19話
「急に、どうしたんだよ」
後宮の代わりとなっている張譲の元屋敷の前に、数十騎の兵らが止まったのは今朝の事。
何事だろうと思っていると、董卓が俺への面会を申し出に来たらしい。
「おぉ、殿下。怪我の具合はどうですかな?」
「別に、大したことない。それよりも婆さんに、俺が馬に乗る許可を貰って来てくれ。毎日棒切れを振ってたんじゃ退屈だ」
「皆、殿下の御身を思っての事です。お気持ちは分かりますがな、戦は軍人の役目ですぞ」
まるで戦にでも行くのだろうかというような重厚な鎧を着て、大刀まで腰に下げている。
普通は取り上げられるもんなんだが、丁原の目が離れたことで、強権的な行動が増えてるように思う。
つまり、調子乗ってるってこと。
「それで、用事があるんだろ?」
俺は腰掛にどかりと座り、近くの文机に足を乗せた。
これが張譲であったら、俺の態度を見ながら血管をこれでもかと浮かせて来るんだが。
ふーむ、どうにも董卓は食えない男だ。変わらず大らかに、ニコニコと笑顔を浮かべている。
「殿下の側近となるべき人物を、選んできました故にご紹介を、と」
「側近? 聞いてないが」
「急な事でしたので。しかし、殿下は先の戦で呂布相手に単騎で向かって行かれる御気性。それは兵士の蛮勇であり、王たる殿下の役目ではありません。故に、側近をと」
「まーた婆さんの差し金か? 勘弁してくれ。監視役は宦官にもたくさん居るのに、まだ増えるんか」
「汚い鼠が、殿下の側を嗅ぎまわっておられるようですし、用心も兼ねてで御座います」
「……っ」
どこまで気づいているのだろうか。
ただ、俺が間者を用いて、色々嗅ぎまわっているのはバレてるらしい。
そういうことか。だから、自分の息が掛かった者を傍に付けて、俺の行動を制限したい、と。
え、殺されないよね? 大丈夫だよね?
「では私はこれで失礼します。後ほどその者達が殿下を訪ねますので、詳しくは彼らに」
「お、おう」
「お体をご自愛くださいませ」
っぶねー、殺されずに済んだらしい。怖かったぁ。
☆
現れたのは、如何にも不健康そうに、眼の下にクマをつくっている細身の大人が一人。
そして、目を溌溂とさせ、全身に傷跡の刻まれた筋肉質なおじさんが一人。
見れば見る程、対照的な二人である。
「ハァ……殿下に、賈ク(かく)が拝謁いたします」
「殿下に、董承が拝謁いたします!」
温度差がすごいな。
いや、しかし、大物が一気に現れたことに、ひどく興奮してます。
董承といえば献帝の忠臣であり、後に娘を側室にやる事で外戚にまで上り詰めた軍人だ。
ただ、どうにかして実権を曹操から奪い返す為に色々と企んだせいで、娘共々処刑されるんだけどね。
そして何よりも、この不健康そうな方。こいつの登場を俺はずっと待っていたと言っても良い。
己が智謀一つで幾人もの君主を渡り、曹操を殺す一歩手前まで迫る策を編み、後にその曹操の参謀となる男。
この乱世でちゃんと寿命を全うした稀有な人物で、三国志随一の頭脳を誇る。
戦い、勝ち続けなければ、天下になんて手は届かない。
喉から手が出るほど、味方になって欲しい人材だ。
よぉうし、董卓め。俺の監視か何かは知らないが、これはチャンスだ。
二人は確実に俺の味方にしないとな。
人間は先ず何より、第一印象が大事だ。
友好的にニコニコと、明るく振る舞ってみよう!
「えっと、うん、顔を上げてくれ。これから長い付き合いになるだろうし、よろしくね!」
「ふーむ」
曇りない目で俺を見据え、感心気に頷くのは、董承だ。
賈クはそんな隣人を迷惑そうに眺め、眉をしかめている。
「殿下が、あの、呂布と一騎打ちをした命知らずの」
「まぁ、なんて周りから言われてるかは知らないけど、それで合ってる」
「なるほどなるほど。確かに、御歳もまだ八歳であらせられるとか。相当な胆力でございますなぁ」
「え? そうか? へへっ」
なんだか真正面から褒められると嬉しいもんだな。
ほら、曹操とかいう野郎は、俺が王族でまだ子供だってのに全く容赦しなかったからさ。
ちょっとはちやほやされたいお年頃。
呂布と一騎打ちして、結構持ち上げられたりするのかなー、なんて思ってたけど、現実は普通にヤバイ奴みたいなレッテル貼られただけっていう。悲しいな。
「さて、では殿下は、この董承を召し抱えるにいかほどの俸禄をご用意ですかな?」
「え? 俸禄?」
給料とか地位とか、そういうあれの事か?
