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取りあえず転生、記憶はなし。

 異世界転生・転移小説が大流行している昨今、日本人、特に巡の年代であれば一度はこの文言を見たことがあるだろう。


 ……知らない天井だ。


 って、まさか自分が言うことになるなんて誰が思ったの!?


 永中 巡(えいなか めぐる)、16歳。一般的で主立った問題もない家庭でごく普通にすくすくと育ち、公立の高校に入学して早一年。小学生のころから周りがピアノや水泳やサッカーや絵で芽を出していく中で、特に注目される結果を出すこともなく努力も平均以上に実ったこともない巡だが、いじけて不良になることもなく高校生活を楽しんでいた。


そこそこの進学校だったのもあって文系コースでも決して勉強は楽ではなかったが、怒られるほどでもなくかといって取り立てて称賛するほどでもなく、学年末にそこそこの成績を修めて二学年に進級した。のだが。


 天井には見慣れた丸型電球はついておらず、薄汚れた漆喰塗だった。

 巡が寝ているベッドも日本で使っているものとは比べ物にならないくらい質が悪い。リネンらしきシーツは手触りが悪く、なんと中に入っているのは干し草だった。どうりで寝心地が悪いはずである。こんなものの上で毎日寝ていたら気が狂いそうだ。掛け布団も薄っぺらくとても羽根布団には見えないし、事実羽根布団ではなかった。


 こんなベッドで生活している日本人がいてたまるものか。


 うん、たぶんここ、違う家で、違う国で、もしかすると違う世界だ。巡はそう結論付けた。


 怪我はしていないようなので起き上がって辺りを見回してみると、まず目についたのはベッドの大きさだった。


部屋の半分以上を占めるベッドはどう考えてもシングルの大きさではないし、ダブルと言ってもやや苦しい。一体何人で寝ているのだろうか。もしや家族全員か。


 ……いや、家族全員だと困る。巡が。家族全員でひとつのベッドで寝るということはつまり、男女混合ということである。年齢通り父親にも性的嫌悪感を覚え始めた巡には酷い仕打ちだ。歳が近かろうと離れていようと、男子と、男という性別の人間と一緒に就寝するなど有り得ない。有り得てはいけない。主に巡の精神のために。


 早くも文化の違いを目の当たりにしそうな巡が次に気が付いたのは、硝子のない格子窓と踏み均された土が剝き出しの床だった。床はまあ分かる。ベッドが干し草で出来ているような家で板張りの床など望めないだろう。一足制の文化なのだ、きっと。


 しかし硝子のない窓とはどういうことか。硝子は多分高価なものだろう。しかし硝子がなくてどうやって雨風を防ぐというのか。うっかり大雨なんかが降った日には床はぬかるみ、ベッドも水を含んでしまうに決まっている。

 もしや降水量の少ない地域なのだろうか。月に一回振るか降らないかくらいの雨ならば硝子を買うよりもその時に耐えた方が財政的にはいいかもしれない。


 他は何かないかと裸足のまま床に降りて検分するがこの部屋には家具があまりなく、後は小さめの長持ちが部屋の隅に置いてあるくらいだった。何人で住んでいるのか知らないが、これくらいの長持ちで衣服や小物が収納出来てしまうのだから物は少ないのだろう。


 それよりも巡が気にしたのは自分の服装である。靴はなく、身に着けているのは亜麻のチュニックのようなもののみ。パンツすらない。これは問題である。


 同じく問題なのはちらりと視界に映った髪の色だ。顎辺りで切られている巡の髪の毛はなんと金髪だった。もちろん巡の元々の髪色は黒で染めたりもしていない。そもそも校則違反である。つまり巡だと思っていたこの身体は別の人物のもので、巡はその身体に入り込んだらしい。つまり転生である。


 ひゃっほう、私の好きなやつ!


