60話
聞こえるはずもない、戦場の怒号。
ここは、一大軍事都市である長安の、しかも宮廷だ。何故、兵の雄たけびが聞こえる。
「報告! 報告!」
「な、なんだこれは!? どういうことだ!!」
慌てて駆け込んできた兵士に、董旻は蒼白な顔で掴みかかる。
伝令の兵は、苦し気に顔を歪ませ、報告を続けた。
「と、董承将軍の、兵が、長安に入城後、反旗を翻しました!!」
「馬鹿な事を言うな! ありえん! もっとよく確かめろ!」
「この目で見たのです! 間違いありません! そして、反乱軍の総指揮官は、こ、皇帝陛下であられます!!」
「そ、そんな……死の国より、蘇ったとでもいうのか」
董旻は兵士から手を放し、その場で腰を抜かしてしまう。
兵は息を荒くして、命令を待ち続けた。
「兄上に、い、いや、相国に指示を仰がねば」
「相国は、全てを左将軍へ委任すると仰せです。呂布将軍、徐栄将軍を指揮し、迅速に鎮圧せよと」
「そんなっ……何を考えておられるのだ。それで、敵兵力は? 董承を迎えた徐栄将軍はどうなっている?」
「敵兵力は、八千です。真っすぐに、宮廷へ向かっております。徐栄将軍は少数の兵で迎えた為に急ぎ離脱し、現在、軍の編成を行っていると」
「何をやっているのだ! 例え寡兵でも、徐栄ならいくらでも時間を稼げたはずだろう!?」
あまりにも事が上手く運び過ぎている。
だれかが、この事態を手引きしているはずだ。
しかし今、その犯人探しをしている時ではない。
「常駐の近衛兵の一万で宮廷の守りを固めよ。二万まで集まり次第、潰しにかかる。急ぎ呂布将軍にも知らせよ」
「御意!」
「──いえ、その必要は御座いません」
燃える様な赤き鎧を身につけた、巨躯の武人。
その手には、方天戟が握られている。
「呂奉先、参上致しました。急ぎであった為、宮廷での武装をお許しくだされ」
「お、おぉ! よくぞ、呂将軍! 貴殿を待っていた!」
「左将軍殿はごゆるりと、二万の近衛兵を集めていてくだされ。その間に私が賊軍を撃退し、陛下を連れ戻しましょう」
「兵は、どれほど集めているのだ?」
「二千です」
董旻の不安げな顔をよそに、呂布は一礼をして、その場を後にする。
外で待っていたのは、張遼と高順の二人。
「俺は、三百だけを率いて、後の兵はお前らに預ける。ただ、邪魔をするなよ。俺だけで相手するんだ」
「楽しそうだなぁ、おい。俺達だって戦がしたいんだが、全部独り占めかよ」
「後で好きにさせてやる。ただ、この初戦だけは、俺の物だ」
☆
ずっと寝たきりだったせいか、どうも体がふらついてしょうがない。
気を抜けば、一瞬で意識が暗闇に落ちていきそうだ。
「陛下、無理をなさらずに。馬車へお乗りくだされ」
「馬鹿言うな、荀攸。この部隊の士気を上げるには、俺が立ってないといけない。馬車になんか乗れるかよ」
とはいえ、馬に跨っているのすらやっとな状態。
戦の指揮は、全て董承に任せていた。
董承に出している命令は二つ。
決して、長安内地での略奪や強奪をしてはならない。
もう一つは、董卓と董旻の首を取る事。
董卓を討てば、この長安が根拠地となる。民の信頼を損なう事は出来ない。
大通りを主力の軍、三千が整然と並び、前進。
その他の兵は方々に散らばって、斥候や守備兵の制圧などに当てている。
「董卓、董旻は、どこだ」
「宮廷でしょう。そこに現在、一万余りの近衛兵が集結し、間もなく迎撃を開始すると」
「王允や蔡邕から何か連絡は」
「内部の工作に関しては、申し訳ありませんが連絡が来ておりません。しかし、門が開き、徐栄が日和見を決め込んでいるところを見ると、成果は出ています。あとは、呂布ですが」
呂布。史実では、その手で直接、董卓を殺害した男だ。
そして、その計画を画策した者が、王允である。
史実通りであれば、間違いなく、呂布はこちらにつくはず。
いや、ついてもらわなければ、この戦は勝てない。
「方々の長安守備兵を、こっちの戦力に組み込め。このままじゃ、宮廷は抜けないぞ」
「現在、それを行っております。順調に今、兵は増えているとのこと」
「兵力差が小さい内に、ぶつける。急げ」
進軍を急がせる。
この長安の核である宮殿を抑えれば、この勝負は勝ちだ。
出来るだけ早く、近衛兵を打ち破る。
こっちの軍は弱兵ばかりだ。時間が経てば経つほど、不利であった。
馬を走らせる。じわりと、背に痛みが広がった。
恐らくまた、傷口が開いたのだ。
しかしこの程度。滲む脂汗を、裾で拭う。
「伝令です! 報告! 報告!」
「馬上で良い! 要件はなんだ!?」
「我が軍正面に、迎撃部隊が構えております! 総勢二千、旗印からして、呂布の旗下です!!」
「何!?」
報告を聞き、俺は耳を疑い、荀攸は顔色を白くさせる。
頼みの綱が、最悪の結果となった。
荀攸の方を見るが、深く考え込み、結論は出ていない。
呂布の旗下と言えば、天下無双の軍である。
何倍もある鮑信、張邈、曹操の軍を容易く食い破る精強さを持っていた。
こちらの兵数が多いと言えど、勝てる保証はどこにもない。
「し、しかし」
伝令兵は言葉を続ける。
「あくまで戦闘態勢であるのは、呂布率いる三百騎のみ。あとの軍は全員それを静観する構えです」
「どういうことだ……意味が、分からない。とりあえず董承将軍には交戦を避けよと伝えよ! 散っている兵を集め、左右を突かせるのだ」
「いや、待て、荀攸」
早口で指示を飛ばす荀攸を抑えて、剣の柄を握る。
分かった、呂布の考えが。
きっとこれは、俺にしか分からない。分かり合えない。
「俺が前線に行って、兵を指揮する。董承にもそう命じよ」
「なっ……無謀です。董卓の狙いは、陛下の身柄です。陛下さえ無事であればいくらでも、再起は図れます。それこそ、曹操などは勤皇の志が──」
「──五月蠅い、戦の前に負けを語るな。良いから俺の言う通りにしろ。これは、俺の戦だ」
兵を分け、前に出る。従うのは五百の歩兵と、十数騎の騎馬兵のみ。
部隊長は、韓遂との戦の際、俺を担いでくれたあの男だった。
日は高く上り、燦燦と男達を照らす。
赤く、燃えるような鎧。威風堂々たる名馬。
人中の呂布、馬中の赤兎。
心が震える。
まるで、子供の様に溌溂とした笑顔だ。
「顔色が悪いんじゃねぇのか? 小僧」
「お前は、こんな時になんて顔をしてやがる。こっちまで笑いたくなるような、楽しそうな顔しやがって」
「さぁ、狂おうじゃないか! こんな楽しい戦、もう二度と来ないぜ?」