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17話


 丁原の頑固さは折り紙付きだな。

 確かに何の考えも無しに、呂布と一騎討ちなんかするんじゃなかった。


 冷静になりゃ分かるんだよ。

 別に自殺志願者なんかじゃないんだから、思い出すだけで震えるわ。


「これ以上、丁原殿と交渉をしても疑いは深まるばかりだと」


「うーん」


 宗越の報告を聞きながら、空っぽの脳みそを何とかひねってみる。

 ただ、これはもうどうしようもない。


 史実からして、呂布が裏切りますよー、なんて絶対に信じないだろう。

 精々、身の回りに気をつけて、と注意するだけ。


「仕方ない。本人が大丈夫だと言ったんだ、それを信じよう」


 董卓の弱体化には、丁原との争いを長期化させる必要がある。

 そうやって二人を弱体化させ、機を見て実権を皇帝の名の下に取り戻す。


 ただ、董卓も馬鹿じゃない。迅速に政権の安定化を図っている。


 こうなれば少し方針を変更するべきかもしれない。

 徳川家康作戦だ。


 とにかく耐える。待つ。生きる。それだけ。

 問題はあの、董卓が相手だという事。


「もう、丁原の方は良い。陛下の身の安全の確保を頼む。それを第一にしてほしい」


「御意」


 奥の影に宗越の姿が消え、大きく溜息を一つ。


 ガキ故に警戒されないけど、ガキ故に実権は皆無だ。

 あの源義経でさえ、確か戦場に出たのは二十歳くらいだったか。


 今は何とか凌いで、生きて、根を張るしかないだろう。





 とりあえずの戦勝祝いという事で、俺は劉弁に呼び出されていた。

 勝ってないけどね。生きて帰れてよかったね会、みたいな。


 頬の傷はまだ癒えておらず、大きなかさぶたが残ってる。

 医者が言うには、痕が一生残るだろうとな。


 肩や腕には包帯が巻かれてて、痣もあちらこちらに。

 寝返りうてないんだよコレ。


 勿論、婆さんには死ぬ程心配された挙句、馬も剣も奪われた。

 パチンコもない世界で、やることも無い。筋トレでもしようかと思ったけど、怪我で無理。


 そんな中でのお誘いは、なんだかとても嬉しいね。


 はてさて、何を食べられるのかな?

 博多のとんこつラーメンが恋しすぎる。


「本当に、本当に、無事で何よりだ、協」


 眉を八の字に曲げた笑顔で駆け寄ってきたのは、皇帝「劉弁」であった。


 まだ客間じゃない。

 部屋を飛び出し迎えてくれる辺りに、その優しさを感じる。


「今日は、皇太后の看護は良かったのか?」


「最近の母上は落ち着いているから、少し安心しているところだ。それよりも、お前だ。怪我は大丈夫か?」


「派手に転んだみたいなものだよ。別に手が使えない訳じゃないし、すぐに治る」


「それは良かった。不幸中の幸いだ」


 劉弁に手を取られて、俺は客間に通された。


 聞こえるのは心を溶かす様な、心地良い琴の音色と、甘い香。

 部屋に居たのは二人の女性。一人は琴を奏で、一人はしとやかに座っている。


 座っている方の女性は知っている顔だ。

 名は唐姫とうき。すらりと細く長く、柔和にゅうわな笑顔に微かな光がにじんでいる様に見える。

 目を見張る様な、ハッとした美人というわけではないが、いつまでも傍に寄り添って欲しいと思える女性である。

 生まれも家柄も申し分ない、劉弁の妻であった。劉弁が成人すればきっと、彼女が皇后になるのだろう。


 そしてもう一人。琴を弾く少女は、見知らぬ顔だ。

 気の強そうな面持ちをしているが、琴線を弾く指はしなやかで柔らかい。

 歳は俺と同じくらいだろうか? 背丈が低いのが特徴的だ。


 彼女達はどうやら友人の関係らしい。


「あ」


 突然、プツンと琴線が千切れた。

 少女は不快に鼻息を漏らし、こちらへ顔を向ける。


「血の臭いのする、野蛮な人が来たせいで音が途切れてしまいましたわ」


「あん?」


 明らかに俺への嫌みだった。

 喧嘩を売られたら買うのが俺のルールだ。その不快そうな少女の瞳を真っすぐに睨み返す。


 自慢じゃないが、俺は普通に老人でも女でも子供でも殴るタイプだよ?