 ここが異世界とは決まっていないがとりあえず喜んでおいた。


 一通り寝室を見終わった巡は、好奇心に突き動かされて隣の部屋も見てみることにした。もはやドアもついていない出入口を通る。


 隣の部屋はいかにも居間といった感じだった。石造りの暖炉があり、その隣には台所代わりであろう背の低い台や包丁、鍋などが並べられている。暖炉から幾分離れたところには少し大きいテーブルと椅子があり、ここで食事を取ることが予想できた。


 しかし巡にはどうしても意味が分からないことがあった。暖炉から当然伸びているであろう煙突が見当たらないのである。煙突がなくてどうやって排煙するのかと思ったら、暖炉の近くにあるふたつの窓がその役目を果たしているらしい。


 ……いや、絶対力不足でしょ! 壁も床も煤だらけじゃん!


 排煙が済むまでは一時的に部屋の半分が煙で満たされるらしく、その辺りの汚れが酷すぎる。元々は白かったであろう漆喰塗も灰色に染まってしまっていて、爪で擦っても汚れは取れそうにない。既に吸着してしまっているようだ。こんなに汚れるほど煙が充満するところで生活していたらあっという間に呼吸器官がおかしくなりそうである。


 ここの住人の健康状態を憂慮しながら更に部屋を見回すが、本当に必要最低限のものしかない。水道など通っているわけもなく、のどが渇いたなあと思いながら椅子のひとつに腰掛けていると、がちゃりとドアが開いた。


 そこに立っていたのは水を汲んできたらしい桶を吊り下げた華奢な女の子だった。髪の毛は栗色で背中に届きそうなほど長く、かといってその長さを真に生かすような艶もなく、色あせて痛んでいた。服は麻らしい白っぽいワンピースで靴はなくはだしのまま。ここに住んでいるのだろうと自然と納得できる風貌をしていた。


 少女は巡が起きているのを見るやいなや知らない言語で叫んだ。


「ーー! ----、---!」


 知らない言語なのに何故か懐かしいような気がした。いや、まさか知っているのか。この言葉を。


 最初の言葉は、何?

 あ、お姉さん―――その後を理解しようとした時、いきなり脳裏に森の風景がよみがえってきた。


 ここ、どこ? 森? こんなところ知らない、いや知ってる、脚が痛い、お腹が空いた、ってなに? 私は昨日高校の始業式で、帰ってきて普通に寝たのに、私はだれ? チェレスティーナ、私、永中巡、じゃない、チェレスティーナ? どこ、ここ、どこ!?


 一気に思い出される記憶が途切れ途切れで訳が分からない。これまでの自分であった『永中 巡』が記憶の吸収を阻害し混濁を起こしている。頭の中がぐちゃぐちゃだ。


 耐えきれず椅子の上で身を縮めて頭を押さえていると、少女が焦った様子で近づいてきた。


「お姉さん、大丈夫!? どうしたの!?」


 あ、今度はちゃんと聞こえる―――。


 そんなことを思っているうちに、頭の中は波打つのをやめていた。



 日本では『永中 巡』だった魂は、今は『チェレスティーナ』という11歳の少女の身体の中にいるらしかった。

 先ほど異国の言語で話しかけられた時に巡、いやチェレスティーナは()()()()()()()()()()を思い出した。


 残っている記憶の全て、というのは、原因は不明だが、以前この身体の持ち主であった本来のチェレスティーナは記憶のほとんどを失ってしまっていたのだ。


言語や立ち居振る舞い、名前など身体に染みついている習慣のようなものはきちんと残っているのだが、脳みそで思考したり経験したりする部分のほとんど全てが記憶されていないというか、朧げになっていた。しかも名前はきっちり綴りまで覚えているのに、なぜか姓が思い出せない。姓がないというわけではなくそこにもやが掛かってしまったように見えないのだ。


 はっきり覚えているのは、おそらくここに辿り着くまでのものであろう、うっそうとした森の中をひたすら走っている記憶だけだった。といってもお腹が空いたとか脚が疲れたとかそういうもので、何から逃げているのかとかどうして森を走っているのかとか、重要なことは何ひとつ覚えていないようだ。


 更に不可解なのは、巡の方の記憶にも一部欠けがあるということだ。この身体に魂が入ったのが転生によるものだとすれば巡はまず前世で死んでいなければならない。しかし巡には肝心のその記憶が全くなかった。心当たりもない。とにかく魂がこの身体に飛ばされてしまう原因に思い至るものがないのだ。


