21話
瞬く間に、政権を手中に収めた、地方勢力の田舎将軍。董卓。
自分の政権に対抗する人間は、ことごとく迅速に叩き潰し、勢力を急速に拡大させた。
董卓に意見する文官や武官は牢に押し込められるか、爵位の全てをはく奪。
更には旗下の涼州軍に洛陽内での略奪をたまに許す事で、臣下に恐怖心を植え付ける。
力の使い方を良く分かっている。憎いほどにね。
歯向かう人間には恐怖を。
靡く人間には、寛大な態度と褒章を。
潰す為の力ではなく、取り込むために力を使うのだ。
だけど、みんながみんな靡くわけじゃない。
むしろ一層に、そんな董卓へ敵愾心を募らせる人間も多くいた。
内側と外側に。
賈クは、俺にそう教えてくれる。
例えば内側というのは、丁原を筆頭とした執金吾の軍。
そして外側が、各地を実効支配する群雄達だ。
これから董卓軍は嫌でも、そういった諸侯と戦わなければならない時が来る。
その準備期間が今、という事。
歴史準拠で考えるなら、内側を整理するところから始めるはずだ。
何皇太后の暗殺は、その一手に過ぎない。
「……次に狙われるなら、丁原か、劉弁か」
行動が制限されている今、大きく動く事は出来ない。
動けたとしても、扱える力もない。
どちらを失う事が、最悪か。
今は出来る範囲で。常に最悪を想定しながら、考えを練るしかなかった。
☆
涼州兵の好き放題が、目に余るようになってきた。
民への略奪を度々行い、執金吾の兵に対する軽視も酷くなっている。
やはり先の戦で、董卓を討てなかったのが痛い。
「呂布様、また、奴らの一人二人を殺した方が良いのでは」
最近、将として取り立てた若武者の張遼である。
戦に関して、類稀な才能を持っていた。
「父上に止められている。また、董卓と戦になる」
「奴らの態度は、我慢なりません」
「ならば堂々としていろ。奴らは、強く見える者に手は出さん」
口ではそう言いながら、呂布もそろそろ我慢の限界だった。
確かに先の戦の発端となったのも、自分が涼州兵を数人を打ち殺したことにある。
しかし、それで執金吾の兵を侮る様な涼州兵は減ったのも事実だ。
戦が再び起きても、別に負けるとは思わない。
ただ、丁原の態度は煮え切らなかった。
再び戦になっても、また太皇太后の勅命で和睦を結ばされれば、不利な立場になるのはこっちだ。
勅命が、なんだというのだ。
皇室がどれほどの力を持っているというのか。
そのような命令は無視すればいい。
いくら呂布がそう言ったところで、丁原は機嫌を悪くするだけであった。
「呂布様。客人がいらしています」
「客だと? 俺に?」
洛陽内の見回りを終え、陣営に呂布が戻ると、従者の一人がそう告げる。
自分を訪ねてくる者などいるのだろうか。
呂布は兵を張遼に預けて、幕舎へと急いだ。
「久しいな、奉先」
「おぉ、李粛ではないか!」
呂布に比べればいくらか小柄ではあるが、それでも屈強な戦士の風貌をした男であった。
しかしその穏やかな表情は、喧噪に似つかわしくないほどに朗らかである。
名を李粛。呂布と同郷の幼馴染であり、昔は最も仲の良い友人だった。
「あの『泣き虫』李粛が、今や将軍か」
「あぁ、董卓様に良くしてもらっているんだ。とはいえ、前線で華々しく戦うのではなく、あくまで後方支援が主だがな」
「その方がお前には向いている」
「僕も奉先の様に、戦場を駆けてみたいのだがな」
困ったように李粛は笑った。
「しかし、どうして訪ねてきたのだ? 親父と董卓殿の仲は知ってるだろう。いや、別にお前に会いたくない訳ではないのだ」
