62話
俺はこの短い期間に、何度気を失えば済むんだろうか。
流石に血を流し過ぎた。
思えば、まだ十歳だ。小学四年生だ。
こんな体で、よく呂布と戦えたものだと、思い返すだけでも背筋が寒くなる。
横たわるのは、ふかふかの布団の上。
ふと隣を見ると、目の下を黒く、そして瞼を赤く腫らした蔡文姫が、静かに寝息を立てている。
体を動かそうとしたが、全身が筋肉痛か、打ち身なのか、全く動きそうにもない。
てかこれ、全身が包帯でぐるぐる巻きにされてんのな。
「おや、お目覚めですかな」
部屋に入ってきたのは、見慣れない老人だった。
髪は抜け、髭は長く白い。
それなのに肌の張りや艶が良く、若いのか老いているのかよく分からない。
「呼吸するのも、辛い」
「そうでしょうな。肋骨と肩の骨が折れております。ま、背骨や首を折らなかっただけ幸いでしょう。あそこを折れば、二度と歩けなくなるので」
「俺は、どれほど、意識を」
「まだ一日も経ってないかと。ただ、勘違いなさいますな。回復が早いというわけではなく、全身が痛みで眠れないだけです。今は薬を用い、感覚を麻痺させております。おそらくその痛みに、陛下の体力では耐えられないでしょうからな」
「……状況を知りたい。董卓は、呂布は、周辺の諸侯は」
「なりません。今は努めて安静になさいませ。陛下は今、危うい道中に居られます」
そういうと老人は眉間に皺を刻み、不快な表情をした。
気難しそうな性格だ。ただ、医師としての腕は確かなのだろう。
すると、部屋の外が騒がしくなった。
老人は大きく溜息を吐く。
勢いよく開かれた扉。
駆け込んできたのは、董承であった。
「如何なる用であろうと、立ち入りは厳禁と言ったはずだ! 衛兵! 早く、この者をつまみ出せ!」
「危急の用である。それにこの都の軍権は今、俺が全て握っている。ご老人、つまみ出せるのなら、俺をつまみ出してみろ」
「……五月蠅い。先生、すぐに終わらせる。しばらく、董承の言う通りにしてくれ」
「陛下、くれぐれも気を高揚なさいますな。薬が切れ、死の痛みに襲われますぞ」
そういうと、老人は董承を睨み、扉の外へ出た。
「陛下、ご無事で何よりです」
「今、どうなっている」
「董卓、董旻は死に、二人の首を取った最大の苦労者である呂布は、旗下と共に長安を出ました。近衛兵の軍権を私、董卓旗下の兵は、徐栄将軍が握っています」
「それで、用は」
「王允殿と、蔡邕殿に意見の相違が出ております。特に王允殿は強権的に蔡邕殿を軟禁してしまい、現在、軍師殿が仲裁をしていますが、上手く収まりがつかないのです」
「チッ……」
史実でも確か、そうであった。
董卓に登用され、恩義を感じていた蔡邕は、董卓の死を僅かに悼んだ。
しかし王允はそれを見て激怒し、董卓に連なる者を全て処刑。
蔡邕もその一人として殺されてしまうのだ。
この、偏執的な性格が、英邁な頭脳を曇らせる。
呆れて溜息が出てしまう。
「争いの内容は」
「董卓の遺体をどうするか、についてです。王允殿は、首を門に腐るまで吊るし、体を市中で燃やすと。蔡邕殿は、晒し首にするにとどめ、過剰な行為を避けるべきだと。そして、董卓旗下の将兵の処罰や、親族の処刑に関するまで意見は対立しています」
「……どっちも間違ってる」
「と、言うと」
「董卓は、国政を乱し、民を苦しめた。だから俺の手で誅殺した。しかし、十常侍の乱における功績は甚だ大きく、その軍事的功績も無視はできない。よって、国葬にて葬る。親族は全て爵位を剥ぎ、平民に落とす。将兵の罪も全てを許すが、才に応じて官位を判断する。それはお前に任せる。以上。これを長安だけでなく全国に触れ出せ」
「なっ……それは、王允殿が黙っておりません」
「知るか。俺の勅命に従わないなら、処刑するって言え。重ねて言うが、これは勅命だ。お前と荀攸であとは何とかしろ。荀攸なら、俺の意図が分かるはずだ」
「御意」
今、一番警戒しなければいけないのは、外に出ている李粛や、牛輔の軍だ。
彼らが董卓の死でどう動くか。
史実では、牛輔配下の李傕、郭汜の手によって長安は落とされ、董卓が生きていたとき以上に国が乱れてしまう。
その様子はあまりに酷く、皇帝の権威など無いに等しく、これで漢王朝の息の根は完全に止まる。
これだけは避けなければいけない。
董卓め。死んもなお、まだ俺の前に立ちふさがるか。
指示を終え、董承が部屋を出ると、強烈な眠気に襲われる。
これだけ騒がしくしても、蔡文姫が目覚める様子はない。
相当に疲れていたのだろう。
包帯でぐるぐるに縛られた腕を何とか動かし、その髪を撫でる。
感触は無い。麻痺していて、触れているのかどうかも分からない。
しかし、彼女は嬉しそうに微笑み、俺の手にすり寄ってくる。
思えば、俺が戦に出ると言った時も、激しく止められたな。
最終的には、それを振り切る形で長安を出たのだが。
帰ってきたのだ。
董卓に、勝ったのだ。
まだまだやることは多いが、今は休ませてくれ。
俺の意識は、また深く暗い闇の中に飲み込まれた。