 一体どうなっているのか。


 頭は依然として混乱状態だが不思議と先ほどのようなかき回される感触はなく、不思議なほどに脳みそは冷えていた。


 異世界転生・転移小説を読み漁っていたから知っているのだ。こうなってしまえば元の身体に戻るのはほぼ不可能だということを。文系だったので理論とか物理的に有り得る有り得ないは説明できないけれど、多分無理だ、と感覚で理解していた。


 それなら、この状況を目いっぱい楽しんでやろうじゃないの。


 そう、巡―――現在のチェレスティーナは、割と楽観的だったのだ。


 とりあえずここが地球上のどこかなのか、それとも全く別の世界なのか、それが重要だ。確かめるべく目の前で心配そうにこちらを窺っている少女に聞いてみる。


「ねえ、この国の名前って何か知ってる?」

「えっと、インカントテッラ、だよ」


 なるほどなるほど。つまり。


 ひゃっほう、遂に私にも来たよ、異世界転生! 前世でどれだけ徳を積んだかどうか知らないけど、神様ありがとう!この人生目いっぱい楽しんで生きるから安心してね!


「お、お姉さん大丈夫?」


 真面目に心配されてしまった。少しはしゃぎすぎたようだ。


「だ、大丈夫だよ、頭も身体も!」

「いや身体は大丈夫じゃないよ!」


 あれ?

 どこも怪我をしていないと思っていたが、少女から見ると大丈夫ではないらしい。


「お姉さん痩せすぎだよ! いったい何日間ご飯食べてなかったの!?」


 えっそっち?


 確かに怪我ばかり心配していたけれど、改めて見てみるとこの身体は少し……割と……かなり、痩せていた。腕も足も骨と皮で、胸など遺伝子云々ではなくそもそも盛る肉がない有様だ。それに対してお腹はやや膨らんでおり……ってこれ、栄養失調じゃん!? ほんとに栄養足りてないよ!?


「まさか今気づいたの? 私が森でお姉さんを見つけた時、あんまり痩せてたから連れてきたんだよ。普通行き倒れてる人なんか拾わないよ」


 最もである。この家の状態からして文明の発展はかなり遅れているだろうし、それは社会システムもそうだろう。従って孤児も少なからずいるはずである。行き倒れを毎回見つける度に助けていたら食料がいくらあっても足りない。見て見ぬふりをするのが普通だろう。


 ……見て見ぬふり出来ないくらい酷かったんだ、私。


 そこら辺の孤児はこれよりは肉がついているということだろう。戦争時のような酷い状態でなくてよかった。主にチェレスティーナの精神安定上。


「で、お姉さんの名前は?」


 チェレスティーナは二日間目を覚まさなかったらしく、これが初めての会話のようだ。名前や年齢、出身地、職業などをお互いに情報交換していく。

 チェレスティーナの方はもう少し詳しく、このあたりの地名や町の様子、貨幣や政治体制などを聞けるだけ聞いた。答えられることはほとんどないのに対して知りたがることが多いので、エディッタと名乗った少女はずるい、と頬を膨らませていた。


 いや、別にずるいも何もないと思うけど。


 聞き込みの甲斐あってそこそこの情報が得られた。9歳にしてはしっかりとした物言いだったので多少の差異はあれど大体は合っているだろう。


 まずこの国はインカントテッラと言って、大陸全体が一つの国となっているらしい。典型的な王政で、直轄地と12の領地によって成り立っている。

 エディッタが家族で営んでいるパン屋があるのはマルファンテ領というところで、北寄りの領地だそうだ。もちろん貴族もいるが平民との距離感はまちまちで、平民の参加する会議を開催してくれたりする貴族もいれば、ただ税金をいかに多く搾り取り自分たちの私腹を肥やすかしか考えていない貴族もいる。最近は前者が増えてきていて、マルファンテ領もその傾向が強いらしい。


 よかった。うっかり粗相でもしたら即首と胴がすっぱり、という可能性は低そうだ。ないわけではないけれど。


 貨幣はシオルという単位が使われているが、平民の間でよく使われているのは何貨何枚、という数え方のようだ。小銅貨、中銅貨、大銅貨、小銀貨、中銀貨、大銀貨、小金貨、中金貨、大金貨という順に価値が高くなる。

