22話
「これは、何の真似だ」
「親父に贈り物という事らしいが、何か、まずかったか?」
後日、董卓から届いた財宝の数々を全て、呂布は丁原に差し出した。
それを見た丁原の顔は赤く染まり、今にも爆発してしまいそうである。
「虚仮にしおって……こんなもの、受け取れん。全て陛下に返上せよ」
「何故だ親父。董卓殿は言ってたそうだ、和睦をしたからには手を取り合うべきだと。それに、貰えるものは貰っておいた方が良いではないか。これを売れば軍備の足しにもなる」
「お前は何も分かっておらん! 我が軍は、洛陽を守護する執金吾だ。これを受け取ってしまえば、儂も奴と同じ略奪者の仲間入りよ。決して相容れぬのだ」
分かっていないのは親父ではないのか。呂布は思わず、心の中で呟いた。
決して相容れない人間が居る、ということは分かる。その点については全く異論はない。
しかし、財宝を受け取らない意味は分からなかった。
戦いたいなら、兵士に与えればいい。そうすれば士気も高くなる。
どうして返上しなければいけないのか。それも、皇帝なぞに。
一体自分達が、皇帝から何を貰ったというのだ。
董卓に靡いたと見られても良いではないか。
むしろ、敵を油断させるには、一つの策として有効だろう。
「不服か? 奉先」
「はい」
「お前は全て、戦で物を見ようとする。短絡的に見るならそれでも良いが、先を見通さなくてはならん」
「教えてくれ」
「受け取るという事は、奴に『借り』を作るという事だ。いつ、その対価を求められるか分からん。対価を払う事を断りでもすれば、不義はこちらにある。不義の軍に、忠臣は集まらん」
「董卓殿と、何故、敵対なされる」
「奴の志が儂には透けて見えるからだ。自らが皇帝に成らんとしている、それを、決して許す事は出来ん」
「親父、俺には皇帝というものが分からん。どうして、守らなくてはならないのか。俺達が守られたことなど一度もない」
丁原は剣を抜き、財物の山を怒りのままに叩き斬った。
思わず呂布も額に冷や汗を浮かべ、生唾を飲む。
「不敬であるぞ、奉先。陛下は、この国の全てだ。儂らはこの国に生まれ、先祖代々、この国によって生かされている。ならば忠節を尽くすのは、人として当然のことだ」
「……分かりました。財宝は全て、陛下に返上します」
「奉先。他にも、董卓から受け取っているだろう」
「他にも、ですか」
「馬だ。あの駿馬も、返上するのだ」
「それは、いくら何でも、致しかねます」
「奉先! 立場を弁えろ!! あの駿馬は戦の為の馬だ、執金吾は平穏を守る軍。乱世を望むなど、もっての外である!!」
「お、親父っ!」
半ば追い出されるように、呂布は幕舎を後にした。
戦争孤児として、丁原に拾われ、面倒を見てもらい、父子の契りまで結んだ。
受けた恩はあまりに大きく、いくら感謝しても、その思いが尽きる事はない。
ただ、それでも、理想が違い過ぎた。
丁原は頑固で強情だが、平和の人であった。
だからこそ自分には、文官になる様に勧めてくるし、兵は戦う為ではなく平穏の抑止力として用いるべきと考えていた。
しかし、現実はどうだ。既に、乱世は幕を開けている。
戦わなければ、屍となる世の中なのだ。
守るべき平穏は、もう、どこにもない。
戦って、作り出す他ない。
親父は、幻の「平穏」とやらに固執しているのではないか。
そう思い、涙が出る。
俺はどうすればいいのだ。
呂布は赤兎と荒野を、一晩中駆け続け、想いを語った。
赤兎は静かに聞いてくれている。
