41話
長安行きが決まったからには、色々と荷造りが大変だった。
何より、婆さんの部屋だ。
物が多いことに加え、どれもこれも貴重な品々ばかり。
荷物をまとめ、運ぶにしても、細心の注意が必要になるのだ。
もう、蒼白な顔をして荷物を扱う宦官や宮女達が、可哀想ったらありゃしない。
「んー、俺が兵を持つ時の、資金源になるかもな。大切に保管しとこ。涼州のヤツらに取られたらたまったもんじゃない」
対して俺の部屋はというと、そんなに物は多くない。
中華全土の地図と、砂糖菓子と、皇帝が持つ飾りの様な剣。
そして、曹操から貰っていた木刀。
あとはまぁ、雑貨がちらほら。
正直この部屋ではあんまり過ごしてなかったからな。
あっちこっち歩き回っては、衛兵に喧嘩売ったり、いきなり襲い掛かったり。
ろくな思い出がねぇ。
どうりで董承に嫌われるわけだ。
あ、あと綺麗な宮女のお姉さんを追っかけてみたりもしてた。
ナンパって楽しいね。
しかも、こんなガキの見た目だ。勝率は高い。
ま、相手にされないんだけど。
「長安に行けば、ますます董卓の増長が大きくなり、そしてその死後、混乱は極みに達する。他に打てる手は……」
劉弁の生存。
丁原による兵力収集。
蔡邕の抱き込み。
やはりこれだけではどうも、心もとない。
力こそ全ての涼州軍に対して、どうしても力が足りない。
丁原の兵力は、時間がかかると思って良い。
そうなるとどうしても頼らざるを得ない将軍は、呂布、そして董承。
董卓への忠誠心を考えたなら、この二人を手元に置くのが妥当だ。
特に董承は、史実では献帝の臣下でもある。
あとは、黄巾上がりの白波賊。
ここら辺が、直属の兵力になりえると考えていい。
「……あとは何よりも、賈詡だなぁ。どうにかならんものか」
あの智謀は、どうしても天下を手にかける為に、必要なのだ。
正直、兵力が皆無であろうと、賈詡が一人手に入るなら、何十万の将兵に値する。
「──失礼します」
ふと、物音も無く、思案に暮れていた俺の前面に、一人の宦官が現れる。
肌の色は浅黒く、目の彫りは深い。イケメンさんだ。
眉も髭も無いせいか、うんと若い見た目をしていた。
「汚鼠か」
「はい」
「奥へ来い」
自室の奥、寝室までその宦官を招き入れる。
衛兵の警護が厳重である俺の部屋に忍び込めるなど、この屋敷を熟知した宗越配下の「汚鼠」しかあり得ない。
しかし、呼んでもないのに来るのは初めての様な気がする。
それに最近は董卓の目を避ける為に、滅多な事が無いと接触すらしてこなかった。
「それで、何か用か?」
「これより汚鼠に関する仕事の一切は、私が取り仕切る事となりました故、主君にご報告を」
「お前が? いや、宗越はどうした」
「汚鼠を抜け、単独で動いています」
「わからん。何も聞いてない」
「鼠が一匹巣穴から出た、それだけのことだとお思い下さい。ただ、宗越様は今も任務を遂行している、それだけは間違いありません」
恐らく、劉弁に関する件だろう。
長安遷都の日が近いということは、劉弁が殺される日も近い。
こればかりはもう「李儒」が何者か、それが掴めていない以上、宗越に頼るしかない。
もはや、祈りに近い思いであった。
「分かった、ならば今日からお前が汚鼠を率いろ。俺の為に働け」
「御意」
「名は、何という」
「『翠幻』と、お呼び下さい」
「分かった」
☆
長安へ向かう先行部隊は、董旻の率いる近衛兵となっていた。
そこに劉協を同行させ、長安付近に駐屯させている「張済」の軍と合流させる。
牛輔の軍は、董卓の手足として、まだ洛陽にてやる事があった。
そして連合軍だが、そっちも既に手を打っている。
呂布と胡軫を「陽人」の地へ向かわせ、「虎牢関」を守らせる。
そして、徐栄は袁紹への抑えとする。
わざわざ徐栄を動かしたのは、呂布や胡軫では、謀略に長けた袁紹の抑えには心許なかったからだ。
各戦場の兵站は、李粛に任せておけば安泰だろう。
「賈詡は、手元に置いておきたかったが、難しいか」
地図や報告書の山を見ながら、董卓は難しげに唸る。
袁紹軍の様な大軍と当たるには、どうしても董承の死兵が必要だった。
あれを囮にするだけで、退くも進むも、本軍への被害はぐっと抑えられる。
ただ、更に賈詡まで手元に置いておけば、劉協の監視が疎かになりかねない。
董旻は政争や、勢力争いにおける機微には聡いが、個人の人間を見る事はあまり得意ではなかった。
その点、賈詡は対照的に、人の本質を見る目があまりに鋭い。
それでいて戦術や政務にも明るい。
人事を担わせれば、恐らく天下一の謀臣となる底力を秘めているだろう。
だが、今はまだ若い。
あと十年、牛輔の下で苦汁を舐めてもらおう。
「あと、一手だな。決め手が欠ける」
各地の勢力図を見ながら、董卓は息を吐く。
「李儒」
「はっ」
董卓が名を呼ぶと、痩せた老人が影から姿を現した。
その李儒に一瞥もせず、数多の資料を見ながら董卓は言葉を続ける。
「決め手が欠ける」
「と、申されますと」
「劉協を皇帝にした。それに異議を唱える奴らの、声を抑える一手だ」
「御意」
特に意図も聞かず、李儒はそのまま影に姿を消す。
「必要な手は打った。あとは、天下が転がり込むのを、待つだけだ」
相変わらず無機質な瞳のまま、董卓は地図に書かれた「洛陽」の文字を、黒く塗り潰した。
・白波賊
元々、黄巾党の一派だった賊軍。
勇猛な陽奉がこの賊軍を率い、献帝の洛陽帰還の助けとなった。
この陽奉の下には、名将と名高き徐晃も属している。
・翠幻
先日「活動報告」で、若き宦官の名前を募集しました。
そこで「水源」様が名乗りを挙げて下さった為、PNをもとに名前を付けさせていただきました。
本当にありがとうございます!