「ん? 確かに戦にはなったが、和睦を交わしただろう。だったらそこにはもう遺恨は無い、と董卓様は考えておいでだが」
「まさか」
「本当さ。だからこそ僕が奉先に会いに行くことを許可してくれたし、土産もある」
李粛に手を引かれるままに幕舎を出て、少し歩いた先に、一頭の馬が策に繋いであった。
燃えるような赤き毛並みと、隆々(りゅうりゅう)とした筋肉。
今まで見てきたどの馬よりも大きく、気高く、美しい。
思わず呂布は言葉を失い、見惚れていた。
手を伸ばすと、鼻息を荒くして呂布を睨む。その目つきに痺れる様な快感が走った。
「奉先。この馬は名を『赤兎』という。名馬の中の名馬だが、今まで乗りこなせた者は居ない」
「の、乗ってもいいのか?」
「あぁ、乗りこなせるなら譲ると、董卓様も言っておられた。そして僕は、奉先なら乗りこなせると思ってる。赤兎は、お前の夢にはなくてはならない名馬だ」
首筋に触れる。熱く鼓動する血潮。
筋肉の張りが、呂布の手を弾き返さんとしている。
手綱も何もついていない。きっと嫌がるのだろう。それ程気高いのだ。
呂布は地面を蹴って、ひらりと赤兎に跨った。
「うおっ」
赤兎は激しく抵抗し、呂布を落とさんと暴れまわる。
絶対に落ちるものか。
たてがみを握り、股の内側を締め上げ、赤兎の体にしがみついた。
ここで負ければ一生、赤兎は俺を乗せる事はないだろう。
お前は、俺の馬だ。
共に、戦場で夢を駆けるのだ。
数多の戦場を駆け巡り、天下を叩き潰し、龍を喰らう猛虎となる。
赤兎と共であれば、そんな途方もない夢にもきっと手が届くだろう。
俺と一緒に、駆けてはくれないか?
心の中で何度もそう問いかけながら、股で締め上げ続ける。
すると、赤兎は観念したように落ち着いて、呂布を許した。
「流石だ、奉先。本当に赤兎は誰にも乗りこなせなかったのに、たったの一度で」
「赤兎が俺を許してくれた。もしこいつが本気だったら、俺はとっくに落ちていた」
「約束通りそいつはお前の馬だ。董卓様もまさか、乗りこなされるとは思っていまい。きっと驚くぞ」
「呂布が礼を言っていたと伝えてくれ。感謝の念に堪えないと」
「お前の姿を見て、丁原殿も喜ばれると良いのだが。私も、小さな頃お世話になった」
「さぁ、どうだろうか。親父は、俺が文官になることを望んでいるからな。戦は上手いのに、平穏を望むのだ」
「昔から勤王の心が強い、丁原殿らしいな」
呂布が不満げにそう漏らすと、李粛も合わせて、困ったように微笑んだ。
既に赤兎は落ち着いて、その場の道草を食んでいる。
「董卓様と丁原殿が手を組まれれば、敵は無いのだが。奉先が小さな頃から語ってくれた『夢』を、僕も近くで見てみたいしな」
「龍を喰らう猛虎となる。今もそれは忘れてない」
「きっとなれるさ、お前と赤兎なら。あとは、お前の望む乱世が訪れるかどうか」
呂布と李粛は、曇天を見上げた。
雲の流れが速い。すこし、一雨降りそうだ。
「雨が降る前に、僕は帰るよ。また会おう、奉先。その時は酒でも飲もう」
「あぁ、俺も雨が降る前に、コイツと駆けてみるよ。董卓殿にはよろしく伝えてくれ」
呂布は挨拶もそこそこに、逸る気持ちを抑えきれず、赤兎と共に駆けだした。
まるで子供の様だと、李粛は笑った。
・張遼
呂布に仕え、後に曹操に仕えた名将。
合肥の戦いでは、十万の呉軍に八百の兵で出撃。これを打ち破った。
孫権を討つ一歩手前まで迫る武勇を見せ、大いに恐れられた。
・李粛
董卓に仕えた将軍、呂布とは同郷であり、親しかったとされる。
呂布によって董卓が討たれた際、李粛は呂布に降伏。
その後、牛輔軍を攻めるが大敗。その責任を呂布に問われ、処刑された。