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74話


 敵陣左翼より、火の手がある。


「軍師殿、火の手が上がった。これより全軍で攻めかかる、という事でよろしかったかな?」


「いえ、張済将軍。しばしお待ちを」


「待つのか?」


 張済は不思議そうに唸る。

 徹底した軍人気質であるこの将軍は、自分で考えるという事が苦手であった。


 性格に嫌みなところも無く、優秀な戦闘指揮官であるが、戦略に関しては子供の様に無知である。

 董卓配下の中では珍しい、この裏表のない将軍を、賈詡は密かに慕っていた。


「もう少し待てば、敵は勝手に自壊します。攻撃するのはそれからで構いません」


「そんな、都合の良いことが起きるわけあるまい」


「いえ、私の見立てでは必ず」


「つくづく、儂と軍師殿はいつも見えている世界が違うのではないかと思ってしまうな」


 副将の立場であるのに、何も教えてもらえていない。

 張済はそれが不満であるのか、僅かに眉をしかめていた。


「分かりました。将軍にはお伝えしましょう」


 あえて、郭汜の件についての言及を避け、賈詡は作戦の全容を語り始める。


「待っていれば自壊すると言ったのは、敵軍が内部で争いを始めるという事。徐栄将軍の突撃は、そのきっかけを作る為のものです」


「つまり、韓遂と馬騰が、争いを始めるというのか? 奴らは義兄弟のうえに、関係も良好であると評判だが」


「表面上の話です。元々、馬騰は官軍、韓遂は賊軍で敵同士。今もまた、馬騰は羌族に支持され、韓遂は涼州豪族に支持された立場。関係を良好に見せておかないと、涼州はそれこそ終わりなき戦火に包まれ、共倒れするでしょう」


「ふむ、しかし手を組んでいることには変わりない。利害関係なら猶更だ」


「頭では理解していても、行動に移せるかどうかは別です。張済将軍も、例えば奥方様を董卓に召し上げられたとしたら、自滅すると分かっていても兵を挙げたでしょう?」


「う、うぅむ。嫌なところを突かれたな」


 張済は愛妻家として聞こえ、その妻もまた天下に名の通った美人で有名である。

 賈詡の指摘に、すっかり苦り切ってしまうくらい、その愛情は深かった。


「馬騰は朝廷に対して、恭順の意思を持っています。そこで私は一通の書簡を、密かに馬騰へ送りました。その書簡一つで、敵軍は崩れます」


「どのような書簡なのだ?」


「韓遂と、董卓の密通の証拠。内容は、韓遂が殿下の首を取る、という事についての許可を董卓に求めたものです。馬騰はきっと、大いに腹を立てるでしょう」


「まさか、そのようなものが」


「いやいや、そんなものはありませんよ。韓遂はそこまで馬鹿じゃない。足がつくような証拠は残しません。しかし、密通の記録があったのは確か。ならばいくらでも偽造の余地はあります」


 張済は疲れたように大きく息を吐き、その場に腰を下ろす。

 対して賈詡は、いつもの様に疲れて淀んだ表情のまま、ぼんやりと火の手を眺めていた。


「やはり、謀略の類は、儂には向かないな。うんざりしてしまう」


「だからこその私です。将軍は、崩れた敵軍を大いに打ち破って下さいませ。私は生憎、馬にも乗れないもので」


 賈詡の見立てた通り、敵軍の全体が、大きく歪み始めた。





 結果は、韓遂軍の総崩れであった。

 馬騰の精鋭に攻め込まれた韓遂は、抵抗も出来ずに急ぎ撤退。

 崩れた敵軍を、張済は大いに攻め立て、その追撃は苛烈を極めた。


 というのも、此度の戦は、韓遂の首が勝利の絶対条件として、劉協に命じられていた為である。

 首を取らない限り、この戦を勝利として認められない。

 だからこそ、躍起になっていた。



 血に染まった荒野。

 すでに日は上り始め、うっすらと辺りは霧がかっている。


「軍師殿、追撃は中止だ。この霧では、もはや探索は不可能だろう」


「ふむ。分かりました。では略奪品をまとめ、軍を整えましょう」


「それがいい。あ、それと、徐栄将軍はどうした?」


 張済の問いに、賈詡は僅かに表情を曇らせる。


「現在、郿城へ運び入れ、治療をしております。どうか、内密に」


「あの手練れである将軍が、まさか傷を負ったと」


 賈詡は頷く。張済は信じられないといった表情であった。


 何度も賈詡は、徐栄を諫めていたのだ。

 郭汜は必ず裏切るが故に、自らそこに赴く事は無いと。

 他の将に任せ、徐栄は軍を率いるべきだと。


 しかし徐栄は頑なに郭汜の離反を信じず、もし裏切ったならそれを斬るのが自らの責任だと言って、奇襲部隊を率いた。


 あろうことか、その郭汜と一騎打ちを演じ、首を取ったものの、重傷を負っている。

 そもそも、将としての規格が違う。徐栄は軍の指揮に長け、郭汜は武勇に長けた将だ。

 一騎打ちで勝てたことからして、驚きであった。


「郭汜将軍は戦死。徐栄将軍は、僅かに傷を負っており、下がっていただきました。戦後処理は、張済将軍に任せたいと」


「そんな馬鹿な……左翼はそれほどの激戦だったのか? あの、郭汜が死ぬとは。あれほど武勇に長けた軍人でも、死ぬことがあるのか」


 今は、まだ真実は明かせない。

 韓遂が死んでいない以上、混乱は出来るだけ抑えたかった。


「報告! 馬騰殿が、張済将軍に面会を願い出ております!」


 急ぎ駆けてきた伝令が、声を大にして、その場に跪く。

 張済は賈詡に目を向けて、面会を許した。


「馬騰は、個人的に朝廷に恭順の意思を見せているとはいえ、独立自尊を保つ異民族に支持を受けています。何かを求められても、はっきりと返答はせず、朝廷の指示を待つと、そう返して下さい」


「辛いな。戦友の首も見送れず、見舞うことも出来ず、毅然とした態度でいるというのは」


「これも将の務めです」



 続々と結集してくる兵馬を眺めながら、張済は首を鳴らした。




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