表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/94

55話


「ふむ……」


 怪しくゆらゆらと揺れる、瞳の光。

 右目の上には斬傷の跡が残り、眉が無かった。


 数本、白が残る髭を指でなぞり、韓遂は満面の笑みを浮かべる。


「要件、相分かった。だが、何故、荀攸殿は馬騰ではなく俺に密約を? 出自や経歴からすれば、密約を結ぶべきは奴の方だろう」


「軍師様は、馬騰殿は軍人である故、この策に乗らないであろうと。されど韓遂様は、梟雄である故」


「梟雄、か。ふふっ、はははっ! 嬉しいことを言ってくれる」


 荀攸から、韓遂へ宛てた書簡。

 ここには「我が軍は二日後の夜、夜襲をかける故に協力してほしい」と書いてあった。


「さて、応じるか否かは、報酬の如何によるな。義兄弟を裏切るに値する対価を、提示してもらおうか。それに普通に戦ったとて、俺はお前らを簡単に潰して、全てを奪えるぞ?」


「報酬ですか……ここで韓遂様がご協力くだされば、涼州全域が、貴方のものになります」


「今の陛下に、それ程の権力があるのか? 董卓の操り人形に過ぎないガキが、いくら官位を与えたところで、何の意味も無い」


「いえ、お考え下さい。仮にここで我が軍を討つことは容易いでしょう。しかし、撃退した暁に、韓遂様には何が残りますか? 何が手に入りますか?」


「む……」


「しかし、ご協力くだされば、話は別でしょう。馬騰を討つことが出来ます。さすれば涼州は実質的に韓遂様のもの。相国とて、異民族の事を考えれば韓遂様に手出しは出来ますまい」


「陛下が、俺に涼州牧を与えると?」


「お望みとあれば。州牧のみならず、大将軍でも何でも。相国もお認めになりましょう。それ程の功績です」


「ふむ、一理ある」


「如何なさいますか」


 深く息を吐き、韓遂はぐぐぐと考え込む。

 涼州の独占は、確かに昔からの夢であった。


 この地を足掛かりに、天下を掻き乱すのも悪くは無い。

 未来に対する確かなビジョンなどは無い。楽しそうだから、それだけで生きてきた男である。


 平穏なぞ、糞くらえ。未だ中華には、戦火が足りない。


「分かった。乗ろうか、その案に。荀攸殿にはよろしく伝えてくれ」


「感謝いたします」


 すると、浅黒い肌の青年は、スッと闇に消えた。


 韓遂は顔を覆い、クツクツと喉奥で笑う。



「……んなわけねーだろ、バーカ。俺は梟雄の韓遂だぞ? ガキの首を取って、董卓から金を巻き上げて、馬騰も潰す。乱世は、まだまだ乱れ足りないなぁ」





 董卓の冷えた視線の先に、小さな少女が跪き、頭を下げていた。

 透き通るような白い肌である。薄暗い部屋で、その肌ばかりがやけに目立っていた。


「仙華、占ってくれ」


「……私めに、で御座いますか?」


「そうだ。だからそなたを呼んだ」


「まだ、巫女としては未熟な身で御座います。ご期待に添えられるかどうか」


「呂布に出来て、儂には出来ぬと?」


「い、いえ、滅相も無い……では、謹んでお受けいたします」


 冷えた殺意を董卓の声に感じたのか、仙華は僅かに震えながら礼をした。


 仙華は体の向きを変え、蝋に灯る小さな炎に、両手をかざした。


「あぁ、仙華よ。占うのは、儂ではない。お前だ。お前自身の事を占え」


「え……私を?」


「そうだ」


 小さく息を吸い、長く吐き出す。

 空気は張り詰める。僅かに感じる光を見つめ、仙華は意識を集中させる。


 今この時、仙華の首筋に、董卓の大刀が構えられているとも知らずに。


「見えたか?」


「……見えません」


「ほぅ、巫女であるというのに、何も見えんのか? まさか相国である俺を騙していたのか?」


「いえ、何も見えない。という事が、見えたのです。恐らく私は、近い内に命を落とすのでしょう」


「っ」


 董卓は僅かに体を硬直させ、その大刀を下ろす。

 盲目であるというのも、嘘ではないらしい。


 声色一つで震えていたのに、大刀を構えられても動じなかったからだ。


「やけに冷静だな。自分が死ぬと分かっていながら」


「これも運命です故。それに、呂布様が以前、死とは常に隣にあるものだと言っておられました。恐れる事ではない、と」


「……儂を、寂しい人間だと、そうも言ったらしいな」


「はい。恐れ多くも」


「お前には人の心が見えるのか」


「盲目であるがゆえに、見えないものが見えてしまいます。特に、人の心というのは、よく見えます」


「見てはならぬものを見た。あまつさえそれを、話してはならない者に、お前は話した。許しがたいことだ」


「申し訳ありません。拾って頂いたご恩を、仇で返す事になろうとも知らず。弁明のしようもありません」


 董卓は、大きく息を吐く。

 殺していたはずの心の内が、溶けて色づいてく、そんな気がする。


 不思議な巫女であった。

 決して語るまいと思っていた言葉まで、胸から溢れ出してくる。



「儂は、誰よりも、天下と向き合った。天下の平穏を、誰よりも願った」


「はい」


「だが、儂に手を貸そうと思う者は居なかった。出自が、戦歴が、倫理が、世界の全てが儂の敵であった。その価値観こそが腐敗の原因だと、誰も気づかなんだ」


「はい」


「一度全てを壊さねば、腐敗は止まらん。だから儂は、董卓となった。暴君と恐れられる道を選んだ。儂が生きている内に、平穏を作る為に。暴君のまま、誰も悲しまない、孤独に死ぬ道を」


「存じております」


「誰にもこの心内を語る訳にはいかなかった。語れば、全てが崩れる。出自も何も関係ない、たとえ奴隷でも、国を治めることが出来る、皇帝になることが出来る。儂が目指した、常に覇者が天下を統べるという世界。完成に近づいたこの道を、誰にも崩させてはならんのだ」



 再び、董卓は大刀を構える。

 仙華の体の震えは、止まっていた。


「この思いを語ったのは、お前が初めてだった。そして、これが最後だろう」


「光栄に御座います」


「呂布がどうしてお前を好いたのか、分かる気がする」


「私も、お慕いしておりました。そして、約束を守れず、申し訳ありません。そう、お伝えください」


「それを儂に頼むか……酷な話だが、お前の功に報いよう」


「ありがとうございます」



 大刀はそのまま、勢いよく振り下ろされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 大袈裟な文章でもなく読みやすく、でもとても面白く、背景や底流をいろいろ考えながら56話まで一気読みしました。 なるほど、各登場人物にここまで深く性格付けをなさっているから こんなに面白いの…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