「左様。これより殿下にお仕え致すのですから、相応のものを用意していただかねば」
「董卓からそういうの貰ってるんじゃないの?」
「いただいております。故に今は董卓様の家臣。されど俸禄次第では、殿下にお仕え致しますぞ」
コイツ、なんて太い野郎だ。
聞くところによると確か、身分は軍の部隊長だとか。
しかも「死兵」と呼ばれる、最初から死ぬために動かされる奴隷部隊の隊長らしい。
最初、その詳細聞いた時マジかと思ったよ。
だってさ、後々、国の重臣になるんだよ? それが奴隷まがいの、切り捨て要員だったとは。
しかも、死兵を率いてるくせに必ず生き残るらしい。タフネス。
驚いたことに、そんな身分であるにもかかわらず、今まさに俺と董卓を天秤にかけてやがる。
宗越と同じく報酬主義の人間らしい。
だが、宗越よりももっと、忠義や保身に関しての興味が薄い。
そして、宗越以上に、報酬に固執しているタイプ。
サイコ野郎だ。
利益の為なら人を殺す事も躊躇無い、って目をしてるもん。
「いや、実権が無いのに、俸禄とかは無理だ。董卓から俺の側近として派遣されたんだろ? だったらその仕事をこなしてくれるだけでいい」
「なるほど。では、話は早いですな」
「へ?」
董承は懐から短刀を抜き、俺に向かって真っすぐに飛び掛かってくる。
ほとんど反射に近かった。
俺は倒れこむように床を転がり、刃を寸での所で躱す。
ただ、それでも董承はまた、あの曇り無き眼で短刀を振るう。
体勢は最悪。これは躱せない。それを覚悟した瞬間である。
「そこまでだ、董承」
「何故、止めるのですか? 賈ク様」
同じように短刀を抜き、董承の刃は賈クのそれとかち合った。
それでも切っ先はカチカチと震えている。董承は力を全く緩めていないらしい。
俺はそのまま這いずって二人から距離を取る。
「董卓様より仰せつかったのは、殿下の『側仕え』だ。命令を違えるな」
「されど、出世も望めないガキのお守をしていては、時間の無駄かと。それに陳留王は好きに動き過ぎました、芽は早く摘むべきでしょう。董卓様の真意もそこにあるのでは?」
「勝手に主君の心中を推し量るべきでは無いな。身分を弁えろ」
「このままでは、いずれ私は死ぬのでね。最短で駆け上がらねばならないのですよ、軍師殿」
何を話してるか知らねぇが、俺を全く無視してるってのは分かった。
俺は都合の良い飾りでも、ましてやボンボンのお子様ってわけでもねぇ。
上等じゃねぇか畜生。舐めるなよ。
売られた喧嘩は、必ず買うんだよ、俺は。
「──死ねやぁあ! このサイコ野郎がよおおぉぉ!?」
近くに置いてある、花の活けてある陶器を手に持って、董承の額に至近距離で投げつけた。
陶器は砕け、水が弾け、董承はその勢いで後方にぶっ倒れる。
額からは血が溢れ、沢山の花が悲しく赤に濡れた。
あれ、死んだか? これ。
勢いあまって相当重たい花瓶を投げつけたんだけど、今考えれば、これは普通に人が死ぬヤツだ。
でもさ、俺も殺されそうになったし。これでイーブンでしょ。
「うっ……ぐ」
頭を抑え、董承は上半身だけをかろうじて起き上がらせる。
額の肉はパックリと開いていて、あまりに痛々しい。
おいおいマジかよ。タフすぎる。
「ま、まだ来るか? 先に喧嘩吹っ掛けてきたのはそっちだからな。生憎、俺はタイマンの喧嘩で負けたことはねぇんだよ」
「噂以上の……狂人、で……」
溌溂としていた黒目が、ぐるりと上を向き、白目に変身。
バッシャァンと、董承はその厚い体を投げだして、意識を失った。
「ハァ……面倒なことになりましたね」
賈クが心底、面倒そうに大きな溜息をかます。
どうやら董承は気を失っているだけで、傷も比較浅いんだとか。
そういや「死兵」として、戦場をいくつも駆け巡って来た奴だったな。
あれ? 味方作ろうとしただけなのに、どうしてこんなことになってんだろ、俺。
・賈ク(かく)
董卓、李カク、段煨、張繍、曹操と主君を転々と変えた謀士。
張繍の下に居た頃、曹操への反乱を計画し、あと一歩で討ち取る所まで迫った。
その後は曹操の参謀として智謀を発揮。後に曹丕から三公に任じられた。
・董承
董太后の親族であったと言われるが、定かではない。娘は献帝の側室である董貴妃。
李カクらから逃げ出す際に献帝に付き従い、無事に洛陽への帰還を果たす。
その後、曹操に献帝は保護されるが、曹操の専横を憎んで反乱を企てた為に一族諸共処刑された。