13話
宗越が手土産に持ってきた情報は、爆弾みたいな情報だった。
いや、三国志読んでるから知ってる話なんだけど、にしても重いな。
───皇帝「劉弁」の廃立。そして「劉協」の擁立を、董卓が画策している、と。
こんなに早く話が出るものなのか。
しかし、思い返してみれば確かにそうだった。
劉弁が皇帝に在位できた年月は、半年にも満たなかったはず。
どうにかして阻止しなければならない。
劉弁が廃され、自分が擁立されたら、その瞬間に漢王朝は実質的な終わりを迎えるのだ。
一介の将軍に過ぎない身分の董卓が皇位を好きに操れば、皇位に対する権威は地の底に落ちる。
そこからの復興は、極めて難しいと言わざるを得ない。
「汚鼠、早速だが会ってきてほしい者が居る」
「仰せのままに」
今、董卓を直接抑える事が出来る人間は、アイツだけだ。
最強の猛将を従える、あの男だけ。
☆
その日は、盛大な宴席が設けられた。
行きたくはなかったが、婆さんの前でそんなわがままが通用するわけもなく。
老人のしょぼん、ってした顔に弱い。
董卓の都合の良い存在になっているとも知らず、純粋に俺に良かれと思っている、そんな婆さんの笑顔が酷く悲しい。
宴席とは言えど、これは実質的に、董卓の権勢を周囲に知らしめる為のものであった。
何進が招集をかけていた各地の武官が揃ったこの場で、自分の支持者を集めたいのだ。
董卓は「運」を掴みこそしたが、その家柄や兵力では、全ての頂点に立つことは難しい。
だからこそ袁家や婆さんに擦り寄り、盛大に宴会を催して、支持層を固めていく。
手のつけようも無い暴君というイメージだったけど、董卓はどこまでも狡猾で、賢しい人間であるらしい。
自分の置かれる立場を理解し、有効な一手を積んでいく。
今のところ残虐な一面が表に出ていない事だけが、救いなのかもしれない。
ただ、それもいつまで続くかはわからない。
現に、劉弁を呼ばず、俺を主席に据えているあたり、その野望は誰の目から見ても明らかである。
「十常侍も消え、殿下もご健勝であらせられる。これより漢は大いに平穏を取り戻し、殿下の御威光も隅々に行き届く事でしょう!」
「あ、あぁ……それも全て、丞相のお陰だ。これからも陛下の為に尽くしてくれ」
「勿体なきお言葉で御座います!」
董卓は豪快に笑いながら、規格外の体をへこへこと曲げる。
食えない男である。
一発殴って、その腹の中を探ってみたいところだけど、あんまり下手なことは出来ないな。
今の洛陽が一応落ち着いているのも、董卓のお陰だからね。
「されど、殿下はお若いのに、まことに御賢明であらせられる。十常侍の乱の際も落ち着かれたご様子で、我が精兵を前にしても堂々として居られた。王の風格を私は感じましたぞ」
「そうであろう! そうであろう、董卓よ! 協はまことに賢い子なのだ」
「はい、太皇太后様。それに諸君らにも見ていただきたいのだ、殿下の首元にはなんと、龍の紋様が浮かんでおられる。これぞ天の啓示であろうと、私は思う」
諸将がざわつき、董卓と婆さんに笑顔で促される。
新手の羞恥プレイさながらだが、断る理由もさして見当たらない。
俺は仕方なくその場で立ち、首元を開いた。
「おぉっ」「なんと」「これはっ」
ざわめきは大きくうねり、武官の面々は顔色を一気に明るくした。
そして沸き上がる、俺と、董卓に対する賛美の数々。
ただの刺青なんだよなぁ。
董卓は豪快に笑いながら、周囲をなだめ、その視線を自分の下に集めた。
大きな咳ばらいを一つ。
その豪胆な顔から、表情が消えた。
「さて、どうだろうか皆々様。劉弁様より、劉協様の方が皇位に相応しいと、そう思いにならないか? 劉弁様はお気が弱く、皇位は荷が重い」
周囲の衛兵に殺気が籠るのを、武官らは過敏に感じ取り、誰もが冷や汗を浮かべている。
婆さんもにこにこと、全てを分かったうえで微笑む。
とんだ茶番だった。