心が通っていた。それは、呂布と赤兎にだけ分かる感覚。
風も、音も、光も、全てを置き去りにし、二人だけの空間を駆ける。
そうして夜が明け、呂布は赤兎と共に、再び丁原の下へ訪れた。
丁原は、鎧に身を包み、眉間に深い溝を作っている。
また呂布も同じく、軽装に身を包み、丁原の前で膝をついた。
「それがお前の答えか、奉先」
「俺は、赤兎と二人で、呂布奉先だと思い定めました。赤兎を手放す事は、もう出来ません。許せないと仰せなら、俺を追放してくれ」
「お前の中の夢は、幼い頃より、色褪せておらんのか」
「むしろ、一層の鮮やかさを増し、焦がれている。この夢に、生涯を賭けようと、今は思っています」
「お前が乱世を呼ぶのなら、儂はそれを止める義務がある。執金吾としてではなく、父としてだ」
丁原は傍らに置いていた、大鉞を片手で持ち上げる。
昔より、戦場の人であった。
老いてもなお、その力に衰えはない。
「馬に乗れ、奉先。これよりお前を処刑する。相手は、この父が務める」
「なっ……それは」
「一騎打ちだ。勝てば、お前の言い分を認める。好きに生きろ。負ければ、死して土となるだけだ。抱いた乱世の夢と共に」
「俺は、親父を斬ることなど出来ない! 頼む、勘弁してくれ!」
「ならばここで、この馬を叩き斬るぞ」
目の色は、深く黒い。
本気だった。本気で丁原は、呂布を殺そうとしていた。
戦わなければ屍となる世の中こそ、乱世だ。
ここで戦わなければ、呂布の抱く「夢」は、幻と同じになるだけだ。
「馬に乗れ、奉先。お前の言う覚悟がどれほどか、父に見せてみろ」
丁原は呂布に一瞥もくれず、幕舎の外へ出た。
☆
何十合打ち合っただろうか。
丁原は、老いてなお勇将である。
手加減すればこちらが死ぬ。
執金吾の兵は皆言葉を発さず、勝負の行方を見守り、誰もがその悲しい運命に涙を流していた。
誰もが丁原を慕い、また、呂布を慕っていた。二人を憎む者は一人もいない。
二人の行き着く理想が異なり、いずれ最悪の事態が起こるかもしれない事も、予想していた。
勝負は、互角の様に見え、結果は分かり切っていた。
赤兎に跨る呂布は軍神の如く、美しく、しなやかで、あまりに強い。
いくら剛勇たる丁原でも、その神域には、手が届かない。
まるで虎だ。
人間が絶対に敵わない、脅威。
気づけば雨が降り、風も出てきた。
そして、その時は訪れた。
「うぉっ……!」
丁原のくぐもった声と共に、左腕が飛ぶ。
方天戟が血に濡れ、呂布は悲痛に顔を歪ませながら振り向いた。
「……親父、もう、やめてくれ。勝負はついた」
「父も殺せず、何が夢か……いくぞっ」
雄たけびを上げ、真っすぐに駆けだす。
これは、戦だ。相手の死以外に、決着は無い。
呂布は涙を拭い、股を締め上げる。
赤兎が駆け、戟を構えた。
不意に、丁原がバランスを崩した。
片腕を失いながら、馬に乗り、鉞を振るっているのだ。
さらばだ、親父。
丁原の体は血飛沫を上げ、馬上から大きく跳ね上げられる。
これで、勝負は決まった。
「これより執金吾の軍は、俺が指揮する! 張遼!」
「ハッ!」
「全軍の編成を行え。一軍をお前に預ける」
「御意」
「今から董丞相の下へ赴き、その軍閥に加わる。我らは、乱世を駆け抜け、天下を喰らう最強の軍だ。その誇りを忘れるな」
三国志最強と呼ばれた男の飛躍が、ここから始まった。
・赤兎馬
人中の呂布、馬中の赤兎。一日千里を走る。と称された名馬。
呂布の死後は、関羽によって引き継がれたと言われる。