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15話


 婆さんと董卓に無茶なわがままを言っておいて良かったな。

 まさかこんなにすぐ乗馬の機会が巡って来るとは。


「殿下には練習用に、極めて大人しい老馬を預けたはずでしたが。完全に舐められておいでですな」


「へ?」


 困った顔をして、俺の倍はあろうかというデカ馬に乗る董卓。

 まっすぐ前を見つめて、何とも雄々しい名馬だ。キタサンブラック。


 対して俺が乗る老馬は、あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 たまに道草をもさもさと食べ、足取りが遅々として進まない。


 後続の護衛兵に促されてようやく前へ、仕方なくカポカポ。


「馬も人も同じです。心を通わせて初めて、騎兵が生まれるのです。されど殿下の馬は、まるで殿下の事を無視しておられる」


「なんだとこんにゃろう! 毎日世話してやってんのに!」


「あぁ、それは駄目だ」


 董卓が声を出すと同時に、俺は老馬から振り落とされる。

 高い位置から、老馬が意地悪気に笑った気がした。


 ただ、そこで黒馬が大きく鼻息を漏らした途端に、老馬は急にシュンとしぼんだ。


「殿下、お乗りください。少し叱りつけましたので」


「お、おう」


「しかし殿下もいけない。馬とて心はあるのです。それにこやつは老馬で、殿下はまだ子供です。世話してやってる、という姿勢が駄目だ」


「黙って俺に従えないもんかね」


「殿下は、馬に向いてないのかもしれませんなぁ」





 俺は今回の戦のお飾り、ただの旗印として董卓軍に担ぎ上げられていた。

 実権が無くとも、まだその血の使い道はある。董卓はそれをよく分かってるらしい。


 現に、丁原側に付いた諸将の大半は、自分から積極的に戦を仕掛けようとはしていない。

 董卓の攻勢に対応するなら口実も出来るが、自分から攻めかかれば「逆賊」の名を免れ得ない。


 蛮勇ではない。どこまでも狡猾で合理的。

 だからこそあの袁紹でさえも、逃げ出したのだ。


 歴史は起こるべくして起きた。

 後世において「暴君」と言われ続ける董卓を見てると、そう思わざるを得ない。


 なぜ彼が暴君たり得たのか。

 俺が掴まなければならないのは、そこだった。


「では殿下、我が涼州軍の実力を、とくとご覧下され」


 丁原軍、総勢八千。そのうちの主力が、丁原直下の二千。

 董卓軍、総勢一万。そのうちの主力が、涼州騎馬軍の三千。


 まさに映画の中に居る様だ。

 押し潰されるような緊迫感と、圧倒的な重圧。

 呼吸するのも難しいくらい、殺気が荒野に溢れている。


 董卓が腕を上げた。

 鳴り響く太鼓と銅鑼。

 馬蹄と怒号で地は震え、空気は張り裂けんばかりに轟く。


 丁原軍も同時に動き出す。

 両者が選んだ戦法は、正面衝突だった。


「──さぁ、喰い荒らせ」


 背筋が凍るような呟き。

 血に飢えた獣の様に、董卓の目は異様に強い光を放っていた。


 馬と人間が衝突し、骨の砕ける音と断末魔が響く。

 不思議と、俺の血が熱を帯び、高揚していくのが分かる。


 これが、乱世の光景。

 力が全ての、狂った世界。


 最高だ。


 俺みたいな馬鹿には分かり易い。負ければ終わりの、そんな世界。



 最初の衝突で大きく敵軍を押し込んだのは、涼州軍であった。

 いや、押し込んだ、というのは生ぬるいのかもしれない。


 この一撃で勝敗は既に決していた。


 徐栄じょえい将軍の指揮する先鋒の騎馬隊は敵の正面を大きく食い破り、丁原の居る本陣、喉元に容易く喰らい付こうとしていた。


 これに合わせて、近衛兵の歩兵部隊を率いる牛輔ぎゅうほ将軍は声を上げ、進軍を開始。

 「徐」の旗が靡く騎馬隊の後方に、近衛歩兵がどっと殺到する。


「さぁ殿下、逆賊の首を見に行きましょう」


 ここまで陣が崩壊してしまっては、立て直しは不可能と言って良い。

 既に勝利を確信した董卓は大きく笑いながら、ゆるゆると馬を進めた。


 ただ、俺は覚えている。


 三国志最強の、あの男の姿を。


 ──呂布りょふ奉先ほうせん


 必ず出てくる。

 さぁ、来い。見せてくれ。


 この狂った世界を圧倒する、その名を聞かせてくれ。


 俺は息を飲んだ。

 僅かに「徐」の旗が揺らいだ気がした。


「ん……徐栄じょえいはなにをしている」


「か、確認して参ります!」


 近くの兵が慌てて馬を走らせる。


 遠目で見ても分かるが、明らかに先鋒の勢いが鈍っていた。

 あれほどの勢いがあったのに、どうにも本陣を攻め切れていない。