10枚でひとつ上の貨幣と同じ値段になるのでわかりやすい。こちらの世界は生活必需品と嗜好品の価格の差が著しいので一概に日本円に換算するのは難しそうだが、最もよく使われる大銅貨が一枚100円程度だと考えておけばいいだろう。


 そして最も大切なこと。なんとこの国はよくある異世界転生小説と同じく剣と魔法の国らしい。テンション爆上がりである。特に魔法は全人類の夢だ。少なくともチェレスティーナはそう信じている。


「エディッタちゃんは魔法使えるの?」

「え、魔法? うーん……水がちょっと出せるくらいかなぁ」

「使えるの!? えっちょっとやってみてよ!」


 ぜひとも魔法が使われる瞬間を見てみたい。チェレスティーナのきらきらした目に耐えられなくなったエディッタはため息をついて手を水桶の上にかざした。


「水の神よ、ここに出でて我らに恵みを与えたまえ」


 おおっ、それっぽい! これでどぱーっと水が出るんだよね!


 ……ぴちゃり。


「……え?」


 エディッタの掌から出てきたのは、たった一滴の水だった。


 いや、少なっ!?


「ああもう、こうなるからやりたくなかったんだよ」


 頬杖をついて不満げに言うエディッタに詳細を聞いてみると、どうやら魔法の行使には才能が必要らしい。


 まず大前提として魔力が要る。基本的に魔力は全身を巡っており、その全体量が行使に必要な量に達していなければ今のような事態になるらしい。妊娠時に親の魔力を受け継いでいるので、親の魔力量が多ければ多いほど子の魔力量も多くなる傾向になる。

 その中でも特に魔力の多い一族に爵位が与えられたのが貴族の始まりなため、貴族は多くの場合平民よりも魔力量が多いようだ。


 次に魔法の行使のしやすさというものがあり、これは体内を巡る魔力の流れの滑らかさで決まる。滑らかであればあるほど『神様に好かれている』のだそうだ。魔力効率が上がり回数が使えるようになったり、特殊な魔法を行使しやすくなるらしい。


「私は平民だし親も魔法が使えなくてパン職人になったわけだから、使えないのが当たり前なの」


 筋道を立てて詳細に話してくれた辺り、魔法の行使が出来なくて嫌な思いをしたことがあるようだ。


 ……悪いことしちゃったかな。


「で、チェレスは魔法使えるの?」

「……え?」

「私が見せたんだからチェレスも教えてよ。親は魔法使えた? どれくらい使えたかでチェレスの大体の魔力量もわかるし……」


 やばい。親がどうだったかとか全然覚えてない。使ってたっけ? うおぉ、思い出して私の脳みそっ!


 必死にうんうん唸ってみるがちっとも思い出せそうにない。というかそんなことより思い出したいことは山ほどあるのだ。ここで都合よく思い出されても困る。


「……覚えてないです」

「え?」


 まあ納得しないよね。知ってるよ。でも覚えてないものは覚えてないんだよっ!


「親が誰かもわかんないし、魔法が使えたかも覚えてないの」


 有り体に現在の状況を話してみると、エディッタは懐疑的な目をしながらも一応は納得してくれた。


「じゃあ今使ってみてよ。魔力があれば詠唱さえすれば使えるからさ。さっきの水魔法でいいから」


 はい!?

 いかん、ちっとも納得してないよ。そんなに魔法が使えないのを見せさせられたのが嫌だったの? エディッタちゃん、意外と根に持つタイプ?


「ほら早くー」


 ぺちぺちと水桶を叩きながら催促される。何が何でも逃がす気はないらしい。


 ……まあよく考えたら魔法使えるってめっちゃわくわくするしやってみればいっか。使えたらラッキーってことで!


「水の神よ、ここに出でて我らに恵みを与えたまえ!」


 どぱーん!


「「ぎゃあああっ!」」


 ……って思ってたのにこの惨状はなんだあぁあっ!


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