76話
「また、随分な格好ですね……殿下」
「やっと戻ってきたのか」
寝所に縛り付けられる俺の姿を見て、賈詡は苦い表情を浮かべた。
仕方ないだろ。四六時中、蔡文姫と華佗の監視が付いてんだから。
「これが、董卓を打倒し、李傕を斬った皇太子の姿だと知ったら、民や臣下はどう思うか」
「飯食う時もこの格好で、蔡文姫に食わせてもらってる。助けてくれ」
「私だって自分の命が惜しいのです」
「この薄情者め」
ついでに荀攸もこの場に呼んでおいたが、少し遅れるらしい。
馬騰の処遇についての会議が連日続き、中々決まらないんだとか。
「なぁ、賈詡よ。こんな時だから聞いておきたいことがあるんだ。ずっと、気になってた」
「はい、何でしょう」
「董承は、董卓打倒の戦の最中、ハッキリと俺の側に着くと、明言してくれた。ただお前は、董卓が死ぬまで、その立場を明確にしなかった。どうしてだ?」
「ふむ……理由は二つ。一つは、本当に殿下が、董卓を倒すと思わなかったという事。もう一つは、私の性格というか、天邪鬼が故にです」
「天邪鬼?」
「殿下は何度も、私を好待遇で召し抱えようとされました。それも、破格の待遇で、です。私はそれが怖かった」
まんじゅう怖い的な話かな?
「私は己の才を天下に役立てたいと思いながらも、同時に死にたくないとも思うのです。身の丈に合わない処遇を受ければ、必ず己が身に、そして親族に禍を招いてしまう。それが恐ろしかった」
「俺がもっと気軽な待遇で迎えようとすれば、こっちに靡いていたと?」
「結果論ですが。あえて、荀攸殿や他の重臣に疎まれ、今の様に自分の立場を弱くする事も、しなくて済んだでしょう」
何というか、人の心理をとことん見抜く男だよ、こいつは。
ほんとに董承とは対照的というか、なんというか。
「されどこれよりは、この漢室の為、微才を尽くしたいと存します」
「あぁ、死にたくないだ何だと言う暇もなく、働いてくれ」
「あの、これ以上、働くのは流石に……」
☆
遅れていた荀攸も到着し、これでとりあえずの役者は揃った。
ここ数日でだいぶげっそりしたなコイツ。
まだ、獄中に居た時の方が顔色良かったとか言うな。
「どうだ? 馬騰の要求は飲むのか?」
「無茶を言わないでください。あくまでも陛下の意志は自立にあり、それを考えるなら馬騰に力を与えすぎてはいけないんです」
「前まではすぐに俺に意見を求めてきてたのに、今回は違うんだな」
「殿下の方法は極端なのです。内政がガタガタの今、無茶な事は出来ません」
「まぁ、採用するかどうかは別にして、とりあえず聞いてくれ。費用対効果を考えるなら、きっと良い解決案になると思う」
「……聞くだけ、聞いてみましょう」
荀攸は疑うように目を細め、賈詡はただ黙って聞いている。
「涼州が荒れているのは、乱立する有力者が拮抗しているからだ。董卓という巨人が掌握していた頃は、小競り合いはあっても大きな戦は起きていない。今、馬騰がその代わりになろうとしているが、正直力不足だろう」
「確かに、軍人としては有能ですが、董卓の様な狡猾さは皆無です。今まではそこを韓遂が担っていましたが、今は行方知れずで、少なくとも涼州には居ません。再び馬騰と手を組むことはありますまい」
「それに、こっちの本音としては、涼州まで一気に漢室の支配域に収めたい。今はとりあえず馬騰のお陰で、涼州一帯は漢室の手が届くようになっている。この間に、迅速に掌握するべきだ」
「殿下、本当に、涼州を手になさるおつもりで? 私は、避けた方が良いと考えます。馬騰に委ねた方が良い、とも思います」
賈詡はやはり、あまり軍事力の行使は好まないらしい。
孫氏の兵法にもある。
弱い戦力しか持たない国が、積極的に戦を仕掛けるべきではないと。
外交で諸国を制し、同盟で勢力を保つ。
一番の理想の在り方は、これに尽きる。
ただ、俺はそうは思わない。
そうすれば再び、春秋戦国時代が始まるだけだ。
天下は一つであるべき。
そしてその一つになるのが「漢」である。
「外交をするにしても、まずは力だ。力がなければ、こちらの言い分を通せない。袁紹と袁術の目が他に向いている今しか、動く事は出来ない」
「涼州は古来より治め難き土地。力がある者が治める土地であり、弱小に過ぎないこちらが治めるには難しい土地。ならばまだ従順である馬騰に委ねた方が良いのでは無いでしょうか」
「話を戻すが、涼州が治めづらいのは豪族、部族が乱立してるが故。これを治めるには、圧倒的な武力が必要だが、方法はもう一つある」
「……それは、何でしょうか」
「殺せばいい」
賈詡は頭を抱えた。
いや、でも別にそんな無茶苦茶なこと言ってるつもりはないけどなぁ。
「沢山の力が乱立しているのがいけない。ならばあっちで宴会でも開いて、集まった首長達の首を刎ねる。あとは一気に周囲を鎮圧すれば良い」
「無茶を言わないでください。人心が得られず、涼州の民は何十年も朝廷に逆らい続けます」
「別に全員を殺すとは言ってない。目立って反抗的なのを五、六人殺す。力で治まってきた土地だ、徳や誠意は後からでいい」
「しかし──」
「──いや、賈詡殿。殿下の策は、効率を考えれば有効だと、私は思う」
「な、荀攸殿まで……まぁ、されど、軍略、戦略において、私は遠く貴方には及びません。ここで、私は黙っておくべきなのでしょう」
「ただ、ひとつ、問題があります、殿下」
深く思案しながら、荀攸は指を一つ立てた。
賈詡は観念したように、一歩下がってその成り行きを見守る。
「自由に動かせ、警戒されない規模の、涼州出身ではない少数精鋭が今の我が軍にはなく、謀略を担う汚鼠の数も足りない。とにかく、人手が足りません」
「いや、并州に割いていた多数の汚鼠は、今引き上げてきている。それに、精鋭も心配ない」
「と、言いますと」
「五千の精鋭が、沸いて出てくるって話だ。董卓に面と向かって歯向かうような、そんな老骨の鍛え上げた精鋭が」
劉協は楽しそうにニシシと笑うが、間もなく脇腹が痛み、顔に苦悶の表情を浮かべた。