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4話


 婆さんはその後、西方の僻地「涼州りょうしゅう」の土地へと流罪となった。


 土地は荒廃し、老体には堪える、冷えた気候が特徴的な地方。


 兵に囲まれ、護送される婆さんの後ろ姿は酷く弱々しいもので、あの溌溂はつらつとした元気さはどこにも見えなかった。


 ただ、何進かしんが融通を利かしてくれているはずだ。

 何皇太后かこうたいごうの魔の手からも、何とか守ってくれるだろう。


 せめて政争から離れた、緩やかな余生を送って欲しい。

 そう願わずにはいられなかった。


 俺は大丈夫。心配は要らないから。





 後ろ盾の無くなった俺の生活は、いくらか自由なものになっていた。


 自由というか、何というか、皆がそこまで俺に興味を示さなくなったって感じ。


 まぁ、外戚と宦官が手を組んで、劉弁りゅうべんの支えをしているからな。盤石の権力体制だ。


 俺が付け入る隙は、今んとこどこにもない。


 今んとこ、な。


「殿下、大将軍様が会見を求めております」


「俺に? 他に誰か来るの?」


「いえ、個別でお話しされたいとのことです」


 俺の唯一の側仕えである宦官が、ぼそぼそと言葉を述べる。


 後宮内の政争に加担していなかった老人らしく、官爵も特にない、まぁ無害なオジサンだ。


 名前を聞いても教えてくれないんだよなぁ。

 自分は卑しい身分だから「汚鼠おそ」とでも呼んでくれとか言うんだよ。


 流石にそこまで卑下されると、もうちょっと自信持っても良いよ? って心配になる。


「借りもあるし、断れないよなぁ。案内してくれない?」


「かしこまりました」





 通された先は、後宮の内の小さな一室。


 小さな腰掛に座るのは、相当、恰幅の良い男だった。


 虎ヒゲを蓄え、まるで力士の様な体付きである。その表情は極めて無機質で、感情が全く見えない。


 これが一介の肉屋から、大将軍の地位まで上り詰めた「何進かしん」の姿であった。


 あのねぇ、こういうタイプって冗談が通じないから、ホントに怖いんよね。


「大将軍、何進かしんが、殿下に拝謁はいえついたします」


「いや、そういうの良いよ、もう。誰も居ないし」


「なるほど、噂は本当らしい。幼少でありながら、どこか達観しておられる」


「はぁ、どうも」


 顔色が分からない以上、様子を窺ってみても、どうもよく分からん。


 怒ってるのか、冗談を言っているのか。

 うーん、何を考えているのだろうか。


「まぁ、何進かしん将軍。婆さんの件に関しては、礼を言う」


「行動や交流の制限はかけますが、比較的に自由な生活を送れるようには配慮しました。私としてもこれ以上、妹の好き放題を許せないのでね」


 何進かしん何皇太后かこうたいごうは、異母兄妹だったはずだ。

 見た目もこんだけ違うし。


 一応表向きは協力関係だが、あんまり仲は良くないのだろう。


 てか、皇太后って、仲良い人いるの?

 あれはちょっと、キツいべ?