 徐栄じょえい将軍と言えば、董卓軍の中でも有数の猛将である。こんな下手をうつとは考えづらい。


「董卓様、申し上げます。丁原は方陣を敷いて防戦に全力を注いでいるとのこと。しかし、時間の問題であるとの報告が先鋒より届いております」


「ふん、丁原め。無駄に足掻きおるわ。磨り潰せ」


 その瞬間であった。

 小さな戸惑いが視界の端で生まれ、それがやがて怒号へ、そして混乱へと広がっていく。


 右端。そこは近衛兵が薄く待機し、俺らの本陣を包んでいる場所だ。

 董卓のこめかみがピクリと動いた。


 敵影もない場所で、何故か血飛沫が上がる。


「報告! 報告! 右翼より敵襲に御座います! 殿下と董卓様はお退き下さい!」


「丁原は目の前だ、それに右翼に敵影は見えぬではないか」


「敵は、一騎です! たったの一騎で、本陣へ向かってきております!」


「馬鹿な。そいつは誰だ」


「あれは間違いなく、呂布りょふに御座います!!」


 全身に鳥肌が立ち、歓喜に打ち震える。

 股下の老馬は殺気の迫るこの空気に怯えていた。


 ももをぐっと締める。

 怯えるな。前を向け。逃げるなよ。


「我らが」


 董卓の側に居た数十騎の若い武者が、血飛沫の跳ね上がる戦地へと突撃を開始。

 そして、ついに見えた。


 あれが、呂布だ。


 ゲームなんかで見る、無茶苦茶な猛将という感じはしない。

 まるで海を泳ぐ魚の様だと、そう錯覚してしまう。美しいとさえ思ってしまう。

 人の波に逆らい、すれ違う敵兵を撫でる様に切り伏せていた。


 突撃した騎兵もまた、同じであった。

 大勢の兵士と何ら変わらない。一瞬にしてすり抜け、しかばねが重なる。


「殿下、我らは退きましょうや」


「董丞相でも、呂布は無理か?」


「ふん、身分が違います。敵の勝機を効率的に、僅かでも潰すのが戦です。ここは牛輔ぎゅうほに任せましょう」


 心底面倒そうな顔で董卓は馬首を返す。

 本当に怖くはないらしい、流石に百戦百勝の常勝将軍と言われてきた生え抜きの軍人だった。


 戦は、勝つ事が全てだ。

 呂布りょふの様な狂人を相手にする理由は一つも無い。


 だから今から俺がすることには、何の意味も得もない、愚かな蛮行だ。

 でも、狂ってるなんて、今に始まったことじゃねぇ。


「なっ、殿下!?」


 俺は剣を抜き、その腹で老馬の尻を叩いた。

 その皮膚は薄く切れ、馬は驚きのあまり、暴れる様に駆け出す。


 全力で股を締めて暴走を制御し、手綱で無理やり正面を向かせた。


「そのままだ、そのまま走れ! ほら見てみろ、今、万を越える注目を俺らで独り占めだぞ! 奴らを全員、あっと言わせてやろう。俺達で主役を喰うぞ!!」


 いつの間にか、股下の震えが止まっていた。

 老いを感じさせない力強い馬蹄は、土を高く蹴り上げる。


 あと少し。十メートル、五メートル───


「小僧!!」


 迫る。呂布りょふ方天戟ほうてんげき


 その瞬間に俺は体重の全てを乗せて、老馬を引き倒し、胴を地面に削りながら、呂布りょふの馬の足を斬った。


 投げ落とされる呂布りょふ

 再び、老馬を起き上がらせる。

 俺の頬と肩からは肉が見え、血が溢れているが、今は別に気にならなかった。


「最強の男の、首を取る!」


 駆ける。

 ただ、呂布りょふの方が早かった。


 俺らが立ち上がり再び駆けだす間に、呂布りょふは近くの涼州兵から馬を奪い、包囲から抜け出していた。


 そして俺は瞬く間に近衛兵達に身柄を拘束され、董卓の前に引き出される。


「退きます、殿下」


「任せる」


「この戦の間、身柄を拘束させてもらいます。勝てる戦を、殿下が取りこぼした、そのことをお忘れなきよう」


 殺されるのかと、そう思う程の殺気。

 ただ、後悔は無かった。


 勝てなかったから、死ぬ。分かり易くて気が楽だ。




 そうやって拘束されたまま、俺は洛陽らくようへと戻された。



・方天戟


 槍の両側、左右対称に三日月状の刃が付いている武器。

 「切る」「突く」「叩く」「薙ぐ」「払う」など、汎用性が高かったとされる。



牛輔ぎゅうほ


 董卓の娘婿。姻族ということで重用された。

 賈クや李傕、郭汜などが配下であり、董卓軍の主力の指揮権を担っている。

 極めて臆病な性格であり、処刑台を傍に置いたり、吉兆を占ってからでないと人に会わなかった。



徐栄じょえい


 董卓配下の猛将。

 反董卓連合に対抗するべく出陣し、曹操や孫堅軍を散々に打ち破る活躍を見せる。

 董卓死後は王允、呂布に降伏。李傕、郭汜軍と対峙するも配下の裏切りにあって殺害された。


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