78話
報告書類をまとめ、指示を下す。
必要があれば重臣で議論を行い、迅速に実行へ移す。
毎日がその繰り返しであり、頭が休まる暇はなかったが、お陰で辛い事柄を意識の端へ追いやることが出来た。
そろそろ、馬騰へ返答をしないといけない。
恩賞は多大に取らせた。それもあり、馬騰も目立って不満を口にする様子はない。
しかし、そろそろ涼州へ帰らないと、防衛上の不利益が出るかもしれないという話は、度々聞かされていた。
馬騰に悪意はない。それが分かっているだけに、心苦しかった。
既に、一月がとうに過ぎていた。
「陛下、お呼びでしょうか」
「面を上げよ。貴殿の意見が聞きたくて、こうして呼んだのだ。人払いはしてある。気兼ねなく意見を聞かせてほしい」
「御意」
顔を上げた男は、ひょろりと背が高く、眉間には深い溝が刻まれている。
なんとも気難しそうな顔をしているが、これが本来の彼の表情であるのだ。
その性格は「法家」と、一言で表せるような人物であった。
私情で決してその眼が曇る事は無く、冷徹で、公平。
更には、武人の様な胆力も持っていた。
「馬騰への処遇について。それと、先日、荀攸が提案してきた、涼州平定についての戦略だ」
「陛下は、どうお考えですか」
「馬騰への処遇は、やはり、自由な徴兵権を朝廷が公式に認めるわけにはいかない。今の馬騰が忠誠を誓っていても、明日の馬騰が同じとは限らない」
「であれば、どのようにされますか」
「好待遇の、爵位を授ける。これしかあるまい」
「まぁ、左様ですね。消極的な案ではありますが、一番、現実的でしょう」
「しかし、どの程度が良いかが分からない」
「臣が考えますに、半端な爵位では不満を募らせる原因となりましょう。馬騰の功名心を満たすには『三公』の位が、望ましい」
「……同意見だ。しかし、朕はその判断に自信がなかった。だが、これで意も固まった」
三公。それは「司空」「司徒」「大尉」から成る、朝廷の実質的、最高官職である。
これより上位は、名誉職に当たる「太傅」と、皇帝しかない。
「それと、涼州平定の件だが、どう思う。朕は、軍事については、軍師や皇太子に決定を委ねているのだが、成功するだろうか? あまりにも作戦が突飛すぎやしないか?」
「私は、荀攸殿とは懇意の仲です」
「構わん。そなたの性格はよく知っている。だからこそ、聞いているのだ」
「御意。では、申し上げさせていただきます。此度の作戦については、確かに突飛なれど、効率的です。効率的ですが、涼州という土地の本質は、分かっておられない」
「本質?」
「平定をするだけなら、成功するでしょう。しかし、一年後も涼州という土地が、我らの手中にあるかどうか、答えは『否』です。異民族が絶えず流入し、土地は痩せて荒れており、独立自尊の意志が強い。必ずや、再び中央に背きましょう」
「確かに、董卓の様に強力な軍事力をもってしても、涼州は争いの絶えない土地であった」
「皇太子殿下、荀攸中軍師には、後の展開が見えていません。これでは軍費の無駄です」
「では、取りやめるのか?」
「いえ、そうなれば、馬騰が力を伸ばすだけです。朝廷が力を持つには、涼州の平定は不可欠。平定後にどうするかです。民を治め、天候と土地に則した作物を育て、経済を産み、賊を排除し、人が暮らしやすいようにする。本気でそれに取り組めば、この土地は飛躍の基盤となりましょう」
「分かった……よし、決めたぞ」
劉弁は強く拳を握る。
「鍾繇よ、貴殿にその任を与える。数多の重臣の働きを見て、朕が決めた。王允の後任は誰が良いかと、ずっと、考えていた。ようやく、答えを出せた」
「な、それは……大任で御座います。どうかご再考をっ」
「恐れるな、任命したのは朕だ。責任は全て朕が負う。だからこそ、その才覚を存分に振るってくれ」
「陛下にそこまで言われれば、断る理由はありません。全身全霊でもって、取り組ませていただきます」
鍾繇は、深く頭を下げた。
☆
涼州の豪族らを集めるには、やっぱり、それなりに名のある人物が直接赴かなければならなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、俺だった。
まぁ、名前だけが独り歩きしてるようなもんだしね、話題性があるらしい。
反抗的な態度の豪族も、俺の顔を見物しにやってくるだろう。
どうにか、馬騰が帰還する前に、平定を済ませよう。
俺は楊奉、徐晃の指揮する新参兵を二千率い、涼州へと赴いた。
ちなみに華佗は付き添いで従軍してる。
縛り付けられる生活は脱したが、別に完治したわけじゃないもの。
「やっぱり、反抗的な豪族は多いか」
「ほとんどが、そうだと言って良いかと。如何しましょう」
「特に反抗的な首長を六人、調べといてくれ。逆に従順な者も合わせてな」
「御意」
翠幻は幕舎を後にする。
汚鼠の調べではやはり、韓遂は漢中に居るとの事らしい。
ただ、漢中には入り込めない為、詳しい動向は分からない。
「んー、宗教ってのはやっかいだなぁ」
こういうのを考えるのは苦手だ。
明日も早くに出立だし、もう寝よう。
外でパチパチと篝火が燃える音を聞きながら、幕舎で大きく欠伸をした。
「……うぅ」
どれほど寝ていただろうか、まだ外は暗く、深夜である。
何か、寝苦しい。
自分の体の上に、誰かがのっかっている様な、そんな感じがする。
「あ、起こしてしまいましたね」
「うん?」
知らない女が、俺の上に跨っている。
うーん、マジで知らない女だ。え、ほんとに誰? こわいこわい。
「父上に、行軍中の殿下の世話をせよと、言われております」
「え、あ……うん?」
暗くてよく見えないが、これと言った美人ではない。まだ、蔡文姫の方がハッとする美貌だ。
しかし、エロい。
フェロモンというか、なんというか、ムンムンである。
腫れぼったい唇や、肉付きの良い体、妖しさを帯びた瞳、吸いつく肌。
まだ年もそんなにいってないはずだが、この色香はなんなのか。
「ついでに父上から、殿下の子を宿すようにと」
「なるほど。さっぱり分からん」
全く分からんし、状況も呑み込めないが、うん、据え膳食わぬはなんとやら。
別に名前も知らない女性と寝るのなんて、昔はよくあったことだ。
彼女の髪を撫で、肩を掴もうとした。その時である。
「っ!?」
「……殿下?」
「今、長安から恐ろしい殺気が……」
ここで手を出したら殺される。根拠はないが、確信が持てる。
『──殿下、何やら物音がしたようですが、如何されましたかな?』
幕舎の外から、華佗の声がした。
まずい、こんな現場見られたら、普通に怒鳴り散らされる。
すると女は俺の上からひらりと離れ、衣服を正す。
「では、また」
「え、あ、うん」
彼女はにこやかな顔で、幕舎を後にした。
うーん、あの野心を隠さない性格、誰かに似てるんだよなぁ。