俺は大きく溜息を一つ吐き、鶏肉の煮込まれたスープを口に運んだ。
ここで明確に、自分の支持者をふるいに掛けているらしい。
意に逆らうようなことを言えば、この場では殺されずとも、いずれそうなる。
董卓はそれを躊躇なくやる、そういう男に見えた。
ただ、まだ見通しが甘い。
別に今んとこお前に恨みは無いけど、この世の中、そう簡単にお前の思い通りにはならないよ。
ふと、董卓と目が合った。
酷く冷たく、無機質な瞳である。俺はあえて無視をして、鶏肉にかぶりついた。
「さぁ、どうする?」
すると、衛兵が揃って、槍の柄を地面に叩きつけた。
小さな悲鳴と共に、武官らは揃って董卓の意向を称えだす。
しかしそんな中、一人の豪快な笑い声が、その空気をぶち壊した。
「何が面白いのですかな? 執金吾『丁原』殿」
「これが笑わずにおれますかな? 董卓殿よ」
小柄ではあるが、董卓相手に腰が引けていないどころか、堂々と胸を張る爺さんだった。
そう、彼こそ、今の董卓に面と向かって対抗できる唯一の人間。
そして何より目を引くのは、その丁原の側に侍る、細く大柄な若き武人。
その体長は董卓に並ぶ程。象とキリンが並んでいるかの様。
彼の名は『呂布』。
まだ幼さの残る顔つきだが、彫りの深い個性派俳優の様なイケメンである。
「それは陛下に対してあまりに不忠ではありませんかな? それに貴方は、皇室に連なる名家出身でもござらん。例え丞相だからと言って、それは横暴が過ぎましょう」
「黄巾の乱に、十常侍。全てが除かれたとはいえ、未だ国に残る傷跡は大きい。ここは名君に立ってもらい、立て直しを図るべきであろう。丁原殿は時勢を見てはおられぬ」
「ハッハッハ!! その黄巾賊に敗れて逃げ帰ったのは、果たして誰であったのだろうなぁ!?」
ちょっと丁原さん、言い過ぎじゃありませんかい?
黄巾の乱が起きた時、討伐に当たったのは有力な四人の将軍。
その内の一人が董卓であり、唯一、董卓のみが戦功を挙げられずに敗走していた。
丁原はそれを堂々と煽ったのだ。
皆が見ている場での皮肉はさぞかし気持ちが良いだろう。
中々笑いの止まらない丁原を冷たく眺め、董卓は右手を上げる。
辺りに居た十数人の衛兵が一斉に矛先を丁原に向けて走り出した。
勿論、お酒も食べ物もぐちゃぐちゃに蹴飛ばされる。
婆さんは小さく悲鳴を漏らした。
勝負は、一瞬。
目にも止まらない速さで飛び出した呂布が、一人の矛を奪い、衛兵を残らず薙ぎ倒す。
誰も死んではいない。傷は負っているが。
呂布の持つ矛は、持ち手の半ばから砕けていた。
「ふむ、儂が居てはどうも場が悪くなるようですな。では皆々様はどうぞそのままご歓談下され。それでは殿下、これにて失礼します」
再び大口を開けて笑い飛ばしながら、丁原は呂布を従えて、宴会場を出て行った。
董卓はその無機質な瞳に再び喜色を宿して「確かに執金吾殿の言う通りだ」と笑い、片づけを指示する。
史実ではこの後、呂布に殺される丁原だが、今は何とか踏ん張って貰わないといけない。
俺は側に居る従者の一人に、スープのおかわりを頼んだ。
成長期なんでね。
・丁原
官吏としての能力は低かったが、武芸に秀で、賊の討伐などで功績を挙げた武官。
常に軍の先頭を駆け、騎射を得意とするなど勇猛果敢であった。
洛陽に招集された後は執金吾に任命されたが、董卓の手引きを受けた呂布に暗殺される。
・呂布
初めは丁原の養子、次に董卓の養子となったが、二人とも裏切って殺害している。
演義では関羽、張飛、劉備の三人を一人で相手するなど、最強の猛将として活躍。
後に徐州を拠点として猛威を振るったが、曹操によって攻め滅ぼされる。
・執金吾
首都である洛陽の治安を維持する役職。現在で言う警視庁本部の様な官位。
煌びやかな鎧を身にまとい、軍部の象徴的な役割を持っていた。
後漢の祖である光武帝の劉秀も、若い頃に「執金吾になれたら思い残すことは無い」と憧れを抱いていたとか。




