54話
招集された校尉、部隊長らはざっと数十人。
皆が一様に、同じような表情をしていた。目を真ん丸と開き、不可思議そうな表情だ。
彼らの身分からすれば「皇帝」という存在を、このように間近に見る事は出来ないだろう。
しかし、それにしても、この子供が皇帝なのか?
困惑した空気が、暗にそれを伝えてくる。
皇帝らしくない衣服に身なり。
ただ、その抜身の剣は、確かに皇位を表すそれだと分かる。
「我が名は、劉協。この国の皇帝である」
静かに、遠くまで響く声色であった。
何よりもこんな幼少であるのに、大人数の軍人を前に、堂々とした態度。
相当な傑物か、それとも馬鹿か。
「君達は皆、此度の戦で、前線で命を賭けて戦う戦士達だ。そして、この劉協の、初陣でもある。その覚悟と矜持を、持ってもらいたい」
激励か?
劉協の言葉を聞く董承は、首を傾げた。
古の聖君を気取っているのだろうか。
だとすれば、若気の至りだ。
ただの飾りの皇帝の激励に、心が動く者など誰も居ない。
それに、まだ幼少だ。威厳も何も、あったもんじゃない。
「荀攸、例の名簿を」
「え、あ、はい」
竹簡を渡され、劉協はそれをちらりと確認する。
「百人長、孟嘉、韓経、前へ」
劉協に名を呼ばれ、二人の部隊長が、恐る恐る前へ出てくる。
ただ、頭は下げなかった。
一端の軍人の、くだらないプライドか。
これが近衛兵として兵士をまとめ、皇帝に侍る者の態度かと、劉協は眉をひそめる。
「報告に上がっているが、お前らの部隊からは脱走兵が多く、軍規も乱れ、進軍も遅い。これは事実か?」
「申し訳ございません。しかし、兵は囚人ばかりで手に負えない事が多く、どうしても軍規は乱れるのです」
「戦に負けた時も同じ言い訳をするのか?」
「い、いえ、左様な事は」
「戦は、勝つか負けるか、生きるか死ぬかしかない。お前らの様に、足を引っ張る者が居るから、兵が無駄に死ぬ」
すると劉協はいきなり、その抜身の剣を振り、言葉を返していた孟嘉の体を斬り上げた。
隣で韓経は小さく悲鳴を上げ、逃げ出そうとするが、構わず劉協はその背中を突き刺す。
倒れる二人。微かに息はある。
容赦なく、その首を断ち切った。
「この首を軍中に晒せ! 兵が罪を犯せば、十人長を、十人長が罪を犯せば百人長を、将が罪を犯せば我が首を斬る、そうして例外なく処刑していく! しかし、功績がある者は例え囚人であろうと、昇進させる! 此度の戦に勝てば全員の罪を許し、列侯に封じる! この三点を触書に出せ!」
血に濡れた幼帝は、剣を掲げ、叫んだ。
流れるような動作で二人の軍人を斬り殺した技量もそうだが、何よりも、一瞬の躊躇すら無かったことが、全員を戦慄させた。
皆が皆、皇帝とは安穏とした暮らしを享受して、生かされているだけの存在だと思っていた。
しかし劉協は、この場の誰よりも、戦場が何たるかを知っていた。
負ければ死ぬしかない事を、知っていた。
ここで初めて、部隊長、そして校尉らは、深く拝礼し、頭を地につける。
これが、この国の皇帝なのだと、ようやく理解した。
「董承」
「は、ハッ」
「行軍中に全軍の陣替えの練習をさせろ。横陣、魚鱗、鶴翼、縦陣、繰り返し変形させ、戦場までに仕上げろ。武器になる様な石や枝も、全て拾え」
「兵糧が、足りません」
「近くの村から根こそぎ奪ってこい。我らは董卓様の兵だ、って宣言するのを忘れるな」
「なっ……」
「俺は聖人にも、君子になるつもりもない。それよりも、今だ。今やれることをやる。もう既に、血に濡れる覚悟は済ませた。兵だけに、命を賭けさせるわけじゃない」
「御意」
劉の血筋。何百年と続く、覇者の脈歴。
まだ腐っていなかった。
それどころか派手すぎる程に、息を吹き返した。
もしかすれば、本当に、董卓を。
董承の心は、僅かに揺れた。
☆
その夜。
荀攸は数多の報告書や、地形図に目を通し、星の流れを観察していた。
それは寝ずの作業であり、頭は常に動いている。
死にそうなほどの疲労感に襲われることもあるが、それ以上に、生きていることが実感できた。
行軍中、およそ百人位の兵や部隊長を打ち殺した段階で、軍の動きは格段に良くなったと言って良い。
今や働きの良い囚人が、部隊長を務める程にもなっていた。
兵糧も、少ないながら集まってはいる。
少しは余裕のある作戦の立案も、これで可能になった。
ここで、あの幼帝を、英雄とするか、ただの馬鹿にするかは、全て自分の働き次第だろう。
奇跡を、起こさなければならない。
「──荀攸様」
「戻ったか、翠幻。それで、どうであった」
「荀攸様の見立て通り、馬騰と韓遂の間には、確かに軋轢が御座います」
密かに、拳を握る。
馬騰はもともと王朝側の人間であり、韓遂は賊軍の将である。
それが、上司が殺されたことで、馬騰は韓遂と行動を共にしなければならなくなり、今に至る。
仲が良好であるのは、見せかけだろうと思っていた。
馬騰は良家の血筋だ。賊上がりの韓遂と同格など、不満であるに違いない。
「されど、韓遂は相当に食えない人物です。決して、誰かの思い通りに動く人間ではない、と見ました」
「馬騰はどうだ」
「優れた軍人で、威風堂々としています。誇り高き人物です」
荀攸は、再度、星空を見る。
月は、雲に隠れたり、現れたりを繰り返していた。
「この書簡を、韓遂に届けよ」
「韓遂の方に、調略を?」
「あぁ。それと、裏で董卓と繋がっているかどうかも、調べられるか?」
「御意」
翠幻は、闇に消える。
奇跡を。
月は再び、雲に隠れた。
・列侯
王位は皇族のみに許されている為、人臣が上り得る最高の爵位。
封土を与えられてその地の民の君主となり、その租税を自分のものと出来る。
実質的な、その土地の統治者。世襲制。