20話
何事かと駆け込んできた複数の宦官に、額の割れた董承は担ぎ上げられて退場。
足元に陶器の破片あるから気を付けてね。
「殿下、こちらは掃除が必要です。少し場所を移動して、お話ししましょう」
「董承は牢に繋いどけ。反逆罪で死刑だ。董卓にも嫌とは言わせないからな」
「私は、殿下の為を考えれば、ヤツは生かしておくべきかと。むしろ、用いるべきでしょう」
こちらには目もくれず、焦点の合わないうつろな眼を宙に泳がせ、賈クはボソボソと呟く。
天下の謀士たる賈クも、今は牛輔将軍の参謀の一人に過ぎない。
ただ、この底知れない人間の深みが、その大器の片鱗をうっすらと覗かせている様に思う。
「俺の為を考えてだぁ? 俺を殺そうとしたんだぞ、アイツ」
「かつて、斉の名宰相である管仲は、桓公を暗殺しようとして失敗しますが、桓公は後に彼を用いる事で春秋の覇者となりました」
「董承が、管仲に並ぶってか?」
「いえいえ、足元にも及ばぬでしょう。彼は良くも悪くも『命知らず』な男に過ぎません。長い間、死地に身を置き過ぎました。ですが軍人の中では唯一、董卓様に忠誠を誓っていない男でもあります。まぁ、言い換えれば、誰にも忠誠を誓わぬ男ですが」
僅かに口角を上げ、鼻で笑う。
これは、誰を馬鹿にした笑いなんだろうか。
「だから味方に付けれると」
「殿下が御身を大切に思われるならば、用いてみる価値はあります。痛い目にあったのですから、もう無理に俸禄は求めますまい。出世払い、とすれば納得しましょう」
「俺は、むしろお前のことを管仲の様に思っている。劉邦に従った張良にも勝る、と」
「殿下はよく歴史を学んでいらっしゃいますな」
少し歩いた先の別室。扉を開く。
鯉の泳ぐ小さな庭が良く見える、狭い部屋だった。
ただ、子供一人、大人一人が座る分には問題ない広さだ。
「董卓ではなく、俺の力になって欲しい。今は無理だが、俺が実権を持ったなら、俺の持つ所領や財産の半分をお前に与える。たとえ俺が皇帝になっても、だ」
「……買い被り過ぎです、それでは主従が同格でしょう。それに、私も人に忠誠を誓える人間ではない」
「どういうことだ」
「董承とは逆なのです。私は、自分の命が惜しい。だから、信じるのは己のみ。誰にも心服致しません。こうして殿下に助言するのと同じく、私は董卓様にも助言しますよ。保身の為に」
誰にも忠誠を誓わない。だからこそ、董卓はこの二人をよこしたのか。
どこまでも狡猾で、上手いやり方だ。
董卓に忠誠を誓う人間なら、危険はあるが、その忠誠の方向を変えることも出来る。
でも、ゼロはどうやったってゼロだ。これはどうしようもない。
ちなみに石田三成が、島左近を口説いた台詞を引用しました。
「いや、それで十分さ。董卓と同じだけ、俺に協力してくれるんだろ? つまり、アンタの中では俺と董卓の価値は同等ってことだ。実権も無いガキ相手に、破格の評価だね」
「さぁ、どうでしょうか」
「そんで俺がアイツを倒せば、お前は俺のもんだ。違うか?」
再び鼻で笑い、賈クは居眠りでもするように目を閉じる。
相変わらず表情の読めない人だ。
「……ぐぅ」
ん?
いや、ほんとに寝たぞコイツ!?
目の下にクマがすげぇあるなーとか思ってたけど、なんで今寝た?
揺さぶる。頬をペチペチ。
疲れてるのかしらん? 眉間にデコピンしてみる。
「イッ……」
「おい、寝てたぞ」
「あ、えっと、殿下に賈クが拝謁いたしま」
「それ聞いた」
こんな調子じゃ、込み入った話も出来やしない。
え、マジであの名参謀「賈ク」だよな? 同姓同名の別人とかヤだよ?
「申し訳ありません。何ぶん、多忙でして、眠れておりませんでしたので」
「多忙って、普段は何してるんだっけ?」
「牛輔将軍の軍師と補佐を。正直それだけで手一杯なのですが、そこに、殿下の側近が加えられたのです」
そういえば、牛輔将軍って、すごく癖のある人だと聞いている。
董卓の娘婿として重用されてる人だけど、性格は極めて臆病。
占いで吉凶を判断して、吉が出ないと決して訪問者に会わない。
常に処刑台の近くに居て、自分の権威をアピールしていないと落ち着かない。
しかも牛輔将軍は、董卓軍の精鋭の指揮権を担っており、その精鋭達の気性が荒いのなんの。
李傕や郭汜を始めとした、まさに暴虐の塊の様な将兵を山と抱えているし。董承もその一人。
そりゃあ、苦労もするわ。
「そういや、俺の側近としての仕事の内容って? どんなことするの? 出来れば休んでも良いんだが、そんなに疲れてるくらいなら」
「変な事をしないかの見張りと、質問に出来る限りお答えする、この二点です。董承はどちらかというと、殿下の身辺の警護が主でしょう」
なるほど、賈クは精神的に、董承は身体的に、俺を監視するのが目的か?
しかし、どうして急に。こんなに多忙な賈クまで割いて。
俺の行動を封じたところで、そもそも実権が無いからあまり意味はない。
婆さんを握ってさえいれば、俺は何もできないからな。
「殿下の心中の疑問に、お答えしましょうか?」
「……鋭いな」
「大事な時期だからです。色々な情勢が複雑に動き始め、董卓様は地盤を固めなければいけない時に来ている」
「複雑に? もっと、分かりやすく教えてくれ」
「敵は丁原だけでしょうか? 外にも目を向けなければなりません」
賈クは不敵にほほ笑む。
背筋に冷たいものが走った。そんな気がした。
恐らく、理由はいくつもあるのだ。
だからこそ、変な事をして計画を乱されたくない、というのが董卓の真意か。
「まぁ、あまり動かれぬことですな。漢王朝は、殿下次第なところがありますので。耐えがたきを耐えるのも、務めです。私は董卓様の臣下ですが、漢王朝の臣下たる思いもありますので、敢えて申し上げます」
「いや、でも、売られた喧嘩は買うぞ? これだけはどうしても無理だ、勝手に手が出る」
そう、げんなりとした顔をしないでくれよ。
まるで俺が厄介者みたいじゃないか!
「ハァ……苦労が、増えるばかり」
ごめんて。
・管仲
春秋戦国時代、斉の桓公に仕えた名宰相。
かつては桓公と王位争いをしていた別の主に仕え、桓公の暗殺まで実行している。
宰相になった後は富国強兵の政策に努め、桓公を戦国の覇者に成らしめた。
・張良
漢王朝を築いた高祖「劉邦」に仕えた名参謀。軍師。
始皇帝の巡業中に、彼の暗殺を決行するも失敗。各地を放浪して逃げ続ける。
後に劉邦に仕え、その覇業に無くてはならない存在として、劉邦を大いに助けた。