88話
連れているのは十数人の兵士と、楊奉、荀攸のみ。
まさか、書簡を送って間もない内に、直接俺が向かっているとは思わないだろう。
勿論、荀攸らには馬鹿ほど反対されたけど、この同盟だけはどうしても成立させる必要がある。
戦も交渉も、相手がありきの争いに変わりはない。
曹操の意表を突き、無理やりにでもこちらの主張をねじ込まなければならない。
普通に密約を結ぼうとするだけならば、曹操は聞かなかったことにして受け流すだろう。
袁紹から、無駄な事で揚げ足を取られたくないからだ。
今は、曹操も袁紹も、互いにぶつかり合う未来を見据えており、下手な手は打てない。
そこに、入り込んでいけるだろうか。
少しでも歯車が狂えば、曹操がこちらへ攻め込んでくることもあり得るし、その逆も然り。
そしてそのぶつかり合いで、歴戦の兵揃いである曹操軍に勝てるビジョンは、俺にはない。
「荀攸、交渉は上手くいくだろうか」
「漢室への忠義の厚い叔父上が同席してくれるならば、間違いなく上手くいくでしょう。家臣では最も重用され、その発言の全てを曹操は受け入れるといいます。ただ、それを理解し、敢えて同席は避けるでしょう。そうなれば交渉も難航します」
「曹操は今、呂布とは戦争状態。袁紹からの圧力も強まり、劉表も同様だ。袁術も、直接動こうと思えば動ける位置に居る。味方は欲しいはずだと思うんだが」
「それが、益になる味方ならば良し。しかし、足を引っ張る様なら必要ない。我らは朝廷という立場であり、これが曹操にとって益になるかどうか」
「ただの群雄って立場だったら、もっとうまく交渉できるってわけか。難しいねぇ」
門が開き、大柄の武将がこちらへ進み出て、一礼をする。
「典韋が殿下に拝謁いたします。たった今、殿より面会の許可が下りました。どうぞこちらへ」
「分かった」
交渉が上手くいかなければ、俺はこの門から出る事はあるまい。
なんて暢気に考えながら、典韋、楊奉に続いて、城内へと入った。
☆
「久しいな、曹操」
「お元気そうで何よりです。十常侍の乱、それ以来になりますか」
「6、7年前だな」
「目まぐるしき日々でした。殿下に置かれては、想像を絶する険しき日々だったことかと」
「まだ終わってないぞ、険しき日々は」
俺と曹操が向かい合って座る。
曹操の傍らには、目つきの鋭い青年、郭嘉と、大柄の武将である典韋が侍っていた。
俺の側に侍るのは、荀攸と楊奉である。
相変わらず小柄だが、その気迫で押し潰されそうだった。
これが曹操か。まさに今、飛躍の時を得んとしている英雄の姿。
こうして向かい合っているだけでも、息が切れそうなほどの圧力があった。
「それで、何故、単身で来られたのですか? 一報を下されば出迎えの準備も出来たのですが」
「お前に配慮した。袁紹にもし情報が洩れてみろ、睨まれるのはお前だろ? むしろ礼を言って欲しいくらいだ」
「あのですなぁ……それが分かっていれば、こうして直接乗り込むこと自体が迷惑であると、どうして分からないのですか。その無鉄砲さは昔より更に、磨きがかかっているのですな」
「え、褒められてる?」
「呆れているのです」
昔、ボコボコに打ち据えられているせいか、体が曹操の一挙一動に対して、やけに怯えているのが分かる。
とりあえず落ち着いて、茶でも一服。ふぅ。
「殿下には申し訳ないのですが、私は今、兗州牧としてこの地を守る為、非常に忙しい身です。あまり構っていられません、お引き取りを」
「同盟の話だ。その話をするために、勅命ではなく、皇太子である俺が自ら、危険を推して乗り込んだ。意味は分かるな?」
「勅命としてお命じ下されば、それなりの返答は致しますが」
「袁紹に気遣って、のらりくらりと躱すだけだろ」
一歩も退かない。退けない。
これもまた、一騎打ちだ。ただ、腕力が必要ない分、歴史を知る俺に分がある。
何度も自分にそう言い聞かせ、言葉を続けた。
「袁紹は既に公然と、劉虞の長子、劉和を担ぎ、新たな漢王朝を打ち立てようと準備している。袁術も、どこから拾ったか知らんが、秦王朝時代の『玉璽』を手に入れ、自らが即位しようとしているとか。曹操、お前はこれを許せるか? 劉弁はまだ、死んじゃいないんだぞ?」
「まだ不確かな情報でしょう。無暗に断定すれば、それこそ戦禍のもとになります」
「だから、ここは状況を見守り、帰れと」
「左様。申し訳ございませんが」
「このまま返すのか?」
「と、いうと」
「……長安に戻る前に、徐州に立ち寄ろうかなと、ね。それに、甘く見てるかもしれないが、こっちはすでに涼州を抑えた。兵を繰り出すだけの余裕もある」
「それは、脅しですか?」
「いいや、交渉だ」
確かに曹操は強い。
青州では百万の黄巾の残党を打倒し、その用兵の巧みさ、兵の精強さは全土に知れ渡っている。
しかし、涼州騎馬兵の強さは、反董卓連合に参加したことのある諸将なら、嫌というほど身に染みているだろう。
こっちもタダで命を賭けてるわけじゃない。死ぬまで、抗うことくらいは出来る。
呂布を相手にしながら、決死の涼州軍も抑えられるか。
こっちは、相打ち覚悟で良いが、お前はそういうわけにもいくまい。
「やっと、俺の目を見てくれたな、曹操」
「なるほど、ただ博打に勝った、そういうわけではなさそうですな」
互いに悪びれもせず、昔の様に、子供の様に、笑った。
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それでは、また次回!