31話
「太皇太后の威光もあって足取りは鈍いと思ったが、予想以上に集まったな」
次々と訪れる諸侯の使者を相手にしながら、袁紹は多少の驚きを覚えた。
袁隗の死、相国への昇進、そして劉弁の廃立。
いくら太皇太后の後ろ盾があるとはいえ、董卓はあまりに好き放題やり過ぎた。
諸侯らはそれが許せず、また、袁紹に乗っかり、恩恵を受けようとしている。
誰もが、自分こそが第二の董卓になりたいと、そう思っているのだろう。
「ふん、所詮は欲でしか動かぬ者共め。真に我が国を憂う者は居ないのか」
ふと口に出し、失言だったと後悔した。
幸いにも誰も聞いている者は居なかったらしい。
こういう損得勘定でしか動かない者達は、結局、積極的に戦う事をしない。
戦争とは基本的に「損」をする事と同義であるからだ。
だからこそ、冀州牧の地位を得た。そういった者達に圧力をかける為に。
信念で兵を挙げる者は居ないのか。
本当の意味で戦ってくれるのは、そういった者達だ。
例えば「孫堅」。
あの名将は、戦で大きくなった男だ。
戦いから目を背けることは絶対にしない、そういった信念を抱えている。
例えば「張邈」。
昔馴染みであるこの男の心には、常に道徳的な信念が屹立している。
だからこそ連合を呼びかける声を挙げた。死を覚悟しても、正義を貫く男だ。
そして、最後の一人を、袁紹は待ち続けている。
決して己を曲げる事のない、最たる友人を。
「袁紹様、曹操様が来られました」
「来たか!」
従者の言葉に喜色を浮かべ、袁紹は幕舎を飛び出て曹操の下へ向かった。
「曹孟徳! 我が友よ! よく来てくれた、遅かったではないか」
「少し所用があったのだ、盟主様」
「ははっ、その呼び方はよしてくれ。ところで所用とはなんだ?」
使者ではなく、自身で赴いてくるところも、曹操らしかった。
袁紹はそんな友人の手を取り、共に幕舎の方まで歩いていく。
まるで子供の様に小柄な体躯だが、その気迫はどの武人をも圧倒するものがある。
「兵を五千、集めていた。それも精鋭をだ」
「なに? お前は張邈の下で兵を持たず、客将になったとばかり」
「それは董卓の目を欺く為だ、無駄に動けば目を付けられる。そう言うお前も、行方をくらまし、突如として冀州牧になっている」
「しかし、よく五千も集まったな」
「幸いにも俺は優秀な弟達に恵まれている。彼らに私財を分配し、それぞれに各地で兵を集めさせ、調練を行わせた。俺はその間、張邈の下で書物に明け暮れた」
幕舎へと入り、広がった地形図を眺める。
各地に駒を置き、それぞれが董卓軍と、連合軍を意味していた。
「わざわざ直接会いに来てくれたのだ。まさか挨拶だけが目的ではないだろう?」
「あぁ、作戦を提案しに来たのだ。こういうのは直接意見を交わした方が良い」
曹操は不敵にほほ笑み、地図に目を落とす。
元々、兵法には深く精通している男だ。
袁紹も同じく地図に目を落とし、曹操がどの駒を握るか、手の行方を追っていた。
「今回の戦は、初戦が何よりも大切だ。ここで勝った方が、七割方の勝機を掴む」
「あぁ、だからこそ連合でも最強の軍をまず動かした」
「孫堅軍だな、賢明だ。勢いが違う」
曹操は南にある駒の一つを、ずずいと洛陽へ近づけた。
「ただ、董卓も初戦の重要さは分かっているだろう。ならば、どの軍を当ててくるだろうか。私は、牛輔の軍が出てくると見ているのだが」
「いいや、あの軍は董卓の側で戦ってこそ真価を発揮する。そもそも疑心暗鬼の強い牛輔では、戦術に秀でた孫堅を相手に出来ない」
「じゃあ、誰になる」
「恐らく、徐栄将軍だろうな。董卓の旗下では、最も将器が優れている」
洛陽から駒を一つ掴み、孫堅の駒と対峙させた。
「これで勝った方が、今後の戦の行く末を握る、か」
「いいやまだだ。一戦に全てを託すのは得策じゃない。幸い地の利はこちらにある。ならば、初戦も多いに越したことはない」
「どういうことだ」
「もう一つ軍を動かす」
そういうと曹操は、陳留の地に固まっている駒を、ずずいと洛陽へ近づけた。
これは、張邈の下に集まっている諸侯達の駒であった。
「なっ、奴らは体裁上、集まったに過ぎない者達だぞ? 動くはずがあるまい、仲違いして終わりだ」
「しかし誰もが、得をしたいと思っているはずだ。そこで俺と張邈が、虚報でも良いから、孫堅軍優勢の情報を喧伝した上で、抜け駆けして洛陽へと急行する。そうすれば奴らは嫌でも追ってくるだろう。戦力にはならないが、これで一見すれば大軍が動いたように見える」
「なるほど、確かに奴らが動けば、董卓の感じる圧力は相当であろう。しかし、本当に動かせるか?」
「あぁ、俺なら出来る」
「ならば任せよう。戦もお前に一任する」
書物に明け暮れる日々の中で、あの小僧が単騎で呂布と戦い、彼を馬から落としたと聞いた。
それを聞き、どうしようもなく体が熱くなったのを覚えている。
やってくれたな、と。
戦で生き抜く術を教えたのは自分なのに、それを体現されてしまった。
そんな自分は何をやっているのかと、どうしようもなく恥ずかしくもなった。
そんな小僧も、今や皇帝だ。
笑えて来るくらいおかしな話だった。
ヤツは今、戦いの中で大きくなり、生き抜こうとしている。
ならば自分もそうするしかあるまい。
今度は俺の番だ。
曹操は溢れんばかりの闘志を秘め、剣の柄を握った。
・張邈
陳留太守。曹操、袁紹とは昔なじみの友人。
連合盟主となり驕っている袁紹を注意すると、袁紹に殺されそうになった。
曹操は張邈を庇い「親友を殺せない」といって、袁紹を窘めた。
しかし後に張邈は、いつか曹操が自分を袁紹に売ると不安になり、兗州の乱を起こした。