だけはそれなりに出来たのだが、この世界独特の解法や公式が出てきてからが地獄だった。「どうしてそこまで出来てるのにここで躓くのよ!」とリーアに愕然とされたが、もう数式を見るだけで鳥肌ぞわぞわなのである。脳が理解を放棄したり全く別の思考を始めたりするのも許して欲しい。


 何よりそんな状態になってもすぐにふたりの手によって現実に引き戻されてしまうのだ。苦手な勉強は本当に疲れる。巡時代からの変わらない法則もどきを見出すチェレスティーナなのであった。


 2日目、疲れに疲れて頭が回らなくなったので、ふたりに「糖分は大事なの! ブドウ糖がなんちゃらなんだよ!」と科学っぽいことを全力で主張してハルツをつまみながらの勉強を許してもらった。


 ……うん、忘れてたんだよね、私。


 見事に酸味の強い『当たり』を食べて悶絶したのは、誰も知らなくていい黒歴史である。ふたりにはばっちり見られたが。


 くぅっ、私の脳みそ、空っぽすぎる!


「これだけやっても、やっとリーアのポーションが解析できただけなんですよね……」

「言わないで! この後にも沢山勉強しなきゃいけないことがあるなんて言わないでぇ〜〜!」

「駄目よ。ニンファさんに習った時から薄々分かってたけど、こんなに出来ないなんて想定外だわ。寮に帰ってからも、なんなら馬車の中でも勉強するわよ」

「馬車は、馬車だけはやめてぇ!」


 悲痛な叫び声を上げるが、リーアは全く取り合わない。このままだと本当に馬車の中でも勉強させられそうだ。


「き、休暇が全然休暇じゃない……」


 錬金術師院で講義を受けるよりも過酷な休暇であった。

 これを休暇とは認めない。チェレスティーナはそう胸に誓った。


「ねぇ、あっちに着いたらニンファさんにお店決めたって報告しに行こうよ。ね?」

「そうねぇ……チェレスの進度も報告していいなら一緒に行きましょうか」

「ひぃっ! それだけは! それだけはぁっ!」

「チェレス、手が止まってますよ! ていうか、この公式は前に教えたはずですよ!」

「嘘だぁっ!」


 そして結局馬車の中でも延々公式を暗唱する刑に処された。舌を噛まなかったのは本当に奇跡だと、チェレスティーナは心の底から思った。ついでにこの時ばかりは本当に、全身全霊をもって神様を信じた。


 だって舌噛んだら痛そうじゃん!

お久しぶりです。早めの帰省から帰ってきました。しばらく更新してない間にptもbmも新記録達成してて嬉しい限りです。これからも応援よろしくお願いします!


隔日連載なので、穴埋めというか暇潰しというか、とにかくそんな感じで活動報告を更新していきたいと思います。暇で暇でしょうがない!(やることがないとは言ってない汗)という方は是非覗いてみてくださいね!

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