蔡琰さいえん、殿下に不敬ですよ」


「軍人は嫌いです」


「はぁ……申し訳ございません、殿下、陛下」


 代わりに頭を下げたのは唐姫とうきだった。

 なんだあのガキはマジで……蔡琰さいえん、聞いたことあるな、えっと。


「あ、蔡文姫さいぶんきか」


 三国志を代表する才女だ。それが、この少女。


 波乱な人生で不遇に喘ぎながらも、父の記した膨大な歴史書の復元を、己が記憶力のみで成し遂げた天才。

 もっと落ち着きのある淑女しゅくじょかと思ったが、負けん気溢れるガールじゃないか。

 嫌いだわー。


 学校のクラス委員長とかを思い出すね。

 もっとちゃんと掃除しなさいよ! 真面目に歌いなさい! とか。ほんとにうるせぇんだよアレが。


「チッ、これだからガキは苦手なんだ。おまけに優等生か、反吐が出るね」


「はぁああ!? 貴方みたいな子供に言われたくないですぅ! 私だって貴方みたいに知性の欠片もない、野蛮な男なんて願い下げよ!」


「んだとガキが、あぁ?」


「ガキって言うなガキ!!」


「二人とも、止めなさい」


 静かに、にこやかに、間に入るのは劉弁だった。

 有無を言わせない圧力に、思わず気圧されてしまう。


 あ、これ怒ってんな。


蔡琰さいえん。身分を弁えなさい、彼は朕の弟で、王族です。貴方は重臣の娘に過ぎません」


「も、申し訳ございません」


「協もです。蔡琰さいえんは貴方の五つ年上ですよ? それに、言葉遣いも頂けない。王族としての振る舞いを意識しなさい」


「え、あ、はい」


 いつもこれぐらいの覇気でいれば、董卓にも対抗できるんじゃね?

 なんて思ったのは内緒である。





 強すぎる野心と、目を見張る美貌で、下賤な身分から一気に皇后の地位まで上り詰めた女性が居た。

 皇帝を産み、今は皇太后と呼ばれている。


 宦官の権力も手中にし、軍権も兄が握り、政争相手も追い出した。

 愛する息子の為に、盤石の権力体制を築きあげたはずだったが、それは一夜にして全て崩壊してしまった。


「私が、弁を守らなければ……」


 一気に老いて、かつての美貌は見る影もない。

 それでも、その野心と愛情だけは、未だに内側で煌々と燃え続けている。


「皇太后様に拝謁いたします」


「……誰だ」


「新しく担当させていただく事となりました従医の者です。前任の者は、先の戦に不安を抱いた為に逃げ出したものと」


「戦だと? 聞いておらんが」


「こ、これは申し訳ございませんっ」


 気弱そうな細身の老人は、慌ててその場に額を付ける。


 恐らく劉弁が口止めをしていたのだろう。

 自分の容体を推し量って、あまり過激な情報を耳に入れない様にと。


「別に良い。最近は調子が良いのだ。それに、これ以上あの死にぞこないの老婆を好きにさせておれん」


「なるほど、確かに顔色もよろしい。おめでとうございます」


「だが夜になると、たまに孤独が恐ろしくなる。寝付きも悪い。食事は徐々に、喉を通る様にはなったのだが」


「あまり一人で思い詰めない事です。夜は風や雨の音に心を傾け、無心に呼吸のみを意識して下さいませ」


 話を聞きながら薬草を調合し、老人はゴリゴリと漢方を擦り合わせる。

 非常に落ち着いた、柔らかな声色だった。


「こちらは眠気を誘う薬です。湯と共に、心が落ち着かぬ時にお飲みくださいませ」


「ふむ、分かった。そう言えばそなたの名を聞いていなかったな」


 老人は一礼し、ゆっくりと顔を上げる。


李儒りじゅ、と申します」


 そう言って、静かに寝室を後にした。



唐姫とうき


 劉弁の正室。即位期間が短かった為、皇后にはなっていない。

 董卓によって劉弁が殺される際、共に酒を交わし、その最後を見送った。

 劉弁の死後は決して誰にも嫁がず、李傕から妻になる事を強要されても、頑なに拒んだ。



蔡琰さいえん


 父は漢の重臣で歴史家でもある蔡ヨウ。弁舌巧みで知性に溢れ、音律に通じた才女。

 董卓の乱によって残党が長安を襲うと異民族の匈奴に誘拐され、十二年も暮らし二人の子をもうけた。

 その後、曹操によって洛陽へ戻され、失われた父の四百余りの蔵書を記憶力のみで完璧に復元させた。


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