表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/94

25話


 僅かに、砂利に足を取られながらも、董承は走った。


 劉協が駆け込んだのは、この一室で間違いない。

 董承は扉の前で膝をつき、まずは息を整えた。


「殿下、ここに居られるのでしょう。何故、この董承からお逃げになる」


 返事は、すぐには返ってこない。

 二呼吸おいた後、小さなため息交じりに、あの気だるげな声が聞こえた。


『逃げたのではない。急ぎ、蔡文姫さいぶんき殿をお連れしただけだ。あのような姿で外には居れまい。気も使えんのかお前は』


「それは殿下とて同じこと。ならば声を一つかけてくれればよろしい。それに、別室にお連れしたならばすぐに殿下も部屋から出て、侍女を待つなりした方がよろしいのでは?」


『俺も服が濡れた』


「はぁ……殿下は男でしょう。女々しいことを言われますな。早く、殿下は出てきてくだされ」


 身分がどうこうよりも、今は董卓からの任務を果たす事が優先だ。

 董承は立ち上がり、扉に手をかけた。


 その瞬間だった。



『んっ…ふっ……ッ』



 僅かに漏れる、少女の小さな吐息。

 それはつややかな色を帯び、董承の動きをピタリと止めた。


 思わず頭を抱えたくなる。


 そういえば聞いたことがあった。

 劉協は沐浴の際、侍女にやたらとスキンシップを迫ったりして、少し問題になっていたとか。


 まだ幼少ながら、色に目が無い性格なのだろう。

 だとすればこの一室で何が起きているのか。想像するだけでも頭痛がする。


「殿下、ならば蔡邕様をお連れ致しますので。いい加減にして下さいませ」


『なっ、ちょ、オイ!!』


 扉の向こうから聞こえる慌てた声。


 自分はどうしてこのようなガキの監視を。

 戦場で命を賭けるのとは別の、うんざりとした気分を感じた。


 もう一度殺してしまおうかと思ったが、鈍く痛むひたいが許してくれそうにない。





 ようやく董承が離れた。

 うまく勘違いしてくれたみたいだ。


「あ、あなた、一体なんなの……」


 水で貼りつき、透ける衣服。

 顔は赤く染まり、瞳は僅かに潤んでいる。

 吐息も熱く、艶っぽい。


 てっきり怒られるものだとばかり思ってたが……何でコイツ抵抗しなかったんだ?


 まぁ、好都合だ。全部良しとしよう。

 結果として変に董承も勘違いしてくれたことだし!


「は、はやく、この腕の帯を解きなさいっ」


「ん? 自分で解けるぞそれ」


「え? あ、あれ?」


 この部屋に連れ込んでから、暴れようとした蔡文姫さいぶんきを無理やり押し倒して、両手を帯で縛らせてもらった。

 とはいえ力を入れれば簡単に解けるくらい雑な結びだったが。


 押し倒した後は口を塞ぎ、静かにしろと耳元で囁いた。

 そっからなんだよな、なんか様子がおかしいんだよコイツ。


 抵抗する素振りばっかで、全く力がこもってやしない。

 挙句にはこっちがドキッとするような声を漏らすし。


 別にガキには興味は無いんだぁが……


 ようやく彼女の上から体をどかす。

 するとキョトンとしたまま、腕の帯をするすると解いていった。


「こ、これから私をどうするつもりよっ、このけだもの! 私の心まで奪えると思ったら大間違いなんだから!!」


「さっきからお前は何を言ってるんだ。訳分からん。これだから乳臭いガキは嫌いなんだ」


「は、はぁぁああ!?」


 沸騰するんじゃないかってぐらい顔が赤いな。

 いったん落ち着け。風邪ひくぞ。



「どうしても今日、お前と二人きりになる必要があった。だから、どうかこれまでの非礼を許してくれ」


「……え、な、何なのよ急に。今日は様子がおかしいわよ?」


 蔡文姫の前で膝を折り、頭を下げる。

 こんなことでしか人に頼むことが出来ない身分なのが口惜しい。


 それでも、守りたい人を守るために、手段は選んでいられなかった。


「大事な話なんだ。お前に、この漢王朝の命運がかっている」


 漢王朝の命運。

 それを聞いた瞬間、蔡文姫さいぶんきの表情も、いつものあの冷静で気高い顔に変わった。


「何故、私にそのような大事を託されるのでしょうか、殿下」


「董卓に正面から進言し、許されるのはお前の父上くらいなものだ。そしてその父上を動かせるのは、お前をおいて他にない」


「内容次第では……」


蔡邕さいよう殿だけではない。お前も、蔡家の一族まで危険が及ぶ。だから、この話を父上に打ち明けるか否かは、お前が判断してくれ。所詮、狂人と呼ばれる幼少の王の戯言だと思っても構わん」


「分かりました。謹んでお聞きいたします」


 流石に三国志随一の烈女「蔡文姫さいぶんき」だった。

 微塵も動揺の色を見せることなく、静かに居住まいを正す。


 とにかく一つ一つの所作が、流れるように綺麗で、思わず目を奪われる。

 これでまだ俺の五つ上。十三歳ってんだから驚きだ。


「執金吾を吸収し、皇太后が亡くなった今、董卓が何を考えているか、分かるか?」


「……いえ」


「間違いなく次に、陛下の廃立に動く。そして擁立されるのは、俺だ」


「なっ……しかしそれは、天下が許しません。董丞相は、皇室とは何の所縁もない出自です。そのような決定権はないはず」


「それでもやるのが董卓だ」


「殿下は、父上ならそれを止められると御思いで?」


「無理だろう。董卓には太皇太后の後ろ盾がある。蔡邕さいよう殿にお願いしたいのは、その後だ」


「廃立後、の事でしょうか」


「劉弁陛下を、守って欲しい。きっといつか董卓は、兄の命を奪う。俺を皇位につけるとなれば、対抗勢力が兄を担ぐのは当然だからだ。その時に間違いなく、殺される」


「……それは、でも、殿下の推察の域を出ない話」


「だから、戯言と思ってくれても良い。いつか董卓の魔の手が消えた時、俺は兄に帝位を返すつもりだ。その時まで守れるのは蔡邕さいよう殿をおいて他に居ない」


 蔡文姫さいぶんきは目を閉じる。

 あまりに現実味のない、飛躍した話だ。


 信じてくれるかどうか。それで大きく未来は変わるはず。


 頼む。祈る様に、俺は頭を下げる。


「……あの殿下が、人に頭を下げるのです。分かりました、父上に後日、お話しいたします」


「信じてくれるのか?」


「勘違いしないでください。陛下と、唐姫様の為です」



 離れたところから、荒々し気に砂利を踏む音が聞こえる。

 董承が戻って来たのだろう。


「やっべ……と、とりあえずお前、その変に露出の高い身なりを何とかしろ! 勘違いされたらかなわん!」


「は、はぁああ!? 嫌なのはこっちですけど!」


「声が大きいんだよ馬鹿が!!」



 この後、蔡邕さいようさんの怪しげな目線にずっと晒されて、ほんとに居たたまれなかったです。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