 見た目はドストライクだけど。


 なんで俺、あーいうヤバイ人ばっかり好きになるんだろ。

 昔っから。


「それで、太皇太后様の件を呑む代わりに、殿下に私は『貸し』を作りました。今回のその件についてです」


「出来ないことを言うのはやめてね」


「ご安心を。ただ、協力して欲しいだけです」


「協力?」


「はい」


 何進かしんが低い声で「入って来い」と言うと、部屋に一人の軍人が現れた。


 威風堂々とした立派な出で立ちで、その風格だけで人間としての格が違う、という事をまざまざと感じさせる男だ。


 なによりそのギラついた目の奥にある光が強すぎる。


 自分が正しいと信じて疑わないタイプだぜ、あれは絶対。


「殿下に、西園八校尉せいえんはちこういが一人『袁紹えんしょう』が拝謁いたします」


「な……袁紹えんしょう、って、あの?」


「如何されましたか?」


「い、いや、噂でもよく聞く有名人だったから、少し、驚いただけ」


「光栄で御座います」


 袁紹えんしょう。それは、この後漢末期の時代で、最も天下に近づいた男の名だ。


 四世代にわたって「司空しくう」「司徒しと」「大尉たいい」と呼ばれる三つの最高官位、通称「三公さんこう」に就任する人材を輩出した名門の生まれ。


 その名門「袁家」の中でも、袁紹えんしょうはとりわけ異端として知られ、その才気は並々ならないものだったと言われている。


 まさに、未来の天下人。


 その歴史を知っているだけに、思わず身震いしてしまう。

 見た限りだと恐らく、年齢は三十に届いているかどうかか。


「今、洛陽の軍は我らの手にあります。私が近衛兵を統括し、この袁紹えんしょうが西園軍を統括。しかし、万全を期すには『情報』が不足しております」


「万全? 情報? あの、何進かしん将軍、一体何を」


「ご心配なく。我らが派遣する者を、後宮へ出入りできるよう、許可と協力を頂けるだけで十分です」


 歴史ではこのあと「十常侍じゅうじょうじの乱」と呼ばれる事件が引き起こされる事になるはずだった。


 一応、見当もつかないみたいな演技はしてみたが、何となく言いたいことは分かる。


 この二人は、宦官勢力の排除を目的として協力している。

 とくに袁紹は、宦官という人間の、そもそもの根絶を願っていたはずだ。


 そうなってくるとこの二人が要求してくるのは、宦官の中でも大きな勢力を持つ「十常侍じゅうじょうじ」と呼ばれる面々の情報。


 つまり俺がやることは、何進や袁紹の息のかかった人間を、後宮へ容易く出入りさせるようにすることだ。



 後宮はそもそも、男子禁制だ。


 こうして何進かしんも一応、出入りは出来ているが、それはあくまで皇太后の兄だからという理由に過ぎない。

 そんな皇太后の兄でも、こんな小さな一室までしか入れないのだ。


 宦官や皇太后に怪しまれず、なおかつ明確な皇族の許可がないと、自由な出入りは出来なかった。


 本来なら俺が直接情報を提供すれば良いんだが、そこまでは信用してないんだろ。


 あと、ガキだからってのもあるんだろうけど。


「でも、後宮への出入りを許可するにしても、理由が必要だろ。特に、俺はお婆様が居ない今、権限は無いに等しい」


「なるほど、話が早くて結構。しかし、理由とは?」


「必要だから呼んだ。そういう理由だな。武術の師範となる様な人を派遣して欲しいと、将軍に相談した、って話なら出入りくらいは許されるのかなーなんて」


「ふむ、なるほど。袁紹えんしょう、適当な人材はいるか? 武術に秀でて、宦官に怪しまれにくく、信頼できる者だ」


「一人居ります。剣術は並ぶもの無く、宦官の出自を持ち、私の親友であり同僚でもある者が」


「それは誰だ?」


「名を『曹操そうそう』と申します。西園八校尉せいえんはちこういの一人です」


 何進かしんは顔を歪めた。


「ヤツか。ただ、アイツの宦官嫌いは有名だ。宦官の者を必要以上に過酷な刑に処して、殴り殺したという話も聞くが、余計に警戒させないか?」


「殴り殺したのは、ケンせきの一族の者です。それに刑の執行も正当なものでした。ケン碩は、宦官の中でもあまり良く思われてなかったですし、心配ないでしょう」


「汚職塗れの宦官と、清廉で過激な曹操そうそうか。不安は残るが、そうする他あるまいな」


「後ほど手配いたします」


 曹操そうそう

 名を聞いた瞬間に、体が震えた。


 まさに、一代の英傑。

 三国志最強の国である「」の基盤を作りあげた天才こそ、曹操そうそうなのだ。



 そして、実質的にこの曹操そうそうが、四百年続いた漢王朝の未来を封じた男になる。



 こうして会える事になろうとは。


 俺は汗ばむ手のひらを、膝で拭った。




・袁紹


 四世三公と呼ばれる、四世代に渡って三公を輩出した名門「袁」家の出身。

 後漢末期に、北方の四州を支配下に治め、最大の勢力を誇った。

 天下分け目の「官渡の戦い」で曹操に敗北。その後、袁紹の病没と共に袁家は衰退の道を歩んだ。


・三公


 行政の最高位にあたる役職。

 「司徒」「司空」「大尉」に分かれ、行政や監察、軍権を担当している。


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